マンスリーレポート

2006年9月号 卒業 2006/09/09

 先月の大学病院でのカンファレンスで、「卒業試験の問題をつくるように」との業務命令が私に下されました。医学部の卒業試験は問題数が莫大なものですから、私のように教壇に立つ資格のない者も問題作成をおこなうことになるのです。もっとも、私がつくった問題は実際のテスト問題に組み入れられる前に何人かの教員のチェックを経て、必要があれば修正が加えられることになっています。

 私の大学では、卒業試験は11月と12月の2ヶ月間かけておこなわれます。現在は、医師国家試験は2月末におこなわれますから、医学部の6年生は卒業試験が終わればすぐに国家試験のために猛勉強しなければなりません。そのため、11月からは勉強以外にほぼ何も考えられなくなります。

 大学によっても異なりますが、私の大学では、10月までは臨床実習として大学病院以外の大きな病院での研修(実習)を受けなければなりませんから6年生の後半はかなり多忙になります。もっとも、医師になってからの方がこのような生活よりもはるかに多忙なのですが・・・。

 日頃の臨床で多くの症例にあたっていると、題材は豊富にありますから、卒業試験の問題をつくること自体は、そんなにむつかしいことではありません。ただ、せっかくつくるなら、医学生にはそれを考えることによって将来の臨床に役立つような問題をつくりたいものです。

 だから、私はこれまでの卒業試験や医師国家試験を参照することなく、オリジナリティの強い問題をつくりました。(オリジナリティが高いといっても、問題を考えるプロセス自体は奇抜なものではなく、過去問を解いて基本的な考え方を理解していれば、そんなにむつかしくはありません。もしもこれを私の大学の6年生の人が読んでいれば、あまり不安にならないように・・・)

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 私は受験の本を出版していることもあり、大学4年生の人からもメールや手紙をもらうことがあるのですが、今年は去年までに比べると、その内容に変化がみられるように思います。去年までは、「今、大学4年生ですが、就職はせずに医学部受験の勉強を始めます(続けます)」、というものが多かったのですが、今年は「いったん就職してお金をためてから再度医学部受験を検討します」、というものが増えています。

 この理由はおそらく景気がよくなって、就職状況が一気に売り手市場に突入したからでしょう。新聞をみていても、今年はバブル経済以来の売り手市場で、複数の内定をもらう学生が続出し、企業側は優秀な人材の確保に必死であるという記事を目にします。

 企業に就職しようが、就職せずに受験勉強の生活に入ろうが、3月になれば「卒業」がやってきます。同じ卒業式を迎えるにあたって、就職が決まっている人とそうでない人は気分が違うかもしれません。

 私は関西学院大学社会学部を1991年に卒業しましたが、卒業式の頃は、これから始まる社会人としての生活にワクワクしていたのを覚えています。
 
 卒業試験の問題を考えながら、そんなことを思い出してしまいました。

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 私は、受験の本を出版しているだけであり、就職についてこれまで言及した記憶がないのですが、なぜか私のところに就職活動の相談をされる方がいます。すべての問い合わせに返事を書いているわけではありませんが、手紙やメールの内容によっては、悩みや考えが真剣に伝わってきて、相談にのらせてもらうこちらの方も(不謹慎な言い方ですが)楽しませてもらっています。

 「楽しませてもらっている」というのは、私自身がその人の気持ちになってこれから始まる暮らしのことを考えるとワクワクしてしまうからです。みんなにそれぞれ夢があって、その夢を少しだけ共有できたような気がして嬉しくなってくるのです。

 人間というのは贅沢なもので、私は今の生活は自分に与えられたミッションを遂行していると感じられるため、幸せだとは思うのですが、それでも、「前みたいに日本の会社でビジネスマンをしたいな・・・」とか、「新興企業に就職して海外市場を開拓してみたいな・・・」とか、はたまた「もう一度大学に行って勉強や研究に没頭してみたいな・・・」などと思うこともあります。

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 今月から、GINAのwebsiteで、『イサーンの田園にルークトゥンが流れる時』という小説を連載することになりました。この物語はフィクションで、主人公は架空の人物です。これまでの生活に終止符を打ち、新しくNPOのスタッフとして働き始めた主人公(元看護士の男性)が、ある女性との出会いをきっかけに新たな発見をしていく、というストーリーなのですが、私はいつしかこの主人公に感情移入をするようになり、現実では体験できないことをストーリーのなかで実現させることの面白さが分かるようになりました。

 新しい世界に飛び込むというのは、一度きりの人生のなかでそう何度もできるわけではありません。しかし、どんな人にもその機会は確実にやってきます。

 そのひとつが「卒業」です。

 卒業試験の問題を考えながら、新しい世界に飛び込む感動について想いを巡らせてしまいました・・・。