はやりの病気

第13回  エイズと差別 ② 2005/08/02

 神戸で開催されたICAAP(アジア太平洋国際エイズ会議)で、私は多くのことを学びましたが、開会式も非常に印象的なものでありました。

 壇上に30人以上のHIV陽性の方が上がられ、インドネシアの女性が代表で挨拶をされました。彼女の言葉は、我々参加者の胸に深く響き渡りました。

 予定では、挨拶をするのは彼女ではなく、別の男性だったそうです。ところが、その男性が直前に交通事故に会い、来日ができなくなったそうなのです。彼女は、その男性の交通事故について話しました。

 その男性は、事故の直後にある病院に運ばれました。ところが、その男性がHIV陽性であることがわかると、治療を拒否されたというのです。インドネシアでも、HIV陽性というだけで、医療機関から差別を受け、治療を拒否されることが少なくないそうなのです。

 彼女は続けました。

 「私が、こうしてHIV陽性であることを公の場で発表したことを、私の国のマスコミに報道されて、私の顔が医療機関に知られると、もう私は母国で医療を受けられなくなるかもしれません・・・。」

 病気を治すことが使命であるはずの病院が、病気を引き起こす可能性のあるHIV陽性者を差別する・・・こんなことが許されていいのでしょうか。
 
 しかしながら、残念なことに、こういうことは日本にもあります。

 現在、医療従事者の間である議論が起こっています。それは、「入院時、あるいは手術の前に、患者さんがHIV陽性でないことを確認せよ」というものです。

 なぜ、このような議論が起こるのかを理解していただくために少し説明を加えた方がいいでしょう。

 現在、日本のほとんどの病院では、入院や手術の前に、「特定の感染症」の検査をおこなっています。「特定の感染症」とは、B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、そして梅毒です。

 これらに感染していることが分かると、患者さんは「特別扱い」されることになります。「特別扱い」とは、例えば手術室は他の患者さん用の部屋とは別であったり、同じ手術室を使うとしても、手術の順番が最後にされたり、あるいは点滴や採血の際に、「要注意」というレッテルを貼られます。カルテの表紙には、感染しているという旨を赤色で記載されることも珍しくありません。

 少し考えると分かりますが、これはまったくおかしな話です。というのも、感染症は他にもたくさんありますし、また、未知のウイルスもあるからです。前回お話した、日本で120万人のキャリアがいると言われているHTLVも、「特定の感染症」に入れられていません。この3つの病原体だけが、特別視されるのははなはだおかしいわけです。

 こういうことをおこなう慣習があるために、日本では、これらの感染症に対して差別がなされるわけです。(HIVほどではないですが、日本の医療機関では実はこれらの病原体を持っている患者さんにもある種の差別があります。)
 
 さて、話を戻しましょう。現在、医療従事者の間で起こっている「入院や手術の前にHIVの検査をせよ」という議論は、「これら3つの感染症にHIVを加えよ」、というものです。

 「特定の感染症」が、入院や手術の前に「勝手に」されているのに対して、HIVについては、患者さんの許可を取らなければ検査ができないということになっています。これは、法律で決められているわけではありませんが、おそらくほとんどの医療機関で同意書が必要になっているものと思われます。

 これは、当然のことだと思いますが、皮肉なことに、HIVだけが同意書が必要であるために、HIVだけが強い差別の対象になっているように思われます。

 おそらく、HIVの検査に患者さんの同意書が必要なのは、患者さんの「プライバシーの権利」と「知りたくない権利」を尊重すべきという理論からだと思います。

 しかしながら、そうであるならば、なぜB型肝炎ウイルスなどの検査ではこれらの権利が守られずに、患者さんの同意なしに勝手にされるのでしょうか。一部の医療機関では、HIV以外の感染症に対しても、同意を取るようになってきていますが、全体からみればまだまだ少数派です。

 話がややこしくなってきましたが、ここまでをまとめると次のようになります。

    現在、入院や手術の前には、B型肝炎ウイルスや梅毒などの検査が患者さんの許可なしで「勝手  に」おこなわれている。これらの病原体に罹患していることが分かると、医療従事者から「特別視」さ れる。
    HIV陽性者が増えていることから、入院や手術の前に全員にHIVの検査をおこなうべきだという議  論が起こっている。
    しかし、HIVの検査には通常、同意書が必要であることなどから、「勝手に」検査をすることができ  ず、現状では全例検査はおこなわれていない。

 では、入院や手術の前に、全例HIVの検査をするべきなのでしょうか。

 希望する人もおられるかもしれませんが、私は「すべきでない」と考えています。

 その最大の理由は、現状では、HIV陽性者に対する医療従事者の差別があるのは明らかであり、感染が分かると、患者さんは入院や手術を拒否される可能性があるということです。

 また、全例に検査をおこなうと、医療費が莫大なものになってしまうという問題もあります。

 ちなみに、他の先進国では、このような「特定の感染症」の検査はおこなわないのが普通です。

 「ユニバーサル・プレコーション」と言って、すべての患者さんは病原体を持っている可能性があるわけですから、いちいちそんな検査をせずに、針刺し事故などにはいつも注意をすべき、という考え方が根付いているのです。

 日本も他の先進国にならって、HIVはもちろん、他の感染症についても入院や手術の前の検査はやめるべきだと私は考えています、

 さて、医療機関で差別の対象になっているのは、HIV陽性者だけではありません。以前別のところでも指摘しましたが、セックスワーカーの方は医療機関から差別的な発言をされることが多い、という現実がありますし、ゲイやMSM(men who have sex with menの略、要するに男性同性愛者のこと)の方も、医療機関で嫌な思いを体験されています。

 例をあげてみましょう。これらは、実際にゲイ/MSMの方々から聞いた実話です。

 ある患者さんは、勇気を出して、医師に自分がゲイであることを告げました。すると、その医師は病院の他の複数のスタッフに、「この患者はゲイである」というようなことを大声で伝えたそうです。これでは、プライバシーがまったく守られていません。

 また、ある患者さんは、自分がゲイであることを告げてから、以降その病院では、本名ではなく、イニシャルで呼ばれるようになったと言います。待合室でもイニシャルで呼ばれるので、他の患者さんから不審がられています。

 自分がゲイであることを話してから、スタッフが急に冷たくなったという話は、いくらでもあります。
 
 最後にもう一度問題提起したいのですが、 「病気を治すことを求めて病院を受診された患者さんを、その病気で差別したり、あるいは職業やアイデンティティで差別したりする」というようなことがあっていいのでしょうか。

 次の一文はヒポクラテスの誓いとして掲げられています。

 「人種、宗教、国籍、社会的地位の如何によって、患者を差別しない。」