メディカルエッセイ

111 救急車は本当に有料化すべきなのか 2012/4/20

2011年度の救急車出動1回当たりのコストは、報償費、役務費、備品購入費などを含めると42,425円・・・。

 これは、さいたま市が市のウェブサイトで公開している税金の使い道のリストに掲載されている数字です(注1)。同市は、各行政サービスにどれだけの費用がかかっているかを詳しく公開することで、必要な経費を市民に身近に感じてもらい、また職員のコスト意識向上を図りたいと考えているとのことです。

 救急車が一度出動する度に4万円以上の費用がかかるというこのニュースは一般の新聞にも掲載され世間の注目が集まっています。我々医療者の間では、もう何年も前から、軽症で救急車を呼ぶ患者さんを診る度に、誰がどのような理由で救急車を要請しても一切無料という現在の制度はおかしい、という議論がありました。

 医療者の間の「救急車を有料にすべきではないか」という声は数年前から目立つようになってきています。医師限定のコミュニティサイトである「MedPeer」は、2012年2月24日から3月1日、救急車を有料にすべきかどうか、というアンケート調査を、医師を対象におこない、その結果、88%の医師が「有料化に賛成」と回答しているそうです(有効回答数は2,723件)。

 また、同じく医師限定のコミュニティサイトである「M3」も同じ質問をネット上でおこなっており、こちらは2012年4月16日現在、救急車有料化に賛成が95.7%(1,015票)、反対が4.3%(46票)となっています。M3の調査の方が「有料化賛成」が多いのは、さいたま市の42,425円、という数字がマスコミで報道されたことが影響しているのかもしれません。

 医師はどのような患者さんに対しても否定的な気持ちを持ってはいけないのですが、実際にはそのような気持ちを瞬間的に持ってしまうことはあります。下記の3つの症例は実際に過去に私が救急外来をしていたときに体験した症例です。

・症例1 6歳女子
朝から体調不良。食欲がなくて夕食はほとんど食べなかった。熱はなく水分はとれる。心配した母親が夜10時に救急車を要請。明らかに救急車を呼ぶほどの重症ではなかったために、救急車を呼ばなければならなかったのですか、と質問すると、この女子の母親が言ったセリフは、「あたしの車にこの子を乗せて、もし吐いたら誰が掃除してくれんの!」

・症例2 50代男性
数年前からときどきめまいを自覚している。過去に何度か救急外来を受診しており、いつも点滴をすれば1~2時間後には治るためにこの日も点滴希望で受診。過去にはタクシーで受診したこともあるが、ここ何回かは常に救急車を要請。なぜ救急車を呼んだのですか、という質問をすると、「カネがないんや。仕方ないやろ・・・」という返答。吐息に明らかなアルコール臭がある・・・。 

・症例3 20代女性
腹痛で救急車を要請。私が診察室に入ると、激しい痛みを訴えるが実際に診察をおこなうと痛がり方に不自然さがある。「痛いから○○○○を注射して!」と何度も言う。「どうして○○○○を希望されるのですか」と聞くと、「あたしの痛みは○○○○でしかとれへんねん!」と強く訴える。救急隊員に「話がある」と言われたために、その場を離れると、「この女性は○○○○中毒で、いくつもの病院から要注意患者とされてるんですわ。今日はここの病院にどうしても行ってくれ、言われたんで運んだんですけどね。先生に迷惑かけるのはわかってたんですけど、我々の立場では要請を受けたら断れないんですわ・・・」と救急隊員からの説明を受けた。この女性に対し、「このような痛みで○○○○は注射できません。まずは普通の痛み止めで様子をみてください」と言うと、「注射してくれへんのやったらもうええわ」と言い、悪態をつきながらそそくさと帰っていった。その姿に痛がる様子などまったくなかった・・・。


 それぞれの症例を簡単に解説しておきましょう。まず、症例1は、自分の娘が軽症であることは母親にも分かっています。しかし、自分の車に嘔吐されると掃除するのが大変だという理由だけで救急車を呼んでいるのです。この母親は、救急車の車内を汚すことに対しては何とも思っていないというわけです。

 症例2は、救急車が無料のタクシーになることをいったん知ってしまってから、タクシー代を払うのがバカらしくなったと考えている男性です。救急車が現場に到着した時点で、救急車を呼ぶような症例でないことは救急隊員からみても自明です。しかし、救急隊の立場としては、市民が要望している以上は断ることはできないのです。

 症例3は大変悪質です。○○○○というのは、中毒性のある言わば麻薬のような痛み止めです。よほど重症の場合を除いて処方されることはありませんから、この女性は、救急車を要請すれば重症と判断してもらえる、と考えたのでしょう。この女性は、自分の身勝手な欲望のために、1回4万円以上もかかる救急車を呼んでいるのです。もしも私が○○○○の注射をしていれば、さらに大切な医療費でその女性の薬物依存を助長することになります。

 さて、ここからが本題です。このように自分勝手な理由で救急車を簡単に呼ぶ市民がいるという現実を踏まえて考えたとき、やはり救急車は有料にすべきでしょうか。私の意見は医師の大半の意見と異なり「救急車は無料のままにすべき」、です。

 ここにあげたような症例に遭遇すると否定的な気持ちになりますし、なかなか頭から離れないものですが、一方で、重症で救急車を要請する人(またはその家族や知人、あるいは通行人)がいるのも事実です。もしも救急車が有料になってしまえば、本当に必要な症例が手遅れになってしまうことになるかもしれません。なぜなら、「しんどくなってきたけどもう少し様子をみればよくなるかもしれない。軽症だったのに救急車を呼んだ、となると家族に申し訳ない」と考える人もでてくるでしょうし、通行人が救急車を呼ぶのには相当の勇気が必要になります。

 私は一度、バンコクの繁華街で(おそらくひき逃げの被害に合い)怪我をしている男性を通行人の二人の若い女性がタクシーを止めて乗せているシーンに出会ったことがあります。そのとき一緒にいたタイ人に聞くと、二人の女性は怪我をしていた男性とは顔見知りではなく、たまたまそこにいただけ、だそうです。タイでは救急車は有料だから簡単に呼べないし、呼んだところで渋滞のなか到着するのを待つよりも、近くのタクシーを拾って病院に行く方が早い、と考えられているそうです。タイ人の助け合いの精神に感動したのと同時に、救急車が直ちに到着し無料で搬送してくれる日本の制度は素晴らしい、と感じました。

 このまま身勝手な理由で救急車を要請する人が増えていくと、世論が「救急車有料化」に向かうことになるでしょう。つまらない正論を言うようですが、現状の救急車無料を維持するためには、やはり「ひとりひとりが良識ある救急車の要請」をするしかありません。

 先に例にあげたような人たちがこのコラムを読んでいることはないでしょうが、これを読まれた方で、身勝手な理由で救急車を呼んでいる人がもしも知人にいるならば、このままでは救急車有料化が避けられないかもしれない、ということを伝えてもらえれば、と思います。


注1:このリストは下記URLで閲覧することができます。(さいたま市民でなくても誰でも見ることができます)

http://www.city.saitama.jp/www/contents/1331613613674/files/kosuto.pdf