はやりの病気

第28回 急性アルコール中毒② 2006/03/16

前回は、自分の過去の恥ずかしい話も披露して、急性アルコール中毒がいかにキケンかということをお話しました。

 今回は、あるひとつの症例をとりあげて、急性アルコール中毒の患者さんに、医療従事者がいかに苦労して対応しているかについてお話したいと思います。

 その患者さんは21歳の男性、大学生(仮に佐山さんとしておきましょう)です。

 大阪市内のとある病院に佐山さんは救急搬送されてきました。救急隊からの連絡では、かなり泥酔しており、衣服に嘔吐物が付着しているが、血圧や心拍数は正常で重症度はそれほど高くないとのことです。

 病院に到着してからも、佐山さんは状況が分かっていないようです。救急車に同伴してきた友人らしき人物も相当酔っています。なんとかベッドでおとなしくしてもらい、点滴をつなぎ様子をみることにしました。ときどき訳のわからないことを口にしますが、少しは自分が申し訳ないことをしたという意識があるのでしょう。「すいません、すいません」と何度も口にしています。

 衣服は泥だらけ、嘔吐物だらけですから、外来はかなり汚れてしまいましたが、これは仕方ありません。こんな状況になるのは、急性アルコール中毒の患者さんを受け入れる以上は避けられません。

 しばらくすると、佐山さんの「友人」がやってきました。救急車に同伴してきた友人が、自分も泥酔しているために付き添いを交代してほしいと依頼したのでしょう。

 この新しく来た「友人」は、お酒を飲んでいないようです。しらふの付き添いが側にいるのは患者さんにとって心強いものです。実際、佐山さんはこの「友人」に「すまんなぁ、ありがとう」と繰り返し話しています。

 ちょうどその頃、別の急性アルコール中毒の患者さんが救急搬送されてきました。この患者さん(50代の男性)はなにやら大声で怒鳴っています。誰かとけんかをしていたのかもしれません。「おい、田中はどこや、田中はどこいった!」と大声で叫んでいます。

 そのときです。つい先ほどまでおとなしくしていた佐山さんが、むくっと上半身を起こし、「誰が田中や! 俺は佐山や!」と怒鳴りました。「なんやと! お前は関係ないんじゃ。黙っとけ!」「お前、誰にむかって口きいとんじゃ、ボケ!」・・・・・

 泥酔しているふたりが口げんかを始めました。とりあえず、救急隊員が新しく搬送された患者さんを、院内のスタッフと付き添いの「友人」が佐山氏をおさえました。

 佐山氏はようやく状況を理解したようで再びおとなしくなりました。そして1時間ほど経過した頃、「トイレに行きたい」と言い出しました。

 「トイレ」と言われても、佐山氏は相当泥酔していて、ひとりでトイレまで歩けるような状態ではありません。それに点滴をおこなっていますから、途中で外れるようなことがあれば大変です。看護士が、自分が持つ尿瓶に尿をするよう何度も説得し、ようやく佐山氏は同意しました。

 ところが、佐山氏はなんとか排尿する姿勢はとるもののなかなか自分のペニスを出そうとしません。尿瓶をもっている看護士が、「恥ずかしくないから大丈夫ですよ」と何度も言うのですが、ペニスを出すまでに5分以上も経過しました。

 ようやく取り出したペニスは、いわゆる「包茎」でした。おそらくそれが原因で若い看護士に自分のペニスを見せたくなかったのでしょう。
ようやく排尿を開始した瞬間です

 悲劇はこのとき起こりました。ペニスが包茎であったことから、排尿のコントロールが上手くいかず、尿は尿瓶をとらえずに、なんと看護士の顔にかかってしまったのです。それまで笑みを絶やさなかった看護士も、これには我慢ならなかったようです。

 「もう、あんたなんか知らんわ! 勝手にしい!」彼女はそう言ってその場を去っていきました。若い看護士が、泥酔した男性患者に尿を顔面にかけられたのです。怒るのも無理はないでしょう。

 そのときです。それまでおとなしくしていた佐山氏の態度が急激に変わりました。「なんやと! オレを誰やとおもてんねや!」、そのようなことを口走り突然暴れだしました。点滴を自ら引き抜きました。血液が床にしたたり落ちています。すでにフロアは、さきほどとびちった尿でぬれています。これに血液が加わり、また床に落ちた衣服についた嘔吐物が混ざり合います。もう見ていられない光景です。

 看護士が怒ってしまったことに対して、感情を抑えきれない佐山氏の怒りの矛先が次に向いたのは、付き添いの「友人」でした。今度はこの「友人」に襲い掛かりだしました。佐山氏は、身長約180センチ、おそらく体重は90キロはあるでしょう。そんな体格の佐山氏がアルコールで理性を失っているのです。まともに襲われれば危険です。

 「友人」は必死で逃げました。佐山氏は泥酔しているわけですから、足元がふらついてもよさそうなのですが、意外にしっかりとしています。このままでは「友人」がつかまるのも時間の問題かもしれません。

 身の危険を感じたこの「友人」は廊下に逃げました。ところが、佐山氏も後をおいかけます。真夜中の病院の廊下での追いかけ合いは、相当異様な光景です。おそらくこの「友人」もこの病院に来るのは初めてなのでしょう。玄関から逃げればよいのですが、院内の地理が分かりません。

 長い廊下をまっすぐ進むと、不幸なことにそこは行き止まりでした。この「友人」が壁に背を向け立ち止まっているところに、佐山氏は突進してきました。この「友人」には逃げ場がありません

 アブナイ! 佐山氏が襲い掛かってくるその瞬間、この「友人」はいちかばちかで身体をふと横にそらしました。

 ドシーン! 大きな音とともに佐山氏が壁にぶつかりました。泥酔した上での加減のない突進ですからかなりの衝撃です。まるで、トムとジェリーのワンシーンのように、いったん壁に張り付いた佐山氏はヒラヒラと壁から床に倒れました。

再び意識をなくした佐山氏は、この「友人」と看護士によってベッドにうつされました。

 幸い、この壁との衝突で大事にいたることはありませんでしたが、佐山氏は翌日このことを一切覚えていませんでした。このことだけではありません。佐山氏はこの病院に搬送されたこと自体が記憶にないそうです。

 さて、この患者さんの話を読まれて皆さんはどのように思われたでしょうか。きっと読まれているうちに、私に対して怒りの気持ちが出てきたのではないでしょうか。

 「お前、医者やったら、客観的に観察してる場合やないやろ。看護士や友人がキケンな目にあってるんやから、医師であるお前がしっかりしやなあかんやろ!」きっとそのように思われたことでしょう。

 この症例はつくり話などではなく、もちろん実際のものですが、時は1989年2月某日のものです。つまり、私が医師になる遥か以前の話です。では、なぜ、私がこれだけ詳しくお伝えできるかというと、実はここで登場する「友人」が私自身だからです。そして佐山氏は仮名ですが、私の実際の知人です。

 急性アルコール中毒に対し、実際に我々がどのような治療をおこなっているかについて簡単にご紹介しておきましょう。

 まず、呼吸や血圧などに注意し、外傷がないことを確認し、点滴を開始します。もしも、呼吸状態が悪ければ、万一にそなえて気管挿管の準備をおこないます。念のため血糖値を測定したり、頭部のCTを撮影したりすることもあります。

 今回ご紹介した症例(私の思い出?)のように、患者さんによっては、いったんおとなしくなって、意識が戻っているように見えても、その後凶暴化することもあるわけです。この経験があるから、私は急性アルコール中毒の患者さんを診察したときは、たとえ本人が「もう大丈夫です」と言っても、完全に酔いが覚めるまでは帰らずに院内で休んでいてもらうようにしています。
 
 アルコールは、決してあなどってはいけないのです。