はやりの病気

第115回 慢性胃炎の治療とピロリ菌の除菌 2013/03/20

すでにマスコミでも報じられていますが、2013年2月21日、胃粘膜に寄生し、胃がんなどの原因となっているヘリコバクター・ピロリ菌の検査と治療の保険適用が大幅に拡大されました。今回は、今後胃炎の治療がどのように変化するか、ということとピロリ菌除菌の問題点についてお話したいと思います。まずは、ピロリ菌と胃がんの関係についておさらいしておきます。

 胃に細菌が棲息しており、それが胃炎や胃がんの原因ではないかという指摘は随分前から(19世紀後半から)ありました。実際に顕微鏡でそれらしき細菌を見つけた、という報告もあったのですが、一方では強酸の胃粘膜に細菌が棲息できるはずがない、という説も根強く、長い間論争になっていました。

 この論争に決着をつけたのは、オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルで、1983年、ヒトの胃から、らせん状の細菌を培養することに成功し、この細菌が後にヘリコバクター・ピロリ菌と命名されました。この発見は歴史に残るものであり、2005年には、二人の学者に対しノーベル生理学・医学賞が授与されています。

 その後の研究で、ピロリ菌は胃炎を起こすだけでなく、胃がんの原因になっていることも証明されました。それまで胃炎はストレスによるもの、胃がんは塩辛いものの食べ過ぎ、と言われていたわけですから、これらがピロリ菌という細菌による感染症であった、ということはコペルニクス的転回と言っても過言ではないでしょう。ストレスや食生活は容易に改善させることはできませんが、感染症ならその病原体をやっつけてしまえば解決する話だからです。

 ピロリ菌の発見はオーストラリアの学者の功績ですが、その功績による恩恵を最も受けている国のひとつが日本です。なぜなら日本は、海外諸国、特に欧米諸国と比べると胃がんの罹患率が極めて高いからです。ちなみに、日本以外で胃がんの多い国としては韓国が有名です。ということは、胃がんの原因の大半がピロリ菌であるのは間違いありませんが、塩分摂取の多い地域で胃がんが多いというのもまた事実です。

 日本人ほど塩分を摂る民族はいないと言われることがありますが、実は韓国はその上をいきます。韓国料理は唐辛子が多く使われていますし、サムゲタン(鶏肉に高麗人参やもち米などを入れて煮込んだスープ)は日本人の感覚としては塩分が少なすぎると感じられるために、韓国料理は塩分控えめの健康食のように思われることがありますが、実際はその逆です。この最大の原因はおそらくキムチでしょう。キムチは日本の漬物と同じくらいに塩分が含まれています。

 話を戻しましょう。胃炎程度であればともかく、胃がんの原因がピロリ菌であるならば、ピロリ菌保有者にかたっぱしから抗生剤を使って除菌してしまえば、日本人のがんを大きく減らせる、と考えることができます。日本人の男性は1990年代前半までがんによる死亡では胃がんが1位で、女性についていえば2000年でもまだ1位でした。現在でも胃がんは男性のがんの死亡者数の2位、女性の3位を占めています。

 もしもピロリ菌の除菌療法が確立した1990年半ばに、国民全員にピロリ菌の検査をおこない、陽性者全員に除菌療法を実施していれば、その後の胃がん罹患者は大きく減少していたかもしれません。(もっとも、胃がんについては内視鏡検査(胃カメラ)が普及し、早期発見ができれば9割以上の確率で治癒します。ですから、胃がんを減らしたければ国民全員に内視鏡検査を実施すべきかもしれません。コストのことを無視すれば、ですが) 

 しかし、行政はこのような対策はとりませんでした。この最大の理由はコストの問題であろうと予想されます。そもそもピロリ菌は不衛生な環境で感染するものであり、1950~60年頃までに生まれた人では半数以上は陽性であろうと言われています。若年者では陽性率が減少しますが、それでも1~2割くらいは陽性であると考えられています。ということは少なく見積もっても、全国民の4人に1人程度に強力な抗生剤を飲んでもらうことになり、その費用はどうやって捻出するのだ、という問題がでてきます。それに、ピロリ菌を保有している人が全員胃がんを発症するわけでもありませんから、このような治療は「無駄な治療」となる可能性もあり、その無駄な治療で薬による副作用がでたときに誰がどのように責任をとるんだ、という問題もあります。

 ですが、胃がんの可能性を大きく減らせるなら、自費でもいいから検査を受けたい(実際、人間ドックでは実施されていました)、そして陽性なら薬も飲みたい、という人は少なくありませんでした。

 では、これまで保険診療でピロリ菌の検査・治療ができたのはどのような場合かというと、内視鏡検査で胃もしくは十二指腸に「潰瘍」があることが確認できた場合です。つまり、単に「胃炎」があるだけでは保険診療でピロリ菌の有無を調べることはできなかったわけです。「潰瘍」というのはわかりやすく言えば、胃炎が悪化して、胃粘膜がただれたような状態のことです。内視鏡をする医師からみれば、胃の粘膜に炎症は確実にあるが「潰瘍」があるとまでは言えない、ピロリ菌は陽性かもしれないが潰瘍がないから保険では検査ができない、となるわけです。

 2013年2月21日以降は、内視鏡検査で潰瘍がみつからなくても単に胃炎があるだけでピロリ菌の検査が保険でおこなえて、さらに陽性であれば治療(除菌)もおこなうことができるようになりました。すると、診察代、内視鏡代、薬代をすべて含めても3割負担で自己負担は1万円を超えないくらいです。これは画期的なことであり、これから日本の胃がん罹患者が大幅に減少することが期待でき、2013年を「胃がん撲滅元年」と命名しようという声もあるほどです。

 さて、どのような人が内視鏡検査を受けるべきか、ですが、市販の胃薬で胃痛やむかつきがとれない人や、薬は効くけれども常に手放せない、という人は主治医か、もしくは内視鏡を実施しているクリニックを受診するのがいいでしょう。すでにかかりつけ医から胃薬を処方してもらっているという人は主治医に相談すればいいと思います(注1)。

 胃炎症状があり、内視鏡をおこないピロリ菌がみつかった場合、がんのリスクを減らせることができるのですから、多くの場合除菌はした方がいいでしょう。しかし、注意点はあらかじめ覚えておくべきです。

 ひとつめに、一度の除菌ですべての人からピロリ菌が消えるわけではありません。強い抗生剤を組み合わせて内服しても、残念ながらピロリ菌が死滅しないこともあります。その場合、別の抗生物質を用いて治療をやり直すことになりますが、やはり全例成功するわけではありません。さらに、いったん除菌に成功したとしても新たに再感染することもあります。医学誌『JAMA』2013年2月13日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によりますと、ピロリ菌の除菌治療後に陰性が確認できた人の11.5%が1年後に再感染していたことが判ったそうです。

 ふたつめに、除菌後に逆流性食道炎(GERD、もしくは胃食道逆流症ともいいます)を発症する人が多いということが挙げられます。逆流性食道炎というのは、胃酸過多の状態となり、その胃酸が食道に上ってきて食堂粘膜に炎症を起こすことにより胸焼けや吐き気が起こります。ピロリ菌除菌と逆流性食道炎には何ら関係がないとする報告もあるのですが、関連性を指摘する報告もいくつかあり、また私の実感としてもピロリ菌除菌後に逆流性食道炎を起こしている患者さんは少なくないという印象があります。

 逆流性食道炎をおこすと、食後、吐き気に悩まされ実際に毎食後嘔吐するような人もいますし、胸焼けや背部痛に苦しむこともあります。強い胃酸抑制剤が手放せなくなることもあります。ピロリ菌を除菌して胃痛から解放されたものの、今度は逆流性食道炎に悩まされる、がんのリスクは下がったそうだけど、そもそもピロリ菌保有者でがんを発症するのはごくわずかであることを考えると、本当に除菌をしてよかったのか、という疑問が出てくることがあるかもしれません。

 ただし、逆流性食道炎は治るまでに時間がかかることもありますし、いったん治っても再発することもありますが、それでもきちんと治療をおこなえば多くのケースでよくなりますし、無症状のまま進行し気づいたときには手遅れとなる可能性のあるがんのリスクが減らせるのであれば、ピロリ菌除菌には意味があるわけです。

 このあたりのことを主治医としっかりと相談して、内視鏡検査や除菌療法をおこなうかどうかを検討すべきというわけです。


注1:太融寺町谷口医院にも胃炎で通院されている人は大勢おられます。すでに一部の患者さんには説明していますが、薬を手放せない人は内視鏡検査を受けておいた方がいいでしょう。太融寺町谷口医院では、現在内視鏡検査ができませんから、希望があれば内視鏡に対応できる医療機関を紹介しています。

注2:この論文のタイトルは、「Risk of Recurrent Helicobacter pylori Infection 1 Year After Initial Eradication Therapy in 7 Latin American Communities」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1570281