メディカルエッセイ

117 医師の勤務時間・年収の実態 2012/10/20

 毎年夏が終わる頃になると、受験の相談のメールが増えるようになります。現役の高校生や浪人生からの「医学部を目指しています」というものもあれば、現在何らかの仕事をしている人、あるいは無職の人から「医学部再受験を考えています」、というものもあります。

 メールの内容は大変熱心で真摯なものもあれば、そうでないものもあります。「そうでないもの」とはどのようなものかというと、代表的なのが「勤務条件がいいから医師になりたい」、もっと端的に言えば「医師になって金を稼ぎたい」というものです。

 動機がどのようなものであれ、与えられた仕事をまっとうしそれに見合う報酬を受け取ることには何の問題もないではないか、という意見もあるでしょうが、「医師という仕事そのものに魅力を感じなければ医師は目指すべきでない。もしも勤務条件を医師という職業選択のただひとつの理由と考えるなら後悔することになる」、というのが私の考えです。

 「m3.com」という医師向けのウェブサイトがあります。サイトの案内によれば、m3.comは、全国の医師20万人以上が登録している「日本最大規模の医療専門サイト」だそうです。最近、このm3.comが医師の勤務状況に関してアンケート調査をおこないました。

 その調査によりますと、勤務医の平均時給は2,643円、平均年収は1,442万円だそうです。

 この数字をみてあなたは何を感じるでしょうか。私自身はこれら2つの数字をみて「まさか、これほどとは・・・」と驚きました。そのことについて述べる前に、この調査について少し詳しくみておきましょう。

 m3.comは、医師会員を対象とし、2012年9月14~15日にアンケート調査を実施しました。回答者は、勤務医270人と開業医231人の合計501人だったそうです。せっかくこのような調査をおこなうなら、もう少し母数を増やして調査の信憑性を上げてもらいたい、と感じますが、同サイトはこれで充分と判断としたのでしょう。

 時給については、「昨年の1ヶ月の平均休日数」のデータを基に、「年収÷12÷(30-休日)÷勤務時間」の計算式で算出しているそうです。

 さて、私が驚いたことですが、勤務医の平均時給が2,643円、平均年収が1,442万円ですから、単純にこれらから年間労働時間を計算すると、14,420,000円÷2,643円/時=5,456時間となります。これを月にしてみると、5,456÷12=455時間!となります。

 現在労働法で定められている標準的な労働時間は、1日8時間x週5日=40時間です。1月4週とすると40時間x4週=160時間となります。現行の労働安全衛生法によれば、月平均の時間外・休日労働時間が80時間を越えれば産業医の面談を受けなければならないことになっています。以前弁護士に聞いたことがあるのですが、最近はだいたい月150時間以上の時間外・休日労働があれば過労死を含む労災が認められる傾向にあるそうです。

 今回のm3.comの調査から算出された勤務医の月平均の時間外・休日労働時間は、455-(40 × 4週)=295時間!となります。150時間で労災が認定されるなら、大半の勤務医は、うつなどの精神症状や何らかの身体症状が生じれば、過重労働が原因、と容易に認められることになるでしょう。

 月あたり455時間という数字を考えてみましょう。休日ゼロと仮定すれば、1日あたりの労働時間は15.17時間(455時間÷30日)となります。毎日休みなく、1日15時間以上働く気合いと体力がなければ勤務医はつとまらない、というわけです。

 では、開業医はどうかというと、m3.comの調査によれば、開業医の平均時給は4,333円、平均年収は2,156万円となっています。これをみれば、開業医ははるかに勤務医より恵まれている!、となりますが、実際はそうではありません。以前も述べたことがありますが(下記コラムも参照ください)、開業医の7割は診療所・クリニックを医療法人としていません。医療法人にしていなければ診療所・クリニックの経常利益がそのままその開業医の年収と計上されます。しかし、実際はここから高い税金を払い(給与所得控除が認められませんから税率はかなり高い)、残ったお金から借入金の返済をしなければならないのです(借入金の利子は経費として認められますが借入金そのものは認められません)。この手の調査は「勤務医vs開業医」とするものが多いのですが、実際は医師になっていきなり開業医となる者はいませんし、開業をしながら勤務医として週1~2回は勤務医としても働いている医師もいますから、2項対立の構図を描くことはあまり意味がありません。

 以前私は自分の年収から時給を計算したことがあります。(太融寺町谷口医院は医療法人にしていますから収入は勤務医と比較しやすい) その結果は、上に述べた勤務医の時給よりはいくらか高いのですが、逆に年収はいくらか低くなります。ということは、私は平均の勤務医ほど働いていない、ということになります。「開業医でラクをしているのはけしからん! 勤務医を見習って働け!」という意見もあるかもしれませんが、それでも私の月あたりの労働時間は320~350時間ほどになっています。一般の労働者で、残業なし、休日出勤なしの場合、勤務時間は40時間x4週=約160時間/月、ですから、すでに私のレベルでもこの倍以上働いていることになります。

 私自身も産業医としてときどき労働者の面談をすることがあります。月あたりの時間外・休日労働時間が80時間を越えている人に対し、「こんな状態が続くといろんな病気のリスクになりますよ」などと話していますが、心の中では「説得力ないなぁ・・・」と感じているのが正直なところです。

 もしもあなたにとって興味のない仕事を「時給2,643円あげるから月に400時間やりなさい」と言われればどうするでしょうか。おそらく大半の人は辞退して他の仕事を探すでしょう。しかし、私は「こんなに過酷なんだから医師になるのはやめなさい」と言っているわけではありません。その逆に、それでも医師は魅力ある職業だ、と言いたいのです。

 月あたり455時間の労働時間は、すべて外来や手術などで患者さんと接している時間だけではないはずです。このなかには勉強と呼ぶべき時間も含まれているでしょう。つまりカルテをみながら、複数の教科書を広げ、いくつもの論文に目を通している時間が相当入っているはずです。また、学会や研究会での発表の資料を作る時間や、そのための勉強時間も含まれているのではないかと思われます。(私が算出した自分の労働時間にはそのような時間も含めています) そして、こういった仕事と勉強の中間のようなことをするのは大変楽しいことなのです。楽しいですし、学んだことを治療にいかせることができるのです。そして担当している患者さんが元気になることが期待できるわけです。
 
 もしも「医師は年収が高い。高い年収をもらえるなら興味のないことでも我慢してがんばろう」などと思っている人がいるなら医学部受験は辞めるべきでしょう。これからの人生が大変不幸なものになります。

 その逆に、「医師の仕事は自分にとってとても興味深い。だから目指すんです」とか「目の前の患者さんの力になりたい。そのためなら過酷な労働条件にも耐えます」、という人は是非医学部を目指してください。

 過酷な労働条件に不安を持つ人もいるでしょう。私自身も、もう少し勤務時間を減らしたいと考えています。医師増員に反対する医師がいるのは事実ですが、行政としては医学部の定員を増やす方向にありますし、医学部新設も検討されています。将来的には、少しくらいは労働時間を減らすことが期待できます。

 さあ、あなたも医学部を目指しませんか?


参考:メディカル・エッセィ第106回(2011年11月) 「開業医は儲かる」のカラクリ」