メディカルエッセイ

第20回(2005年8月) 覚醒剤中毒の女医

 2005年3月25日、大阪の40歳の女医が、覚醒剤取締法で逮捕されました。

 報道によりますと、兵庫県尼崎市内の病院で副院長をしていたこの女医は、2003年9月から04年10月にかけて病院に納入された向精神薬や注射器を売り覚醒剤の購入資金に充てていました。

 私が『医学部6年間の真実』のなかで詳しく述べたように、覚醒剤中毒の医師というのは何も珍しくありません。覚醒剤をキメてから、手術をおこなっていた外科医と麻酔科医が逮捕された「兵庫医大覚醒剤事件」を皮切りに、数々の「シャブ中ドクター」が明るみになりました。今でも年に何度かは、新しく発覚したシャブ中ドクターが新聞に載ります。もっとも、珍しくなくなったせいか、最近では大きく取り上げられることはないようですが......。

 さて、今回逮捕された大阪の女医は、単に覚醒剤をキメたかった、という以外に複雑な事情があったようです。そのあたりが、『裏モノJAPAN』という雑誌の2005年8月号で詳しく取材されていますので、ここで簡単にご紹介しておきたいと思います。

 この女医は、関西で開業医をする父親の次女として生まれ、早い時期から父親の後継者として医学部進学を義務づけられていたそうです。

 予定通り、ストレートで医師になった彼女は、27歳のときに同じ医師である男と結婚しました。

 ところが、その旦那が他に女をつくり結婚生活は五年で破綻し離婚に至ったそうです。

 その後、友人の紹介で知り合った実業家の男性と恋愛関係になりました。アメリカで事業をしたいというその男を追いかけ、彼女は勤務していた病院をやめてアメリカに渡ることになりました。

 その男から、「運転資金に」とか「事業資金に」などと言われて彼女は900万円以上を貢いだそうです。

 ところが、結局その男は、彼女に一方的に別れを告げて去っていったそうです。
 彼女は2001年に日本に帰国しました。寂しさを紛らわすためにツーショットダイヤルにのめりこんだそうです。そして、そこで知り合って付き合いだすことになったのが、覚醒剤の密売人だったというわけです。

 間もなく、二人は同棲を始めました。その男が覚醒剤を静脈注射していることはすぐに分かったそうですが、彼女はとがめるどころか、「自分にもちょうだい」と言ってすすんで自分の腕に注射をしたといいます。

 それだけではありません。セックスの際、腟壁に覚醒剤を塗るようになったそうです。かつてない興奮と快感が身体をつらぬき、一度その味を覚えると、彼女自ら積極的にセックスを求めるようになったといいます。

 この頃から、男の帰りを待ちきれず、ベランダに体を乗り出し、男に向かって手を振る姿がよく目撃されていたそうです。

 彼女は当時、複数の病院でアルバイトをしていましたから、それなりの収入はあったのですが、覚醒剤にハマりだせば貯金などすぐに底をつきます。そこで、彼女は自分の勤務する病院から、大量の注射器や向精神薬を持ち出して資金にあてていたというわけです。

 逮捕後、取調官から問われても彼女は同じ供述を繰り返すばかりだったといいます。
 「あの人が好きだったのです。あの人との絆を強くしたかった・・・・」

 2005年3月24日の大阪地裁の初公判で、彼女は起訴事実をすべて認めました。すべてを失った、という悲愴感は彼女にはなかったそうです。彼女のなかにはまだその男との「絆」が残っているのかもしれません。

 「シャブ中ドクター」が新聞の隅に載ることは珍しくなく、2005年7月にも、福岡大病院に勤務する41歳の男性医師が、覚醒剤取締法で逮捕されました。この男は、当直時にも「眠気覚ましに使った」などと供述しているそうです。

 覚醒剤の効果は、「テンションがあがる」「眠らなくても平気」「食事を摂らなくてもエネルギッシュに働ける」などがありますし、違法ではあるものの、現在の日本では割と簡単に入手することができますから、その怖さを知っているはずの医師でさえ、気軽に手をだしてしまうのかもしれません。

 最近は、あまりにも覚醒剤を使用する人が増えたために、「気をつければ中毒にならない」とか「お酒と一緒で度を越さなければハッピーになれる」とかいう噂が出回り、以前に比べると、それほど危険視されなくなっているような印象を受けます。

 また、覚醒剤は実は合法的に入手する方法もあります。「リタリン」という名前の向精神薬は、覚醒剤の類似物質で、大量に内服すると、シャブとして出回っているメタンフェタミンと同じような効果が得られます。医師であれば簡単に入手できますから、「シャブ中ドクター」は見つかっていないだけで、かなりの数に昇るのでは、と私は考えています。

 しかしながら、「覚醒剤には絶対に手を出すべきではない」という事実は変わりありません。

 たしかに、中毒にならないように上手く使いこなしている人もいるようですが、そういう人たちがいつ中毒にならないとも限りませんし、中毒になって、職を失った、家族を失ったという人は枚挙にいとまがありません。

 さて、中毒症状になりやすいパターンのひとつが、今回逮捕された女医がしていたような、パートナーとの「セックスでの使用」です。もちろん私は経験がありませんが、覚醒剤を使用したセックスの体験者に話を聞くと(患者さんと仲良くなるとこういう話もしてくれます。当然、昔の話であり、現在は立ち直っているからこそ話せるのでしょう)、普通の(覚醒剤なしの)セックスができなくなると言います。快感が何十倍にもなり、何時間おこなっていても疲れが来ないと口を揃えて言うのです。そのため、三日三晩、ほとんど休憩せずに、セックス浸りになることもあるそうです。覚醒剤を使うことによって、強烈な快感が数時間も続き、射精にいたらなくなりますから、早漏で悩んでいる男性のなかには特にやめられないという人もいます。また、覚醒剤をコンドームに塗られて腟に挿入されれば、女性は知らないうちに依存症になることもあります。

 それまでに経験したことのない興奮と快感に襲われるわけですから、パートナーとの精神的な結びつきが強くなることも想像に難くありません。

 おそらく、この女医もそうだったのでしょう。離婚後に出会って、アメリカまで追いかけて大金を貢いだ男には一方的に別れを告げられ、ツーショットダイアルで知り合った男性にやさしくされた彼女は、寂しさと男の優しさに覚醒剤がもたらす興奮と感動が加わったために、その男から離れられなくなったのでしょう。
 
 仕事や生活を「日常」とすると、一部の恋愛やクスリは「非日常」に相当します。「日常」では常識であることが、「非日常」の世界では必ずしも常識ではなくなり、ある意味では「つまらないもの」に見えることがあります。そして、つまらなくなった常識を捨てて、「非日常」の興奮に身を投げたくなることがあります。例えば、家庭や仕事を投げ出して、駆け落ちするカップルや、これ以上やると社会に復帰できないことを知りながらハマっていくクスリなどはその典型です。

 そして、これらは善くないことであることは自明ではありますが、そうなっていく気持ちもまた理解できないわけではありません。

 だから、私は、「密売人と付き合ってはいけません」とか「クスリをやってはいけません」などというようなことを、「常識人が振りかざす正論」として主張するつもりはありません。単なる正論の主張だけであれば、おそらくいずれ逮捕されることに気付きながらも、その男との覚醒剤を使ったセックスから逃れられなかったこの女医の気持ちも理解できるはずがないのです。

 覚醒剤に手を出すべきでないのは自明でありますが、覚醒剤に手を出してしまう人がいる理由も理解しなければならないと私は考えています。そして、そういった人たちが、覚醒剤から解放されるような手助けをするのが医師のつとめである、と私は思います。

 次回から、そのあたりを考えていきたいと思います。