マンスリーレポート

2006年3月 天国から地獄へ 

 先月のマンスリーレポートで、私は、自分の不運を嘆いていたところを、患者さんの一言で立ち直り、再び前向きな気持ちで頑張り始めた、という話をしました。

 この「前向きな気持ち」のおかげなのか、1月は努力してもまったく見つからなかった新しいクリニック用の物件が、2月の早々についに見つかったのです!

 その物件を見つけたときの気持ちを表そうとしても、ちょっと言葉が見当たりません。その物件に「一目ぼれ」した、とでも言えばいいのでしょうか。とにかく、これだ!と感じるものがあったのです。まるで運命で結ばれている二人の出会いのように・・・。

 その物件のビルは、私が(医学部でなく)以前の大学生だった頃、ときは1988年ですが、その頃にアルバイトをしていた会社のビルのすぐ前にあったのです。今度出版する『偏差値40からの医学部再受験テクニック編』の「あとがき」にも書いたように、私のアイデンティティはその頃に形成されたものと思っています。私のこれまでの人生でもっとも充実していたその当時、いわば「古き善き時代」、あるいは、私の「酒とバラの日々」とでも言えばいいのでしょうか、ともかくその頃の思い出が蘇る「私の原点の地」にその物件はあったのです。

 場所だけではありません。近代的に設計されたそのビルは、外観もロビーもエレベーターも、そしてもちろんその部屋も完璧なものでした。通りに面した部分は全面ガラス張りで眺めもよく、待合室には最高です。トイレもきれいで、部屋の大きさもクリニックとしては最適。おまけに、地下鉄の駅の上にあり交通の便もよい、まさに非の打ち所のないパーフェクトな物件だったわけです。

 まだあります。そのビルの別の階には、ある医療クリニックが入っていました。そのクリニックはある専門の科を掲げていましたから、そのビルでクリニックを開くと、その別の階のクリニックとも協力して患者さんの診察にあたることができるわけです。私の方が患者さんを紹介してもらうことは少ないかもしれませんが、私の方は、専門的な検査や治療が必要な患者さんを積極的に紹介できる、そしてこうすることによって患者さんに満足度の高い診察をすることができる、そのように考えました。

 私は、一緒にクリニックをたちあげるマネージャーに相談もせずに、すぐに申込書にサインをしました。マネージャーもきっとここを気に入るに違いない、と確信したからです。マネージャーは私の旧友ですが、彼もまた私と同じアルバイトをしており、その物件の目の前のビルで一緒に時代を過ごしていたのです。

 その日の夜、マネージャーに報告すると、予想通り彼も大喜び、ふたりでこれからの夢を語り合いました。

 しかし、まだその物件を借りることができると決まったわけではありません。ビル会社の審査があるからです。私とマネージャーは必死になって企画書を作成し、これから取り組んでいきたいことを丁寧に記載していきました。

 企画書を提出し、面接を受けたその結果は・・・。ビル会社も我々の意向を受け入れてくれて、「是非とも借りていただきたい」というものでした。

 もう、天にも昇る気分です。目にうつるすべてのものが輝いてみえました。このビルで働けるなら、出勤すること自体が楽しみになります。どれだけ満員の電車に揺られても苦になりません。私はなんて幸せ者なのだろう・・・。このときには、先月までの沈んだ気持ちのことを完全に忘れていました。

 ビル会社の担当者は最後にこう付け加えました。「別の階にもクリニックがあるので事前に挨拶をしておいてください」

 これは当然のことですし、これからそのクリニックに患者さんを紹介することを考えましたから、早急に挨拶に向かうことにしました。

 そして翌日、私はそのクリニックに出向きました。院長先生に自己紹介をし、「これからよろしくお願いします」と丁寧に挨拶をしました。

 話し合いは順調にすすみました。少なくともある話題になるまでは・・・。

 「私は大学の総合診療科に所属していて、大学とも協力して患者さんの診察をおこない、また研修医の教育にも力を入れていきたく考えています」

 私がそう言った瞬間、突然その院長先生の顔色が変わり、私には信じられない言葉が飛び出しました。

 「それは困る! 君とはやっていけない!」

 ??? 

 私は、その言葉の意味がしばらく理解できませんでした。いや、今でも理解できていません。なぜ、私がそのクリニックと協力してやっていくことができないのでしょうか。

 医療機関というのは、美容室や酒屋とは異なります。そういった業種なら、近くに同業者がやって来るとライバルになることがあるでしょうが、医療機関というのは、それぞれ担当する領域が異なりますから、ライバルにはならず、むしろ協力することによって、患者さんに、より満足度の高い診療を供給できるのです。

 もしも、その場所が郊外の住宅地などで医療機関がすでに過剰なのであれば、患者さんの取り合いということがあるのかもしれません(医師過剰の地域があるとは思えませんが)。けれども、そのビルは関西を代表する繁華街にあるのです。しかも地下鉄の駅の上です。一日に何千人、あるいは何万人もの人がその場所を通るのです。圧倒的に需要が供給より多い地区なのです。

 いかなる場合であっても、他の医師と喧嘩をするのは得策ではありません。私は「お時間をとっていただきありがとうございました」と言ってその場を後にしました。そして、その足で「ここをお借りすることができなくなるかもしれません」とビル会社に告げに行きました。

 その数日後、ビル会社から呼び出しがありました。「別の階のクリニックが反対しているみたいだが、我々の方から交渉してみるからまだ諦めないでほしい」という内容でした。

 しかしその結果は・・・。結局そのクリニックを説得できなかった、というものでした。

 この絶望感をお分かりいただけるでしょうか。いったん、天にも登りつめたような気分だったのが、突然一気に地獄の底に突き落とされたような悪夢へと転化したのです。

 私は、いつも起こりうる最悪のことを考えて行動するようにしています。前向きな気持ちを持つのも大切ですが、最悪のことを考えていないと、予期せぬことが起こったときの対処法を誤ることがあるからです。

 車に乗るときは、子供が飛び出してくることを念頭におきますし、飛行機に乗る前には墜落することを考えます。患者さんを診察するときは、緊急性がないか、あるいは重要な病気はないか、をまず考えますし、友達にお金を貸すときは、戻ってこないことを想定して貸すようにしています。人は、たとえ自分が親友と思っている人物であったとしても、状況によっては裏切ることがあるかもしれませんし、自分の軽率な行動が悲劇を招くこともあり得ます。

 私はこれまでの人生で、人に裏切られたり、結果として後悔することになる行動をとったりしたことが何度かあり、そのために、いつのまにか「最悪のことを考えて行動する」クセがついています。

 しかし、そんな私でさえも、まさかその物件が借りられなくなるとは想像できなかったのです。

 もう何もやる気がおこりません。仕事中は、患者さんにそんな気分が伝わらないよう必死で笑顔をつくるようにしていますが、いったん仕事を離れると動くことさえままならなくなりました。部屋は荒れ放題、毎日やらなければならない医学の勉強もおろそかになり、毎日必ず時間をとって取り組んでいた英語とタイ語の勉強もまったく手に付かなくなりました。友人からの電話にも出なくなってしまいました。

 私はこれからどこへ行くのでしょうか・・・・。