はやりの病気

第133回 デングよりチクングニアにご用心 2014/9/22

 今月(2014年9月)に日本で最も注目された感染症といえばデング熱でしょう。8月27日に国内での感染が1945年以来69年ぶりに報告され、その後感染の報告が相次ぎました。厚生労働省の発表によりますと、9月19日時点で感染者は141名に上り、大半は代々木公園を中心とした東京の公園に近づいた人ですが、なかには、最近東京を訪れたことがなく、海外への渡航歴もない千葉県の男性が感染していたという報告もあります。

 2014年8月は連日エボラ出血熱の報道が相次いでいたわけですが、それが東京でデング熱の報告があったとたんに、各マスコミは手のひらをかえしたようにエボラ出血熱にはほとんど触れなくなり、連日デング熱一辺倒となりました。(エボラ出血熱は9月中旬の時点で終息に向かっておらず今回の流行による感染者は6千人にせまる勢いで、すでに2,700人以上が死亡しています)

 デング熱を媒介する蚊はネッタイシマカとヒトスジシマカの2種が知られており、ネッタイシマカの方が感染を広げやすいと言われています。日本にはネッタイシマカは存在せず、それほど感染が広がらないと言われているヒトスジシマカのみが生息しているだけであり、さらにそのヒトスジシマカも気温が下がれば生息できませんから、今後急速に感染者の報告がなくなることが予想されます。マスコミは次々に旬の話題を探しますから、おそらく10月になれば紙面から「デング熱」という文字が消え去ることでしょう。

 来年(2015年)以降はどうかというと、ヒトスジシマカが再び出現しだす5月頃からデング熱の新たな報告が出始めるかもしれません。国内在住の日本人の感染が起こるとすれば、おそらく今回と同じように海外から渡航した感染者を日本の蚊が刺すことから始まるものと思われます。(『医療ニュース』「デング熱騒ぎで報道されない2つの重要なこと」(2014年9月5日)で述べたように、流行地域から来日した外国人のなかに感染者がいた可能性を私は考えています)

 デング熱は現在台湾や香港でも問題になっています。地球温暖化と共にデング熱の流行地域も少しずつ北上しているわけで、地理的に考えると、日本で流行するならまずは沖縄が考えられます。台湾の最北部である基隆市と与那国島は100km程度しか離れておらず、天気のいい日は与那国島から台湾が、また台湾から与那国島が見えることもあるそうです。(台湾のどこから与那国が見えるのかは分りません。私は一度台湾の基隆市を訪れたときに港まで行ってみたのですが曇っていたこともありまったく見えませんでした)

 ただ、私は台湾や香港から沖縄へデング熱が波及するのには少し時間がかかるのではないかと考えています。東南アジアから中国大陸は陸続きですし、中国大陸と台湾は目と鼻の先で、数多くのフェリーが運行しています。しかし、台湾と沖縄は、かつては人の行き来が相当盛んであったのにもかかわらず、現在は文化的に遮断されているとまでは言えないでしょうが、かつての交流が嘘のように社会的距離が遠のいています(注1)。

 台湾や香港、あるいは中国南部とのフェリーの行き来がほとんどない沖縄にデング熱が流行するのにはしばらく時間がかかると思われます。しかし、今年(2014年)に東京で流行したのと同じ理由で沖縄に感染者が出る可能性はありますし、沖縄で最も注意が必要な点は、ネッタイシマカが生息しうる気候であるということです。

 現在ネッタイシマカの生息地域はじわじわと東南アジアから北に上ってきており、すでにベトナムとの国境付近の中国や台湾でも生息が確認されています。もしもネッタイシマカが沖縄に上陸すれば一気に蔓延する可能性があります。実際、現在は沖縄にネッタイシマカはいないとされていますが、過去には報告もあったのです。そして、先にも述べたようにデング熱はヒトスジシマカよりもネッタイシマカで流行しやすいのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回はここからが本題です。デング熱に注意が必要であることには変わらないのですが、私は今後日本人が蚊が媒介する感染症で最も注意しなければならないのはデング熱ではなくチクングニア熱(注2)ではないかと考えています。

『医療ニュース』「米国国内で蚊からチクングニアに感染」(2014年8月18日)でお伝えしましたように、現在フロリダではカリブ海由来のチクングニアが問題になっています。ちょうど日本のデング熱流行と同じように、カリブ海から渡航した人を元々フロリダにいた蚊が刺して、次に米国人に刺してウイルスが感染、というケースが考えられているそうです。

『医療ニュース』でも少し触れましたが、現在カリブ海ではチクングニア熱が極めて早いスピードで蔓延しています。この感染症は従来この地域になかったものです。1~2年前から広がったのではないかと言われていますが、チクングニア熱のカリブ海沿岸での正式な報告はつい最近、2013年の12月です。その後瞬く間に感染者の報告が増え、これまでにカリブ海沿岸の約50万人が感染したと言われています。この増殖のスピードはデング熱の比ではありません。

 チクングニアと聞くと、今はアジア方面によく旅行に行く人はガイドブックなどでも目にするでしょうが、そのアジアでもこれだけ有名になったのはつい最近のことです。チクングニアはアジア発症ではなくアフリカ由来の感染症です。私が医学部の学生時代にはチクングニア熱などという疾患名はほとんど聞きませんでしたが(アフリカにはもっと重要な感染症が山ほどあります)、チクングニアというこの"奇妙な"名前はタンザニア語で「折り曲げる」という意味だそうです。感染すると、関節痛がひどいために身体を"折り曲げて"歩くようになるからこのように命名されたのだそうです。そして、世界初のチクングニアの報告は1953年のタンザニアです。

 ちなみにタイでは初めてのチクングニアの報告は1958年ですが流行にはいたっていません。1995年に小さな流行がありましたが翌年には終息したそうです。ところが2009年に南部地方を中心に流行が起きその後は現在も感染者が増加する一方です。カリブ海沿岸諸国と同様、やはり流行のスピードには注目すべきです。2009年前半に2万人以上の報告が寄せられましたが、このときの首都バンコクでの報告は10人未満です。

 チクングニア熱について、最近ではマスコミの記事が散見されるようになってきましたが、どうも「デング熱と同じようなもの」というニュアンスで伝えられているような感じがします。しかし、これは一見正しいようで正しくありませんのでここで解説しておきたいと思います。

 まず、デング熱と似ているのは、ネッタイシマカとヒトスジシマカが媒介すること(注3)、蚊に刺されて比較的短期間で発症すること、ワクチンも特効薬もないこと、重症化することは少ないこと、などです。

 ここからは異なる点をあげたいと思います。

 まずは多くはありませんが「重症化」についてです。デング熱で重症化することがあるとすればデング出血熱を発症する場合ですが、これは2回目以降の感染時に前回とは別のタイプのデング熱ウイルスが感染した場合とされています。一方、チクングニア熱は、1回目の感染でも(頻度は多くありませんが)呼吸不全、心不全、髄膜脳炎、劇症肝炎、腎不全などが起こることがあり、さらに死亡例の報告もあります。

 次いで母子感染のリスクがあります。デング熱が母親から胎児に母子感染する例はあってもわずかとされていますが、チクングニア熱は母親から胎児への感染率は約50%とされています。(タイの英字新聞『The Nation』2009年7月1日) ちなみに、ウィキペディアでチクングニア熱を調べると「妊婦に対して悪影響はない」と書かれていました・・・。

「慢性化」があるということも知っておくべきでしょう。デング熱は高熱で苦しめられることはありますが、ほとんどは1週間程度で回復します。一方、チクングニア熱は、大半は急性症状を乗り越えれば治癒しますが、なかには1年以上症状が続くこともあり、関節痛がひどくて日常生活がまともに過ごせないこともあります。(チクングニアの名前の由来を思い出してください)

 最後に、これは先にも述べたことですが、感染力の強さというか蔓延のスピードをもう一度考えてみてください。カリブ海沿岸では正式な報告の第1号から半年ほどの間に約50万人が感染しているのです。チクングニアがいったん日本で流行しだすと2014年のデング熱騒ぎの比ではないかもしれません。

 蚊取り線香、虫除けスプレーやクリーム(DEET)、肌が弱い人はシトロネラ(レモングラスに似た植物です)、などは来年の夏から必需品になるかもしれません。ちなみに、蚊取り線香は日本製が世界で最も優れていると言われています。最近はマンションが増えたこともあり蚊取り線香を使う家屋が減っているかもしれませんが、マンションでも高層階でなければ蚊は出ます。

「日本の夏、〇〇〇〇〇の夏」というのは昔よく聞いた蚊取り線香のメーカーのキャッチコピーですが、今一度日本の"文化"を思い出し、「夏になれば蚊取り線香」という日本人の習慣を取り戻すべきかもしれません。


注1:「表の日本史」には出てきませんが、戦後しばらくの間、八重山諸島は台湾との密貿易で驚くほどの好景気に沸いた時代がありました。これがエスカレートし、沖縄の米軍基地から盗まれた最新の兵器が台湾に流れていることが発覚し、それまで大目に見ていた日米政府が厳しく取り締まるようになったと言われており、八重山諸島の好景気はわずか数年で幕を閉じたそうです。

注2:チクングニア(chikungunya)の日本語表記は、媒体により「チクングニア」であったり「チクングニヤ」であったりしており、このウェブサイトでもこれまではどちらを使ったこともありました。厚生労働省のサイトでは「チクングニア」とされているために、当院でも今後は「チクングニア」に統一したいと思います。

注3;ヒトスジシマカもネッタイシマカも日中にも活動します。一方、マラリアを媒介するハマダラカは夜間に活動します。このためなのか、私は以前、タンザニア方面に長期渡航するという患者さんから「蚊の対策は夜だけでいいですよね。日中は短パンでも問題ありませんよね」と言われたことがありますがこれは完全に誤りです。この患者さんにデング熱やチクングニアを媒介する蚊は昼間に活動すること、チクングニアの名前の由来はタンザニア語であることを伝えると大変驚かれていました。



参考:
医療ニュース「デング熱騒ぎで報道されない2つの重要なこと」(2014年9月5日) 
医療ニュース「米国国内で蚊からチクングニアに感染」(2014年8月18日)
はやりの病気第126回(2014年2月)「デング熱は日本で流行するか」