メディカルエッセイ

13 病苦から自ら命を絶った男 2005/4/17

ここ数年間、日本では毎年3万人以上の人が自殺をしています。人口当たりの自殺者(いわゆる自殺率)を国際比較すると、日本は先進国のなかではトップです。全世界でみると第10位ですが、9位までは、先進国とは呼びにくい旧ソビエト連邦の国や東欧諸国ばかりですから、先進国のなかでは日本が第1位となるというわけです。

 マスコミなどでは、「リストラを苦に自殺」とか「生活苦からの死」などといった報道が多いようですが、実は自殺の原因でもっとも多いのが「病苦」です。日本では、病気を苦にして自殺する人が多い、というのが特徴なのです。

 救急医療の現場にいると、自殺未遂の患者さんがよく搬送されてきます。自殺の方法は、リストカットであったり、薬物の大量服用であったり、飛び降りであったり、と様々ですが、本当は死にたくなくて他人の気をひきたいだけ、というものもけっこうあります。

 しかしながら、本当に死を決意して自殺を図り、運よく(?)助けられたという症例もあります。また、そのときは救命できたけれども、再び自殺を図り、本当に亡くなられた方もおられます。今日はその亡くなられた患者さんのことをご紹介したいと思います。この患者さんは、若くして糖尿病を発症した患者さんです。糖尿病というと生活習慣病の代表で、生活の不摂生からおこると思われることが多いようですが、なかにはウイルス感染などをきっかけに、生活習慣とは関係なく発症するタイプのものもあります。(これを「Ⅰ型糖尿病」と呼びます。生活習慣からくるタイプは「Ⅱ型糖尿病」と呼びます。)

 医療従事者と話をしても、「不治の病、要するに、治療方法がない病気もあるのだから、Ⅰ型糖尿病のようにインスリン自己注射という効果的な治療法がある病気はそれほど重病じゃない」と考えている人が多いように感じます。しかし、本当にそうでしょうか。Ⅱ型糖尿病のように、自分の生活態度がもたらした病気であれば、ある意味で「自業自得」と言えるかもしれません。けれども、Ⅰ型糖尿病というのは、本人の態度とはまったく関係なく発症するのです。そして、いったん発症すると、一生インスリンの注射を打たなければなりません。「注射だけ打っていればそれでいいならたいしたことないじゃないか」そのように思う人もいるかもしれません。

 しかしながら、患者さんと話をすれば分かりますが、実際はそんなに単純な話ではありません。注射といっても、一日一回いつでも好きな時間に打てばいい、というわけではないのです。インスリンは、毎日欠かさず、1日に2回もしくは3回も決まった量を打たなければなりません。さらに、それだけではありません。日に三度の食事も、ある程度決められた量を決められた時間に摂らなければならないのです。激しい運動も制限されます。そして、これらの制限に従わなかった場合、低血糖発作を起こし(血糖値は下がりすぎると非常に危険です)、意識を失い、救急搬送されることもよくあるのです。
 
 私がある救急病院で当直の仕事をしているとき、救急車で若い患者さんが搬送されてきました。その患者さんは28歳の男性で、18歳の頃からⅠ型糖尿病を患っていたそうです。搬送の理由は、自殺目的でインスリンを大量に注射し、低血糖発作を起こし、意識をなくしているところを家族に発見されたというものです。

 低血糖発作の場合、ブドウ糖を静脈注射すればすぐに意識が戻ります。この患者さんの場合も、ブドウ糖を注射するとすぐに意識が戻りました。こういうことはよくあることですが、意識が戻ったとたんに、彼は我々医療従事者に暴言を吐きました。「なんで死なせてくれへんねん!」、その患者さんは何度も叫びました。

 しばらくすると落ち着いてきたようで、やがて私にまともに話をしてくれるようになりました。彼によると、18歳のときに糖尿病を発症し、その現実をしばらく受け入れることができなかったそうです。

 18歳と言えば、いろんなことをやりたい時期で、例えば遊びにいったり旅行に行ったりすれば、眠らずに夜通し起きていることも普通はあるわけです。ところが、彼は、規則正しい生活を送って、決まった時間に食事を摂らなければならないのです。もちろん暴飲暴食などできません。友達との遊びが盛り上がっていたとしても、例えば徹夜で遊ぶなどということはできないわけですし、夜中に食事をしようということになっても彼だけはできないわけです。そんなことを18歳の青年に強いるのはかなり酷なことです。案の定、徹夜で遊んでエネルギーを過剰に消費し、その結果低血糖発作を起こしたことも何度もあったそうです。

 やがてそんな彼にも彼女ができました。彼の病気のことを理解してくれて、お互いに心から愛し合っていたそうです。数年後には結婚の話もでました。

 ところが、です。彼女の親に挨拶に行くと、彼女の両親は、「結婚など絶対に反対だ」、と言って彼の話を聞いてくれなかったそうなのです。彼によると、彼女の両親から、「病気をもった障害者とうちの大切な娘を結婚させるわけにはいかない」と言われたというのです。結局、彼女の両親の反対でふたりは別れることになったそうです。

 自分は何も悪くないのに、糖尿病という病気になって、最愛の女性の両親から障害者と呼ばれ、別れなければならなくなったのです。これほど辛いことがあるでしょうか。この頃から彼の精神状態は再び悪化し、精神安定剤がなければ眠ることもできなくなったそうです。

 社会からほとんど交流を断つような生活を数年続けて、やがて彼は社会復帰しました。仕事もみつけ、まともな暮らしをするようになったそうです。そんなとき、新たに彼女ができました。

 ところが、この彼女は、以前の彼女と異なり、なかなか病気のことを理解してくれなかったそうなのです。以前の彼女が、彼の病気をそのまま受け止め悲しみも苦しみを分かち合ってくれたのに対して、新しい彼女は、「病気なんか気にしないで前向きに生きていけばいい」ということばかりを言っていたそうです。この彼女の言葉も分からないでもないのですが、やはり彼としては、悲しみを共に感じてくれる以前の彼女のような態度を求めていたのです。

 結局、その彼女の考え方についていけず、数年後には別れることになったそうです。救急車で運ばれてきたときの彼は、もう何もかも嫌になったと言いました。仕事を見つけても、病気のことで何かと差別的な扱いを受けることが多かったと言います。

 「先生、朝がくるのがどれだけ辛いことか分かりますか。」

 この言葉が、私にとって最も印象的でした。毎晩眠れない夜を迎え、酒と大量の睡眠剤を使って、なんとか寝るようにはするのですが、朝起きたときに痛烈な苦痛がやってくるそうなのです。「朝がくるのが辛い・・・」。言葉の意味は分かりますが、私には真の意味で共感することができるとは言えません。私が経験したことのない苦しみなのです。

 幸い、この日は救急外来を受診する患者さんがそれほど多くなく、私は時間がとれれば彼の病室に行き、話を聞くようにしました。けれども、なんとか生きる希望を与えたいのですが、どんな言葉をかけていいかが分かりません。ひたすら黙って話しを聞くしか私にはできませんでした。

 やがて、彼は言いました。「今まで多くの精神科の先生にみてもらって、ひとりだけよくしてくれた先生がいた。明日その先生のところに行ってみる。」私はこの言葉を聞いたとき、心底ほっとしました。もう一度、生に向かってすすんでくれるんだ、私はそれを実感しました。

 私は少しだけ嬉しくなって、彼の病室を後にしました。私がその病院を出る朝7時頃にもう一度病室を覗いてみたのですが、彼はぐっすりと眠っていました。「あとはその精神科の先生に任せよう」、そう思って病院を出ました。

 ところが悲劇はその直後に起こりました。後から聞いたのですが、彼は私が病院を出たおよそ30分後に、病室のカーテンを首に巻いて、自殺を図ったのです。そして、今度の試みの結果は・・・・、最悪のかたちでした。

 私は自己嫌悪に陥りました。彼が「精神科の先生のところに行く」と言ったのは、単に私を安心させるためだったのです。私が彼を死に追いやったのではないのか・・・・。今でもその思いは拭えません。

 この事件以来、私はⅠ型糖尿病の患者さんを診ると、必ず彼のことが頭に浮かびます。私にとって、特別の思い入れのある病気が、Ⅰ型糖尿病なのです。

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2018/09/25

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