メディカルエッセイ

第124回 予防接種の料金が同じで何が悪いのか 2013/05/20

  2013年4月23日、公正取引委員会は、埼玉県吉川市と松伏町を管轄する吉川松伏医師会(会員数約80人)に対して立ち入り検査を実施したそうです。

 インフルエンザ予防接種の料金でカルテルを結んでいた疑いがある、というのが立ち入り検査の理由であると報じられています。公正取引委員会は、2004年にも、三重県の四日市医師会がインフルエンザの予防接種の価格の下限を決めた、として排除勧告を出しています。

 公正取引委員会のこの立ち入り検査に対し、マスコミは一斉に医師会を非難しました。例えば、ある大手新聞紙は、「身近な予防接種にまつわる不正に市民からは憤りの声があがる」、としています。

 たしかに、決して安くはない予防接種の料金ですから、「カルテルで価格を不当に釣り上げられていた」などと言われると「憤りの声」は出てくるでしょう。しかし、「医師会=悪者」という前提で取材をするからこのような<声>があがるのではないでしょうか。

 私自身はこのような報道に違和感を覚えます。

 そもそも予防接種をカルテルの対象にすることに対して疑問を拭えません。公正取引委員会の存在は市場社会になくてはならないものです。しかし、それは自由に価格を設定できるマーケットに限ってのことであり、医療に市場原理主義を持ち込むのは誤りです。

 もしも医療行為に公正取引委員会が入ってくるなら、保険診療が日本全国どこで受けても料金が同じ、という現状の制度に対しても「カルテルではないのか」という意見が出てくることになりかねません。

 予防接種は自由診療だからカルテルの対象に、保険診療は対象にならない、という意見もあるかもしれません。しかし、どこからどこまでが自由診療であるべき、というのは理論的に決められるわけではなく恣意的なものにすぎません。

 予防接種で言うならば、例えば、怪我をして土が傷口についたときや野良犬に噛まれたときなどに破傷風を防ぐために破傷風トキソイドという一種の予防接種をおこないますが、これは医師が必要とみなせば保険診療でおこなうことが可能です。

 一方、インフルエンザが流行りだしたからインフルエンザの予防接種をおこなう、というのは保険診療が認められず自費診療になる、というのが現状の制度です。

 いま例にだした破傷風とインフルエンザについて、よく考えてみると疑問が出てこないでしょうか。破傷風のように土が傷口に入ったり、野良犬に噛まれたりというのは、不可抗力であることも少なくないでしょうが、気をつけていれば防げる場合も多いと言えます。そして人から人への感染はありません。一方で、インフルエンザウイルスというのは感染力が強く、他人の咳やくしゃみでうつりますから繁華街や駅など人の多いところで簡単に感染します。そして感染すると今度は他人へ感染させる可能性がでてきます。
 
 ということは、破傷風よりもインフルエンザのような感染症こそ、できるだけ多くの人がワクチンを接種して地域全体で感染者を減らしましょう、という理論が成立するわけです。

 実際、インフルエンザワクチンというのは、感染することを防ぐというよりも、重症化を防ぐことと、他人への感染を防ぐことを目的としています。ここは誤解している人が多いので念を押したいと思います。インフルエンザウイルスのワクチンは確かに接種していても罹患することがあります。この点を強調して、さらに稀な副作用のことを持ち出してインフルエンザワクチンに反対する人がいますが、たいていはそういう人たちの主張は論点がずれています。

 インフルエンザワクチンは接種していても罹患することがありますし、また重症化を防ぐことも100%できるわけではありません。しかし重症化する可能性が減るのは事実であり、他人へ感染させる確率も下がるのです。つまり、インフルエンザワクチンというのは自分の身を守るためというよりもむしろ「他人への感染を予防する」ことが目的なのです。

 一方、破傷風ワクチンというのは、土が傷口に入るとか、野良犬に噛まれるとか特殊な環境で生じることですから、インフルエンザに比べると予防しやすいものです。さて、インフルエンザと破傷風、公的なお金を使って防ぐことを考えるべきなのはどちらでしょうか。もちろん人から人に感染するインフルエンザとなるわけですが、破傷風トキソイドは保険診療で、インフルエンザワクチンは自費診療で、というのが現状なのです。

 もちろん私は破傷風トキソイドを保険診療から外せ、と言っているわけではありません。その逆で、インフルエンザも公費で、可能であれば全額公費で(つまり市民負担はゼロで)すべきではないか、ということを主張したいわけです。実際、市町村にもよりますが、高齢者と乳幼児は公費負担のある自治体が多いのです。

 今のところ医療者も含めて、公正取引委員会が予防接種の料金を監視するのはおかしい、という意見を主張する人がいないのが私には不思議で仕方がないのですが、私には各医療機関で予防接種の料金が異なる方がよほど不自然に思えてなりません。実際、市民も混乱しています。「○○クリニックは水で薄めてインフルエンザワクチンを安くしているらしいですよ」、という言葉を私は患者さんから聞いたことがあります。

 マスコミは医師会を叩くのが大好きなようで、例えば下記はある大手新聞の記事の一部です。

 医療機関の中には、ワクチン接種を「来院経験がない人に営業する絶好の機会」と考え、接種料金を安く設定するケースもあるという。

 これを書いた人は医療のことをまったくといっていいほどわかっていません。そもそも医療機関に「営業」という概念はありませんし、医療機関としては「来院経験がない人にはあまりワクチンをうちたくない」と考えることが多いのです。特にインフルエンザのワクチンは、先に述べたように、接種しても感染しうること、重篤な副作用はほとんどないとはいえ接種部位の腫れや痛みが長引くことがあること、卵アレルギーのある人には充分な説明が必要なこと、もともと誤解の多いワクチンでありそのマインドコントロールを解くのに時間がかかること、などがありワクチン1本でも相当の時間を必要とします(注1)。

 お金の観点で言うなら、これだけ時間をかけて説明をおこない、副作用が生じたときの対処まで責任を持ち、徴収料金は3~4千円程度です。徴収料金から、ワクチンの仕入れコスト、注射器と注射針の仕入れ値、看護師の人件費、医師の人件費(問診は看護師でなく医師がしなければなりません)を差し引いた分が医療機関の利益になります。これが安くないという意見もあっていいと思いますが、一方で保険診療の初診代はそれだけで2,700円です。しかも診察代というのは医師の人件費以外のコストがかかりません。つまり、インフルエンザワクチンというのは経営的な観点からの利点は<ほとんどないに等しい>のです。それに、いったん安くしすぎると次の年から値上げします、というわけにもいきません。

 医療機関はサービス業ではありません(注2)。個人の病気を治療し予防につとめてもらうよう啓発するのが業務であり、また、公衆衛生に貢献する、つまり地域社会全体での疾病の罹患率を下げる、そしてそのためにワクチン接種をおこなう、というのもミッションのひとつです。つまり、医療機関とは、サービス業ではなく一種の「公的機関」のような存在なのです。

 ワクチンの料金が不当に高いのであればそれは問題でしょう。しかし、そうであるならば疑問を呈する矛先は、医療機関や医師会ではなく、ワクチンを製造している製薬会社や、インフルエンザワクチンを保険診療として認めない、あるいは公費負担をおこなわない行政であるはずです。

 マスコミにはそのあたりのことをしっかりと考えてもらいたいと思います。また、インフルエンザワクチンに関する報道をおこなうなら、先に述べたように、ワクチンの目的は自らが感染しないようにすることではなく重症化を防ぎ他人への感染を予防するということや、ワクチンのリスクはまったくのゼロではないものの有益性が高いこと、公衆衛生学的にはできるだけ大勢が接種すべきであること、そのためには行政がいくらかの負担をすべきであること、といった科学的・社会的に正しいことを市民にわかりやすく啓蒙してもらいたいものです。


注1 ちなみに太融寺町谷口医院では、インフルエンザのワクチン対象者は「過去に一度でも受診したことのある人、もしくはその家族のみ」とさせてもらっています。誤解を防ぐために付記しておくと、これは、儲けのないインフルエンザワクチンをやりたくない、と考えているからではありません。インフルエンザワクチンというのは数に限りがありますから、ひとつのクリニックにそれほど数が回ってこないのです。ひとり分が貴重ですから、日頃から当院にかかっている人(及びその家族)を優先させたいのです。ただし、他にかかりつけ医をもっていなくて、当院が自宅もしくは職場から近い方は個別に相談に応じています。

注2 我々医療を供給する側の者は医療行為をサービス業とはまったく考えていません。(そのように考えている医療者もいるそうですが) 一方、医療機関はサービス業、と考えている患者さんは少なくありません。このために生じる誤解やトラブルというものがあります。詳しくは、下記コラムを参照してみてください。

参考:メディカルエッセイ第68回(2008年9月)「「医療はサービス業」という誤解」

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