マンスリーレポート

2008年10月号 あなたも寄付をしませんか?

先月からすてらめいとクリニックの待合室に小さなテーブルを置いています。このテーブルには、ユニセフやUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のパンフレットが置かれており、診察の待ち時間に患者さんに見てもらっています。

 これまでもNPO法人GINAの募金箱は受付に置いてあり、大勢の患者さんに貴重な寄附金をいただきました。この場でお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。(いただいた寄附金は、タイのエイズ孤児やエイズ患者さんを直接支援している複数の団体に全額寄付しています)

 先月から、クリニックの待合室に、GINAだけでなく他の団体のパンフレットを置いたのは、私個人が「少しでも多くの方に寄付に興味を持ってもらいたいから」です。

 言うまでもないことですが、世界には我々日本人の常識からは考えられないような苦痛を感じている人(子供たち)がいます。例えば、きれいな水が手に入らない環境にいる人は世界で4億5千万人もいると言われています。世界で20億人以上の人々は、清潔な衛生状態になく、水を原因とする病気は8秒に1人のペースで幼児の命を奪い、途上国の死因の80%を占めます。(このような情報はユニセフやUNHCRのウェブサイトに詳しく掲載されています)

 寄付するなんてカッコ悪くて・・・、とか、寄付なんていいカッコしてるみたいでイヤやわ・・・、とか感じている人もおられると思いますが、寄付をそんなに"敷居の高いもの"と思わずに、"気軽に"一度試してみればいかがでしょう。

 今回は「私が寄付をすすめる理由」についてお話したいと思います。

 まずひとつめは、寄付をすることによって「世界を知る」ことができます。寄付したくらいで広い世界の何が分かるんや!とお叱りの言葉を受けるかもしれませんが、少なくとも寄付をおこなう先の社会情勢や政治などに関心を持つことになります。現在ほとんどの慈善団体では、寄附金の用途を指定することができます。例えば、UNHCRなら、ミャンマー・サイクロン被害、イラク難民支援、グルジア・南オセチア紛争、・・・、などから自分の寄附金の用途を指定することができるのです。漠然と「UNHCRに寄付する」ならイメージが沸きませんが、「UNHCRを通してサイクロン被害にあったミャンマー人を支援する」なら、最近はめっきり報道されなくなったミャンマーの復興状態に興味を持つことになるでしょう。

 「世界を知る」ことが大切なのは、世界を知ることで自分のことが分かるようになるからです。例えば、自分自身のことを「負け組」と読んで、被害者意識を持っている日本人がたくさんいますが、世界のある地域からみれば、清潔な水が飲めること自体が幸せなのです。「格差社会」「負け組」と嘆いている人たちのなかには、インターネットができる環境に住んでいたり、なかには車を持っている人さえいたりします。こういう人たちのどこが「負け組」なのでしょう・・・。以前にも述べましたが、私に言わせれば「日本国籍を有していることがすでに勝ち組」なのです。

 「私が寄付をすすめる理由」の2つめは、税額控除が受けられるという点です。その年に支払った寄附金の合計額から5千円を引いた額が「寄附金控除額」として控除されるのです。ただし、税額控除が受けられるのは、認定NPO法人や自治体などに限られています。(したがって認定NPO法人であるUNHCRに寄付すれば税額控除が受けられますが、単なるNPO法人であるGINAに寄付されても控除は受けられません)

 ところで、この税額控除については、本来の寄付の趣旨から逸脱しており寄付の崇高な精神を踏みにじるものではないかと言われることがあります。例えば、野口悠紀雄氏は著書『円安バブル崩壊』のなかで、次のように述べています。

 (前略)自己犠牲があるからこそ、寄付は崇高な行為と見なされるのである。犠牲を伴 わぬ行為を「寄付」と呼ぶことにすれば、本来の寄付がこれまで獲得していた社会的な評価は希釈されてしまうだろう。

 野口氏の指摘している点はたしかにその通りでこれには反論の余地はありません。しかしながら、寄付の解釈を全面的に見直し、(これまで崇高な精神をもって寄付をされていた人には申し訳ないのですが)寄付とは崇高なものではなく、人間がおこなう自然な行動のひとつとは考えられないでしょうか。

 例えば、小銭ができたのでパチンコに行こうとするのと同じ感覚で、ミャンマーのサイクロン被害者に寄付するというのはどうでしょう。パチンコで浪費しても税額控除はされないけれど、寄付すれば控除されるというメリットもあります。税金が正当に使われているのかどうかはかなり怪しいと言わざるを得ませんが、UNHCRを通して寄付するのであれば目的ははっきりしていますし、どうせ手元に残らないお金なら、税金を払うよりもパチンコで使うよりも寄付をする方が個人に有益なのではないでしょうか。

 さて、「私が寄付をすすめる理由」の3つめは、寄附金が役に立つから、というものです。しかしこれには反論があるでしょう。ミャンマーの被災者やイラク難民にUNHCRなどを通して寄付をしたところで、実際に正しく使われているのかどうか分からないではないか、という反論です。

 たしかに、これはその通りで、適切に正しく使われていると信じるしかありません。(実際、こういった国際組織の職員のなかには不適切な行為をおこなっている者もいるのではないかとの「噂」もあります)

 ならば、もっと身近なところに寄付してみるのはどうでしょう。例えば、すてらめいとクリニックのテーブルには、UNHCRやユニセフのパンフレットに並び、「大阪市ボランティ情報センター」のパンフレットも置いています。ここに寄付をすると、大阪の障害者支援や子育て支援を間接的にサポートすることができます。寄附金が適切に使われているかという疑問はここでも完全に払拭することはできませんが、活動の場が身近なだけに、その気になればその活動を見に行くこともできるわけです。「大阪市ボランティア活動振興基金」に寄付をしても、もちろん税額控除を受けることができます。

 大阪市の他にも大阪府にも「ふるさと納税」の一環として、「福祉資金」というものがあります。ここに寄付をしても身近な人を間接的に助けることができるでしょうし、もちろん税額控除もあります。(大阪府のふるさと納税はウェブサイトが非常に分かりづらいのが難点です。トップページに「ふるさと納税」のバナーがないために一苦労します。ホーム→各室課でさがす→総務部→行政改革課→ふるさと納税、と飛ばなくてはなりません。このようにしないと辿り着けなくなっているウェブサイトは府民の立場に立ったものとは言いがたく行政の都合でつくられたウェブサイトだと言わざるを得ません。検索をかけると辿り着くことができますが、「大阪府はふるさと納税に積極的でないのかな」といらぬ心配をしてしまいます・・・)

 さて、クリニックのこれら寄付関連のパンフレットを置いているテーブルの上にはひとつの額がかけられており、そこには次のような言葉があります。

 奉仕とはこの地球上に住む特権を得るための家賃である