マンスリーレポート

2011年3月号 スピリチュアル・ケア

スピリチュアルという言葉がちょっとしたブームになっているようで、最近よく耳にします。なんでも、巷にはスピリチュアル・カウンセラーなどと呼ばれる人もいるようですし、スピリチュアル・スポットと呼ばれるところに集まる人も増えているとか。

 そのようなスピリチュアル"ブーム"を受けてというわけではないのですが、先日あるプライマリケア関連の研究会で、「スピリチュアル・ケア」を目的とした勉強会がおこなわれたので参加してきました。

 講師は飛騨高山の千光寺の大下大圓(おおしただいえん)住職で、大下住職は、職業としての住職の他、大学の非常勤講師やクリニックでスピリチュアル・ケアワーカーとしても活躍されています。

 実は医療現場にいると、この「スピリチュアル」という概念を意識せずにはいられません。私は現在、病棟勤務から離れているため、死を目前としている患者さんに対する診察やケアから随分遠ざかっていますが、勤務医の頃には患者さんとしばしばスピリチュアルな話をしました。

 霊魂、あの世、来世、輪廻転生、死後の世界、などと聞けば、ハナから否定する人も多く、特に若い人たちの多くはこのような"非科学的な"モノの存在を嫌うのではないかと思います。実際、このようなモノを利用したインチキや詐欺が少なくないのも事実でしょう。

 私自身も、医学部の学生時代に学生とこのような話をした記憶がありませんし、また自分自身も毛嫌いしていたわけではないにせよ、こういったスピリチュアルなモノの存在を肯定していたわけでは決してありません。

 ところが、医師となり、実際に死を目前としている患者さんや、死期が近いわけではないのだけれど病気になったことで死というものを考えるようになった患者さんと話していると、「スピリチュアルな概念を無視するわけにはいかない」ことに気づきました。

 例えば、私が研修医の頃に担当していたある高齢の女性患者さんは、「あの世に行って先に他界した主人に会いたい。あの世で主人とまた幸せに暮らせると思うと病気による苦痛にも耐えられる」と話されていました。また、ここまで直接的に「あの世」などという表現を使わないにしても、言葉の端々からそれらしい雰囲気が伝わってくるような話をされる方は少なくありません。

 スピリチュアルなものの存在を信じているのはもちろん日本人だけではありません。例えば、タイのチェンマイにハンセン病の患者さん専門の病院があるのですが、ここは全世界のキリスト教徒からの寄付金で運営されています。私はこの施設に過去3度ほど訪れ、患者さんだけでなく、医師、看護師、その他スタッフの方と話をしましたが、みんながスピリチュアルな観点から「幸福」というものを考えていることがよく分かりました。

 私が何度も訪問し、GINA設立のきっかけともなったタイのロッブリーにあるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)は、エイズホスピスとしてすっかり有名になりましたが、施設自体は今もお寺で、何人もの住職の方がおられます。エイズを発症してこの施設に入所し、そして出家というかたちをとり僧侶になる患者さんもいます。

 キリスト教や仏教を含めた宗教を信じるほとんどの人が、程度の差はあったとしてもスピリチュアルなものの存在を信じているのは間違いありません。また、自分の経験から、日本人の多くの人々も、断定まではできないとしても、なんとなくスピリチュアルなものの存在を信じているという人が多いのではないかと感じています。私自身は、もしも「医師としてスピリチュアルなものの存在について話せ」と言われると、「分かりません」としか答えようがありませんが、個人的には「あってもいいんじゃないかな・・・」と感じています。ちなみに、私がたまに実家に帰ったとき、真っ先にすることは、仏壇に線香をあげること、です。

 現在の私の仕事の大半は、クリニックでの外来業務ですから、患者さんひとりあたりにかけることのできる時間はせいぜい10~15分程度です。慢性の病気を患っている人で月に1~2回来られたとしても、月あたりに話のできる時間は30分以内であることがほとんどです。この点が病棟勤務との違いで、病棟勤務であれば、毎日でもその患者さんのところを訪れて話をすることができます。

 ですから、外来での患者さんは、病棟の患者さんに比べると、距離が遠いままであることが普通なのですが、それでも医師・患者関係というのは、他の業種での関係とはまったく異なります。

 普段、会社の同僚や友達、あるいは家族にさえも言えないようなことでも、診察室の中でなら患者さんは医師に悩みを打ち明けることが多く、単に「痛い」「痒い」などだけでなく、心の悩み、そしてスピリチュアルな苦痛を訴えられることもあります。

 また、外来といえども、死を意識せざるを得ない疾患、例えばガンの術後やHIVで通院されている人もいますから、そういった患者さんのなかにはスピリチュアルな観点から話をされる方もいます。

 それに、最近では、特に大きな疾患を抱えていなくても、「就職が決まらない」「婚活が上手くいかない」などの背景から、下痢、動悸、めまい、不眠などが生じて受診される人もいます。彼(女)らのなかには、「生まれかわったら・・・」「運命の・・・」といった表現を使う人がいます。

 スピリチュアルな視点から話をするのは患者さんだけではありません。実は私の方も、「健康の神様の忠告かもしれませんよ」とか「恋愛の神様がみてくれていたのですね」などと言うこともあります。

 結局のところ、健康や病気に対するケアというのは、多少なりともスピリチュアルな観点から取り組まなければならない側面があるのではないかと今は考えています。ということは、医師という職業に従事している限り、どのような診療スタイルをとろうと、何らかのスピリチュアル・ケアができなければならないとも言えます。

 スピリチュアル・ケアの勉強会に参加して思い出した一人の患者さんがいます。それは私がタイのパバナプ寺で遭遇した20代半ばの女性で、すでにエイズ末期の状態でした。当時のタイでは抗HIV薬がまだ普及しておらず、エイズとは「死に至る病」だったのです。彼女は、同じ病棟の他の患者さんが次々と他界していくのを目のあたりにしていましたから、すでに食事が摂れなくなり歩けなくなった自分の死期が迫っていることに気づいていたはずです。しかし、彼女は死を受け入れることができませんでした。私が回診に行くと「早く病気を治して、早く歩けるようにして!」と毎日のように懇願するのです。このとき私が感じた無力感は本当に辛いものでした。彼女に対して、私は何も言えず、手を握ることすら偽善的な感じがしてできなかったのです。
 
 彼女はその後他界されましたが、もしも今私が彼女ともう一度対面したとして、何ができるのでしょうか。死を受け入れることのできていない末期の患者さんに私ができること・・・。今の私には答えがありません・・・。

 これから長い時間をかけてスピリチュアル・ケアについて学んでいきたいと思います。