マンスリーレポート

2013年5月号 薬局との賢い付き合い方(後編)

 前回のコラムで取り上げた2つの薬剤師の例は、いずれも大変問題であり、そのような薬剤師しかいない薬局は利用しない方がいいでしょう。

 では、なぜ2つの例にみた薬剤師は、ほとんど何の説明もなくロキソニンSを初めての客(患者さん)に販売したのでしょうか。おそらく薬剤師も、ロキソニンSの危険性については知っているはずです。(そうでなければ国家試験に合格しません) にもかかわらず説明もなく販売したのは、あまりにも客が多くて説明する時間がなかった、ということでしょうか。しかし、1つめの例にあげたAさんによれば、特に薬局は混んでいなかったそうですし、2つめの例の日経新聞の記事からもそのような様子は伺えません。それに、いくら混んでいても必要最低限の説明はしなければなりません。これらのケースでは、売れるものは売ってしまえ、という営利的な考えをその薬局や薬剤師が持っていると考えざるをえません。

 過去に私は個人的に薬剤師に対してネガティブな感情を持ったことがあります。数年前、見ず知らずの薬局から突然メールが届きました。何やら重要な話があり会ってほしい、とのことで私は会うことにしました。

 その薬局の代表者ともうひとりの薬剤師がやって来て私に言ったのは、「すべてお金を出すからクリニックを開業してくれないか」というものでした。「繁華街にひとつビルを持っていてその1階で薬局をしている。開業に必要な資金はすべて出すからそのビルで開業してほしい」、というのです。一見、医師からみてもこの提案は条件のよい魅力的なものにうつるかもしれません。

 しかし私はこの提案を断りました。話をしていくなかで、この人たちは信用できないのではないか、と感じたからです。何を話しても、どのようにして利益を上げるか、という方向に話が向かうのです。

 我々医師は、「どのような薬を患者さんに売る(処方する)べきか」、と考えているわけではありません。その逆に、まずは「薬を使わないでいいようにできないか」と考えるのです。つまり、医師の仕事とは、いかに薬を減らすことができるか、と言っても過言ではないのです。高血圧や糖尿病の患者さんに「安易に薬に頼るのではなくまずは生活習慣の改善をしましょう」というのも、抗生物質を出してほしい、と言われて、それが必要でない理由を説明するのも、我々医師は、いかに薬を減らせるか、ということに重きを置いているからです。点滴を希望する患者さんに、まずは水分摂取を心がけてください、と言って不満を言われながらも点滴を断るのもそのためです。

 ちなみに「検査」も同様です。先日、じんましんの患者さんに、「原因が知りたいから血液検査をしてください」と言われ、「あなたのじんましんは血液検査をしても異常がみつからないタイプのものです」と言うと、「お金払うのはあたしですよ」と不満を言われましたが「無駄な検査」はすべきでないのです。頭痛を訴える患者さんにCTを撮影してほしいと言われ、「現時点では放射線を被曝してまで撮影する必要はありません」と答えてもなかなか納得してもらえないことがありますが、これは医師がさぼりたいからではないのです。検査や薬をいかに減らすか、これが我々医師の使命とも言えるわけです。

 私に開業をもちかけた薬局の話に戻すと、「薬をできるだけ減らすようにする医師(私)と、営利主義の薬局が上手くやっていけるわけがない」、と判断して断ったというわけです。

 では、多くの薬剤師が営利のことばかりを考えているのか、といえば決してそういうわけではありません。私が勤務医のときにお世話になっていた薬剤師の方々は、いつも患者さんの立場から薬のことを考えてくれていました。私も含めて医師は、なぜその薬が必要かを理屈だけで判断して処方します。飲みやすさや患者さんがその薬をどのように感じているか、などといったことについてまではなかなか思いを巡らせることができないのです。そもそも医師は薬そのものを見る機会が少なく、患者さんから「あの緑色の少し大きい楕円形の薬・・・」などと言われても、それがどの薬であるかが分からないことが多いのです。

 その点、薬剤師であれば、日頃から服薬指導をおこなっていますから、それぞれの薬の形、色などはもちろん、患者さんとのコミュニケーションを通しての経験から、どれくらい苦いかとか後味はどうかとか、そういったことにも熟知していますし、薬の相互作用(飲み合わせ)の知識など医師よりも豊富であることも少なくありません。ですから、薬剤師からの報告というのは医師にとって大変ありがたいものなのです。

 それに、私が勤務医の頃お世話になっていた薬剤師の方々は、決して薬を増やすような助言はしませんでした。むしろ、いかにして減らしていけるか、といった観点から私に助言をしてくれていました。ですから、前回例に出した二人の薬剤師や、先に紹介した私に開業をもちかけた薬剤師が特殊な例であり、大半の薬剤師は営利ではなく患者さんの立場から薬について考えているはずだと私は信じています。

 しかし、ここでひとつの疑問がでてきます。(大きな)病院で勤務する薬剤師はいいとして、薬局を開業したり薬局で働いたりしている薬剤師は営利目的ではないのか、という疑問です。

 薬局と異なり、医療機関の場合は利益がでるのは薬の処方ではなく診察代に対してです。医療機関では、もちろん薬にもよりますが、例えば前回とりあげたロキソニンで言えば、薬局で買えるロキソニンSは1錠あたり56.6円(12錠入り680円)ですが、太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)で処方しているロキソニンの後発品は1錠わずか5.4円(3割負担で1.62円)です。利益でいえば1錠あたり0.5円にも満たないのです。

 このように医療機関では薬による利益はほとんどなく、また検査でもそれほど利益がでるわけではありません。血液検査は外注しますし(検査会社は儲かると思います)、レントゲンなどはある程度数をこなさないと利益が出ないどころか赤字になります。レントゲンは少量とはいえ被曝することになりますから、ある程度重症でない限り初診で撮影することはありません。このため谷口医院ではレントゲンについてはリース代と維持費のコストの方が高いために毎月赤字を計上しています。

 入院や手術をすればそれなりに利益になりますが(ただし諸外国と比べるとこれらも随分安く設定されていることがよく指摘されます)、これらをおこなわないクリニックでは何が利益になるかというと、ほとんどが診察代です。診察代は人件費以外のコストはかかりませんから利益率は大変高いといえます。しかも○分以上かけなければならない、という決まりもありません。つまり30秒で診察を終えても30分かけても診察代は同じなのです。

 ですから、入院施設のないクリニックで利益をだそうと思えばどんどん患者数を増やして診察していけばいいということになります。しかし、きちんと診察するにはそれなりの時間が必要で、谷口医院ではだいたい日々60~70人の患者さんを診察していますが、これくらいが限界であり、これでも待ち時間はかなり長くなります。70人を超えると2時間以上待つ人がでてきて、連休明けなどで80人を超えると3時間以上の待ち時間がでることもあります。ときどき1日100人以上、もっとすごいところでは200人以上もひとりの医師で診察しているクリニックもあるそうですが、私にはとうてい不可能です。

 話を薬局に戻します。診察代を徴収できない薬局では、薬をたくさん売ることが目的になってしまうのは仕方がないことなのでしょうか。私はそうでないと信じたいと思います。以下は2013年3月27日の薬局新聞に掲載されたコラムです。

  「薬局と言うのは郵便局などと同じで公共の側面を持った施設だと思っている。しかし現状の薬局を見渡すと、その役割を十分に果しているとは言い難い」。先日開催されたJAPANドラッグストアショーの中で、クスリのアオキの青木保外志社長は薬局の役割の大きさと責任感について、薬局側が再考する必要があると訴えた。(中略)同氏のいう薬局の「局」は、調剤を実施することはもちろん地域住民の健康に対して責任を果たすことであると続け、「仮に薬局が地域から無くなってしまったら生活が困る。そういうレベルまで高める必要性がある」と語る。

 薬剤師の方々がこの考えを忘れない限り薬局に対する社会からの信頼を失うことはないでしょう。つまり、薬局は医療機関と同様「公共の側面を持った施設」であり営利団体ではないのです。日本医師会が制定している「医の倫理綱領」の第6条には「医師は医業にあたって営利を目的としない」とはっきりと明記されています。薬剤師の世界にこれと同様のものがあるのかどうか分かりませんが、きっと薬剤師の根源的な精神は医師と同じものだと思います。

 営利を目的とせず患者さんの立場に立った医療をおこなう。これが医師の「矜持」です(注1)。薬剤師には薬剤師の矜持があるはずで、その矜持を忘れていない薬剤師に相談する。これが薬局と賢く付き合う秘訣に他なりません。


注1;今回は医師の悪口を書いていませんが、医師にとんでもない輩がいるのも事実です。2009年に逮捕された奈良県大和郡山市のY病院のY医師は我々医師に衝撃を与えました。マスコミの論調のなかには「このような事件は氷山の一角」としているものもありますが、私自身はこのような例は極めて特殊なものであると信じています。この事件については下記のコラムでも取り上げていますので興味のある方は参照してみてください。

参考:メディカルエッセイ
第79回(2009年8月) 「"掟"に背いた医師」
第86回(2010年3月) 「動機善なりや、私心なかりしか」