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マンスリーレポート

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マンスリーレポート2006年12月号 −パーティへようこそ!!−

 ひょんなことからいい場所が見つかって、来月から大阪市北区にクリニックをオープンすることになったことをマンスリーレポート10月号でお伝えしました。一応予定通り準備はすすんでいるのですが、予想していたこととは言え、クリニックの設立は本当に大変です。事務長をはじめスタッフの方々が一生懸命頑張ってくれるからこそ、なんとか予定通りにすすみそうですが、これが私ひとりだととてもできるものではありません。

 私は、先月に2週間ほど学会出席とGINA関連でタイに出張に出ており、帰国後はすぐに東京に出張し、第20回日本エイズ学会に出席し演題を発表しました。(発表はNPO法人GINAからのもので、タイトルは「HIV陽性者によるHIV陽性者の支援ータイ国パヤオ県の現場からー」というものです)

 東京から大阪に戻らずにそのまま福岡に飛び、福岡市内のある形成外科クリニックで美容医療の研修を受けてきました。(すてらめいとクリニックでは、同じビルにエステが入っている関係で、一部の美容医療もおこなう予定です)

 福岡から大阪に戻ると、やらなければならないことは山積みとなっていました。このため12月9〜10日の金沢出張(学会出席の予定でした)もキャンセルしたほどです。


 さて、12月14日はすてらめいとクリニックのレセプションパーティをおこないます。

 パーティは午後6時から12時頃まで開く予定です。好きな時間に来ていただいて好きな時間にお帰りいただく方式ですので、これを読まれている方で興味がある方がおられましたらどうぞお気軽にお越しください。もちろん無料です。ただし、高級なものごは用意できませんが・・・ 
 
2006/12/11

マンスリーレポート2006年11月号 −「人の役に立ちたい」という欲求−

  11月1日、ついにGINAがNPOとして承認されることになりました。あとは、登記が終わるのを待つだけです。おそらく二週間もあれば登記の手続きが完了するでしょうから、そうなればついに特定非営利活動法人(NPO法人)GINAが正式に誕生することとなります。

 GINAは正式にNPO法人となってからPRをおこなおうと思っていたため、これまで私は、比較的身近な友人も含めてGINAのことをほとんど話していません。にもかかわらず、GINAのウェブサイトには月に33,000以上のアクセスがあるようで、この数字は大きくはないでしょうが、PRをほとんどしていないことを考えれば小さくもないと感じています。最近の日本は「エイズへの関心が低い」と言われることが多いのですが、実際はそうでもないのではないか、という気もします。

 GINAは、趣旨に賛同してくれた仲間と共に立ち上げたのですが、このようなNPOの必要性を訴え始めたのは私自身です。

 ところで、最近、「NPOって何のメリットがあるの?」、と聞かれることが多いのでこの場でお答えしておきたいと思います。

 「メリットは何?」と尋ねる人に、「社会貢献ができるから」と答えると、「???」という反応が少なくありません。彼(女)らは、「社会貢献」がキレイ事に聞こえるのでしょう。しかしそういう彼(女)らの気持ちが分からないわけでもありません。私も、20代の頃なら、NPOをつくって「社会貢献」をするなどということは思いつきもしませんでしたから。

 私がタイのエイズ問題に興味を持ち出してNPOの設立を考え出したときから、絶えず頭から離れなかったひとりの男性がいます。

 といっても私はその男性を直接知っているわけではありません。数年前にある雑誌でその男性が書いた文章を読んだことがあるだけです。それを読んだときは、その内容が私の人生に影響を与えるなどということは微塵も思いませんでしたから、その雑誌は捨ててしまって今は手元にありません。しかしその男性の言葉は今も私の心に根付いています。

 その男性は50代で、ひきこもりの青年を社会復帰させることを目的としてNPO法人を設立しました。通常はひきこもっている青年の両親から依頼を受けて、あの手この手で社会復帰を企てます。その男性は、そのNPOを設立するまで、いわゆる「裏社会」で生きてきており、まともな仕事をしたことがなかったそうです。数々の修羅場をくぐりぬけ、かなりの悪事にも手を染めているその男性は、50代になって、「人の役に立ちたい」と思うようになったそうです。

 この男性はひきこもっている青年に対して、ときには脅しを使ったり(裏社会で生きてきただけあり、得意とするところなのでしょう)、ときには涙を見せたり、あらゆる手を使ってひきこもりたちを社会復帰させているそうです。成功したときにしか報酬を受け取らないためなかなか黒字にはならないそうですが、それでも他の同じような組織に比べると、ひきこもりの社会復帰成功率は格段に高いそうです。

 その雑誌は現在手元になく、正確な言葉を思い出すことはできませんが、その男性はたしかこのようなことを述べていました。

 「若い世代には分かってもらえないと思うが、私のように無茶苦茶な人生を歩んでいると、死ぬまでに人のために役立つことをしたいっていう欲求が強くなるんだ」

 この言葉が、なぜか私の胸にずっと引っかかっており、私がGINA設立を決意するきっかけとなったのは事実です。

 私の人生など、この男性のものからみると、比較するのもおこがましいほど取るに足らないものです。そしてこんなことを言えばこの男性に失礼だとは思うのですが、私はこの男性の言葉に「共感」しています。

 私は20代前半までは、社会貢献どころか、低次元の利己的な欲求のみに支配されて生きてきました。25歳のときに、社会学部大学院の受験を考え、それが最終的に医学部受験に変わりました。この動機は「勉強がしたい」という欲求で、これは必ずしも低次元とは言えないでしょうが、それでも「利己的」な欲求であったことには変わりありません。

 私が医師になることを決意したのは医学部3年生、30歳のときでした。病気から社会的な差別を受けている人の力になりたい、というのがそのときの理由でした。これは「利己的」とは言えないとは思いますが、この時点ではNPOなどはまだ頭にのぼることはありませんでした。

 医師3年目のとき、タイに出向き、社会から家族から、そして病院からも差別を受けているエイズに苦しんでいる人たちに直面し、次いでエイズ孤児たちの存在を知るようになり、少しでもこういった人たちに貢献したいと感じた気持ちがGINAの設立につながりました。

 私は当分の間、日本で医師をおこないますが、これは異国の地で苦しんでいる人よりも力になるべき人は身近にいると考えているからです。しかし、それでも日本では考えられないような過酷な環境で暮らさざるを得ない人たちに少しでも貢献し続けたいと考えています。

 最近、ある雑誌でNPOを設立した人の記事を読みました。その人は40代半ばで地域社会に貢献するためのNPOを設立し、さらに現在はインターネットを使った人生相談もおこなっています。

 この人が書いた記事のなかに興味深い文章があります。自分の値打ちということを考えたとき、20代ならそれは「モテるか?」、30代なら「カネあるか?」と「社内的なオレのポジションは?」で、40代になり「オレは人の役に立てるのか?」となったそうです。

 やはり人間は年齢を重ね、経験を積むにつれて、「人の役に立つ」あるいは「社会貢献」といったことに対する欲求が強くなってくるものなのでしょう。

 私は20代の頃には、ボランティア活動など考えたことすらありませんでしたし、「利他的な行動」などといったことは、家族のための行動を除けば、あり得ないと思っていました。

 もちろん、ボランティア、社会貢献などをすることによって、充足感が得られますから、人の役に立つ行動も「利己的」な側面を孕んでいるという見方もできるでしょう。しかしながら、結果としてそれが「貢献」につながるなら、「利他的」であるとも言えるわけで、他人にも自分自身にも満足感を与える、極めて安定した力強い欲求が「人の役に立ちたい!」というものだと私は考えています。

 ところで、現在日本に存在するNPO法人は約2万8千、NPO法人への寄附金総額は約7千億円です。一方アメリカは、NPO法人数が約90万、寄附金総額は24兆円です(日本経済新聞2006年11月3日)。日本はアメリカの3%にも満たないのです。

 NPOを設立したり、NPOに寄付したりすることだけが「人の役に立つ」わけではありませんが、NPO法人なら活動内容も会計報告も透明化していますから、「人の役に立つ」きっかけとしてもっと注目されてもいいのではないかと思います。 
 
2006/11/10

マンスリーレポート2006年10月号 −新天地−

 先月のマンスリーレポートは「卒業」というタイトルで作成しましたが、その原稿を書いた後、偶然にも新しい世界に踏み込むことになりました。

 来年年明けから大阪市北区に新たにクリニックを開院することになったのです。

 クリニックの開院は、もともと今年の4月を考えていたのですが、なかなかいい物件が見つからず、やっと見つかって仮契約書まで交わすところまでいっても、同じビルに入っているクリニックの反対で中止になったり、間一髪で他人に借りられてしまったり、ということが相次ぎ結局実現できませんでした。

 その後も物件は探し続けていたのですが、なかなかいいものが見つからずに時間だけが過ぎていました。ところが、最近になって、ひょんなことからある業者が大変魅力的な物件を探してきてくれたのです。

 その物件は、日頃私がよく通る道沿いにあり、以前から、「こんなところでクリニックができたらいいなぁ・・・」と思っていたビルでしたから、物件を探してきた業者が、「ここです」と案内してくれたときは大変驚いてしまいました。

 そのビルはその地域で最も大きなビルのひとつで、外観は大変美しく、そのビルで働けること自体に喜びを見出させると言っても言い過ぎではないようなところです。

 これからやらなければいけないことは、融資の交渉、スタッフの確保、機器の購入、内装・・・、など大変ですが、患者さんに満足してもらえるようなクリニックを構築できるように頑張っていきたいと思います。

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 新しいクリニックの準備で大変忙しくなるな・・・、と思っていたところ、エール出版社から問い合わせがありました。

 拙書『偏差値40からの医学部再受験』の改訂第4版を出版したいというものです。

 新クリニックの準備を始めるからといって、現在の医師の仕事を減らすわけにはいきませんし、GINAの仕事も次第に増えてきていますから、もしもお金で時間が買えるなら買いたいくらいに忙しく、本の執筆をする時間の捻出はかなりむつかしいのですが、結局この依頼も引き受けることにしました。

 最近、医療における情勢が大きく変わってきており、医師に対する風当たりがきつくなってきているように見受けられます。医事紛争は急増していますし、最近では、生体腎移植に金銭授与が絡んでいたという事件が発覚し、その責任を病院と医師に求める世論も強くなってきています。

 もちろん、医療というのは患者さんのためにあるべきもので、いかなるときにも患者さんの立場から考えなければなりません。医師側の都合というものは尊重されるべきではありません。

 しかしながら、医療を始める前から医事紛争や患者さんどうしの金銭介入という問題まで想定しなければならないとなると、医師側の精神的な負担がかなり重くなりますし、結果として患者さんに最善の利益をもたらすことができなくなる可能性もあります。つまるところ、これからの医師は以前に比べると、純粋に「患者さんに元気になってもらいたい」という気持ちだけではつとまらなくなってしまうかもしれません。

 けれども、私が言いたいのは、「それでも医師とは大変やりがいのある魅力的な職業である」ということです。新しく改訂する本には、そのあたりのことを詳しく書きたいと思います。

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 医師の仕事のひとつに学会参加や発表というものがあります。小さな規模のものも含めると私の場合、月に1〜2回は参加していますが、毎年年末には重要なものが重なります。

 11月中旬には、バンコクでWONCAという国際プライマリケア学会があります。タイに出張し、その学会に参加して、ついでにGINA関連の仕事もしてくるつもりですが、帰国するとすぐに日本エイズ学会があります。まだ正式には決まっていませんが、今年のエイズ学会ではひとつ演題を発表する予定です。

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 12月に入ると、新しいクリニックを一応はオープンさせなければなりませんし(現行の医療法では保険診療をおこなう一月前から開院させなければなりません)、学会出席のため出張しなければなりませんし、さらに新しいクリニックで効果的な診療がおこなえるよう、何日かは別のクリニックに研修を受けに行くことも考えています。

 以前会社員をしていた頃は、12月と言えばボーナスが支給され、「忘年会」と称して週に何度も飲みに行く機会があったのですが、今となってはあの頃が大変なつかしく感じられます。

 あの頃に戻りたい・・・という気持ちが沸いてきても、すぐに打ち消すようにはしていますが、多忙さのなかに埋もれてしまっている自分に気付き、昔の自分がうらやましくなることもあります。

 けれども、ふんばらなければならない時期だ! と自分に言い聞かせて今は頑張るしかないのでしょう。

 新天地を目指して・・・ 
 
2006/10/10

マンスリーレポート2006年9月号 −卒業−

 先月の大学病院でのカンファレンスで、「卒業試験の問題をつくるように」との業務命令が私に下されました。医学部の卒業試験は問題数が莫大なものですから、私のように教壇に立つ資格のない者も問題作成をおこなうことになるのです。もっとも、私がつくった問題は実際のテスト問題に組み入れられる前に何人かの教員のチェックを経て、必要があれば修正が加えられることになっています。

 私の大学では、卒業試験は11月と12月の2ヶ月間かけておこなわれます。現在は、医師国家試験は2月末におこなわれますから、医学部の6年生は卒業試験が終わればすぐに国家試験のために猛勉強しなければなりません。そのため、11月からは勉強以外にほぼ何も考えられなくなります。

 大学によっても異なりますが、私の大学では、10月までは臨床実習として大学病院以外の大きな病院での研修(実習)を受けなければなりませんから6年生の後半はかなり多忙になります。もっとも、医師になってからの方がこのような生活よりもはるかに多忙なのですが・・・。

 日頃の臨床で多くの症例にあたっていると、題材は豊富にありますから、卒業試験の問題をつくること自体は、そんなにむつかしいことではありません。ただ、せっかくつくるなら、医学生にはそれを考えることによって将来の臨床に役立つような問題をつくりたいものです。

 だから、私はこれまでの卒業試験や医師国家試験を参照することなく、オリジナリティの強い問題をつくりました。(オリジナリティが高いといっても、問題を考えるプロセス自体は奇抜なものではなく、過去問を解いて基本的な考え方を理解していれば、そんなにむつかしくはありません。もしもこれを私の大学の6年生の人が読んでいれば、あまり不安にならないように・・・)

   ***

 私は受験の本を出版していることもあり、大学4年生の人からもメールや手紙をもらうことがあるのですが、今年は去年までに比べると、その内容に変化がみられるように思います。去年までは、「今、大学4年生ですが、就職はせずに医学部受験の勉強を始めます(続けます)」、というものが多かったのですが、今年は「いったん就職してお金をためてから再度医学部受験を検討します」、というものが増えています。

 この理由はおそらく景気がよくなって、就職状況が一気に売り手市場に突入したからでしょう。新聞をみていても、今年はバブル経済以来の売り手市場で、複数の内定をもらう学生が続出し、企業側は優秀な人材の確保に必死であるという記事を目にします。

 企業に就職しようが、就職せずに受験勉強の生活に入ろうが、3月になれば「卒業」がやってきます。同じ卒業式を迎えるにあたって、就職が決まっている人とそうでない人は気分が違うかもしれません。

 私は関西学院大学社会学部を1991年に卒業しましたが、卒業式の頃は、これから始まる社会人としての生活にワクワクしていたのを覚えています。
 
 卒業試験の問題を考えながら、そんなことを思い出してしまいました。

   ***

 私は、受験の本を出版しているだけであり、就職についてこれまで言及した記憶がないのですが、なぜか私のところに就職活動の相談をされる方がいます。すべての問い合わせに返事を書いているわけではありませんが、手紙やメールの内容によっては、悩みや考えが真剣に伝わってきて、相談にのらせてもらうこちらの方も(不謹慎な言い方ですが)楽しませてもらっています。

 「楽しませてもらっている」というのは、私自身がその人の気持ちになってこれから始まる暮らしのことを考えるとワクワクしてしまうからです。みんなにそれぞれ夢があって、その夢を少しだけ共有できたような気がして嬉しくなってくるのです。

 人間というのは贅沢なもので、私は今の生活は自分に与えられたミッションを遂行していると感じられるため、幸せだとは思うのですが、それでも、「前みたいに日本の会社でビジネスマンをしたいな・・・」とか、「新興企業に就職して海外市場を開拓してみたいな・・・」とか、はたまた「もう一度大学に行って勉強や研究に没頭してみたいな・・・」などと思うこともあります。

   ***

 今月から、GINAのwebsiteで、『イサーンの田園にルークトゥンが流れる時』という小説を連載することになりました。この物語はフィクションで、主人公は架空の人物です。これまでの生活に終止符を打ち、新しくNPOのスタッフとして働き始めた主人公(元看護士の男性)が、ある女性との出会いをきっかけに新たな発見をしていく、というストーリーなのですが、私はいつしかこの主人公に感情移入をするようになり、現実では体験できないことをストーリーのなかで実現させることの面白さが分かるようになりました。

 新しい世界に飛び込むというのは、一度きりの人生のなかでそう何度もできるわけではありません。しかし、どんな人にもその機会は確実にやってきます。

 そのひとつが「卒業」です。

 卒業試験の問題を考えながら、新しい世界に飛び込む感動について想いを巡らせてしまいました・・・。
  
2006/09/09

マンスリーレポート2006年8月号 −医師が家族と過ごす時間−
 「黎明」という表現はおこがましいでしょうが、組織を起こすのはやはり初めが肝心であり、また大変であり、現在のGINAもそういう真っ只中にいます。
 
 で、何が大変かというと、もちろんいろいろとあるのですが、現実的には「時間」と「お金」です。
 
 私が以前から何度も指摘しているように、医師という職業は他に類をみない売り手市場であります。つまり、慢性的な人手不足です。ですから、週末勤務や夜勤の仕事はすぐに見つかり、こういう仕事を増やせばある程度はお金を稼ぐことができます。GINAは非営利組織でありますから、活動を活発にすればするほど出費がかさみます。これを補うために、現在私は週におよそ100時間のペースで医師としての仕事をしています。
 けれども、週末勤務や夜勤を増やすことによって、GINAの活動の時間そのものが制限されてしまいますから、GINAの費用を捻出しなければならないが、そちらに傾きすぎるとGINAの活動が充分にできなくなってしまう、という微妙なバランスに常に注意を払っていなければなりません。

 医師という職業の特徴のひとつは、勤務時間だけが仕事ではない、ということです。診断がつかなかったり、初期治療にそれほど効果が認められなかったりする場合には、それに対する調査(勉強)をおこなわなければなりません。最終的に、他の専門病院に行ってもらうことになることもありますが、その場合でも、その施設での診断や治療を学ばなければなりませんから、これはこれで大変です。
 日頃から最新情報を知っていなければならない、という使命が医師にはあります。私が研修医の頃にはなかった薬剤や検査法、治療法などがたくさん登場してきていますし、以前からある薬剤でも、注意書きの内容が変わったり、新たな効果が報告されたりすることも頻繁にありますから、こういったことにも対応できなければなりません。
 手術件数を増やしたり、あるいはセミナーなどに出席したりして、技術の向上につとめなければなりませんし、新しく出版される教科書も読まなければなりませんし、所属学会からは定期的に学会誌が送られてきますし、世界中で毎日大量に誕生している論文にも目を通さなければなりませんし、文字通り時間はいくらあっても足りません。
 さらに、医師であれば学会や研究会での発表をおこなわなければなりませんし、論文も書かなければなりません。これらに取られる時間も相当なものです。発表や論文は英語でおこなわなければならないことも多く、そのためほとんどの医師は日頃から英語の勉強を欠かしていません。私の場合は、英語に加えタイ語が加わります。GINAの活動はタイ国に関連するものが多いため、タイ語が不可欠になってくるのです。

  以前、ある人が、「医者は高級車を乗り回して、毎日のように高級クラブに通って、週末はゴルフ三昧なんでしょ」、と言っているのを聞いたことがあるのですが、少なくとも現在の日本においてはこんな医師はひとりもおらず、このような医師像は「都市伝説」のようなものです。
 たしかに、高級車に乗っている医師もいますが、残念なことにそれを乗り回す時間はそれほどありません。医師であれば夜間に呼び出されることも頻繁にあり車が必要になるため、自動車所有率は高いと思いますが、必ずしも高級車に乗っているわけではありません。(ちなみに私の車は12年落ちの国産で、購入価格は45万円。「当て逃げ」されてへこんでいるところを修理する金銭的余裕はありません。)
 高級クラブやゴルフに通う、というのも医師である限り事実上不可能です。その医師の立場にもよりますが、夜間や休日に呼び出されることもあるため、お酒を度々飲むわけにはいかないのです。私の場合、医師になってからお酒を飲むのは2〜3ヶ月に一度程度になりました。(ちなみに商社勤務時代には週に3〜4度程度はお酒を飲む機会がありました。)

 そんな医師にも家族というものがあります。
 
 私は、結婚の経験がなく、ひとりで暮らしていますから、夜勤や週末の勤務を積極的におこなうことができますが、パートナーや子供がいれば、いくら多忙でも家族のための時間をどこからか捻出しなければなりません。
 職業人としての医師の立場からすれば、いくら遅い時間に帰宅しても、先に述べたように「勤務時間以外の仕事」をおこなわなければなりません。語学の勉強も待っています。
 しかし、家族の一員としての立場からすれば、パートナーや子供との語らいの時間が必要です。
 そして、実際かなりの医師が、仕事と家庭の両立の困難さに悩んでいます。

 以前新聞に、ある大学病院の男性産婦人科医の話が載っていました。その産婦人科医は、夫婦や家族関係についての研究や臨床で有名で、夫との人間関係がうまくいかないという女性の患者さんをたくさん診ており、なかには、この医師に相談にのってもらうために遠方から来られる患者さんもおられるそうです。
 ところが、この医師は、自分の奥さんから、「あなたは夫としても父親としても最低」と言われているそうなのです。この原因は、おそらく、この医師の多忙さが家族との語らいの時間をなくしてしまっていることと無関係ではないでしょう。

 先日発表された、国立女性教育会館の実施した「家庭教育に関する国際比較調査」によりますと、父親が子供と平日に一緒に過ごす時間は、日本が3.1時間で韓国の2.8時間についで世界6カ国中下から2番目だったそうです。その一方で、母親が接する時間は7.6時間と6カ国中で最長だったそうです。
 もしもこの調査を日本の男性医師でおこなうと、とても3.1時間などには及ばず、想像するのも恐ろしいような数字になるでしょう。仮に子供が夜10時に寝るとすると、3.1時間を確保しようとすれば夕方の6時50分から接し始めなければならないことになります。毎朝1時間を確保するとしても、夜7時50分には帰宅していなければならないことになります。医師は朝も早いため、毎朝1時間もの子供と接する時間を確保することは不可能です。

 この調査によれば、父親が最も子供と長い時間接しているのはタイ国で5.9時間です。一般的なタイ人はよほどのことがない限り残業をしませんし、子育ては夫婦でおこないますからこのような数字になるのでしょう。実際、タイ人と話していると、彼(女)らの強い家族の絆を感じることが頻繁にあります。「多くの日本人は残業をしている」、という話を以前タイ人にしたことがあるのですが、「日本人はいったい何のために働いているの?」、と不思議そうに質問されてしまいました。
 しかし、そのタイでも医師は例外的な職業であるようです。給与は高いが勤務時間が長すぎるために医師は人気職業ではない、という記事を以前タイの新聞で読んだことがあります。タイ人にとっては、いくら高級でも家族との時間が減るのなら意味がないようです。

 「医者の不養生」という言葉があり、通常は、「患者さんに健康指導をすべき医師自身が不健康な生活をしている」、といった意味で使われますが、家族との絆という意味でこの言葉をあらためて考えてみればどうでしょう。

 「患者さんを診る前に、自分の家族と良好な関係を維持すること」、が大切だと私は考えていますが、現在の日本の医師が担っている役割と責任を考えると、現実的ではないかもしれません。
 医師の数を倍にして、勤務時間を半分にして、できた時間を家族と接する時間と勉強にあてる、というのが私の提案ですが、今の日本では絵に描いた餅なのでしょう。勤務時間が半分になれば、当然収入は半減しますから、この点に同意が得られない、という問題もあります。
 けれども、年収数十万円で家族一同幸せそうにしているタイの家庭をみると、やっぱり羨ましいなぁ・・・と思ってしまいます。

 GINAが始まったこの時期は仕方がないですし、新しいクリニックをオープンさせてからしばらくも、長時間の勤務は避けられないでしょうが、それでもいずれは、家族との時間や勉強時間をゆったりととりたいものです。
 
2006/08/10
マンスリーレポート2006年7月号 −邂逅−

 GINAの活動を本格的に開始してからおよそ4ヶ月が経過いたしました。
 この4ヶ月間で、多くの施設訪問、患者さん宅への訪問、研究者との対談、ボランティアとの話し合い、オリジナルの研究開始、など様々なプロジェクトをおこなうことができました。
 GINAはNPOですから、活動を活発にすればするほど経費がかさみ、金銭的にはしんどくなります。そのため、現在も医師としての仕事は以前と変わりなく続けています。医師の仕事として、1週間に100時間程度はとられ、さらに空き時間には医学の勉強を続けなければならず、その上語学の勉強がありますから、GINAのための時間を捻出するのは相当大変です。
 にもかかわらず、GINAの活動が予定通り、あるいは予定以上に順調に進んでいるのは、もちろん周囲の方々の支えのおかげです。
 
 例えば、私はGINAの事務的な仕事は、GINA副代表の浅居氏に全面的に任せています。websiteの管理についても、浅居氏及び浅居婦人にすべておこなってもらっており、私は、ただレポートや記事の下書きをしているだけで、その校正も浅居夫妻に任せています。彼らの活躍、さらに他のGINA正会員の働きがなければ、これほどまでにGINAは順調に進んでいないはずです。
 
 もちろん、GINAの順調な進行は、GINAスタッフの力だけによるものではありません。GINAの趣旨に賛同してくださり、アドバイスや寄付金をくださる方々がおられるからこそ、我々は活動を続けることができるのです。

 もちろん、タイで我々の活動に賛同してくださり、多くのアドバイスを授与してくださる方々や、実際に本音をお聞かせくださるエイズ患者さんの存在も、我々が活動を続けていく上で大変貴重なものであります。

 私は6月30日から7月8日にかけて今年4度目の訪タイをしてまいりました。今回はやや強行的なスケジュールを実行しましたが、7月から航空料金が大幅に上昇するので、できるだけ経費を抑制するために6月中の出発にしたというわけです。
 GINAのタイをベースとした初期の活動が、今回の出張でとりあえずは落ち着きましたから、これから当分の間GINAの活動は国内が中心となります。次回の訪タイは、11月中旬にバンコクで開催されるプライマリ・ケア関係の国際学会に合わせてとなる予定です。

 さて、今回の訪タイでお会いし、その献身的な生き方に大きな感動を教えてくれた方々がおられますので、ここで簡単にご紹介させていただきたいと思います。
 
 まずは、パヤオで「21世紀農場」を運営されている谷口巳三郎先生です。巳三郎先生のことは、「マンスリーレポート4月号」でもご紹介いたしましたが、この方の生涯を通しての献身的な態度は、ただただ敬愛するばかりです。
 巳三郎先生は、60歳を過ぎてから単身タイに渡り、20年以上にわたり現地の農業指導に従事されています。21世紀農場はタイ北部のパヤオ県にありますが、この地域では90年代初頭からエイズが蔓延し、その結果行き場を失った人々が、巳三郎先生を頼って21世紀農場を訪問したのです。
 巳三郎先生は、そんな彼(女)らに対して農業指導やミシンの使用を学ばせ生活を支援し、適切な医療が受けられるように現地の行政や病院に対する計らいをされました。
 また、パヤオ県さらには隣県のチェンライ県にも、巳三郎先生の農業指導のおかげで自立され、さらに農業を学びたい人に対する指導をされているタイ人の方が大勢おられます。
 巳三郎先生は、タイの歴史に残るタイに貢献した日本人、として今後も大勢の方に語られることでしょう。

 パヤオ県では、依然エイズで困窮されている方々が大勢おられます。そんな方々のために日々尽力されているトムさんというタイ人がおられます。この方の夫は日本人の赤塚さんという方で、ご夫婦でエイズにまつわる諸問題に取り組んでおられます。
 このご夫婦の献身的な行動にも私は深い感銘を受けました。おそらくこういった方々がおられなければ、パヤオ県のエイズ問題は依然進展を見ていないのではないかと思われます。
 
 タイ北部の高地民族の出身でおられる、パンさん、ヨハンさん、ダイエさんには、彼らが運営する高地民族のための学生寮を拝見させていただきました。
 高地民族とは、タイ北部の山岳に住まわれている少数民族で、アカ族、カレン族、リス族、ラフ族、モン族など、11の民族があります。彼(女)らの地域では、学校がほとんどなく充分な教育を受けることができません。そこで、パヤオ県やチェンライ県の学校に通うことになるのですが、通うと言っても、とても山岳部からは通うことができません。
 そのため、子供たちが安心して勉強や寝泊りができる施設(寮)が必要となり、彼らが私財を投げ打って寮を設立されたというわけです。運営費の一部は日本からの寄附金にも頼っています。
 寮を設立し、子供たちが安心して生活するためには、どうしてもある程度の費用がかかり、どの寮もけっして裕福ではありません。そのため、彼らは、私生活をかなり犠牲にして子供たちのために献身されています。

 高地民族のために寮を設立されているのはタイ人だけではありません。チェンライ県の外れに、「ルンアルンプロジェクト」という高地民族の生徒寮があるのですが、この寮を設立したのは、中野穂積さんという日本人女性です。
 中野さんは、高地民族の子供たちのために日々尽力なさっています。彼女のおかげで
多くの高地民族の子供たちが安心して勉強を続けることができるのです。

 高地民族のなかには、すでに両親を亡くしている子供たちが少なくありません。その最たる原因はエイズです。こういった子供たちは、いわゆる「エイズ孤児」となり、そのままでは勉強どころか生活することもできなくなるため、高地民族の寮を運営されている方がいなければ路頭に彷徨うことになってしまうのです。

 エイズ孤児のみを収容している施設もあります。チェンマイ県のドイサケートには「希望の家」と呼ばれる施設があり、両親をエイズで亡くしたおよそ20人の子供たちが生活しています。現在はタイ人のご夫妻が中心となって運営されていますが、寮の名前からも分かるように、この施設はある日本人女性が設立に大きな役割を果たしています。
 その方は、大森絹子さんという女性で、私と同じ大阪市立大学出身です。大森さんは看護師及び助産師の免許を所得され、現在の私と同じ大阪市立大学医学部附属病院でも勤務されていました。タイに渡られ少数民族の医療に従事され、その後訪米し医療人類学を学ばれた後、再びタイに渡航し、高地民族のために尽力され、「希望の家」を設立されるに至ったのです。
 不幸なことに、大森さんは48歳という若さで他界されました。しかし、その後も生前から大森さんと懇意にされていたプラセン&タッサニーさんご夫妻の活躍のおかげで「希望の家」は現在も子供たちにとってはなくてはならない存在であり続けています。

 日本に帰国する機内で、私は今回お世話になった方々のことを考えているうちに深い眠りに落ちていました。毎度のことなのですが、訪タイ時には強引なスケジュールを組んでいるためにかなり疲労が蓄積します。今回は極端に疲れており、機内サービスで出された食事にも気づかない程でした。
 
 機内でひとつの夢を見ました。私の中学時代の授業の再現シーンです。なぜか科目は「道徳」。中学の授業などほとんど何も覚えていないのに、よりによって道徳の授業が夢に出てくるとは不思議なものです。
 教壇に立つ先生は、黒板にある文字を書きました。

邂逅・・・

 漢字の読めない私は、先生が振り仮名を振ってくれて初めて、それが「かいこう」と読むんだ、ということが分かりました。「思いがけなく巡り合う」という意味だそうです。
 考えてみれば、私がGINAを通してめぐり合った人たちは、以前から希望してお会いしたというよりは、いくつもの偶然が重なってお会いしています。私は元々、この3月から新しいクリニックを設立する計画を立てていましたから、それが実現していればこういった方々にお会いしていない可能性が高いのです。
 こういった人たちとの巡りあいは、まさに「邂逅」ではないでしょうか。

 夢のなかで先生は続けました。

 「邂逅に始まって一生のお付き合いをすることになる人もいるのですよ・・・」 
 
2006/07/10

マンスリーレポート2006年6月号 −遺言−

 私は現在複数の医療機関で仕事をおこなっていますが、先月ほど患者さんの死に遭遇した月はこれまでなかったように思います。
 医師になってからこれまでの間に、およそ100人の患者さんの死を見てきましたが、先月だけで5人もの患者さんの死に遭遇しました。ターミナルステージの状態で、死をある程度受け入れていた方もおられましたが、容態が急激に悪化し、緊急で気管内挿管や心臓マッサージをおこなった患者さんもいます。
 医師を数ヶ月も続けると、例えば、顔面を包丁でメッタ刺しにされた患者さんに直面しても、交通事故ですでに片足が切断されている患者さんが運ばれてきても、冷静に対応できるようになりますが、私はいまだに患者さんの「死」に遭遇すると、その後しばらくは落ち着いていられません。夜間に患者さんの死亡確認をするときは、それが本人も家族もすでに受け入れていた死であったとしても、その日は朝まで眠れません。
 これは、もっと積極的な医療をおこなって救命したかったという気持ちだけではありません。患者さんが長い間病気を放っておいたり、交通事故やナイフで刺されるといった事件性があったりするものでは、そのように思うことも多いのですが、もっと積極的な医療をおこないたかった、というよりは、「生命の尊厳」のようなものが頭を支配して離れなくなるのです。
 
 先月のある夜、亡くなった患者さんが送迎されるのを見送った後、インターネットで新聞記事を眺めていると、5月23日のタイ北部の大雨の被害で、50人以上が死亡、60人以上が行方不明となったとの情報が入ってきました。
 また、南シナ海を襲った大型台風チャンチーの影響で、ベトナムでは20人以上が死亡、およそ200人が依然行方不明という記事も目にしました。

 天災による被災者に自分は何ができるだろう・・・、そんなことを考えていた矢先に、27日にジャワ島で大地震が発生し、すでにおよそ6000人の人が命を失っています。
 また、相変わらずイラクではテロが頻発し、これまでにジャーナリストだけで死者が70人を超え、これはベトナム戦争をすでに超えているそうです。
 
 天災は予期できるものではありませんし、テロにしても、イラクで起こることは予想できるとしても、例えば、2002年10月1日に起こった、バリ島クタ地区での惨事は誰が予期できたでしょうか。
 
 日本にいれば安全と考えられるわけでもありません。阪神大震災や新潟中越地震を予期していた人はほぼ皆無でしょうし、最近では理解不能な殺人事件の報道をよく見聞きします。テロは今後もないか、というとそういう保障もあるわけではありません。イスラム地区ではないバリのクタ地区のような観光地で、およそ200人もの人が命を失う大惨事が起こるくらいですから、今後日本でもテロがないという保障はないのです。

 であるならば、誰もが「死」というものを意識する必要があるのかもしれません。私は、「脳死」や「臓器移植」の観点から、あるいは「人工呼吸器」を装着するかしないか、といった問題から、誰もができるだけ早いうちに、そのような事態になったときにどうするか、ということがらを家族で話し合っておくべき、という考えを持っていますが、この1ヶ月でその考えがさらに強固なものとなりました。

 私は明日未明からタイ国に渡航します。今回は南タイ中心で、主目的はソンクラー県にある大学訪問です。
 タイは大半が仏教徒ですが、南タイを中心にイスラム教徒も少なくありません。もともと、イスラム教徒の多いタイ南部では、独立を訴える声が小さくなく、最近まで圧倒的な支持率を得ていたタクシン首相も、この地域ではそれほど支持されていなかったという経緯があります。今年に入ってからのタクシン首相の急激な支持率低下も重なり、現在タイ南部はそれほど安全ではないとの噂もあります。実際、昨年ソンクラー県では戒厳令が引かれています。(依然タクシン首相が圧倒的な支持率を維持しているタイ東北部(イサーン地方)とは対照的です。)
 そのような地域に赴くわけですから、やはりそれなりのリスクを負わなければなりません。もちろん、(戒厳令が解除されていたとしても)夜間の外出を控える、ひとりで危険と思わしき地区に行かない、などの対策は取りますが、それでも危険性をゼロにすることはできないと考えるべきだと思います。

 私はまだまだ死にたくありませんが、その一方で、天災やテロでの死亡なら仕方がないという気持ちもあります。「Nothing ventured, nothing gained.(リスクを冒さなければ何も得られない)」は、私の座右の銘のひとつですし、まだまだやり遂げていないことがあるにせよ、これまで一生懸命生きてきたから悔いはない、というのもその理由です。

 臓器移植カードはカバンの中に入っていますから、これはいいとして(ただしタイでも有効なのかどうかは知りませんが・・・)、「遺言」を残しておいた方がいいのではないかとの考えに至りました。
 「遺言」と言っても、私には遺産は何もありません。それどころか家のローンも残っています。ただ、生命保険には入っていますし、海外での死亡で保険金のおりるクレジットカードを複数枚持っています。これらを全部合わせて、保険金が最大限支払われるとすると、1億円以上の現金がおりることになります。
 実際に1億円以上の保険金が支払われるなら、必要な分を両親とGINAのスタッフの元に届くようにして、残りの大部分を、GINAを通していくつかの施設に寄附してもらいたいと思います。これでGINAの存在価値が少しは認められるかもしれませんし、私自身が満足のいく生命の終焉を実感できるはずです。

 保険金の遺言とは別に、GINAのスタッフにお願いがあります。
 もしも私が本当に死亡して、なおかつ骨が残っているときには、どうかチェンマイのピン川で散骨をお願いいたします。
 これまで何度もタイに行きましたが、ゆっくりできたことはほとんどありませんでした。
 散骨してもらえれば、私はピン川でのんびりと水浴びを楽しんで、ゆっくりとタイを南に下ります。そのうちチャオプラヤー川となるでしょうから、今度はタイ中部でのんびりします。アユタヤあたりで休憩したいですね。それに飽きたらバンコクに入って夜景を楽しみ、最後はタイランド湾、そして南シナ海です。
 こう考えるとけっこう優雅な旅だと思います。
 ただ、ひとつだけ心配なことがあります。
 タイではそろそろ雨季に入ります。ピン川もチャオプラヤー川もときに洪水を引き起こします。洪水で流されれば、私はいずれタイ中部あたりの土となるのでしょうか。
 その時はその時で、タイ国永住です。それも悪くはないでしょう。

 では、ここに遺言を残します・・・、と言いたいところですが、おそらく現行の法律では、遺言状はこのようなwebsiteに書きこむだけでは無効で、きちんと日付と署名の入ったものが必要ではないかと思われます。
 
 日本を発つまであと数時間あります。

 では、そろそろ遺言状の作成にとりかかります。
  
2006/06/01

マンスリーレポート2006年5月号 −GINA誕生−

  「人間は生きているのではなく生かされているのである」

 これは、私が以前読んだ本のなかにでてきた言葉です。不思議なことに、この本のタイトルや著者はまったく記憶になく、そればかりかこの本の内容すら覚えていません。また、いつ頃この本を読んだのかも思い出すことができません。
 にもかかわらず、なぜかこの言葉だけは私の心に深く刻まれており、ときおり思い出すことがあるのです。
 思い出すと言っても、私はずっとこの言葉が好きではありませんでした。なぜなら、「人生とは自らが切り開いていくもの」だと思っているからです。「生かされている」などといった消極的な意識を持っていれば夢も希望も叶うはずがないではないか、私がこの言葉を初めて見たときに持った印象はそのようなものでした。
 実際、私はこれまでの人生において、いつも「人生とは自らが切り開いていくもの」と信じて行動してきました。平均偏差値が40しかなく、すべての模試でE判定という状況で周囲の反対を押し切って関西学院大学の受験に挑んだのも、周囲にバカにされながらも26歳で医学部受験を決意したのもこの信条があったからです。
 関西学院大学卒業時には、バブル経済真っ盛りで大企業への就職には一切困らない状況のなかで、あえて関西の中堅企業を選んだのですが、これは「大企業に入って組織の歯車になるのではなく中堅企業でおもしろい仕事がしたい」という動機からです。大企業に入ってしまえば、自分のやりたいことを自分の意思で開拓していくことができなくなることを懸念したのです。
 また、医師になってから、自分が勉強したいことを追求し続けているのも「人生とは自らが切り開いていくもの」というこの信条があるからです。
 幸いなことに、私はこの信条を強く意識していたことが功を奏してなのか、どうしてもやりたい!と思った夢の大部分を実現させてきました。

 しかしながら、最近になって、この信条「人生とは自らが切り開いていくもの」は、真実であることには変わりはないとしても、これだけを強調しすぎるのは「謙虚さ」を見失うことになるのではないかと考えるようになりました。
 仮に私のこれまでの人生を一応の「成功」とするならば、その「成功」は決して自分ひとりの努力によるものではありません。ふたつの大学進学は両親の理解と協力がなければ実現しなかったことですし、会社で楽しく仕事ができて英語の実力を付けることができたのはその会社の多くの方のおかげです。
 英語のことをもう少し掘り下げると、そもそも私は英語にはまったく興味がなかったのです。面接時には、私は国内営業希望と言い、海外事業部には興味がないと話していました。それが、なぜか、男性では私ひとりだけが海外事業部に配属されたのです。希望が叶えられず腐りかけていた私を鼓舞させてくれたのもまたこの会社の方々でした。そして、会社員時代に英語ができるようになったおかげで医学部受験が有利になり、現在仕事で海外に行くようになっても英語で困ることはそれほどないのです。
 医学部在学時代には、勉強のスランプに陥ったことがありましたが、このときは同級生の励みに助けられました。医師になってからは、多くの素晴らしい先輩医師に恵まれたおかげで非常に有意義な勉強ができました。
 つまるところ、私がこれまでの人生で、夢の多くを実現させているのは周囲の支えがあったからなのです。決して自分ひとりの実力ではないのです。

 そして、今、もうひとつ思うことがあります。それが、冒頭で述べた「人間は生きているのではなく生かされているのである」という言葉です。これまで私は「人生とは自ら切り開いていくもの」であって、「生かされている」というのはその対極の考え方であると思っていましたが、そうではなく、これらふたつは互いに矛盾するものではないのでは、と思うようになったのです。
 そう思うようになったのは、今年の4月から新しいクリニックを設立するつもりで、昨年秋から準備を進めていたのにもかかわらず、土壇場で物件が見つからないというアクシデントに見舞われたのがきっかけなのですが、それだけではありません。
 クリニックを開始するのと同時に立ち上げようと思っていたNPO法人GINAについては、協力者が次々と現れ、現在タイですすめている調査も順調に進んでいます。現在、ウェブサイトの作成に取り組んでいますがこちらも楽しく進めることができています。
 クリニックとGINA、どちらも同じように力を入れようと思っていたのですが、クリニックの方は一歩も前に進まず、かたやGINAは何もかも順調なのです。臨床とNPO活動、どちらも他人に奉仕するという意味では変わりないのですが、GINAに流れがきているのは、きっと私が「生かされている」ことに関係があるのではないか、と思うのです。
 さらに、これまでの人生を振り返ってみると、先に述べた会社員時代に英語を勉強するきっかけを与えられたのも、そもそも勉強ができないのにもかかわらず大学進学ができる環境にいることができたのも「生かされている」からではないかと感じるのです。

 ところで、「生かされている」というのは「見えざる手」に導かれている、という言い方ができるかもしれません。
 「見えざる手」というのは、アダム・スミスの言葉で、市場主義を絶対視する人たちの間で語られることが多いようです。これは、利己的に行動する各人が市場において自由競争をおこなえば、自然と需要と供給は収束に向かい、経済的均衡が実現され、社会的安定がもたらされる、というものです。
 市場主義を絶対視する人たちは、この「利己的に行動」という言葉を正当化するために、「見えざる手」という言葉をよく引き合いに出します。
 けれども、アダム・スミスは「見えざる手」には前提条件があるということも述べています。有名な『国富論』よりも先に出版された『道徳感情論』という書物のなかで、アダム・スミスは、「自由市場主義の土台には個人的な徳性と善意が必要」という考えを披露しています。つまり、「利己的に行動」し「見えざる手」に導かれるのは、徳性と善意、要するに道徳的な基盤があっての上だということなのです。
 
 話をGINAに戻しましょう。
 4月22日に記念すべき第1回の総会が開かれました。
 GINAのミッション・ステイトメントは、「HIV/AIDS患者を支援し、同時にHIV/AIDSに関連した差別・スティグマなどを失くすために社会に対し正しい知識を啓発する。また、HIV感染を予防するための啓発活動もおこなう。」というものです。ミッション・ステイトメントは、つくりっぱなしでは意味がありませんし、これから協力してくれる人たちの意見も取り入れて何度も見直していくつもりですが、まずはこれで開始したいと考えています。
 GINAはNPO法人であり(法的に認可されるのは9月の予定です)、利益団体ではありませんから、競争相手はおらず、はじめから「利己的に行動」する組織ではありません。そして、もちろん「道徳的な基盤」の上に成り立っています。
GINAの目的のひとつは、支援を必要としている人たち、あるいは正しい知識を必要としている人たちのニーズを把握し、そして人間の自然な欲求である(少なくとも私はそう考えています)「奉仕」や「貢献」をおこないたいと考えている人たちの力になることです。
 
 「見えざる手」に導かれて人々に貢献できる組織、GINAがそのようになることを私は確信しています。 
 
2006/05/03

マンスリーレポート2006年4月号 −パヤオで見た真実−
 先月のマンスリーレポートで、いったん決まりかけた新しいクリニック用の物件が借りられなくなって落ち込んでいることを報告したところ、たくさんの読者の方から、お叱りの言葉や励ましの言葉をいただきました。
 あまりにも多くの方からメッセージをいただいたため、すべての方にお返事を差し上げることができませんでした。この場でお詫び申し上げたく存じます。同時に、たいへん多くの方から勇気をいただいたことに対しお礼申し上げたく存じます。本当にありがとうございました。
 
 実は先月のマンスリーレポートを書いてから、またひとつ非常に魅力的な物件が見つかりました。「こんないいところが残っていたのか」と感じた私に、不動産屋の人は言いました。「先約がひとりいるけど、その人の条件とは合わないようですから、おそらくお貸しできると思います。」しかし、このとき私は、もう期待はしないことに決めていました。数日後届いたその不動産屋の連絡は、やはり「先約が決めたようです」というものでした。
 さらに、もう一件、これまた非のうちどころのない物件を紹介されましたが、結局ビル側の事情で借りられなくなりました。
 これで、1月から検討した物件は15件にもなり、そのうちの5件はぜひとも借りたいというものでしたが、間一髪で他の業者に決まったり、10年以上は借りられない条件がつけられたため断念したり、水回りの工事ができないビルであったり、先月に報告したようなこともあったりで、結局物件は決まりませんでした。
 これだけ不運が連続するのは単なる偶然とは思えません。偶然でないなら、きっと今は物件を探すべきでない、つまり今は新規開業するタイミングでない、という運命なのでしょう。私はそのように考えて、いったん物件探しを中断することにしました。

 そんな私がとった行動はタイ国渡航です。拙筆『今そこに・・・』のあとがきにも書きましたが、私はこれまで、国内外のHIV/AIDS患者さんをサポートするNPO法人の設立を検討してきました。当初の予定では、新しいクリニックと同時にスタートさせるつもりでしたが、こうなれば先にNPO法人だけを立ち上げることにしよう、そう考えたのです。
 このNPO法人の名称はGINA(ジーナ)と言います。(Getting Into No AIDSの略です。) 
 GINAの主事業は5つあります。
 1つめは、国内外のHIV/AIDS患者さん、あるいは患者さんを支援している組織や個人のサポートです。当初は、私と交流のあるタイ国のエイズ施設中心にサポートをしていく予定です。
 2つめは、HIV/AIDS、あるいは性感染症に関連した研究です。これは主にタイ国と日本の比較研究を考えており、すでに最初の研究(調査)を開始しています。
 3つめは、HIV/AIDSの子供を救うための里親奨学金制度の設立です。タイ国では、両親がAIDS、あるいは自身がHIV陽性であり、これらに貧困という問題が加わり、義務教育を続けることがままならない子供が大勢います。こういった子供たちが安心して勉強できるように里親奨学金を設けようと考えています。
 4つめは、HIV/AIDSまたは性感染症に対する予防啓蒙活動です。こういう活動はすでにおこなっているNPOやNGOがいくつかありますから、そういった組織と協力したりあるいは特定のグループに対する啓蒙活動をおこなったりすることを考えています。
 そして5つめは、エイズホスピスの設立です。「はやりの病気」4月1日号で述べたように、タイでは差別意識が若干減少したことにより、患者さんが施設から家庭に戻る傾向にあります。しかしながら、全員が家庭に戻れるとは限りません。家族全員をAIDSで亡くした人もいますし、元々孤独に生きてきた人もいるのです。タイには現在もHIV陽性の方がおよそ55万人もいます。55万人全員が家族とともに幸せに暮らせるわけではないのです。ホスピスはタイで設立することを決めたわけではありませんが、現在のところ最有力候補にしています。(もっともホスピスを設立するには莫大な資金が必要となりますから、これは将来的な目標ということになります。)

 今回のタイ国渡航は非常にタイトなスケジュールになりました。(まあ今回だけでなくいつものことなのですが・・・) 
大阪→バンコク→ウボンラチャタニ→シーサケート→ウボンラチャタニ→バンコク→ロッブリー→バンコク→チェンマイ→パヤオ→チェンライ→バンコク→大阪という日程を8日でこなしましたから、まさに息つく暇もない、といった感じでした。
 今回の出張で訪問した施設でもっとも印象的だったのが、初めて訪れたパヤオにある「21世紀農場」です。
 このパヤオという県は、全部で76個あるタイ国の県のなかでも最も貧しくて、人口あたりのエイズの患者さんが最も多いと言われています。美しい自然はありますが、特に観光名所と呼べるようなところはなく、そのため『地球の歩き方』や『Lonely Planet』にも紹介されていません。チェンライかチェンマイからバスに乗って山をいくつも越えなければなりませんから、観光客はまず来ないのです。タイ国内ならどこにでもいると思われる西洋人もこのパヤオにはほとんど来ないそうです。
 そんなパヤオの中心地(「中心」と言っても何もないのですが・・・)から、さらに車で1時間ほど走ったところに、この「21世紀農場」があります。
 この農場は、鹿児島大学出身で以前は熊本に住んでおられた農学博士である谷口巳三郎先生が設立された広大な農場です。巳三郎先生は、タイの人々に農業を指導するため1982年に60代で単身タイに渡り、おひとりで近代的な農場を設立されました。農薬の類は一切使わずに、すべて有機栽培で米や野菜をつくられ、また魚や豚などの飼育もされています。
 そんな巳三郎先生を日本で最も支えているのが熊本にある「タイとの交流の会」で、会長は巳三郎先生の奥様です。名前を谷口恭子先生と言い、偶然にも私と一字違いです。
 谷口巳三郎先生は、非常に献身的な方で、私財を投げ打って農場を設立し、さらに貧困にあえぐ多くの方々を救ってこられました。農業とは縁のない医師である私が「21世紀農場」を訪問し巳三郎先生にどうしてもお会いしたかったのは、巳三郎先生は、パヤオのエイズで苦しんでいる人々をも救っておられるからです。
 そんな巳三郎先生に魅せられた私は、お会いした瞬間から先生の話に引き込まれました。強い意志とこれまで見たことも聞いたこともないような奉仕の精神をお持ちの巳三郎先生は、私が自分の人生を終えるときに、生涯に渡り最も影響を受けた人物のひとりとして思い出すことになるでしょう。
 農場のなかにある先生の家の壁には、先生の書かれた次の言葉が掲げられていました。

 最期のひとこと「もうこれ以上他人のために尽くすことができなかった」と云いたい

 この言葉を読んだとき、背筋に電流が流れるような感覚を覚えました。こんな「最期のひとこと」、いったいどれだけの人が言うことができるでしょうか。私は、これまでの人生を振り返っただけですでに「失格」です。けれども、少しでも先生に近づきたい、先生と同じ苗字で、奥様の名前は私と一字違いというのも単なる偶然ではない、と(大変失礼ですが)思い込み、胸に熱いものを感じながら、私はパヤオを後にしました。

 タイから帰国後、早速私は熊本に出向き、奥様の恭子先生にお会いしました。恭子先生もまた、10代前半時にすでに「他人のために尽くす」ことを自分の使命と決意し、これまで献身的な人生を歩まれてきた方です。私はこのような素晴らしいご夫婦とめぐり合えたことに幸せを感じ、自分自身も「他人のために尽くす」ことを生涯の目標にすることを決意しました。

 さて、今私は再びタイに来ています。チェンマイでの仕事を済ませ、今Huahinのはずれにあるリゾートホテルのバルコニーでこれを書いています。Huahinは、PhatayaやPhuketと異なり(?)、おそらくセックスワーカーが一切おらず、そのため品のない観光客もほとんどいない場所で、自然が美しくとても静かなリゾート地です。物価は驚くほど高いですが・・・。
 誰もいない静かな海岸で、ミッションステイトメントの見直しをおこなうために、私はHuahinにやってきました。ミッションステイトメントは、私の信条であり中心であり、これがあるから私が私でいられるのです。
 そんなミッションステイトメントを見直すには、都会の喧騒から離れて、ひとり静かに自分自身を見つめなおすことのできる静かな場所が最適なのです。
 
2006/04/04
マンスリーレポート2006年3月号 −天国から地獄へ−

 先月のマンスリーレポートで、私は、自分の不運を嘆いていたところを、患者さんの一言で立ち直り、再び前向きな気持ちで頑張り始めた、という話をしました。
 この「前向きな気持ち」のおかげなのか、1月は努力してもまったく見つからなかった新しいクリニック用の物件が、2月の早々についに見つかったのです!
 その物件を見つけたときの気持ちを表そうとしても、ちょっと言葉が見当たりません。その物件に「一目ぼれ」した、とでも言えばいいのでしょうか。とにかく、これだ!と感じるものがあったのです。まるで運命で結ばれている男女の出会いのように・・・。

 その物件のビルは、私が(医学部でなく)以前の大学生だった頃、ときは1988年ですが、その頃にアルバイトをしていた会社のビルのすぐ前にあったのです。今度出版する『偏差値40からの医学部再受験テクニック編』の「あとがき」にも書きましたが、私のアイデンティティはその頃に形成されたものと思っています。私のこれまでの人生でもっとも充実していたその当時、いわば「古き善き時代」、あるいは、私の「酒とバラの日々」とでも言えばいいのでしょうか、ともかくその頃の思い出が蘇る「私の原点の地」にその物件はあったのです。
 場所だけではありません。近代的に設計されたそのビルは、外観もロビーもエレベーターも、そしてもちろんその部屋も完璧なものでした。通りに面した部分は全面ガラス張りで眺めもよく、待合室には最高です。トイレもきれいで、部屋の大きさもクリニックとしては最適。おまけに、地下鉄の駅の上にあり交通の便もよい、まさに非の打ち所のないパーフェクトな物件だったわけです。
 まだあります。そのビルの別の階には、ある医療クリニックが入っていました。そのクリニックはある専門の科を掲げていましたから、そのビルでクリニックを開くと、その別の階のクリニックとも協力して患者さんの診察にあたることができるわけです。私の方が患者さんを紹介していただくことは少ないかもしれませんが、私の方は、専門的な検査や治療が必要な患者さんを積極的に紹介できる、そしてこうすることによって患者さんに満足度の高い診察をすることができる、そのように考えました。
 私は、一緒にクリニックをたちあげるマネージャーに相談もせずに、すぐに申込書にサインをしました。マネージャーもきっとここを気に入るに違いない、と確信したからです。マネージャーは私の旧友ですが、彼もまた私と同じアルバイトをしており、その物件の目の前のビルで一緒に時代を過ごしていたのです。
 その日の夜、マネージャーに報告すると、予想通り彼も大喜び、ふたりでこれからの夢を語り合いました。

 しかし、まだその物件を借りることができると決まったわけではありません。ビル会社の審査があるからです。私とマネージャーは必死になって企画書を作成し、これから取り組んでいきたいことを丁寧に記載していきました。
 企画書を提出し、面接を受けたその結果は・・・。ビル会社も我々の意向を受け入れてくれて、「是非とも借りていただきたい」というものでした。
 もう、天にも昇る気分です。目にうつるすべてのものが輝いてみえました。このビルで働けるなら、出勤そのものですら楽しみになるのです。どれだけ満員の電車に揺られても苦になりません。私はなんて幸せ者なのだろう・・・。このときには、先月までの沈んだ気持ちのことを完全に忘れていました。
 ビル会社の担当者は最後にこう付け加えました。「別の階にもクリニックがあるので事前に挨拶をしておいてください。」
 これは当然のことですし、これからそのクリニックに患者さんを紹介させていただくことを考えましたから、早急に挨拶に伺いたく思いました。

 そして翌日、私はそのクリニックに出向きました。院長先生に自己紹介をし、「これからよろしくお願いします」と丁寧に挨拶をしました。
 話し合いは順調にすすみました。少なくともある話題になるまでは・・・。

 「私は大学の総合診療科に所属していて、大学とも協力して患者さんの診察をおこない、また研修医の教育にも力を入れていきたく考えています。」
 私がそう言った瞬間、突然その院長先生の顔色が変わり、私には信じられない言葉が飛び出しました。
 「それは困る! 君とはやっていけない!」

 ??? 
 私は、その言葉の意味がしばらく理解できませんでした。いや、今でも理解できていません。なぜ、私がそのクリニックと協力してやっていくことができないのでしょうか。
 医療機関というのは、美容室や酒屋とは異なります。そういった業種なら、近くに同業者がやって来るとライバルになることがあるでしょうが、医療機関というのは、それぞれ得意分野が異なりますから、ライバルにはならず、むしろ協力することによって、患者さんに、より満足度の高い診療を供給できるのです。
 もしも、その場所が郊外の住宅地、あるいは過疎地であれば、患者さんの取り合いということもあるかもしれません。けれども、そのビルは関西を代表する繁華街にあるのです。しかも地下鉄の駅の上です。一日に何千人、あるいは何万人もの人がその場所を通るのです。人口が少なくて患者さんを取り合うなんてことは、あり得ないのです。

 いかなる場合であっても、他の医師と喧嘩をするのは得策ではありません。私は「お時間をとっていただきありがとうございました」と言ってその場を後にしました。そして、「ここをお借りすることができなくなるかもしれません」とビル会社に告げました。

 その数日後、ビル会社から呼び出しがありました。「別の階のクリニックが反対しているみたいだが、我々の方から交渉してみるからまだ諦めないでほしい」という内容でした。
 しかしその結果は・・・。結局そのクリニックを説得できなかった、というものでした。

 この絶望感をお分かりいただけるでしょうか。いったん、天にも登りつめたような気分だったのが、突然一気に地獄の底に突き落とされたような悪夢へと転化したのです。
 私は、いつも起こりうる最悪のことを考えて行動するようにしています。前向きな気持ちを持つのも大切ですが、最悪のことを考えていないと、予期せぬことが起こったときの対処法を誤ることがあるからです。
 車に乗るときは、子供が飛び出してくることを念頭におきますし、飛行機に乗る前には墜落することを考えます。患者さんを診察するときは、緊急性がないか、あるいは重要な病気はないか、をまず考えますし、友達にお金を貸すときは、戻ってこないことを想定して貸すようにしています。人は、たとえ自分が親友と思っている人物であったとしても、状況によっては裏切ることがあるかもしれませんし、自分の軽率な行動が悲劇を招くこともあり得ます。
 私はこれまでの人生で、人に裏切られたり、結果として後悔することになる行動をとったりしたことが何度かあり、そのために、いつのまにか「最悪のことを考えて行動する」クセがついています。
 しかし、そんな私でさえも、まさかその物件が借りられなくなるとは想像できなかったのです。

 もう何もやる気がおこりません。仕事中は、患者さんにそんな気分が伝わらないよう必死で笑顔をつくるようにしていますが、いったん仕事を離れると動くことさえままならなくなりました。部屋は荒れ放題、毎日やらなければならない医学の勉強もおろそかになり、毎日必ず時間をとって取り組んでいた英語とタイ語の勉強もまったく手に付かなくなりました。友人からの電話にも出なくなってしまいました。

 私はこれからどこへ行くのでしょうか・・・・。
 
2006/02/28

マンスリーレポート2006年2月号 −患者さんの一言−

 2006年2月になりました。今年もすでに一ヶ月が過ぎ去ったわけですが、私のこの一ヶ月はついてないというか、バイオリズムや運勢にならった言い方をすれば「低調期」であったように思います。
 というのも、一ヶ月の間で、父親が腹痛で救急搬送されそのまま緊急手術となりましたし、自分のホームページがサーバーのトラブルで丸二日も閲覧できなくて多くの方からお叱りをいただくことになりましたし、パスポートを紛失しましたし、自分の駐車場で車をぶつけましたし、・・・と振り返るのがイヤになるくらいです。
 私は4月から大阪市内にクリニックを新規開業する予定でいるのですが、その場所もまだ決まっていません。不動産屋には昨年から話をしていたのですが、年末の時点での不動産屋のアドバイスは、「いい物件がいくつもあるから年明け早々に本格的に探せば大丈夫」というものでした。
 ところが、大阪では突然景気がよくなったみたいで、特に私が希望している地域では、ここ一ヶ月であっという間にいい物件がなくなってしまったそうなのです。実際この一ヶ月に何軒か物件を見に行ったのですが、魅力的なところはまだ見つかっていません。
 こんなことで本当に4月から新規開業できるのか・・・、不安な気持ちになってきます。 一緒にクリニックをたちあげてくれるマネージャーのこともありますし、何よりも「4月になったら行くからね」と言ってくれている患者さんに申し訳ない気持ちになります。
 先日、ある患者さんからメールをいただきました。その患者さんにも、「いい物件が見つからなくて苦労している」という話をしていたのですが、その患者さんがくれたメールはとてもシンプルなもので、最後に「がんばれ!」と書かれていました。
 この「がんばれ!」という言葉が私の心に響きました。それまで、あまりにも良くないことが続いていたために憂鬱な気分にどっぷりとつかっていたのですが、この一言で何かふっきれたというか、突然元気が出てきました。
 本来、医師である私が患者さんを元気にしなければならないのに、まったく逆の立場になったというわけです。

 私自身もそうなのですが、何かよくないことが立て続けに起こると、イヤな気持ちが身体を支配してなかなかそこから抜け出せなくなってしまうことはないでしょうか。そうなると、物事を冷静に見ることができなくなり、ちょっとしたことでも自分の不運を嘆いたり、前向きな気持ちが持てなくなったりしてしまいます。
 今回の私は、患者さんの一言のおかげで、すっかり立ち直ることができましたが、いったん元気になれば、物事は冷静に見えてくるもので、よく考えれば私が不幸と思っていたことなど取るに足らないものばかりです。私よりも不幸な境遇にいる人がどれだけいるかを考えればすぐに分かります。

 例えば、ここ数日間毎日のように新聞紙上を賑わせている、ライブドアの(元)社長の堀江氏などは、どのような心境にいるのでしょう。「カネで何でも手に入る」と豪語し、何不自由のない生活をしていたところを突然の逮捕となったわけです。
 私は「証券取引法」というものをよく知らず、堀江氏がどの程度重い罪を犯した(と疑われている)のかがよく分かりませんし、氏の行動について詳しく知っているわけではないので、多くを語る資格はありません。
 けれども、氏が日頃から公言していたと言われている、「法律に抵触しなければ何をしても大丈夫」という考えには同意できません。以前別のところにも書いたと思いますが、私は法律というものをあまり重視していません。もちろん私自身は法律を守るつもりでいますが、本当の意味での「罪」の大きさは法律では計ることはできない、というのが私の考えです。法律ではなく、人間が本来持つべき言わば「自然の条理」に従うべき、という考えを私は持っています。「自然の条理」というのは「倫理」「道徳」、あるいは「掟」と言ってもいいかもしれません。
 そういったものに反した行動を氏がとっていたならば、法的な罪の重さはともかく、「自然の条理」について考えてみてくれればと思います。
 
 私は、堀江氏をめぐるメディアの報道をみているときに、頭の中で、氏とある人物がオーバーラップしました。
 その人物とは元エジプト大統領のアヌワール・サダト氏です。
 イスラエルを強く憎むように教育されていたサダト氏は、「イスラエル人と握手など絶対にしない!」と公言していました。そしてそんなサダト氏にほとんどの国民がエールを送っていました。
 ところが、です。サダト氏は、後にファルーク王を倒す陰謀にかかわったため、カイロ中央刑務所の第54番独房に監禁されることになります。
 しかし、サダト氏の人生はここで終わりません。その後開放された氏は地道な活動を重ね、ついにイスラエルの国会を訪問し、歴史的な和平交渉をおこなうに至りました。そしてこれが後のキャンプ・デイビッド条約につながったのです。
 サダト氏のこのエピソードはいろんなところで語られていますが、例えばスティーブン・R・コビー氏の『7つの習慣』によれば、サダト氏は、独房のなかで「物やお金を獲得することではなく、自分自身に打ち勝ち、自制する力を持つことを悟った」そうです。
 サダト氏は、最終的には国内の過激派に暗殺されることになるのですが、死後も彼の残した業績は忘れ去られることはありません。
 サダト氏は、自叙伝のなかで「独房を離れたくない気持ちもあった」と述べているそうです。彼が辿り着いた「悟り」は、そんな気持ちにさせるほど大きな意味があったのでしょう。

 いわば成金の堀江氏と歴史的人物のサダト大統領をオーバーラップさせるなどけしからん!と思われる方もおられるでしょうが、その良し悪しはさておき、人間は窮地に追い込まれて初めて「真実」に気づくということはよくあることではないでしょうか。
 堀江氏はまだまだ若いですし、実力のある人物であることは間違いないでしょうから、サダト大統領のように、「物やお金を獲得することではなく、自分自身に打ち勝ち、自制する力を持つことを悟った」と後に回想するようになったとすれば、誰からも尊敬される立派な人物になられるのではないか、と私は考えています。

 私はこの1ヶ月間で、数々のついてない体験から患者さんの一言で立ち直り、冷静になったところ堀江氏について思いを巡らせ、そこからサダト大統領のことまで考えることができました。
 患者さんの一言には深く感謝したいと思いますし、それと同時に、ついてない体験もたまにはあった方がいいのかな、とも今では思うようになりました。
 私自身も、「自分に打ち勝ち自制する力」を身につけていきたいと考えています。 

2006/02/04

マンスリーレポート2006年1月号

 2006年がやってきました。
 
 普段は無宗教の人でも、お正月には初詣に行くという人は大勢おられると思います。実際私も、医師になるまでは毎年どこかの神社に出かけていました。(神社に詣していたのは事実ですが、私は日本神道を信仰しているわけではありません。)
 医師になってからは今年で四回目の新年を迎えますが、考えてみるとこの四年間は、初詣に行っていないばかりか、年末から正月のほとんどを病院で過ごしています。今年は特に忙しくて、12月30日の朝から1月5日の昼過ぎまで、病院から病院の移動時間を除けばすべて仕事というハードさです。
 今年は正月に帰省をする予定で、年末までスケジュールを空けていたのですが、どこの病院も人手不足が深刻で、結局依頼を断れずに休みなしとなってしまいました。(医師の人手不足は本当に深刻です。医学や医療に興味のある方、医学部を目指しましょう!)
 
 日本人というのは新年を迎えたときに「今年の抱負」というものを考える慣習があるように思います。私の正月はずっと病院内ですから、全然新年らしい雰囲気を味わっていないのですが、それでも「今年の抱負」というものを考えてしまいます。

 そんな私の今年の抱負は「勉強!」です。(ちなみに去年の抱負は「奉仕」でした。)
 考えてみれば、以前の大学を卒業してから、私の人生はほとんど勉強ばかりのような気がします。以前の大学ではイヤという程遊びましたが、会社員時代のときは、苦手の英語を克服するために、少なくとも最初の二年間はほとんど英語漬けの日々でしたし、後半の二年間も、ある程度はプライベートにも時間を費やしましたが、やはり日々の英語の勉強や、趣味でしていた社会学の勉強は欠かしませんでした。
 退職後は医学部を目指して猛勉強し、医学部入学後はさらに勉強をして、医師になってからはさらに勉強、勉強で・・・。私を昔からよく知っている友達は、「よくそんなに勉強ばかりするなぁ・・・」と少し飽きれたように言うことがあります。
 
 けれども、私がいろんなところで述べているように、そもそも勉強というのは楽しいものですし、自分がそれまで知らなかったことが解るようになる喜びははかりしれないわけです。医師という職業は、日々の勉強を義務付けられていますが、これは決して苦痛ではなくて、日々の治療にいかせるわけですから、患者さんの役に立つことができるわけです。
 人間にはいろんな「欲求」があると思いますが、「知的好奇心の追求」というのは、飽きることのない人間の至高の欲求だと私は思っています。

 これまでも勉強中心の人生を過ごしてきた私が、今年の抱負に「勉強!」を挙げるのには理由があります。医師になってから勉強して得た知識が増えれば増えるほど、自分の無知さに気づく、というか、まだまだやらなければならないことがあることを自覚するようになるというのがひとつの理由です。
 毎月送られてくる医学雑誌は目を通すだけでかなりの時間がかかりますし、日進月歩で進歩している医学は頻繁に新しい教科書が出版されます。今はインターネットからでも海外の文献を引っ張ってくることができ、そこから得られる情報もかなりの量です。私の場合、英語はまだまだ得意とは言えず、日本語を読むよりも時間がかかることがあるために、日々の英語の勉強も欠かせません。それらに加え、去年からはタイ語の勉強も開始しましたから、しなければならない量は、例えば医学部を目指していた頃よりもはるかに多くなっているのです。
 
 「勉強が楽しい」と言うと、特に受験生の方からは「それが分からない」と言われます。たしかに受験勉強は楽しいだけではありません。むしろ辛いことの方が多いでしょう。苦手分野もあるでしょうし、合格しなければならないというプレッシャーが勉強の本来の楽しさを凌いでしまいます。
 けれども、受験を目標としない勉強というのは、ある程度の制約があるにしても、基本的には自分の興味のあることを自由にすればいいわけで、これは本当に楽しいのです。

 もうひとつ、私が今年の抱負を「勉強!」とした理由があります。それは、今年は特に気持ちを入れて勉強しないと時間が確保できなくなるかもしれない、と感じているからです。今年は4月から新たに大阪市内でクリニックを開業する予定です。新規開業するとなると、従業員の方々と一緒に仕事をすることになるわけで、ある程度は経営のことを考えないと、クリニックが成り立たなくなります。
 しかしながら、経理的なことや事務的なことに時間をとられて勉強時間が少なくなってしまえば、結果として患者さんの役に立てなくなることになるかもしれません。それではクリニックを開院する意味がありません。
 そこで、私は新しいクリニックのマネージメントをすべてマネージャーに任せることにしています。仕入れ、経理、人事、PRなどをすべてマネージャーに委託(delegation)して、私は臨床と日々の勉強に専念しようという考えです。私は会社員の経験がありますから、そういった業務も嫌いではないのですが、私の出した結論は、これらの業務と臨床・勉強の両立は不可能、というものです。
 ただ、それでも、ある程度はこれら業務に気をとられるでしょうし、今は予期できないような業務で頭を悩ませ時間をとられることもあるかと思います。
 だからこそ、あえて今年の抱負を「勉強!」としたのです。現在の私にとって最も大切なのは「勉強!」であることをいつも自分自身で再確認していきたいのです。

 さて、私の3冊目の著作である『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』(文芸社)が今月より書店に並ぶことになりました。この本の原稿を書き始めたのは去年の1月ですから、一年間かかってようやく刊行となったというわけです。
 すでに本を読まれた方々から感想をお寄せいただいています。この本は、1章(タイのエイズの実情など)、2章(売春婦に恋する男たちへの取材など)、3章(日本のHIVの症例など)の三章から構成されているのですが、読まれた方によって、どの章をもっとも面白いと感じるかが人それぞれで、私の側からすれば感想を読ませていただくのが非常に楽しいのです。
 みなさまも、この本に興味がおありでしたらぜひとも感想をお聞かせください。 

2006/01/04

マンスリーレポート2005年12月号
 先月はチェンマイのホテルからレポートをお届けしましたが、今月は熊本のビジネスホテルからです。いつもお金のない私は、今日も風呂トイレ共同の安ホテルに泊まっていますが、比較的新しいホテルなので快適です。ホテルを決めるときに、初めから共同トイレや共同風呂を避ける人もいるでしょうが、小さい頃から貧困が当たり前だった私にとってはまったく気になりません。富裕層に生まれてこなくてよかったな、とつくづく感じます。
 今回の熊本出張の目的は、日本エイズ学会参加です。本日が初日でしたが、興味深い発表が多く非常に有意義な時間を過ごせました。医学部を卒業して4年近くたった今、よく思うのは、やっぱり勉強は楽しいもんだ、ということです。医師という職業をしている限り、日々勉強が義務付けられていますが、日々おこなっていることは教科書や論文を読んだり(あるいは書いたり)することで、講演を聴く機会はそれほど多くありません。学会や研究会に参加すれば、著名な先生方の講義を聴くことができ、新しい知見を知ることができるので本当に楽しいのです。

 最近、神戸大学の大学院生の方々に、エイズに関する話をさせていただく機会がありました。同じような講演は何度もおこなってきていますが、今回は私にとって非常に楽しいものとなりました。というのも、多くの質問や意見をいただいたからです。どこで、講演をおこなってもある程度は質問や意見をいただけるのですが、今回はどの学生さんも非常に熱心で、後日質問のメールをくれた方も何人かおられました。
 さすがは大学院・・・。今回講演をさせていただいた教室には、大学を卒業してすぐに大学院に入学された方もおられますし、一度社会に出てから再び学問の世界に戻ってこられた方もおられます。どちらにしても、学問に真剣に取り組みたいから大学院に通われているわけです。就職に有利かなと思って・・・、とか、みんなが行くから・・・、とか、そんな理由で通う大学生なんかじゃなくて、学問が好きで真剣に取り組んでいる、そんな方の集団ですから、議論を交わすのは本当に楽しいのです。
 自分も仕事をやめて大学院で学問に没頭してみたい・・・・、そんな考えすら頭をよぎりました。
 ところで、私は現役時代(1987年)に、神戸大学を受験して不合格となっています。しかも受験した学部は教育学部・・・。教育学部を受験して不合格となった大学で、その大学院生に講演をおこなうというのは・・・、なんとも言えない複雑な気持ちでした。

 話を熊本に戻しましょう。
 熊本は会社員時代に出張で来たことがあります。たしか1993年だったと思いますので12年ぶりということになります。93年にはご飯やお酒がおいしい、ということ以外には特に感じるものもなかったのですが、医師になってこの土地に来てみると感慨深いものがあります。
 それは、熊本には、水俣病があり、ハンセン病があり、成人性T細胞白血病があるからです。これらは、いずれも患者さんがいわれのない差別を受けていた(受けている)という事実があります。
 なぜ、病気によって差別を受けなければならないのか・・・。私にはそれがまったく理解できません。
 水俣病はチッソという会社が排出したメチル水銀が原因であり、罹患した患者さんにはまったく責任がないのです。しかも患者さんの多くは子供たちだったのです。
 ハンセン病の歴史が差別の歴史であったことはよく知られています。あきらかにむちゃくちゃな「らい予防法」という法律が撤廃されたのは1996年で、まだ10年もたっていません。ハンセン病はよほど濃厚な接触をしない限りは他人に感染しませんし、感染したとしても有効な治療薬があります。なのに、差別は依然として残っていると言わざるをえません。数年前に、ある旅館がハンセン病の患者さんの宿泊を拒否したという事件がありましたが、現在は廃業しているその旅館は熊本にあります。
 成人性T細胞白血病は、あまり有名でないかもしれませんが、HTLV-1というウイルスが原因の白血病です。白血病に罹患しなくてもこのウイルスをもっていればHAMと呼ばれる神経の病気になることもあります。このウイルスは血液、精液、母乳などに含まれているため、針刺し事故や薬物の静脈注射の使いまわし、あるいは性交渉、または授乳で感染します。ウイルスを保有している人は、日本に約120万人いると言われていますが、九州や四国、三重県南部の山間部に多いという特徴があります。それほど有名にならないのは、潜伏期間が数十年と極めて長いことと、ウイルスを保有していても必ずしも発症するわけではないことが原因かと思われます。
 血液、精液、母乳にウイルスが含まれているということは、HIVとよく似ています。(ただしHTLV−1は腟分泌液には含まれていません。)HIVがいわれのない差別を受けている現実は明らかですが、HTLV−1はそれほど大きく取り上げられることはないようです。しかしながら、このウイルスを保有している人がまったく偏見を持たれていないかというと、そんなことはないでしょう。おそらく患者さんやキャリアの方は、相当な苦労をなさっているものと察します。
 こういった疾患の患者さんが多い熊本では、しかしながら、これらの疾患に対する研究がどこよりも進んでいますし、差別に闘ってきた人もおられます。「ハンセン病の神様」と呼ばれる加藤清正は、熊本でハンセン病の患者さんのために半生を費やしました。イギリスのハンナ・リデル女史は熊本でハンセン病の患者さんをみて救済に立ち上がりました。
 時間があれば、しばらく熊本に滞在してこれらの疾患について調査をしてみたいのですが・・・。そういうわけにもいかないので、文献をあたって勉強してみようと考えています。

 日本エイズ学会は1日から3日まで開催されますが、私は2日の夕方には熊本を出なければなりません。3日と4日は小倉で日本性感染症学会が開催されるからです。どちらかが一日ずらしてくれればどちらもフル参加できるのに、重なっているために途中までしか参加できないのです。
 少々グチになりますが、いつも学会に参加するとこういうフラストレーションがたまるのです。今回のように日程が重なることもありますし、ひとつの学会でも興味深い発表が同じ時間に別の会場でおこなわれることは頻繁にあります。ポスター展示や企業の製品展示もやっていることがあり、それらも興味深いのですが、きちんと見ようと思えば、どこかで時間をつくらなければならなくなり、その間は講演を聴きにいけません。
 せっかく高いお金を払って参加しているんだから(学会に参加するには1から4万円程度の参加費が必要ですし、それ以外にも年会費で数万円がかかります)、メインの講演はビデオ録画して会員に配るとか、そういう工夫をしてもらいたいのですが、そういう話はほとんど聞いたことがありません。

 まあ、とは言っても、これだけ貴重な研究報告や発表を直接聞くことができるというのは、幸せなことなんだと思います。お金がなくて、風呂トイレ共同のホテルにしか泊まれないといっても、それすらできない方もおられるでしょうし、所属している組織から休暇をもらえず学会に参加したくてもできない医師や看護師は大勢いるはずです。私の場合はどこかの常勤医というわけではないために、比較的自由に時間がつくれるのです。
 
 来年の4月に大阪市内にクリニックをオープンする予定でいます。自分のクリニックをもって毎日診療をおこなえば、同じ患者さんをずっと診ることができますし、自分がいいと思った検査や薬を処方することもできますから(病院勤務だとそういうわけにはいきません。病院によってできない検査があったり、取り扱っていない薬剤も多々あるからです)、今よりも遥かに患者さんにとって満足度の高い医療に取り組めると考えているのですが、一方では今のように時間がつくれないという問題が出てきます。
 やはり、あれもやりたい、これもやりたい、というのはわがままな要望なのでしょう。しかし、一方を選択したがためにもう一方がまったくできない、というのも辛いことなわけで・・・・。
 まあ、とりあえずはクリニックを軌道に乗せるのが先決なのでしょう。4月からオープンするクリニックで働いてみたい看護師さんはおられませんか。興味のある方がおられましたら、一度お問い合わせください。 

2005/12/03 
マンスリーレポート2005年11月号

 11月1日です。私、谷口恭は現在チェンマイのPornping Tower Hotelの一室にいます。10月27日からタイに来ていて、バンコク、ロッブリー、チェンマイで用事を済ませ、11月4日に帰国する予定です。用事といっても、エイズ施設を訪問したり、研究の打合せをするだけですが・・・。
 タイに来ると、いつも感動する出来事があるのですが、今回も心が洗われるような素晴らしい体験をしました。今日はそれをお話したいと思います。

 先日、我々(友人二人と私)はバンコクから車でロッブリーに向かっていました。その路上でのことです。
 一般道路の右側(追い越し車線)で、いきなり前の車が左ウインカーを出して理由もなく急停車しました。まさか急停車するなどとは思わなかった我々の車は、とっさに急ブレーキを踏みましたが接触は避けられませんでした。もともとスピードはほとんど出ておらず、車間距離も充分に取っていたために事故といえるような事故ではありませんが、それでも前の車の後ろのバンパーと、我々の車の前のバンパーは損傷を避けられませんでした。
 もちろん、追い越し車線でいきなり急停車した前の方に絶対的な過失があるでしょうから、我々は事故の責任ということにおいては気楽に考えていました。前の車のドライバーは、若い女性でいかにも免許を取ったばかり、という感じで、我々に何度も何度も謝ってきました。
 事故の現場は、その前の車の販売店の目の前で、ちょうど新車を買ったばかりの彼女が、路上に出たところ、いきなり急停車し、その結果事故を起こしたということが間もなく分かりました。(ちなみにタイの運転免許証を取得するにはペーパー試験だけで、実技は要らないそうです。)
 彼女は免許証を取ったばかり、車を買ったばかりのドライバーで、その彼女が理由もなく急停車したわけですから、彼女の自動車保険を使ってすべて解決、我々は日本的な感覚でそのように考えていました。
 ところが、です。タイの自動車事故では、追突事故の場合は、いかなる場合でも常に後ろの車が全責任を取るという慣習があるそうなのです。事故現場には、その車の販売店以外には何もないような田舎ですから、我々はその販売店のなかで、販売店のスタッフや保険会社と交渉することになりました。
 我々としては、こちらには一切の過失がなく相手の保険ですべてを解決すべきだと考えました。けれども、周囲はもちろん全員タイ人、しかも販売店は、当事者のドライバーが新車を買ったところなのです。交渉するという意味で、これほど不利な状況もないでしょう。
 しかし、我々としても、「こちらにすべての責任があります」などといった書類に簡単にサインをするわけにはいきません。結局、我々の保険会社の指示で、最終的にはそのサインをすることになったのですが、事故を起こしたのが午前11時、最終的に書類にサインすることになったのは午後4時半です。
 この間、我々は言わば「敵地」での戦い(交渉)を強いられたわけです。販売店の従業員は、「あいつらがサインしたらすべて解決するのに、なんでしないんだろう」とでも、思っていたに違いありません。
 ところが、そんななかでも一部の従業員の方は、我々に常に微笑みを向けてくれていました。(さすがは「微笑みの国タイ!」です。) ひとりの女性は、「敵」であるはずの我々に何度もコーヒーや飲料水を入れてくれるのです。それだけではありません。彼女は、昼食を取っていない我々を気遣い、ラーメンまで作ってくれたのです。「一杯20バーツね!」などと冗談も言いながら・・・。
 そんな優しさに小さな感動を覚えた我々は、その後、さらに深い感動を体験することになります。
 なんと、その女性が、我々の目的地であるロッブリーまで車で送ってくれると言うのです。車を修理に出す必要があるため、足を無くした我々はタクシーを呼んだのですが、そのドライバーの言い値がかなり高いのです(タイの田舎にはメータータクシーはありません)。その値段が高すぎることに同情してくれたその女性は、そのタクシードライバーを帰し、自らが送迎することを申し入れてくれたのです。彼女の自宅もロッブリーにあり、帰り道というわけではありませんが比較的近いところだから気にしないで!(マイペンライ)、と言ってくれたのです。
 これには本当に感動しました。事故を起こした女性が車を買った店の従業員が、言わば交渉の「敵」である、見ず知らずの日本人男性三人を自分の車で目的地まで送ってくれる、と言うのです。
 他に移動手段のなかった我々は、彼女のありがたい申し入れを受けて、ロッブリーのホテルまで送ってもらいました。彼女は、四歳の娘を運転席の横に座らせて(彼女は自分の娘を職場に連れてきていました)、我々に常に笑顔で話しかけ、丁寧に我々を送ってくれました。我々の大量の荷物の出し入れも率先して手伝ってくれました。
 我々は何度も礼を言い彼女の車を見送りました。

 この話はまだ終わりません。
 夕食を食べているときのことです。繁華街の食堂で夕食を摂っていた我々の元に、突然一本の電話が鳴りました。保険会社からで、車のキーを翌朝早くに事故を起こした現場の前の販売店まで持ってこい、と言うのです。
 我々は、本来ならばその日にパバナプ寺(エイズホスピス)を訪問する予定をしていたところに、まったく計算外の事故が起こったわけです。予定を急遽変更し、寺の訪問は翌日することにしていました。それが、早朝に車のキーを持っていくとなると、再び半日はつぶれてしまいます。
 結果、もうこの方法しかない、と考えた我々は、夕方親切にホテルまで送迎してくれた販売店の女性に電話をしてみました。今からタクシーで(その女性の)家までキーを届けるから、翌朝販売店に持っていってほしい、とお願いしたのです。
 すると、彼女の反応は・・・・。
 なんと我々が食事をしている食堂まで、わざわざキーを取りに来てくれるというのです。再び、彼女のありがたい申し入れを受けた我々は彼女を待ちました。しばらくすると、夕方と同じように、ひとり娘を運転席の横に座らせ彼女は車でやってきてくれました。
 そして、我々を再びホテルまで送ってくれたのです。

 異国の人間にここまで親切にしてくれるとは・・・・・。
 タイ人とはなんて暖かいんでしょう。もちろんすべてのタイ人がここまで親切ということはないでしょうが、私は今回のこの出来事を通して、ますますタイという国に魅力を感じるようになりました。何か日本人が過去に置いてきてしまったものが、タイには存在するような気がするのです。
 
 そんなタイ人の中に、エイズという病のために社会から差別を受けているという人がいる現実・・・。
 HIV/AIDSに対してこれからも、日本だけでなく世界に目を向けて行きたい、そう強く感じるタイ旅行です。 
 
2005/11/06

マンスリーレポート2005年10月号

 まずは、私、谷口恭の9月の活動を報告したいと思います。

 9月3日には、大阪の羽衣学園という高校で、「タイのエイズ事情」というタイトルで約1時間の講演をおこなってきました。この内容で講演をおこなうと、最後まで一生懸命に聞いてくれる方が大勢おられるのですが、いつも感じることがあります。
 それは、「HIVに感染しないためには予防が大切」ということは伝わるのですが、「HIV陽性の人やエイズの患者さんに対して差別的な意識をもつのはおかしい」ということがどこまで伝わっているのかが疑問であるということです。というのも、講演の後、質疑応答をおこなうと、「エイズの深刻さが分かりました」という意見は多いのですが、「これからはHIV陽性の人達と仲良くやっていきたいです」というコメントがほとんど聞かれないのです。
 私は、講演のなかで、タイのHIV感染ルートは、タトゥー、ドラッグ、セックスが多いという話をおこないます。もちろん、無防備にこのようなことをおこなうことに対する危険性を認識していただけるのは大変ありがたいのですが、私が最も主張したいことは、これらは誰もがおこなってしまう可能性のあるものであり、たった一度の過ちで社会から疎外されるのはおかしい、ということです。
 現在では、エイズは「死に至る病」ではなく、適切な治療を受けることによって発症を防ぐことのできる、いわば「慢性疾患」のひとつであるわけです。他の慢性疾患が差別の対象になることはないのに、なぜエイズだけがおかしな目で見られることになるのか、これははなはだおかしいわけです。
 私に言わせれば、他の慢性疾患、例えば長年のカロリーの摂り過ぎと運動不足から発症した糖尿病や、何十年にもわたる喫煙から発症した肺癌の方が、よほど本人に責任があるのです。それに対し、エイズというのはただ一度の誤った行動のみでも起こりうるわけです。しかもエイズの発症年齢は、他の慢性疾患に比べるとずっと若いのです。

 さて、9月は執筆作業にずいぶんと時間を費やしました。

 ひとつめは、来年初頭に発売される『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ(仮)』という本で、文芸社から出版されます。これは、タイトルどおり、私が体験したタイのエイズ事情を写真をまじえて紹介し、日本での症例も紹介し、合わせて性感染症についても述べたものです。スティグマや差別、タトゥー、ドラッグ、セックス、ボランティア、セックスワーカー(とその恋人)などにも言及し、医学的な本というよりはむしろ社会的な考察にページを割いています。この原稿を書き始めたのは、今年の初頭ですから、出版までにおよそ1年の月日を費やしたということになります。

 ふたつめは、現在発売中の『医学部6年間の真実』(エール出版社)の改訂版です。
研修医制度が大きく変わり、現在の状況が初版のときと比べて随分と異なっているために、そのあたりを大幅に書き換えました。こちらは年末までには書店に並ぶと思われます。

 もうひとつ、新たに本を出版することになりました。
私の処女作である『偏差値40からの医学部再受験』(エール出版社)は改訂3版を発行することになりましたが、発行を重ねるにつれて、批判を多くいただくようになりました。もっとも多い批判が、「抽象的な話が多くて、具体的に何をすれば医学部に合格できるのか分からない」というものです。
 私は、もともと具体的な勉強法でなく、もっと根源的なものに触れた受験のことを伝えたいという気持ちから、自分でホームページを立ち上げて、それが結果として出版につながったわけであり、もともと具体的な勉強のテクニックを紹介するつもりはありませんでした。
 ところが、私の思惑とは逆に、「根源的な勉強についての話を聞けば聞くほど具体的なテクニックも同時に伝授してほしくなる」という意見が後を絶たないのです。
 そこで、読者からのご批判に応えるかたちで、『偏差値40からの医学部再受験テクニック編(仮)』という本を出版することになりました。
 この本では、文字通り受験のテクニックを伝授しています。過去問の具体的な解き方、参考書・問題集の使い方、模試の活用、科目別勉強法、その他細部に至るまで具体的なテクニックを紹介しています。実際に、医学部受験を考えられている方の参考になれば幸いです。
 この本の出版日はまだ未定ですが、おそらく年末か年始になると思われます。

 臨床のことをお話ししましょう。
 今年の2月から9月まで、私は整形外科領域におけるプライマリケアを学ぶために、尼崎の「さくらいクリニック」に、週に一度研修に行っていましたが、9月で終了となりました。
 10月からは、大学病院の総合診療科のなかで、婦人科の研修を受ける予定です。婦人科は、以前勤務していた星ヶ丘厚生年金病院で、3ヶ月の間、週に一度外来の研修を受けていましたが、それだけではまだまだ心許ないために、もう一度じっくりと勉強しようと考えたわけです。
 研修ですから、もちろん無給ではありますが、ただ(無料)で勉強させていただけるわけですから、やはり私は恵まれた環境にいるようです。

 日本の9月での最大のイベントは衆議院選挙であったように思います。
投票率は67%にも及び、私が選挙権を得てからの期間では、もっとも盛り上がった選挙ではなかったかと思います。BBCやCNNでも、連日日本の選挙活動の模様が報道され、小泉首相やライブドアの社長の演説やインタビューが、世界中の人々の注目を集めていたようです。
 私は、特定の政党を支持しているわけではありませんが、かといってまったくのノンポリ(最近この言葉をあまり耳にしませんね。ノンポリとは政治に無関心という意味です。)でもありません。選挙は行ったり行かなかったりで、あまり良き国民ではないかもしれません。(ただ選挙に行かないときは投票したい政党がないという意思表明ではあるのですが・・・)
 なぜ、医療に関係のない選挙の話を持ち出したかと言うと、公務員のあり方に疑問を感じるからであります。私は「小さい政府」に賛成であるのですが、それ以前に、公務員とは「全体の奉仕者」であるべきだと考えています。この「全体の奉仕者」という表現は、マスコミからは聞いたことがありませんが、高校の(おそらく中学でも)教科書にも載っている、公務員の定義のようなものです。
 「全体の奉仕者」であるはずの公務員が、モノを生産したりサービスを供給したりしている民間の会社員や自営業者の方々よりも高給であるのはおかしいと思うのですが、なぜかそういう議論はあまり出ません。
 そして、私がもうひとつ疑問に感じているのは、なぜ医師の給与が、一般の会社員の方々よりも高いことが多いのかということです。

 社会をプロ野球チームに例えると、医師はチームドクターに、フロントは公務員にあたると思います。そしてグランドに立つ選手が会社員や自営業者の方々となります。会社員や自営業者の方々が、頑張って利益を上げないことには国が成り立たないのと同様、プロ野球チームでも選手が頑張って相手チームを倒さない限りは、ファンもスポンサーもつかずにチームがつぶれてしまいます。
 プロ野球チームで、もっとも高収入であるべきなのは誰でしょうか。もちろん、4番バッターであったり、先発ピッチャーであるべきです。4番バッターの年収が1億円で、チームドクターやフロントが年収800万円であれば誰もが納得できるでしょうが、これが逆であってはおかしいですし、そんなチームは成立しません。
 同じように一般社会でも、素晴らしいモノやサービスを供給する会社員や自営業者が高収入を得るべきであって、公務員や医師の年収が高すぎるのはおかしいわけです。なぜなら、医師や公務員というのは、会社員や自営業者の方々が汗水流して働いた結果、上げることのできた利益の一部から収入を得ているからです。
 私も会社員の経験がありますが、毎月給与明細を見る度に、高すぎる税金と保険料に疑問を感じていました。その高すぎる税金と保険料から公務員や医師は収入を得ているのです。公務員や医師の収入が、会社員や自営業者の方々よりも高いのはおかしいわけです。
 私は今回の選挙は投票に行きましたが、もしも「政治家も含めて公務員の給料の大幅削減」というのをマニフェストに入れる政党があれば、その政党に投票したいと思います。 

2005/09/30

マンスリーレポート2005年9月号

 9月になりましたが、まだまだ暑さが続いています。私の仕事はいつも病院内で、移動はもっぱら車ですから、それほど暑さを感じませんが、外で仕事をしている方は本当に大変だと思います。

 最近の私にとってのビッグイベントは、タイ渡航でありました。7月28日から8月3日までわずか6泊だけですが、かなり実りの多い旅行となりました。

 まずは、チェンマイにある「Mckean病院」についてお話したいと思います。これは、チェンマイの郊外にある、およそ200床の病院です。この病院は、リハビリセンターとしても有名ですが、最大の特徴はタイ国や一部ミャンマーのハンセン病の患者さんがたくさん収容されているということです。ハンセン病を患っていて、入院する必要のない人の多くは、社会から「いわれのない差別」を受けていることが少なくなく、地域社会に帰れない人もいます。そういった人たちは、この病院の敷地内にある「村」に住んでいます。
 この病院は、もともとMckeanという名のクリスチャンが設立して、現在でも運営資金はほとんど寄付金でまかなっているそうです。世界中のキリスト教団体や、慈善団体が寄付をしており、故・笹川良一氏の日本船舶振興会もかなりの寄付をおこなっているそうです。
 2003年11月に熊本県のある温泉宿泊施設が、ハンセン病の患者さんの宿泊を拒否したことが報道され、現在でも、患者さんがいわれのない差別を受けているという現実が明らかになりました。
 タイでも、最近はかなり改善されたというものの、まだ差別は残存しており、そのためにこの病院の敷地内にあるような「村」が必要となっているのです。
 McKean病院については、あらためて詳しくご報告したいと思います。

 昨年も訪問した、エイズシェルターである「バーン・サバイ」にも行ってきました。昨年、訪問したときにおられた二人の患者さんは、すごく元気に過ごされていました。ひとりの患者さんは、一時、CD4と呼ばれる、エイズの重症度を示す値が0にまでなっていましたが(正常値は400以上)、バーン・サバイのスタッフの努力の甲斐もあり、適切に抗HIV薬を服薬することができ、現在ではすっかり元気になられていました。
 1年ぶりに患者さんに再会するというのは、なんとも言えない嬉しさがあります。

 ロッブリーの「パバナプ寺」にも行きました。現在はボランティア医師が誰もいない状態でしたが、近くの病院が、以前に比べると積極的に患者さんを診てくれるようになり、治療がおこないやすくなったそうです。まあ、とは言っても、相変わらず病棟には、下痢、嘔吐、痒みなどで苦しんでいる患者さんが大勢おられるのですが・・・。
 私は幾分かの薬を日本から持っていきましたが、必要な薬が必要な分だけいつもあるとは限らず、薬剤の入手で苦労することが依然多いそうです。
 「パバナプ寺」の、特に重症病棟に去年おられた方は、大半がお亡くなりになられており、あらためてエイズという病の深刻さを実感しました。ただ、重症病棟の何人かの患者さんは、容態が安定しており、私を覚えていてくれましたし、軽症病棟におられた患者さんの何人かは、病棟から出られる状態になり、寺のなかで作業をされている方もおられました。日本でもタイでも、患者さんが社会復帰されるのをみるのは、本当に幸せなことです。

 バンコクでは、タイで公衆衛生学を学ぶ大学生と、共同研究の打合せをおこないました。これは、性に対する行動や意識を日本とタイで調査し、比較をおこなおう、というものです。その調査で使う、アンケートの質問項目について話し合ったというわけです。
 調査が完成すれば、日タイの意識の違いがわかり、非常に興味深いものになるのではと考えています。調査対象は、日本とタイの大学生です。タイの分はその学生の通う大学でおこなうのですが、日本の方は、まだ決まっていません。
 私に日本の大学生の友達があまりいない、というのがその理由です。これを読まれている方で協力していただけるという方がもしもおられましたら、ご連絡いただきたいと思います。

 さて、今回わずか1週間の訪タイでしたが、「タイが変わりつつある・・・・」、と感じたことがふたつあります。

 ひとつは、これは私の印象があたっているとすれば非常に悲しいことなのですが、それは、タイ人の体重が全体的に増加しており、スタイルが悪くなっているのではないか、ということです。
 私は、2002年の3月に初めてタイに行きましたが、そのときに驚いたことのひとつが、街を歩く男女のスタイルが抜群である、ということでした。
 身長は、たしかに日本人の方が平均では高いと思いますが、男女ともスタイルが素晴らしい・・・。
 男性は、まるでムエタイ選手のような筋肉質の身体をした人が街にあふれていましたし、女性は、日本にいれば間違いなくモデルクラスだと思われるような人たちが、あふれるほどいるのです。そして、男女ともファッションセンスが素晴らしいのです。これには地域差もあるでしょうが、バンコクに限ってみると、男女とも艶やかなカラーとデザインの衣服を身にまとい、そんな人々が普通に会社に出勤しているのです。
 それが、今回の訪タイでは・・・・。たしかにそのような人も依然大勢おられますが、平均としては、スタイルが悪くなっているのではないか・・・・、そのような印象をもったのです。
 それを裏付けるような光景がふたつあります。ひとつは、郊外の公園や空き地などで、集団でエクササイズをおこなっているシーンを頻繁に目にするのです。これは日本のテレビでも何度か紹介されたことがあるようですが、50人から100人程度の若い男女が、集団で大音量で音楽をかけ、インストラクターの踊りを真似て、日本でいうところのエアロビクスをおこない、エクササイズをしているのです。その理由はもちろんダイエットのためです。つまり、意識的にダイエットをしなければならないような人たちが増えているということなのです。
 もうひとつは、いわゆるファストフードの店が大量に設立されており、価格も3年前に比べて安くなっているということです。これでは、若いタイ人の男女が、伝統的な素晴らしいタイ料理ではなく、ファストフードに傾いてしまうことになりかねません。
 これは、日本を含めてフィリピンなどアジア諸国で報告されている、「食物の欧米化による肥満」という問題が、タイでも起こりつつあるということに他なりません。
 タイの伝統的な文化をこよなく愛する私としては、食物の西洋化は非常に悲しいことです。タイには、ソムタムを代表とする、栄養にあふれ、かつ肥満を心配しなくてよい食物がいくらでもあるのです。
 これは本当に悲しい・・・。私の今回の印象が「考えすぎ」であることを祈ります。

 もうひとつ、タイが変わったかな、と思うのは、HIP HOPやR&Bなどのブラックミュージックが社会に浸透してきているな、という印象です。
 私は、ブラックミュージックのかかるクラブやディスコが大好きです。3年前にいくつかのディスコに行ったのですが、そのときは白人のテクノやトランス、あるいはタイポップスが主流で、ブラックミュージックはほとんど聴くことができませんでいした。もちろん、行くところに行けばブラックミュージックのかかる店もあったのでしょうが、今回、3年ぶりに行ったディスコでも、ブラックミュージックが主流とまではいかないものの、かなりかかるようになっているような印象を受けました。そして、DJのテクニックが上手くなっている、という印象も受けました。
 とは言っても、タイのクラブやディスコは、おそらく人口あたりでみたときに、東京や大阪よりも多いでしょうから、私の推測が当たっているかどうかは分かりません。タイのクラブ文化に詳しい方がこれを読まれていたら、教えていただければ嬉しいです。

 さてさて、9月の私にとっての大きなイベントは、9月3日に、羽衣学園(大阪の中高)で、エイズに関する講演をおこなうことです。羽衣学園では、6月に「偏差値40からの医学部受験」というタイトルで、受験に関する講演をおこないましたので、今回で同校での2回目の講演ということになります。
 エイズの講演は、これまで各地で何度もおこなっていますが、今回は対象が中高生ですから、話す内容を変えた方がいいのかな・・・、と直前になってもまだ考えがまとまっていません。
 これについては、次回のマンスリーレポートで報告したいと思います。
  
2005/08/29

マンスリーレポート2005年8月号

 8月になりました。(といっても、これを書いているのはまだ7月半ばを過ぎたところです。今回は7月下旬からタイに渡航するため、原稿を早めに書いているというわけです。)
 私にとって、7月の最大の出来事と言えば、1日から5日まで神戸で開催されたICAAP(アジア太平洋国際エイズ会議)でした。この会議のことも含めて、AIDSのことは、「はやりの病気」の7月15日号と8月1日号で紹介していますので、ぜひともそちらもご覧いただきたいのですが、このマンスリーレポートでも、ICAAPのことを述べたいと思います。

 ICAAPは、他の医学の学会と異なり、医師以外の大勢の方々が参加されていました。どのような人たちかというと、NPO法人の方や、HIV/AIDSに関連するボランティアをされている人、ILOやユニセフなど国際機関の方、同性愛者やその擁護者の方、(元)ドラッグユーザーやその研究者、セックスワーカーやその擁護者の方、社会学や他の学問を研究されている方などです。
 私は、そういった普段は接することのない方々とお話させていただき、多くのことを学ぶことができました。また、国際学会だから当然だとはいうものの、何人かの外国人の方とも仲良くなることができました。
 5月に京都で開催されたWONCA(国際家庭医学会)も国際会議で、こちらにも大勢の外国人が来られていましたが、参加者のほとんどが医師でしたから、ICAAPのように医師以外の方と知り合うことはありませんでした。

 ICAAPでは思わぬ再会がありました。私が昨年の夏、タイのパバナプ寺でボランティアをしているときに、同じように日本からボランティアに来ていた人たちと再会したのです! これは驚いたと同時に、すごく嬉しく思いました。
 私は普段多くの医療従事者と接していますが、エイズに興味のある医師や看護師というのはそれほど多くいません。最近では私自身が接する、新たにHIV感染が分かった人も増えてきていますし、もちろん日本全体でも急速に患者数が増加してきています。
 にもかかわらず、関心のある医療従事者は非常に少ないのです。
 そんななかで、エイズという問題に関心を持ち続けている方がおられるというのは非常に嬉しいことなのです。
 ICAAPは、参加するのにおよそ4万円の費用が必要でした。私は働いていますから、4万円という金額は払えないことはありませんが、昨年パバナプ寺で出会い、今回ICAAPで再会した人のなかには、学生の方もおられます。彼ら彼女らは、もちろん自費でタイに行き、無償でボランティアをおこない(しかも私よりも長期間で)、そして、ICAAPには4万円という大金を自分で支払って参加しているのです。なかには東京から来られている人もいて、彼ら彼女らには、交通費と宿泊費もかかっているのです。
 医療従事者ではない方々が、そんなにもエイズという問題について一生懸命でおられるということが、私にはとても嬉しいのです。 
 また、再会した人ではなく、今回始めて知り合った人たちのなかにも、エイズという問題に真剣に取り組み、奉仕の精神を発揮されている方が大勢おられました。そして、そのなかの大半の方は、どこからも報酬がでるわけではなく、いわばボランティアとして活動されているのです。
 そういった方々と、新しく、あるいは再び出会えたことが、私が今回ICAAPに参加して得られた、もっとも大きな収穫であったと感じています。
 私はこれから、そういった医師以外の方々とも、何らかのかたちで一緒に仕事がしたいと考えています。「奉仕の精神」をもつ人と、共に何かをやり遂げることは、「感動」につながりますし、私自身が刺激を受け、鼓舞されるからです。

 さて、7月28日から8月3日まで、タイ国に渡航いたします。今回は期間が短いことから、かなりのハードスケジュールになります。この短期間で、ロッブリーの「パバナプ寺」に行き、チェンマイの「バーン・サバイ」に行き、さらに、今回はチェンマイにあるハンセン病の患者さんが収容されている施設の見学もしたいと考えています。
 また、バンコクでは、タイの大学で公衆衛生学を学んでいる学生と会う予定をしています。この学生とは、日タイの共同研究について検討する予定です。共同研究は、もちろんエイズに関連するものですが、これまでにないオリジナリティのある研究をしたいと考えています。
 そんなわけで、かなりのハードスケジュールになってしまいます。考えてみれば、4月以降は、丸一日休めた日がありません。ずっと働きづくしです。できればタイで丸一日の休息をとりたいなと考えていたのですが、どうやらそれは無理なようです。
 けれども、私にとってタイは大好きな国ですから、タイに行くこと自体が休息になるというふうに考えようと思います。
 実際、バンコクのドンムアン空港のゲートを出たときに感じられる、あの乾いた熱気と、ケンタッキーの油の匂い、それに飛び交うタイ語を聞けば、それだけでいつも私はあの国の魅力にやられてしまいます。
 タクシーに乗って市街地に入れば、近代的な高層ビルと、その裏側にある昔ながらの屋台や露店が同時に視界に飛び込んできます。ファッショナブルな街行く人々の笑顔がその光景をエキサイティングなものにします。タクシーを降りれば、屋台から漂う香草の香りが鼻をくすぐり、アスファルトにだらしなく寝そべった犬をよけて歩く頃には、すっかりタイという国の居心地のよさに馴染んでいるのです。

 というわけで、タイ国渡航については、次回のマンスリーレポートで報告いたします。
 
2005/08/02

マンスリーレポート2005年7月号

 7月がやってきました。
 私はなぜか毎年7月になるとワクワクします。これは小学生の頃から変わってません。小学生の頃の一学期の終業式なんて、もう楽しくて楽しくて・・・。長い夏休みの幕開け・・・、この感覚が私は大好きです。この感覚は、サラリーマンをしていた頃の金曜日の午後の気分に似ているかもしれません。土日とも休めることはあんまりありませんでしたが、土日に連休がとれるようなときには、金曜日の午後には、かなりハイテンションになっていて、どれだけ嫌な仕事でもワクワクしてすることができました。
 一方で、夏休み最後の日というのはかなり憂鬱だったのを記憶しています。夏休みの宿題はできていない、毎日遅くまで寝ていたので明日から朝起きられる自信がない、お昼のテレビが見られなくなる・・・、とイヤなことだらけでかなり辛かったわけです。サラリーマンのときも、日曜日の晩がとにかくイヤでイヤで・・・。
 よく言われるように、日曜日の夜のテレビ番組、例えば「サザエさん」を見ていると、うつな気分に襲われる、というのは私にも当てはまります。医師としての仕事は、楽しいことの方が圧倒的に多いので、今では日曜日の夜にイヤな気持ちになることはありません。けれども、今でも条件反射のような思考回路ができていて、サザエさんの、特に終わりの音楽を聞くと、なんともいえないイヤな気分になってしまいます。

 さて、そんな話はいいとして、最近の活動をご報告したいと思います。まず、先月お伝えしたように、6月は、ふたつの発表(講演)の機会がありました。ひとつは、「大阪STI研究会」という研究会での発表、もうひとつは「羽衣学園」という大阪の学校での受験についての講演でした。前者は約10分間の発表でしたから、それほど緊張もしなかったのですが、後者の受験についての講演は、さすがに緊張しました。中高生の生徒さんとその親御さんの前で話すわけで、そして私は、中高と決して優等生なんかではなく、できそこないの生徒でしたから、そんな元不良生徒が話していいのかな、と申し訳ない気持ちもありました。
 どんなことを話したかというと、まあ、だいたいは私が拙書のなかで述べていることなのですが、「偏差値が低くても受験を諦める必要はない」、「勉強とは本来楽しいものであり受験は勉強のなかでもかなり特殊なひとつ」、「受験勉強はたしかに辛いものかもしれないが、短期間であって楽しむこともできる」、などといったことです。

 「講演するのは楽しいですか」などと聞かれることがたまにあります。楽しいかどうかはその内容にもよるのですが、勉強や受験に関して言えば、私の考えは「多くの人が受験について誤った理解をしている。本当は偏差値が低くても諦める必要はまったくないし、やりたいことならやればいい!」というものですから、悔いのない人生を送るためにも、私の意見を参考にしてもらえればと考えています。だから、私の意見を聞いていただき、それに同意してもらったり、あるいは反論してもらって意見を交換することは本当に楽しいことなのです。
 というわけで、私の本を読んだり、このホームページのエッセイなどを読まれたりして、ご意見やご質問のある方はどんどんメールをいただければと思います。

 さて、7月は私にとって大きなイベントがふたつあります。
 ひとつは、7月1日から4日まで神戸で開催される、「ICAAP(アジア太平洋国際エイズ会議)」です。これは、いわゆる学会のひとつなのですが、普通の学会が、その出席者の大半が医師で、看護師や薬剤師などのパラメディカルが少し、というのに対して、この学会は、医師も参加しますが、医師よりもむしろパラメディカル、あるいはNPO法人のスタッフの方が多く、さらにHIV陽性の患者さんも参加されます。そして、HIV陽性の人のみが参加できるフォーラムも開催されます。
 HIVやエイズは、日本でも患者数が増えているのにもかかわらず、世間の関心はそれほど高くありません。しかしながら、この学会ではアジア中からHIVやエイズに関心のある人が集まってきます。そして各自がそれぞれの研究や活動をおこなっており、それらを発表する場であります。
 私はこの学会を通して、多くのHIVやエイズに関することがらを学びたいと考えています。

 もうひとつのイベントは、タイ国渡航!です。7月28日から8月3日までタイに行くことになりました。もちろん本当はもっと長期で行きたいのですが、日本での仕事もありますから、これが精一杯の日程です。この間に、チェンマイに行って「バーン・サバイ」を訪問し、ロッブリーに行って「パバナプ寺」を訪れます。それからバンコクでは、去年パバナプ寺で仲良くなった、タイで公衆衛生学を学ぶ大学生と会って、日本タイでの共同研究の打合せをする予定です。かなりのハードスケジュールです。
 先日、「バーン・サバイ」の早川さんから手紙をいただきました。(「バーン・サバイ」はチェンマイにあるエイズ患者さんのシェルターです。)早川さんによると、私が昨年お会いした患者さんは、抗HIV薬がよく効いて元気に生活されているそうです。またこの患者さんにお会いできると思うと今からすごく楽しみです。
 一方ロッブリーのパバナプ寺では、去年私が一ヶ月間滞在したときにいた患者さんは、特に重症病棟におられた患者さんはほとんどが亡くなられているそうです。亡くなられた患者さんについては、HIV感染がもっと早期に発見され、適切なタイミングで適切な投薬がおこなわれていれば今も元気にされていたかもしれません。このことを考えると、我々医療従事者がしなければならないことはまだまだたくさんあるように思います。
 家族や地域社会から見放されてパバナプ寺で生活されている、治療が遅れたために余命いくばくもない患者さんの苦しみを取り除くことに努力するのも医師の務めですし、一方でエイズの早期発見の重要性を訴えて、検査を促進することもしなければなりませんし、また、HIV感染を予防するための正しい知識を普及させることにも努めなければなりません。
 私はこれからもどんどんHIV/AIDSに、医師として様々な観点から取り組んで行きたいと考えています。
 「日本タイでの共同研究」というのは、私が知り合ったタイの大学生がとても熱心な学生で、タイでのHIV/AIDSについてすごく興味をもっています。そんな学生と一緒に、「主に若い世代のHIVやエイズに対する関心」や「性感染症について、あるいはコンドームの使用についての意識」をアンケート調査をすることによって比較してみようという試みを考えています。この調査をおこなうことによって、互いの国でどういう意識が欠落しているか、とか、どういう啓蒙活動をすべきか、といったことを分析できればいいなと考えています。
 
 次回のマンスリーレポート(8月号)は、ICAAPのことを中心に報告したいと思います。

 受験生の方にとっては、ワクワクするような夏ではないかもしれませんが、それでも2005年の夏はもう二度と来ないわけですから、悔いのないシーズンにしましょう! 
 
2005/07/06

マンスリーレポート2005年6月号

 6月になりました。
 私の5月の最大の出来事と言えば、28日から30日まで京都の国際会議場で開催された「WONCA」という国際学会でした。
WONCAとは、World Organization of National Colleges, Academies and 

Academic Associations of General Practitioners/Family Physiciansの略で、簡単に言えば、「国際家庭医学会」のことです。
 WONCAは、数年に一度しか開催されず、それが今回は日本で開催されたわけですから、現在の日本が、いかに、家庭医(プライマリ・ケア医/総合診療科医)の成長期であるかということが伺えるように思います。
 そして、WONCAと共に、日本家庭医学会、日本プライマリ・ケア学会、日本総合診療科学会の3つの学会も同時に開催されました。私はこれら3つの学会すべてに所属しているため、まさに何があっても参加しなければならないといった感じの大会になりました。
 通常、大きな学会では、著名な医師の講演や発表がたくさんあり、それらが同じ時間に異なる会場でおこなわれます。そのため、是非とも聞きたい講演や発表が同じ時間に重なれば、どれかを犠牲にしなければならず、これははがゆいものです。今回のWONCAでも、そのはがゆい思いを何度か味わいました。
 それでも、今回の大会ではいくつもの興味深い講演や発表を聞くことができて、私としては非常に満足のいくものでした。家庭医という領域は、他の専門医療に比べると、扱う範疇がかなり広く、今回聞くことのできた講演や発表も、喘息、うつ、頭痛、神経痛、神経症などのプライマリ・ケアの疾患から、全人医療、疫学、電子カルテや医学教育まで、幅広いものとなりました。
 大会に参加しているのは、国際学会ですから外国人も多かったですし、また学生や研修医も大勢参加していたのが印象的でした。

 こういうアカデミックな学会に年に数回参加できるのは、医師の醍醐味のひとつと言えます。参加費の他、交通費や宿泊費もかかるため、金銭的にはかなりの出費になるのですが、得るものの方が圧倒的に大きく、私としては大好きなイベントのひとつです。
 よく研究された講演や発表を聞いていると、書籍や日頃の臨床経験では分からないことが学べますし、今後の自分の臨床に役立てることができます。今回私は何も発表しませんでしたが、いずれ大きな学会でも何か発表できればと考えています。自分の経験したことや研究したことを多くの医師に知ってもらって臨床にいかせてもらえるというのは、このうえない幸せであるのです。そして、このような意見交流を通して、医学というのは日に日に進歩していくわけであります。

 さて、6月は私にとって大きなイベントがふたつあります。
 ひとつは、6月4日に開催される「大阪STI(性感染症)研究会」です。これは、国際学会であるWONCAと比べると、会員のほとんどが大阪の医師ですから非常に小さな研究会なのですが、私は前回に続いて、今回もひとつの演題を発表することになっています。
 前回(2004年11月開催)は、「タイ国のエイズ事情」というタイトルで、タイのエイズホスピスやHIV/AIDSに関する社会的な考察を発表しました。今回は「HIV抗体検査の受診動機」というタイトルで発表をおこないます。前回の発表が45分間だったことを考えると、今回私に割り当てられた時間は10分間なので気楽と言えば気楽なのですが、それでも気合いが入ります。
 今回の内容は、私が2004年の5月から7月まで研修に行っていた「大国診療所」に、HIV抗体検査を目的に受診した患者さんに対するアンケート調査をまとめたものです。アンケートの作成や回収は、大国診療所でおこない、私はその結果をまとめるだけです。アンケートの結果をまとめさせてもらって、発表までさせてもらえる大国先生には、感謝の気持ちで頭が上がらない思いです。

 もうひとつ、私にとって大きなイベントがあります。それは6月28日に「羽衣学園」という大阪の学校で、中高生を対象におこなう講演です。講演の内容は、「受験について」です。これまで医学に関する発表は何度かおこなってきましたが、受験についての講演は初めてです。しかも講演時間は1時間もあります。拙書『偏差値40からの医学部再受験』に興味を持ってくださったある方のご好意で、今回の講演が決まったというわけです。
 受験についての講演という初めての体験を想像すると、まだ一ヶ月近くも先だというのに少し緊張感を感じます。けれども、このストレスがなんとも言えない心地よいプレッシャーを与えてくれるので、私はこういうイベントが大好きです。なんとしても、成功させたいと考えています。
 
 2つの発表/講演については、来月のマンスリーレポートでお話することにいたします。
 
 最近、メールでの問い合わせが増えてきて、内容も受験相談から、私のエッセイの感想、病気の相談まで多岐に渡っています。できるだけ返事を書かせてもらいますので、みなさん、お気軽にメールをくださいね。
 それではまた・・。
 
2005/06/01

マンスリーレポート2005年5月号
 5月になりました。最近の私の出来事で大きなことと言えば、『偏差値40からの医学部再受験』の改訂第3版が、書店に並ぶようになったことです。おかげさまで、多くの方からご支持をいただき、またもや改訂版を上梓することができました。
 このホームページを見てくださる方も次第に増えてきており、最近はなかなか返事のメールを書けなくなってきてしまいました。なんとか、できるだけ多くの人に返事を書こうとは思っているのですが、時間的な制約がそれを妨げます。

 ただ、お寄せいただいたメールを読んだときに、すぐに返事を書かせてもらっている方もいます。そういう人のメールは、質問や意見の内容がはっきりとしており、こちらとしても返事を書きやすいのです。

 それに対して、答えようのないメールを受け取ったときは、何を書いていいか分からず、ついつい返事を怠ってしまうことになります。例えば、「自分は今成績がこれくらいですが、こんな成績で医学部に合格できるでしょうか」といった類の質問です。こういう質問には答えようがありません。「拙書を読んでください」とでも言えばいいのかもしれませんが、それでは答えになっていないでしょうし、すでに読まれた方からもこのようなメールをいただきますから返答に困ってしまうのです。
 
 以前から、ご意見の多かった「科目別勉強法」については、今回は5回目の「社会編」を公開しましたから、とりあえずこれで終了となります。
 『偏差値40・・・』では、具体的な勉強法をほとんど述べずに、試験勉強全般に通じる私なりの意見を紹介しています。そのため、「具体的な勉強法を教えてほしい」とか、「いい参考書を教えてほしい」という意見を多くの方からいただきました。私としては、あくまでも試験勉強全般の話だけにとどめておきたかったのですが、あまりにもこのような意見が多いために、科目別勉強法を連載したというわけです。

 「科目別勉強法」の連載は終了となりますが、また別の観点から具体的な勉強法が紹介できればいいなとも考えています。もしもこのようなことを紹介してほしい、という具体的な案がありましたら、ご意見をお寄せいただきたく思います。

 さて、私の仕事の状況ですが、先月から毎週水曜日に大学の外来をおこなうことになりました。
 私が、「日本一小さい診療所」を開業してから、ホームページや本の読者の方から、「診療所を訪ねたい」という内容のメールをいただくようになったのですが、私は原則としておすすめしていません。
 なぜなら、ほんとに日本一小さい診療所ですから、近所の人が気軽に健康のことを相談する場所としては、ある程度うまく機能しているように思いますが、遠くの方がわざわざ受診するような診療所ではないからです。駅からも遠いですし、できる検査やその場で処方できる薬も限られていますから、がっかりさせることになりかねないのです。

 もしも、私の診察を受けたいという方がおられましたら、水曜日に大学に来ていただけたらと思います。もっとも私は名医ではありませんし、単なるプライマリケア医ですから、ご満足のいく治療がおこなえるかどうかは分かりませんが・・・。
 (私の外来は、大阪市立大学医学部附属病院総合診療センターの毎週水曜日の外来です。受付は午前10時半までとなっています。受付で私を指名してくだされば受診できると思います。どのような訴えでも症状でもかまいません。)

 最近の病気のお話をさせてもらうと、驚くのがインフルエンザが5月になっても無くなっていないということです。普通、インフルエンザというのは年末からせいぜい2月末くらいに流行るものです。それが、今年は2月くらいから猛威をふるいはじめ、なんと5月に入ってからも患者さんが受診されるのです。
 もちろん一時に比べると患者さんは大幅に減少しました。代わって、気管支炎や扁桃炎、それから胃腸炎が流行りだし、インフルエンザが減っても患者さんの数はそう大きく減少していません。病原体というのはいつもなにかが流行っているものだということを再認識しました。

 それにしても暖かくなってきました。つい最近まで暖房が必要だったのに、今では昼間車に乗るときはエアコンが欠かせません。私は暑い季節が大好きです。なんとか数日間でも海のきれいなところに旅行に行きたいと考えていますが、今年の夏は実現するのでしょうか・・・。
 そういえば、私は医学部受験を目指している年にも一度だけ夏に旅行に行きました。これを読んでいる受験生の方に、おすすめしているわけではありませんが、私の場合その旅行が気分をリフレッシュさせてくれ、旅行から帰ってからの勉強の能率は格段にアップしました。
 このような「闇」(『偏差値40・・・』を読まれた方なら意味は分かりますね)も、一度検討されてはいかがでしょう・・・。
  
2005/05/08
マンスリーレポート2005年4月号

 4月になりました。私、谷口恭は、3月は比較的平穏に過ごせたように思います。3月から始めた、東大阪市のある診療所での、毎週火曜日午前中の内科・小児科外来も、なんとか軌道にのってきましたし、八尾市のある病院での、毎週木曜日午前中の皮膚科外来も落ち着いてきました。

 改めて考えてみると、私の1週間は、月曜日が、堺市にあるクリニックで皮膚科・アレルギー科の外来をされている先生のもとに修行にいき(これは無給)、火曜日が、東大阪市で内科・小児科外来(これは仕事)、水曜日が大学病院の総合診療科(これは無給)、木曜日が八尾市で皮膚科外来(これは仕事)、金曜日が尼崎市で、整形外科の外来をされている先生のもとでの修行(これは無給)、土日が不規則的に複数の病院での時間外救急外来(これは仕事)、と毎日違うところに仕事や研修に行っています。

 医者のなかでもこれだけ不規則的に生活をしている者は多くないでしょうし、他の仕事でもあまりこういう勤務形態の人はいないのではないでしょうか。毎日違うところに出勤すると、一日一日が新鮮で、あまりストレスも貯まらず、日々新たに学ぶことがあって、私としては非常に理想的なライフスタイルを送れているものと自負しております。

 もう医師として4年目になるのに、無給の研修を入れていると大変じゃないですか、という質問も受けるのですが、そんなことはないのです。医師が最も恐れることは、「収入が低いことではなくて、医師としての技術や知識が停滞してしまうこと」なのです。

 できるだけ多くのことを幅広く学ぼうを思えば、毎日同じところで勤務するよりも、異なる医療現場で学ぶ方が効果がある、と私は考えているわけです。

 これは、私がいわゆる専門医の立場にはなく、ひとりの患者さんの部分的な病気のみをみるのではなく患者さん全体を診ることを目的とした総合診療科医を目指しているから、ということが言えると思います。

 医療の現場から3月を振り返ってみて感じることは、今年はインフルエンザと花粉症が驚くほど多い、ということです。インフルエンザはA型とB型があって、たいがいの人は感染しても、どちらか一方だけであることが多いのですが、なかには今シーズンでA型にもB型にも感染したという人もいました。あの高熱と倦怠感に2回も悩まされる・・・。患者さんとしてはかなり大変だったのではないかと察します。

 インフルエンザのワクチンは、接種すれば、100%予防できるというわけではありませんが、それでも多くの方に有効ですから、今年接種しなくて感染してしまったという人は、来年はぜひともワクチンを検討されていはいかがでしょうか。

 花粉症も今年は爆発的に多いという印象があります。微熱に倦怠感、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみ・・・、と多彩な症状を呈する花粉症は本当にやっかいなものです。なかには、喘息の症状を呈したり、皮膚に湿疹が出るひともいます。

 「はやりの病気」でも書きましたが、花粉症は適切な治療をすることにより、かなり症状をとることができますから、あやしい民間療法にすがる前に、ぜひとも医療機関を受診してもらいたいと思います。実際、これまで(処方箋なしで買える)薬局の薬しか使用していなかったり、あやしげな民間療法しかしていなくて、「花粉症は治らないと思っていた」という患者さんが非常に多いのです。そして、そういう人の大部分は、病院や診療所で治療を受けて、「もっと早く受診しておけばよかった」と言うのです。

 さて、最近のできごとと言えば、『偏差値40からの医学部再受験』の2回目の改訂版の執筆が終わりました。これはゴールデンウイーク明けくらいには書店に並ぶ予定です。医学部受験を考えられている方を中心に、私のところには毎日多くのメールが届きますが、そういった人たちの参考になればいいなと考えてます。

 もうひとつ、現在執筆中の本があります。これはまだ正式には決まっていませんが、私が昨年タイ国のエイズホスピスで経験したことを中心にまとめた、タイと日本における今後のHIVとエイズについての本です。

 最近、多くの方から、HIVやエイズの質問を受けますし、実際の診療の現場でも、HIV陽性が分かったり、エイズを発症している人が少しずつ増えているように思います。そして、間違いなく日本においても、近い将来、HIV感染が爆発的に増加することを私は確信しております。そのあたりにも詳しく言及していますので、興味のある方は楽しみにしておいてください。 
 
2005/04/08

マンスリーレポート2005年3月号

 3月になりました。昔から「2月は逃げる(1月は行く、3月は去る)」とか言って、この季節は時のたつのが早く感じる人が多いようですが、私のように、日々職場が変わっていろんなことをしている人間は、「2月もいろんなことがあったなぁ・・・」というのが正直な感想です。

 思えば、医学部に入学してからの9年間は、「時間がたつのが早いなぁ・・・」と感じたことがありません。小学生のときほどは1年間を早く感じませんが、私がサラリーマンをしていた頃は、「えっ、もう年末?」なんていうのを毎年のように感じていましたから、幸か不幸か(たぶん"幸"なのでしょうが)、最近は特に時間を早く感じなくなりました。

さて、2月もいろんなことがありましたが、印象的だったことのひとつは、ある「ロータリークラブ」で「タイのエイズ事情」について講演させてもらったことです。また、「CHARM」という日本在住の外国人を支援するNPO法人主催でも講演させてもらいました。この話はこれまで医療従事者を対象に講演させてもらうことが多かったのですが、ロータリークラブやCHARMといった、ボランティアをされている方々の前でお話するのは、非常にいい経験になりました。というのは、同じような講演をしても、興味を持って聞いてくれるところが、医療従事者とボランティアの方々では全然違うのです。

医療従事者から出る質問は、病気(エイズの合併症)であったり、その治療であったりですが、ボランティアの方々からいただく質問は、エイズ患者さんの社会的差別であったりとか、ゲイや売春婦の社会学的考察であったりするからです。あらためて、HIV/AIDSというのは、医学的だけでなく、社会的な観点からも考えていく必要があるということを再認識しました。
 
医療において、2月から新しく始めたことがあります。それは整形外科の勉強です。尼崎でさくらいクリニックを開業されている桜井先生のところに、週に一度勉強に行くことにしました。この先生は、元々内科の専門医の資格をお持ちの先生ですが、途中から整形外科の専門医の資格をとられ、現在ではプライマリ・ケアに関する研究・教育をされています。また在宅医療にも取り組んでおられ、多くの患者さんの在宅ケアをされています。

 私は初め、整形外科領域のプライマリ・ケアを学びたいと考えていたのですが、外来を受診される内科疾患の患者さんや、在宅の患者さん、特別養護老人施設の患者さんなどの症例もみせていただき非常に勉強になっています。
私は以前、尼崎に住んでいて、なつかしい風景を見ながら車で通っていることもあり、週に一度の楽しみになっています。

 「いろんな先生のところに勉強に行って無給でよくやるなぁ。生活大変やろ。」と同僚の医者によく言われます。私にしてみれば、「今はお金を払ってでも勉強をすべき大切な時期」というポリシーがあるのですが、たしかに休みもほとんどなく収入の少ない生活を続けていますから、最近少し大変になってきました。それでも、このスタンスを変更するつもりはありませんが・・・。考えてみれば、無給でも学びにいきたいところがあるというのは、なかなか味わえない幸せなことですし。

 ただ、今月から週に一日仕事を増やそうと考えています。できるだけプライマリ・ケアを実践できる場所を見つけて、患者さんを診ていきたいと考えてます。

 最近、また読者の方々からのメールが増えてきました。ホームページをもっと内容の濃いものにしなければいけないことを実感しています。とりあえず今月から「科目別勉強法」のコーナーを新しくつくりますので、特に受験生の方の参考になればいいなと思います。また、できるだけ個別の質問にも答えていきたく思いますので、今後ともご質問・ご意見の方もお待ちしてますのでよろしくお願いします。

2005/03/01

マンスリーレポート2005年2月号
 2月になりました。前回のマンスリーレポートでお知らせしたように私、谷口恭は自宅にて「日本一小さい診療所」である生野東1丁目診療所を開院いたしました。開院と言っても、保険診療は2月からになるため、実際はまだひとりも患者さんを診ていません。2月からは正式に保険診療ができますので、保険証を持ってきていただくと通常の診療がおこなえるのですが、果たして患者さんは来られるのでしょうか。ちょっと不安です。
 
 1月は開業の準備であっという間に1ヶ月が過ぎ去ったという感じです。私はこの家に12月下旬に引っ越してきたのですが、前に住んでいた人が1階で「按摩」をされており、診察室と待合室がせっかくあるのだからという理由もあって開業することにしたのです。だから内装はほとんどいじっていません。ただ、医院の開業となると、診察室と待合室のほかに、薬局と受付を別の部屋としてつくらなければならないので、診察室のスペースの一部をそれら2つの部屋にあてる工事はしました。そうなのです。診察室はめちゃめちゃ小さいのです。

 薬については、夜間に患者さんが来られることもあるので(診察時間は夕方5時から9時)、緊急で必要になりそうな薬、例えば、痛み止めや抗生物質、抗インフルエンザ薬、痒み止め、睡眠薬などは常備することにしました。また点滴や注射で緊急性のあるものも置くことにしました。これらに対して、あまり緊急性のない薬、例えば、高血圧や高脂血症の薬などは、原則院外処方とすることにしました。

 それから実際に開業してみると、というか診察室でひとりでいると、とてつもなくさみしいことが分かりました。患者さんが来てくれるといいんですけど、入りくんだところにある小さな診療所ですから、そうそう患者さんも来られないでしょう。このさみしさから抜け出すために、診療所に有線をひきました。有線は今まで何度か引いたことがあるのですが、やっぱりいいですね〜。440チャンネルは・・・。まぁ実際は聞くチャンネルが限られてきて、いつもおんなじチャンネルにするんですけどね。今回は患者さんにも聞いてもらうことになるので、やっぱりヒーリングのチャンネルとかにすべきなのでしょうか・・・。現在考え中です。ちなみに今これを書きながら聞いてるのはC-25です。C-25はハイパーディスコミックスといって、横田商会という会社がレコードを回しています。横田商会のDJは元マハラジャのDJなどが在籍しており、ミックスのテクニックは文句なしの一流です。僕はこのチャンネルを聴いてると、ときのたつのを忘れるのです。

 新規開業以外に、新しいことがひとつあります。1月末から八尾市にある貴島中央病院で週1回皮膚科の外来をやっています。私の目標とするところは、全科のプライマリーケアができる総合診療科医でありますが、この病院では皮膚科医として勤務しております。私にとって皮膚科は、最初に興味をもった科であることもあって、大学病院での6ヶ月間の研修の他、それ以外の科での研修期間も週に1度程度は開業医の先生のところに勉強に行っていました。現在も毎週月曜日にある先生のところに修行に行っています。この前第1回目の外来をおこなったのですが、いきなり手術あり、難解な湿疹ありと、バラエティに富んだ外来になりました。診察日は木曜日です。近くにお住まいで皮膚疾患に悩んでおられる方がおられましたらお気軽に覗いてみてください。

 今月は自宅開業開始、貴島中央病院での皮膚科外来、大学病院の勤務、皮膚科の修行の他、もうひとつ新規で始めようと思っていることがあります。それは整形外科の本格的な勉強です。これまで星ヶ丘厚生年金病院の救急外来などで、整形外科疾患をちょっとは勉強しましたが、まだまだ知識も技術も向上させたいと考えています。そこで整形外科のプライマリーケアの教育にも力を入れられている先生に指導してもらおうと考えているのです。こちらの経過についてはまたHPで報告しますね。
  
2005/02/15
マンスリーレポート2005年1月号

 新年あけましておめでとうございます。

 「マンスレー・レポート」を毎月更新する予定でしたが、昨年は全然できてませんでした。申し訳ございません。今年からはきちんと更新させていただきます。

 まずは、私の昨年8月以降の行動を簡単にレポートしておきます。8月5日にタイ国へ渡航し、ロッブリーにあるパバナプ寺というエイズホスピスに医療ボランティアに行ってきました。(このレポートは、ホームから「タイ国の最新HIV/AIDS事情」に入ってご覧いただけます。)

 当初の予定では最低でも半年程度はボランティア医師として滞在するつもりでしたが、諸事情から9月上旬に帰ってくることになりました。その後発熱と下痢などで、半月ほど休養をとり、その後、母校である大阪市立大学医学部の「総合診療センター」というところに所属するようになりました。

 「総合診療センター」とは、どこの科に行っていいか分からないような症状の患者さんが受診されることを目的とした科で、毎日様々な症状の方が受診されます。「プライマリー・ケア」を中心に臨床に取り組みたいと考えている私のような医師にとって、まさに最適の科であります。

 しかしながら、大学を受診される患者さんを診察するだけでは、自分の臨床能力を上げるのに限界があると考えました。そこで大学は、無給で働くかわりに毎日出勤しない、というかたちにしてもらって大学に出勤しない日には、他の病院やクリニックに研修(見学)に行くようにしています。もちろんこちらも無給になるのですが、まだ私は3年目の医師ですから、お金を稼ぐことよりも、勉強に力を入れたいのです。

 さてさて、そんなわけで、2004年が過ぎ去ったのですが、2005年から、自宅の1階を使って開業することにしました。開業といっても10畳ほどのスペースを診療所にしたもので、レントゲンなどの機械は一切置いていません。ベッドと机とイス、それに顕微鏡くらいです。
 おそらく「日本一小さな診療所」だと思います。

 いずれ本格的に開業したいと考えているのですが、まずはこの「日本一小さな診療所」で、開業とは何か、診療所における医療の役割、保険医療の実態、などを考えてみたいと思っています。

 もうひとつ私がおこなっている活動は、CHARMというNPO法人のお手伝いです。
 CHARMでは毎週土曜日に大阪北区で、HIV、梅毒、クラミジアの抗体検査を無料でおこなっています。月に1から2回程度ですが、私もこの事業を手伝わさせていただいております。
( CHARMのHPは http://www.h3.dion.ne.jp/~charm/nihon_health.html )

 というわけで、みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
  
2005/01/15

谷口恭のマンスリーレポート

 谷口恭は、2004年4月に1年間勤務した星ヶ丘厚生年金病院を退職し、5月より大阪市北区にある大国診療所で勤務(勉強)中であります。
大国診療所は、皮膚科の他に性感染症の診療で有名であり、少なくとも関西では性感染症の患者さんが最も多く来院される診療所であります。
またプラセンタ療法でも有名であり、プラセンタエキスの注射や皮下への埋没方法などの治療を受けに遠方から来院される患者さんも少なくありません。

 谷口恭は大国診療所で7月末まで修行をし、8月からは著書の中でも紹介している、タイ国にあるAIDS患者専門のホスピスにボランティアに行く予定であります。
  
2004/07/16

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