マンスリーレポート

2012年11月号 就活に成功する人しない人

このコラムの7月号で、厳しい就職活動(以下「就活」とします)について取り上げました。就活の失敗が続き自殺を考える人が増えていることについても述べました。

 太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)の患者さんのなかにも、20代から40代、ときには50代の人で、就活で苦労しているという人がいます。また、就職は比較的簡単に決まるのだけれど長続きしない、という人も少なからずいます。

 一方、谷口医院では看護師や受付事務員などスタッフが10人近くいますから、私自身が人を雇用する立場に、つまり面接試験をする側の立場にいます。谷口医院は開院してからもうすぐ丸6年となり、それなりにたくさんの人(おそらく100人近くになると思います)を面接しています。

 今回は、どのような人が就活に成功しやすくて、どのような人が失敗をしやすいか、について私の経験から考えてみたいと思います。

 まず結論を言うと、「就活は<運>と<縁>で多くが決まる」、となります。7月号のコラムで、私は「結局のところ自分自身ががんばるしかない」と述べましたから、矛盾するようなことを言っているようにみえますが、これらは両方とも真実です。

 やりたい仕事があり、働きたい企業があるなら、それに向けて頑張ることはもちろん必要です。しかし、<運>と<縁>に左右されることがあるのも歴然とした事実です。ですから、もしも希望する企業に合格しなかったとしても、まず「落ち込まないこと」が大切です。「今回は運と縁がなかったんだ・・・」と考えるべきなのです。

 人材紹介会社のある社員から以前、次のようなことを聞いたことがあります。「A社は給料も高く従業員に優しい優良企業でなかなか<空き>がでない。だから(中途での)就職は難しい。しかし、たまにふと<空き>がでて求人がでることがある。そんなとき、たまたま就活をしている人がいればラッキーですよ。難関と思われているA社も、面接で聞かれることは普通ですから・・・。常識的な人であれば採用されますよ」、とその社員は話していました。

 私はこの意見がすとんと腑に落ちました。私もまったく同じような印象を持っているからです。谷口医院でも求人を出したとき大量の応募が来ますが、だいたい1週間から長くても10日程度で募集を締め切ります。そして、いつも、締め切った直後に連絡してくる人がいるのです。こういう人は、のんびりしすぎているというわけではなく、たまたま就活を始めた時期と谷口医院が募集を締め切る時期が一致していた、というだけの話です。谷口医院の募集は原則メールでの応募としており、私自身もほとんどのメールに目を通していますが、締め切った直後に応募してきた人に限って「会ってみたい」と思わせるプロフィールや志望動機が書かれているのです。もしもこの人があと1週間就活を始めるのが早ければ今頃は谷口医院のスタッフだったかもしれない、というわけです。こういうとき、私は「この人とは<縁>がなかったんだ」と考えるようにしています。

 就活は大変でしょうが、面接試験の選考をおこなう雇う側にも苦労はあります。雇う側としては、優秀な人が応募してくれるのはもちろん嬉しいのですが、もっと欲を言えば、優秀な人がひとりだけ応募しれくれれば尚ありがたいのです。しかし、実際は複数の優秀な人が応募してくれるために悩まされることになります。優秀な人たちには申し訳ないのですが、最終的な合格の理由となるのは、「(前職をすでに退職しているので)すぐに働ける」「家が近い」、など本人の実力とは何ら関係のないことが多いですし、「最終選考者のなかで一番早く応募してくれたこと」が採用の理由のひとつになることもあります。

 人材派遣(紹介)会社の人や企業の人事部の人、あるいは私と同じような立場の開業医と話をすると「雇ってみて働いてもらわないことには分からないことがたくさんある」という話題になります。言い換えると「面接でその人の本性や実力を見抜くことはできない」となります。ですから、雇う側としては、「面接時に常識とやる気を感じ取ることができればそれで合格」なわけです。巷には、就活成功マニュアルのような本が出ていて、受け答えの仕方から服装にいたるまで事細かく指南されているようですが、私の個人的な意見を述べれば、そのようなものは必要ありません。

 このように言うと、「それじゃあ、何度か面接を受ければ誰でもどこかには就職できるということですよね。でも実際は何社受けても受からない人もいますよ」という反論がくるでしょう。たしかに、いくら受けても合格しない人がいるのも事実です。ここからはこれについて述べていきます。

 就活に成功しないよくある例が「志望動機が分からない人」です。よく、履歴書をたくさんの企業に送っても面接までたどりつけない、という人がいますが、もしもあなたがそのように感じているなら履歴書に書いている志望動機を見直すべきかもしれません。「この履歴書の志望動機は何度も使いまわししているのだろう」、人事担当者にこのように思われれば面接にたどり着く可能性は極めて低くなります(注1、注2)。

 例えば、医療機関を受けるのであれば、雇う側としては「なぜ(他院でなく)当院を志望しているのか」を知りたいわけです。先にも述べたように、その理由が「家が近いから」とか「勤務時間が自分の都合に合うから」とかはOKです。一方、「医療に興味があるから」とか「人と接する仕事がしたいから」では説得力が感じられないのです。「この人は履歴書を使いまわししているのだろう」と思われます。雇う側としては、「働いてみると最初に思っていたのと違った・・・」と思われて、早期退職されることを避けたいわけです。

 志望動機がはっきりしており「どうしてもここで働きたい」という気持ちがあれば、自然に熱意がでてきます。雇う側からみてその<熱意>は大変重要なポイントとなります。逆に熱意のない人にはこちらも興味がでてきません。例えば、面接に遅刻をしてくるとか、セーターなど普段着で来るとかは論外ですし(これらは実際にあった例です)、面接で質問をしても「どうせまた落とされるんでしょ・・・」と言わんばかりの受け答えに覇気がない人もいます。面接の際、必ずしも弁が立つ必要はありませんし、話し上手でなくてもまったくOKです。また、専門用語を知っている必要もなければ、むつかしい理論について解説する必要もありません。しかし、声が小さくあまりにも自信のなさそうな人に魅力は感じられないのです。

 ノーベル賞を受賞された山中先生は、大阪市立大学大学院の面接時に「ぼくは薬理のことは何もわかりません。でも、研究したいんです!通してください!」と声を張ったというエピソードを自伝(注3)で書かれています。同書によれば、後になって面接官の先生から「あのとき叫ばへんかったら落としてたよ」と言われたそうです。山中先生はとても謙虚な先生ですから、このエピソードは幾分差し引いて考える必要がありそうですが、就活をしている人にとっては示唆に富んだものだと思います。

 謙虚さがない人は面接では不利になります。過去の実績をアピールすることは大切ですが、「私の実力だと合格して当然です」という態度はいい印象を与えません。逆に、上に述べた山中先生のエピソードにもあるように、「これから一生懸命やります」という姿勢の方が重要なわけです。実際、「過去にこれだけの実績がありますからできますよ」という態度の人は、働いてみるとまるでダメということがしばしばあります。医療機関で言えば、ベテランの看護師が仕事ができるとは限りません。むしろ古い考え方に固執していて新しい考えについていけないということがよくあります。事務員なら、過去に大きな病院で働いていたとしても、それが小さなクリニックで通用するわけではありません。

 なんだか説教じみた話になってきましたが、まとめてみると、「常識的な態度で望めば就活を恐れる必要はない」のです。まず、なぜ(他ではなく)その企業(や医療機関)で働きたいのかをはっきりさせ、熱意と謙虚さをもって面接に望めば、あとは<運>と<縁>の問題、というわけです。


注1 例えば当院(太融寺町谷口医院)であれば、少しウェブサイトをみれば、待ち時間対策に苦労している、ということが分かるはずです。にもかかわらず志望動機に「ひとりひとりの患者さんにじっくりと向き合い心のこもった受付をしたい」などと書いてあれば、「この人は面接に望もうとしているクリニックのウェブサイトすらも見てないんだな・・」と思われます。そして書類選考で落ちることになります。もちろん<心のこもった受付>は大切なことですが、同時に<てきぱきと業務をおこない待ち時間対策に貢献したい>といった一文があればまったく印象が変わる、というわけです。

注2 最近、医療機関事務職応募の志望動機によく記載されているのが「以前自分が(もしくは家族が)医療機関を受診して受付の人に大変よくしてもらって・・・」というものです。このエピソードが書かれている履歴書が非常に目立ちます。何かの指南書に「医療機関を受けるならこのようなことを述べなさい」と書かれているのではないかと疑りたくなるほどです。本当にこのような体験を経て医療機関を目指している方には気の毒ですが、この文言は書かない方がいいかもしれません。しかし、自分の体験から希望する仕事に興味を持つようになった、というのは立派な志望動機ではあります。個人的な体験はできるだけ具体的に述べ(自分にしか書けないような文章にして)、なおかつ、なぜその医療機関で(他院ではなく)働きたいのかを訴えることができれば説得力がでてくると思います。

注3 『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社)より