マンスリーレポート

2009年6月号 医師の使命感

4月から近畿地方で急激に増えた新型インフルエンザの感染者も5月中旬以降は減少に転じ、一時は「マスクが手に入らない!」とまでなった緊急事態は落ち着いたように思われます。

 しかし、5月の連休明けの頃から、感染の疑いのある人が後を絶たず、急遽つくられた各自治体の発熱センターはパニック状態になっていました。大阪でも府や市の発熱センターは機能麻痺に近いような段階にまで達し、そのため大阪府では一般の医療機関に対し、発熱外来を実施するよう呼びかけをおこないました。

 この呼びかけに対し、一部のマスコミからは、当初「一般の医療機関では無理だろう」との声が出ていました。

 なぜ一般の医療機関では発熱外来ができないか。これにはいくつかの理由が挙げられていました。

 ひとつには、設備や体制の問題から、一般の患者さんと新型インフルエンザ疑いの患者さんをどうやって分けるのかという点があります。この問題に対処するためには、日曜日など休診の日にのみ発熱外来を設ける、表にテントなどを造設して一般の患者さんとは隔離する、一般の外来が終了した夜間のみに発熱外来をおこなう、などの方法が考えられました。

 次に、発熱外来をおこない新型インフルエンザに感染している患者さんが見つかった場合、診察した医師や看護師はしばらく診療に携われなくなる(かもしれない)、あるいはその医療機関(診療所)はしばらくの間休診としなければならない(かもしれない)、という問題があります。

 私の調べた範囲では、はっきりとは分かりませんでしたが、国内初の国内感染者が発覚した兵庫県の診療所は、数日間診療所を閉めるような措置がとられたとの報道もありました。

 また、それ以前に、危険度のよく判っていない感染症を診るには、医療者にも感染するリスクがあり、いくら医師といえども自らを危険にさらして患者さんの診療に従事できる者がどれだけいるのか、という点を指摘する声もありました。

 しかし、実際に大阪府や大阪市が一般の医療機関に発熱外来を要請したところ、5月末時点で560以上の医療機関が、「発熱外来に協力する」という意思表明をおこなったのです。

 協力すると意思表明した医療機関が予想以上に多かったのか、マスコミはこれを報道し、行政の声を紹介しています。(例えば5月22日の読売新聞では、「府の担当者は、「(多くの医療機関が発熱外来に協力するとしていることを受けて)意識の高さの表れで、とてもありがたい。1日でも早く始められるようにしたい」と話している」、と報じています)

 なぜ、これほど多くの医療機関が発熱外来協力の意思表示をしたか、というのを一言で言えば、医療機関や医療従事者の使命感にあると思われます。今回はその「医師の使命感」について論じてみたいと思いますが、まずは、発熱外来をおこなったときに、医師や医療機関はどれだけのリスクを被ることになるのか、もっと簡単に言えば、発熱外来をおこなうことによってどれだけ「損」をするのか、についてまとめてみたいと思います。

 まず、物品のコストがかかります。マスクや検査キット、薬品を大量に仕入れなければなりませんし、場合によってはテントを造設するコストもかかります。マスクはともかく、検査キットや薬品は保険請求ができるではないか、とも思われますが、最近は保険証を持っていない患者さんも珍しくありません。保険証がないからといって、発熱しインフルエンザの疑いのある患者さんを追い返すわけにはいきませんから、保険証のない患者さん、あるいは保険証はもっていても自己負担の3割を払えない患者さんが来られれば医療機関の赤字となります。(もっとも、ある程度の検査キットや治療薬は当局から支給されますが)

 コストの面でもっと問題になるのは、新型インフルエンザ陽性者がでたときに、クリニックをしばらく閉めなければならない(かもしれない)という問題です。例えば、日曜日に発熱外来をおこない陽性者がでれば、場合によっては月曜から数日間は閉めなければならない可能性があります。この場合、経営的にはかなりの損失になります。患者さんは来られませんし、かといってスタッフの人件費はかかります。それに、月曜日以降に予約を入れている患者さんに休診の連絡をしなければなりません。(ただし、この点については、政府が休業中の損失を補償することを6月9日に発表しました)

 また、陽性者がでなかったとしても、発熱外来をおこなえば人件費がかかります。仮に、発熱外来を開いたけれども患者さんが数人しか来なかった、ということになれば、(社会全体としてはもちろん患者数は少ない方が望ましいのですが)発熱外来のために出勤したスタッフの人件費は赤字となります。

 このように、一般の医療機関が発熱外来をおこなえば、たしかに経営的にはかなりのリスクが伴います。にもかかわらず多くの医療機関が協力することにしたのは、なんといっても使命感によるところが大きいのです。高熱を出して苦しんでいる患者さんが受診できる医療機関がないといった事態はなんとしても避けなければならない、という気持ちです。

 もうひとつは、公的医療機関の発熱外来に携わっている医療従事者が寝食を犠牲にして働いていることが分かるからです。同じ医療従事者がそれほどがんばっているのに自分は・・・、という気持ちが使命感を駆り立てるのです。

 別に医師という職業は尊いんだ、と言いたいわけではありませんが、この点は他の職業と少し違うかもしれない、と思うことはあります。実際、このことはほとんどの医師が感じています。

 例えば、野笛涼という医師(この名前はペンネームだと思われます)は、著書『なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか』のなかで、次のように述べています。

 (前略)食うために医者をやっている奴はいない。みんな、医療を通して患者を救うことが目標となって仕事に就いている。だから、職場で相手に何かを頼む時に遠慮が要らない。夜だけど、休日だけど、あなたの奥さんの誕生日だけど、悪いね、という前提はいらない。

 夜に、休日に、奥さんの誕生日のときに、仕事だからといって同僚を呼び出す職種に就いている人はどれだけいるでしょうか。(誕生日の奥さんはきっとお怒りになるでしょう・・・)

 太融寺町谷口医院も、発熱外来に協力する意思表明をしています。まだ当局から依頼はありませんが、要請があればできる範囲で協力していくつもりです。(ただし、ホンネを言えば、「新型インフルエンザ、これ以上流行らないでね・・・」、という気持ちでいっぱいです・・・)