メディカルエッセイ

第121回(2013年2月) 糖質制限食の行方 その2

 2012年7月のメディカル・エッセイ第114回で、私は「糖質制限は現在医学界で最もホットな話題」と述べました。その後約半年が立ちましたが、糖質制限はますます注目を集めているようで、太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)でも、患者さんから糖質制限についての質問を受けない日はない、と言ってもいいくらいです。

 少し前までは、ぜひ取り組んでみたい、という人が多かったのですが、最近は、糖質制限は危険って聞いたんですけど・・・、という質問が増えてきています。メディカル・エッセイ第114回でも、糖質制限の危険性を指摘した論文を紹介しましたが、今回は、その後の医学界での糖質制限に対する評価についてまとめておきたいと思います。

 糖質制限は、もともとは糖尿病の食事療法として有効ではないか、という考えが少数の学者から提唱され次第に普及していったものです。従来糖尿病に罹患したときに摂取すべき食事は「カロリー制限食」であり、特に高カロリーの脂肪摂取の上限は厳しく制限されています。糖質制限食が、高脂肪食品が食べ放題でありながら糖尿病に有効である可能性が指摘されると、肥満の解消に、あるいは肥満の予防、つまりダイエットに有効ではないかと考えられ世界中に広がっていきました。

 肥満は糖尿病のみならずほとんどの生活習慣病の最大のリスク要因のひとつですから、糖質制限で肥満が防げるならば、行政の立場からは医療費を大きく軽減できる可能性があります。そこで、各国は糖質制限にどのような評価をおこない国民に広く推薦すべきなのかどうかを公表していくことになりました。

 いち早く学会を挙げて糖質制限食に評価を与えたのはスウェーデンだと言われています。イギリスでも英国糖尿病学会が発表しているガイドラインで、糖質制限食を治療の選択肢の一つとすると述べられています。アメリカでも、米国糖尿病学会が、カロリー制限食と並行する形で、糖質制限食を承認することを公表(Nutrition Position Statement)しています。

 では日本ではどうかというと、2012年5月18日、横浜で開催された第55回日本糖尿病学会年次学術集会では、「糖質制限食は糖尿病の食事の選択肢のひとつとなりうる」、というコンセンサスが得られました。しかし、2013年1月13日に開催された第16回日本病態栄養学会年次学術集会で、日本糖尿病学会食事療法委員会の委員長を務める宇都宮一典氏(東京慈恵会医科大学糖尿病・代謝・内分泌内科教授)が、糖質制限を勧めないことを明言したことが報じられました。

 ここは重要な点だと思いますので少し詳しく取り上げてみたいと思います。

 この学術集会で、日本糖尿病学会が今年出す見通しの「糖質制限を含めた食事量をめぐる声明案」の概要が説明されました。そのなかでまず強調されたのが、肥満の是正について、です。肥満の是正は糖尿病の予防と治療で最重要であり、<総エネルギー制限を最優先にする>と強調されました。そして、糖質制限については具体的な数字をあげて次のようにコメントされています。

「総エネルギー制限をせずに、炭水化物を100g以下に制限するのは、長期的な有用性や安全性のエビデンスが不足しており勧められない。1日当たりの糖質の摂取量は100g以上にすべきである」

 また、炭水化物、タンパク質、脂質の構成比についいては、<従来の考え方>が改めて強調されました。つまり、糖質制限はすべきでない、ということです。具体的には、「炭水化物は50%-60%、タンパク質は20%以下を目標とする。脂質の摂取上限は25%とする」と説明されました。脂質については、n-3不飽和脂肪酸の摂取を増やす、といった脂肪酸の構成にも配慮することが付記されています。

 では、糖質制限については、やってはいけない危険な食事療法とされたのかと言えば、そこまでは言及されておらず「今後の検討課題」とされています。日本糖尿病学会は、今後パブリックコメントを募集した上で、あらためて声明を発表する方針のようです。

 日本糖尿病学会が糖質制限に消極的なのは、糖質制限食を長期間継続したときに有用性や安全性がはっきりとしないからです。

 糖質制限の長期的な有用性及び安全性について検討した比較的大規模研究で有名なものにスウェーデンの女性を対象としたものがあります。その研究については、メディカル・エッセイ第114回で詳しく述べましたからそちらを参照してほしいのですが、結論を述べれば「糖質制限を長期間続けると心筋梗塞や脳卒中になる危険性が高まる」というものです。

 この研究が世界中で物議を醸していたのですが、日本からも同様に糖質制限の危険性を指摘する研究が発表され話題を呼んでいます。

 国立国際医療研究センター病院の能登洋医師らのグループは、2012年9月12日までに著名な医学誌に掲載された合計17件の論文を解析し、糖質制限が死亡に与える影響を調査しました。対象者は合計272,216人になり、追跡期間は5~26年間です。合計27万人以上を対象とした研究というのは、糖質制限の有効性・安全性について調べたものでは世界最多ではないかと思われます。研究結果は医学誌『PLOS ONE』2013年1月25日号(オンライン版)に掲載されています(注1)。

 研究の結果は、「糖質制限をおこなうと全死亡リスクが約1.2~1.3倍に上昇する」、とされています。

 スウェーデン女性を対象とした研究では「心筋梗塞や脳卒中になる危険性が高まる」とされており、能登洋医師らの研究でもこの点が検討されています。その結果は、「糖質制限をおこなうと心筋梗塞や脳卒中といった血管の疾患のリスクは上昇する傾向にあるが、統計学的な有意差まではでていない」とされています。しかし、これは、「有意差はでていないものの、これら疾患に対する糖質制限の危険性については充分な注意をすべき」と捉えるべきでしょう。

 以前にも何度か述べましたが、私自身が感じている糖質制限の最大の欠点は「長続きしないこと」です。糖質制限、要するに「炭水化物を減らした食生活」は決して簡単ではない、ということです。味噌汁と漬物があってご飯を制限、という食事がどれだけつらいかは容易に想像できるでしょう。洋食を中心としても、パンやパスタの制限、さらにじゃがいもや豆もダメとなると、いくら1日あたり100グラム程度の糖質はかまわない、と言われても、それが2ヶ月程度なら続いても、生涯続けなさい、と言われると、これは相当大変です。

 糖質制限をおこなうと心筋梗塞や脳卒中が起こりやすくなるのが事実だとすると、おそらくその理由のひとつは、炭水化物の代わりに脂質を多く摂取してしまうということでしょう。コレステロールや中性脂肪の値が高くなる高脂血症は、これら血管障害の最大のリスクのひとつです。

 糖質制限肯定派の人たちがよく言うセリフに、「大昔の人類は米や小麦を栽培しておらずマンモスなどの肉を食べていた。だから人類にとって自然なのは肉食なのだ」というものがありますが、これも最近では否定的な見解がでてきています。つまり大昔の人間にとって肉にありつける機会はそれほど多くなく、日頃食べていたのは自然に育っている野菜や果物、さらに木ノ実やイモ類であったであろう、ということが化石などの解析からわかってきているそうです。

 ではどうすればいいのか・・・、ということについて、私の意見をメディカル・エッセイ第114回に書きましたのでそちらを参照してほしいのですが、糖質制限を実践するなら、医師や栄養士の指導の下でおこなうべきで、脂肪を取りすぎていないかどうかについてはときどき血液検査などでチェックしていくべきでしょう。


注1:この論文のタイトルは、「Low-Carbohydrate Diets and All-Cause Mortality: A Systematic Review and Meta-Analysis of Observational Studies」で、下記のURLで全文を読むことができます。

http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0055030

参考:
メディカル・エッセイ第114回(2012年7月) 「糖質制限食の行方」
メディカル・エッセイ第109回(2012年2月) 「糖質制限食はダイエットにどこまで有効か」
医療ニュース2013年1月7日 「やはり減量には脂肪を減らすのが有効」