はやりの病気

第26回 薬で胃に穴があいた! -薬剤性胃潰瘍- 2006/02/15

先日、ある病院で当直業務をしていたときのことです。

 救急搬送された患者さんを診察し、入院の手続きを終え、少し休憩をとろうと当直室に入ったときに私の携帯電話が鳴っているのに気づきました。

 画面を見ると、私の父の携帯電話の番号が表示されています。時間は午前1時半、こんな時間に電話があるのはただことではありません。

 嫌な予感を感じながら、電話に出ると母がなにやらあせった様子です。父が腹痛で救急搬送され、そのまま緊急手術になった、と言うのです。

 緊急手術とは、ただごとではありません。私は頭のなかで、緊急手術になりうる腹痛をきたす疾患をいくつか思い浮かべましたが、どの疾患にしても重症のものばかりです。母はもちろん医学的知識を持ち合わせていませんから、主治医、あるいは執刀医から、病状や手術の説明を受けているはずですが、状況をよく分かっていないようです。よく分かっていないながらも必死で言葉をつなぎ合わせている母の説明から、父はおそらく胃に穴があいた状態(これを「胃穿孔(いせんこう)」と言います)で、その穴をふさぐ手術を受けているのだということが分かりました。

 問題は、胃穿孔の原因です。医師というのは重症のものをまず念頭におきます。そして、胃穿孔でもっとも重症の原因は胃癌によるものです。私の祖父(父の父)は胃癌で亡くなっていることもあり、私がまっさきに頭に浮かんだのは胃癌です。しかし、私がこれまで診察した胃穿孔の患者さんの原因でもっとも多いのは胃癌ではなく、薬によるものです。そして薬剤のなかでも多いのが鎮痛剤とステロイドです。

 私は母に、父は最近薬を飲んでいなかったかを尋ねました。ステロイドを飲まなければならないような病気を父が患っていたとすれば、私が知らないはずはないですから、可能性があるのは鎮痛剤です。痛み止めを飲んでいなかったかどうか母に尋ねると、父は最近肩の痛みに対して鎮痛剤を飲んでいたことが分かりました。

 おそらく鎮痛剤による胃穿孔と思われるが、癌によるものであることも覚悟しなければならないな、私はそう思いました。そして、もし癌なら、胃穿孔をおこすほどに進行したものということになり、これは命にかかわります。

 私は翌日の外来をキャンセルし(幸い、その日の私の外来予約は入っておらず、新規の患者さんはすべて他の医師にお願いすることにしました)、早朝に車を飛ばして実家に帰りました。

 母を拾って、すぐさま父が手術を受けた病院へと向かいました。父は痛みから苦しそうにしていましたが、様態は落ち着いているようです。

 執刀医の説明から、あいた穴はきれいなかたちをしており、父が鎮痛剤を飲んでいたことと合わせて考えると、まず間違いなくその鎮痛剤が原因の胃穿孔であろう、ということでした。

 幸いなことに、手術はうまくいき、その後父は無事退院することができました。

 私の父が体験したような胃穿孔を「薬剤性胃穿孔」と呼びます。穿孔は十二指腸に起こることもあるため、「薬剤性上部消化管穿孔」と呼ぶこともあります。(一般に、「上部消化管」とは、食道、胃、十二指腸のことを指し、「下部消化管」とは小腸と大腸のことを言います)

 先に述べたように、原因薬剤はステロイドと鎮痛剤のことが多いと言えます。なかでも多いのが、慢性の関節痛や頭痛のために痛み止めを長期で服用している場合です。私の父も、肩の痛みのために「ロキソニン」という鎮痛剤を1日に3錠、3ヶ月間飲んでいたことが分かりました。

 私の臨床上の経験から言っても、この「薬剤性上部消化管穿孔」により、緊急手術を余儀なくされた患者さんは少なくないように思います。また、「穿孔」までいかなくても「薬剤性上部消化管潰瘍(かいよう)」の患者さんにはよくお会いしますし、「潰瘍」まで進んでいなくても鎮痛剤を飲めば胃が痛くなる、という人は何も珍しくありません。

 関節痛や頭痛、あるいは生理痛といった痛みがある以上は、鎮痛剤に頼ることが増えるのは仕方ありません。もちろん、他にも治療法がある場合もありますが、軽症であれば、とりあえず価格も安い鎮痛剤で様子をみよう、ということになるのが普通です。「安易に痛み止めを飲むのはよくない」と考えている人もいますが、医学的には大部分の痛みは取り除いてあげた方がいいことが分かっています。これは、痛みを我慢すると、痛みを引き起こす自律神経が興奮したり、あるいは痛みに関与する神経伝達物質が過剰に分泌されたりして、かえって痛みを増強することがあるからです(これを「痛みの悪循環」と呼びます)。
 
 では、鎮痛剤を飲みながら、この「薬剤性胃潰瘍」を防ぐ方法はないのでしょうか。

 痛み止めを飲んで胃が痛くなるという人は決して少なくありませんから、私は鎮痛剤を処方するときに、必ず「胃は強い方ですか」と質問します。「それほど強くありません」という返答ならば、通常は鎮痛剤と一緒に胃薬を処方します。胃薬にもいろんな種類のものがありますが、もっとも頻繁に使用されているのは、価格の安い、胃の粘膜を保護する作用のある胃薬です。私の父も、「ロキソニン」と一緒に胃粘膜保護剤が処方されており、父はこれらの薬を同時に飲んでいました。

 にもかかわらず、父の胃は「ロキソニン」が原因で穴があいたのです。

 実はこういうことはよくあります。患者さんは、医師から胃の痛みや胃潰瘍の副作用のことを聞いていても、胃薬と一緒に飲んでいるから大丈夫、と考えていることが多いのです。私は、鎮痛剤を処方するときには、胃薬と一緒に出したとしても、「胃が痛くなるようなら服用をやめてすぐに相談してください」と言うようにしていますが、患者さんのなかには、胃薬の力を過信している方がおられます。

 胃潰瘍や胃穿孔は急激に起こることもありますが、それでも少なくとも胃穿孔の発症前には、胃の痛みを感じているのが普通です。

 実際、私の父も数日前から胃の痛みを感じていたことが後になって分かりました。母としても、父は普段はささいなことでも「痛い、痛い」と言いますから、まさか胃の痛みを我慢していたとは思っていなかったそうです。
 
 「胃薬と一緒に飲んでも胃に穴があくなら痛み止めなんて恐くて飲めない!」、そのように考えられる方もおられるかもしれません。しかし、そんなことはありません。痛みが出現するようなら主治医にまずは相談してみましょう。痛み止めを変更するとか、胃薬の種類を代える、あるいは他の胃薬を併用する、などして対処することは充分に可能です。実際、胃の弱い人でも、うまく痛み止めと胃薬を使うことによって何十年も痛みに対応できているという患者さんは決して少なくありません。(もっとも痛み止めを飲まなくてもいいように痛みの原因の病気を治せれば一番いいのですが・・・)
 
 最後に、ときどき遭遇する、患者さんのふたつのキケンな行動をご紹介しておきましょう。

 ひとつは市販の痛み止めを長期に(あるいは短期間でも大量に)飲んでいる場合です。医師が処方する鎮痛剤よりも市販の痛み止めの方が、副作用が少ないか、というと決してそうではありません。しかも、市販の痛み止めで対処しようとする人のなかには、胃薬を併用するという意識が初めからない人もいますからキケンです。痛みが慢性化していたり、長期で市販の痛み止めを飲んでいたりする人は、一度かかりつけ医に相談することをおすすめします。

 もうひとつキケンなのは、「痛み止めは坐薬ならば大丈夫」、と考えている人がいることです。これはまったくの誤解です。飲み薬の鎮痛剤は、何も胃の粘膜に直接作用するわけではありません。詳しい説明は省略しますが、痛み止めの成分がいったん血中に吸収された後に胃の粘膜の血管に悪い影響を与えることによって、胃が痛くなったり、胃潰瘍をきたしたりするのです。したがって、飲み薬でも坐薬でも胃に障害を与える機序はまったく同じなのです。

 私の診察した患者さんで、痛み止めの坐薬を1週間で5個使って胃穿孔を起こし、救急搬送された方がおられました。この患者さんも胃の痛みを我慢していたそうです。わずか5個!で胃に穴があいたのです。どれだけ痛み止めを安易に使うことがキケンかが、お分かりいただけるでしょうか。
 
 痛み止めというのは、なくてはならないものですし、効果的に使うことによって生活の質を劇的に改善します。ただし、私の父のように胃薬を併用していても緊急手術を受けることもあるのです。

 安くて頻繁に使われているからといってあなどらず、他の薬と同様、使用するときは、しっかりとかかりつけ医の話を聞きましょう。