はやりの病気

第6回 糖尿病1 2005/04/17

糖尿病は、はやりの病気というよりは、医師をしている限りは、何科にいても年中頻繁にみる病気です。近年ものすごい勢いで患者さんが増えている病気ですから、これを読まれている方の周りにもひとりやふたりはおられるのではないかと思います。

 最初に、教科書的な話をしておきますが、よく糖尿病は不摂生からなると言われますが、そうでない患者さんもおられる、ということはぜひとも理解していただきたいと思います。

 それはⅠ型糖尿病と呼ばれるタイプの糖尿病で、ウイルス感染などを契機に発症すると言われています。10代など比較的若い方に起こるのが特徴ですが、今のところ、どのようなウイルスが引き起こすかは特定されておらず、また予防対策法もありません。

 患ってしまうと、一生インスリンの自己注射を余儀なくされてしまいます。インスリンを規則的に注射していると、日常生活は問題なく送れますし、糖尿病という名前は何も珍しくないですから、たいしたことのない病気と思われることもあるのですが、これは大きな誤りです。若くしてインスリンの自己注射を余儀なくされて、食事や運動など生活にも気を配らなければなりませんから、患者さんの心理的な負担は相当なものになります。

 私は、何度かこのⅠ型糖尿病の患者さんを診たことがありますが、どうしても忘れられない患者さんがおられます。(これについては、2005年4月15日の「メディカルエッセイ」でとりあげたいと思います。)

 さて、今回はこのⅠ型糖尿病ではなく、いわゆる生活習慣病のひとつである糖尿病(これをⅡ型糖尿病と呼びます)についてお話したいと思います。

 Ⅱ型糖尿病は、ある意味では「自業自得の病気」と言うことができるかもしれません。なぜなら、この病気は過食と運動不足が原因であることが圧倒的に多いからです。そして、度重なる周囲からの忠告を無視して生活態度を改めないことが原因だからです。

 例えば定期的な健康診断で、尿糖、あるいは血糖値が高いことを初めて指摘されたときに、医療従事者から正しい知識を習って、生活態度を改めれば、ほとんどのケースでよくなるわけです。

 ところが、この時点ではまだ何も症状が出ていないために、生活態度を改めようとしない(あるいは、改めようという気持ちはあるのだけど中身が伴わない)人がいます。しかし、この健康診断で異常を指摘されたということは、なんらかの不適切な生活習慣があるわけですから、これを改めないと、次第に高血糖が進行していくのです。

 やがて、ゆっくりと症状が出現しだします。しかし、症状といっても激しい苦痛の伴うものが出るわけではありません。例えば、尿がたくさん出たり、喉が渇きやすくなったり、立ち上がったときにたちくらみがする、なんとなく足がしびれることがある、とか、あるいは男性の方なら勃起力に勢いがなくなる、などです。

 こういった症状が出現しているときには、ある程度糖尿病が進行していることを示しており、単にときおり血糖値が高いことがある、というレベルの話ではありません。すでに症状が治らない状態にまできていることもあります。つまり、このような症状が出現してから、慌てて生活態度を改めても、あるいは薬剤を飲みだしても、すでに遅いことが多いのです。もちろん、この時点で生活態度を改めて、糖尿病を治すことに真剣になれば、これ以上の症状の出現を予防することは可能です。

 では、このような状態が出現していても、生活習慣を改めなければどうなるのでしょうか。その前に、糖尿病は「血管の病気」であることを確認しておきたいと思います。ここでは詳しい説明は省きますが、先にあげた、足がしびれる、勃起力がなくなる、というのも実は血管の障害によるものです。

 糖尿病が進行すると、全身の血管が激しい障害を受けます。ここでは、臨床的によく遭遇する3つの大きな症状を紹介したいと思います。

 まず、足の血管が障害されると、結果として知覚が鈍感になります。すると、小さな傷があったとしても本人は気づかなくなります。痛みというのは、ときにはやっかいなものですが、生体を守るのに必要な感覚です。なぜなら、痛みがあるということは、その部分が危険な状態にあることを示しているからです。つまり、痛みは緊急に治療の必要がある、ということを示すサインなわけです。

 足を怪我しても痛みのサインが送られなくなると、本人は気付きませんから放置することになり、傷が化膿し、傷口から細菌が一気に深部に侵入します。糖尿病がなければ、仮にこの時点までほうっておいたとしても、適切な処置と抗生物質の投与で治癒することが期待できます。しかし、糖尿病は、免疫力の低下もきたすために、なかなか体が細菌に打ち勝つことができません。強力な抗生物質の力を借りてなんとか克服することができたとしても、入院も必要になりますし、かなりの日数を要することになります。

 もしも抗生物質に協力してもらった体の防御能力が、細菌の感染力に負けたらどのようになるでしょう。化膿はどんどんすすみます。そして足が腐ってきます(これを「糖尿病性足壊疽」と呼ぶ)。この時点で強烈な臭いがしますから、お見舞いにきてもらっても会うことができなくなるかもしれません。腐った足を置いておくと、細菌が一気に体中に増殖し、命に関わるような状態になりますから、この場合は足を切断せざるを得ないことになってしまいます。

 次に、腎臓の血管に障害がきたときのことを考えてみましょう。この場合は、腎臓の機能が障害されて腎不全(これを「糖尿病性腎症」と呼ぶ)となります。腎不全が進行すると、治療はふたつしかありません。ひとつは腎臓移植です。しかしながら、移植をするには臓器を供給してくれる人(これを「ドナー」と呼ぶ)がおらねばならず、現在の日本では圧倒的にドナー不足です。つまり、他人にもらう腎臓というのはそれほど期待できないのです。

 移植が無理なら人工透析をおこなわざるを得ません。ほんの数年前までは、人工透析をせざるを得ない患者さんの原因疾患の第一位は、慢性腎炎でしたが、現在は慢性腎炎を抜いて、糖尿病性腎症が一位です。そして毎年、糖尿病性腎症で人工透析となる人がどんどん増えています。

 人工透析になると、生活がかなり制限されます。現在の技術では、人工透析は週に3回受けなければなりません。週に3回も病院に行かねばならず、1回の透析に必要な時間は約4時間です。そして毎回血管に太い針を刺されますし、血管の手術を何度か受けなくてはならないこともあります。このような生活を一生強いられるわけですから、仕事も思うようにできなくなるでしょうし、旅行にも行けなくなります。さらに、人工透析を受けていると、飲める薬が大幅に少なくなってしまいます。例えば、人工透析を受けている人が花粉症で苦しんでいたとしても、健康な人が飲む薬が飲めなくなることもあるのです。

 次に、血管の障害が目にきたときのことを考えてみましょう。それは網膜の血管におこり(これを「糖尿病性網膜症」と呼ぶ)、ほうっておくと失明をきたします。そのため、いったん糖尿病を発症すると、定期的に眼科専門医の診察を受ける必要があります。目がかすんでくるというのは要注意です。なぜなら、糖尿病が進行したことによって起こる「糖尿病性白内障」であることが多いからです。糖尿病性白内障がおこっているような状態で、高い血糖値を放っておくと、かなりの確率で糖尿病性網膜症が重症化し、失明となってしまいます。

 このように、糖尿病というのは、ふらつき、しびれ、勃起不全、喉が渇く、トイレが近い、といった比較的軽症の症状から、病気が治りにくい(感染しやすい)、足が腐って切断を余儀なくされる、人工透析を強いられる、失明する、など、かなり重篤な症状まで出現するのです。また、心筋梗塞や脳梗塞といった血管の病気も起こりやすくなり、突然死や寝たきりの状態になることもあります。

 そして、繰り返しになりますが、いったん血管に障害が起こると、努力によって、それ以上進行しないようにすることはできますが、一旦おこった障害は治すことができないのです。

 ですから、健康診断などで、尿糖、あるいは高血糖を初めて指摘されたときが、ある意味ではラストチャンスなのです。その時点で、医師の指導のもとに、生活態度を改めればお話したような症状が出現することを防ぐことができるわけです。また、このラストチャンスを適切に把握するためには、定期的な健康診断が不可欠です。なぜなら糖尿病ははっきりとした自覚症状が出にくいため(出たときには遅い)、久しぶりに健康診断を受けてみると、すでに血管の障害がかなりおこっているような状態であった、ということもよくあるからです。これは本当によくあります。

 今回は糖尿病の「怖さ」についてお話しました。次回は「治療」についてお話したいと思います。