メディカルエッセイ

11 経験多い医師ほどダメ医者?! 2005/3/15

先日、Annals of Internal Medicineという有名な医学雑誌に、The Relationship between Clinical Experience and Quality of Health Careというタイトルで、非常にショッキングな論文が掲載されました。なんと、「経験年数の多い医師ほど医療ケアの質は低い」ということが、これまでにきちんと認められている59の論文をメタ分析して明らかになったというのです。メタ分析というのは、簡単に言えば、しっかりとした論文を複数集め、それらを総合的に評価して分析するという方法です。このAnnals of Internal Medicineという雑誌は、世界中で最も有名な医学雑誌のひとつで、しっかりと科学的に分析・考察された論文だけが掲載されます。

 この論文によると、経験年数の多い医師は、標準的治療を行わずに、知識レベルも低下している、とのことです。本当にこんなことがあるのでしょうか。しかもこれは米国の医師の話です。私はこの論文のタイトルをみたときに、日本の医師を批判する論文なのではないかと思いました。というのは、日本の制度では、一度医師国家試験に合格してしまえば、その後必ず受けなければならない試験というものはないからです。このため、なかには卒業と同時にほとんど勉強しない医師もおり(私の周囲にはいませんが)、一定期間を経るごとに試験に合格しなければ、医師免許を剥奪される欧米やオーストラリアとは勉強に対する姿勢が違うのではないかと思ったからです。

 しかし、この論文では米国の医師を対象としています。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。この論文によると、経験年数を経れば経るほど、標準的な治療をおこなわなくなり、知識そのものも低下するとのことです。今の私にはなぜこのようなことが生じるのかよく分からないのですが、私なりに推測してみたいと思います。

 まず、経験を積めば積むほど、教科書に書いてある知識よりも自分の経験に頼ることが多くなる傾向にあるということが予想されます。例えば、経験のある医師であればあるほど、患者さんを一目見ただけで診断をつけることができたり、わざわざ全身を診察して、教科書的には必要とされている検査をしなくても治療を開始できたりということがあることが想像できます。そして、これが思わぬ落とし穴になることがあるのかもしれません。

 また、知識そのものが低下するという点においては、研修医あるいは、10年目以内くらいの医師であれば、日々勉強に勤しみますが、それ以上になると、毎日勉強するという習慣がなくなるのかもしれません。もちろん、こういうことはその医師によります。私が現在、臨床を習っている何人かのベテランの先生方は、常に新しい治療法や検査法の勉強をされています。一方、まだ研修医のくせにろくに勉強せずに、患者さんを積極的に診ようとしない医師もいます。だから、この論文が示しているように、経験年数の多い医師ほど知識不足というのは、全体から統計的にみた結果であって、すべての医師に言えるわけではないものと私は考えます。

 だから、もしかかりつけ医を探そうとしている人がおられたら、単に「経験の多い医師を信頼する」とか、その逆に「アメリカの有名な論文で発表されたんだから、あまり経験の多い医師はやめておこう」とか、そういうことを考えるのではなくて、そういう先入観を持たずに、自分の目で、その医師が名医かそうでない医師かを判断するしかないと思います。

 もしも気軽に雑談できる医師がかかりつけ医なら、この話をしてみるのもいいかもしれません。勉強熱心な医師なら、この論文の存在を知っているかもしれませんから、意見を聞いてみてはいかがでしょうか。

 もうひとつ、最近発表された論文で気になるものがあったので紹介したいと思います。それは、日本看護協会が発表した「新卒看護職員の早期離職等実態調査」という速報です。これによると、就職後1年以内で離職する新卒看護職員が増加してきている、とのことです。

 またこの速報には、新卒看護職員に対する悩みに関するアンケート調査も報告されており、悩みの第1位は「配属部署の専門知識・技術の不足(76.9%)」で、2位が「医療事故への不安(69.4%)」、3位が「基本的な看護技術が身についていない(67.1%)」とのことです。これをみたときに私は看護師の大変さを痛感しました。2位の「医療事故への不安」は当然だとしても(これは研修医にも言えることです)、1位の「専門知識・技術の不足」や、3位の「基本的な看護技術が身についていない」などというものは、新人看護師なら当然のことだからです。

 看護師になりたての新人が、いきなり専門知識・技術を持っていたり、高度な看護技術を持っているはずがありません。こんなこと誰が考えても分かります。もちろん看護学校のときに、病院内での実習はありますが、それだけでベテラン看護師と対等の、知識や技術が身につくはずがありません。

 にもかかわらず、このような回答が多いということは、新人なのにもかかわらず、実際の現場ではそれ相応のものが求められているということなのでしょう。これでは、就職後1年以内に離職する看護師が増加するのも無理はありません。せっかくやる気があっても、就職と同時に高度な専門知識や技術が要求され、それに応えられないと離職に追いやられる・・・、あきらかに異常です。

 実際、新人看護師が辞めようと思った理由の第1位は「自分は看護職に向いていないのかと思う」だそうです。いきなり高度な知識や技術が求められてそれに応えられないと、そう思うのも仕方ありません。

 2つの論文の趣旨だけをつなげてみると、医師は経験の多いほど能力が低く、やる気のある新人看護師はどんどん離職する・・・・、ということになってしまいます。これを端的に考えると、ある患者さんが手術をしてもらうために入院したときに、経験の少ない若い医師に手術をされて、術後のケアは年老いた看護師にしてもらう・・・ということになってしまいます。経験の少ない医師に手術されることほど不安なことはないでしょうし、また年老いた看護師だけにケアされるのもまた不安なものです(一般に若い看護師の方がすぐにベッドに駆けつけますし、患者さんからすると若い看護師には言えてもベテラン看護師には言えないこともあるのです。実際患者さんと話しをしていると人気のあるのは若い看護師の方が多いものです。もちろんその看護師によりますが・・・)

 さて、冗談はさておき、この2つの論文の大事な共通点を述べることにします。それは、医師も看護師も、さらには薬剤師や検査技師など他の医療スタッフも、常に高度な知識や技術を要求されているということです。

 今から医師を目指す人、また他の医療スタッフを目指す人もこれは覚えておいてください。医療に従事する以上は、生涯勉強を強いられます。医学部受験や看護大学の入試よりも、また医師国家試験や看護師国家試験よりも、仕事を始めてからの方が、はるかに多くの勉強をしなければなりません。こんなこと好きでないとできません。医療に興味がなくて、なんとなく資格がほしい、とか、収入がよさそうだからといった理由で、医療従事者を目指すととんでもないことになります。短い人生を無駄にしないように、進路選択は慎重に!!