メディカルエッセイ

第14回(2005年8月) 習慣としての奉仕

 発生から四ヵ月以上がたち、インド洋(スマトラ島沖)大津波について語られることが少なくなってきたように思います。振り返ってみると、あの津波によって、死者・行方不明者の総数は30万人となりました。現在もPTSDに苦しんでいたり、身寄りをなくして生活に不自由している子供たちが大勢います。

 マスコミの報道だけをみていると、あの津波についてのニュースは最近ほとんどありませんし新たに大きな天災が起こってもいませんから、普通に生活をしている限りは世界で困窮している人々のことを考える機会はほとんどないのではないでしょうか。

 しかしながら、現在も水がない、食料がない、衣類がない、医薬品がない、安全な環境がない、などの理由で支援を必要としている人が大勢います。

 例えば、スーダンで20年以上続いた南北間の内戦は、2005年1月9日に包括的和平協定が結ばれたことにより一応は終戦となりましたが、この内戦によって発生した難民はまだまだ大勢います。スーダンの西側に位置するチャドに内戦から逃れるために避難しているスーダン難民は約20万人もいます。単純に数字だけで比べられるものではありませんが、インド洋大津波の死者・行方不明者のおよそ3分の2にあたる人々が、スーダンの内戦から逃れるために隣国に避難しているのです。

 そして、この20万人の難民のうち、およそ8割が女性と子供です。このなかには、自分の夫や父親が内戦で死亡したという人達も大勢います。そして、家を襲撃されたり暴力を受けたりしてPTSDになっていると思われる人たちもいるわけです。

 スーダンだけではありません。アフガンの難民はまだ数百万人もいます。タリバン政権が崩壊した2002年以降、少しずつ故郷に戻ることのできる人が増えてきていますが、まだ数百万人の人たちが故郷に戻れずにいるのです。

 また、慢性的な水不足に苦しむ人々は、世界29ヶ国でおよそ4億5千万人もいると言われています。水は飲むだけでなく、手を洗ったり洗濯をしたり、清潔な衛生状態を保つために不可欠なものです。世界で20億人以上の人々は、清潔な衛生状態になく、水を原因とする病気は8秒に1人のペースで幼児の命を奪い、途上国の死因の80%を占めます。

 インド洋大津波のときはその衝撃的な映像がメディアを通して流れましたから、被害の状況がわかりやすかったと思いますが、今お話したような、スーダンの状況や、アフガンの難民、不衛生な環境で苦しむ人々といったようなことは、なかなかマスコミでは報道されません。

 しかしながら、こういった支援を必要としている人々の情報というのは、誰もが常に意識している必要があると私は考えています。

 では、私はどのようにしてこのような情報を入手しているかというと、主にユニセフやUNHCR、日本赤十字のホームページからです。また、これらの機関から定期的に送られてくる冊子からも情報を得ることができます。これらの冊子は、定期的にこれらの機関に寄付をしていれば無料で送ってきてくれますから、興味のある人は寄付をしてみてはいかがでしょうか。

 以前、別のところでも述べましたが、テレビ局などが主催する基金に寄付をしても領収書の発行もしてくれませんし、こういった情報も入手することができません。そういった点からも、ユニセフやUNHCRなどの組織に寄付をする方がずっと有用だと私は考えています。

 奉仕、例えば寄付金なんていうものは、黙って匿名ですべきものと以前の私は考えていました。「○○円の寄付をした」などといったことを他人に言うのは、単なる偽善、あるいは有名人であれば売名行為であると思っていたのです。それに、最後まで誰にも言わず寄付を続けていくことが男の美学であるように感じていたのです。

 けれども、今の私は違います。例えば、「今日は久しぶりにパチンコに行って5千円負けてしもたわ~」というようなことを隣に住む人に言う感覚で、「財布に5千円あったから、明日になったら給料も入ることやし、スーダン難民に寄付してきたわ~」と気軽に言えるような社会がいいのではないか、と感じています。

 もちろん、5千円もの大金を気軽に寄付できる人というのはそう多くはないでしょう。これに対し、5千円が大金でないと感じる人もいるかもしれません。いくらくらいの額を寄付したりボランティアに使ったりするのが望ましいのかということを私はよく考えるのですが、ある人が興味深いことを言っていましたので紹介いたします。

 その人は、毎年年収の1%を奉仕に使うと言います。その人の年収がいくらかは知りませんが、例えば600万円だとしたら6万円を寄付などに使っているわけです。私はこの「年収の○%」という考えに、なるほど、と思いました。

 私は医師という立場もありますし、タイのエイズ施設に深く関わるようになりましたから、とりあえず、今年の奉仕に使う金額の目標を年収の10%に想定しています。例えば今年がんばって600万円の収入を得ることができたら、60万円を奉仕に使うつもりです。

 ちなみに、ユニセフやUNHCRなどの組織に寄付した場合、年収の4分の1マイナス1万円までは税控除の対象となります。例えば年収1千万円であれば、4分の1の250万円から1万円を引いた金額、すなわち249万円までは控除されるのです。ということは、日本政府としても、年収のおよそ4分の1を寄付に使うことを奨励しているのでしょうか。だとしても、今の私は年収の10%が限界で、なかなか4分の1まではおこなえません。まあ、将来的な目標ということにしておきたいと思います。

 ところで、寄付をおこなったり、あるいはボランティア活動をしたりといった意識が生じるのはもちろん「良心」からであります。なかには「満たされない日常を埋め合わせるために被災地に行ってボランティアに参加する」という人もいると思いますが、大半の人は「良心」から寄付やボランティアをおこなっているものと私は考えています。「良心」とは、本当はすべての人が持ち合わせている、古今東西変わることのないひとつの真理(原理、または原則)なわけです。

 よく、寄付をおこなうのは単なる自己満足だ、と言う人がいますが、たとえ自己満足であったとしても、それは寄付をおこなうという行動に満足しているのではなく、「良心」に従って行動しているということに対する満足なのです。

 寄付やボランティアにかかわらず、いつも「良心」に従って行動すると、揺ぎ無い不変の自己を意識することができますから、例えば周囲の環境がどのように変化しようと、何も動じることはないのです。

 私は、他人からみればいつも変わった行動をとっていると思われがちですし、また組織に所属していなくて不安じゃないの、と聞かれることもありますが、私はいつも「良心」に従って行動しているということを自負していますから、何も動じないのです。組織の理屈で動くよりも、自分の「良心」に従って行動した方が、ずっと自信に満ちたものになります。なぜなら、組織を構成するのがたかだか数十人から数千人なのに対し、「良心」を支持してくれる人は世界中に何十億人といるからです。

 最近、日本の先行きを不安に思わせるような新聞記事をみかけました(日経新聞2005年4月30日)。その記事によりますと、新入社員の約4割が「自分の良心に反しても会社のためなら上司の指示通り仕事をする」と答えているというのです。

 これは問題です。他国での調査がないから分かりませんが、おそらくこのような調査結果が出るのは日本だけではないでしょうか。いつから日本人とはこのような民族になってしまったのでしょうか。いえ、あるいは昔からそうなのかもしれません。一連の銀行の不祥事や、最近では大阪市の公務員の事件などをみてみても、以前から日本人とはそのような国民であったのかなという気がしないでもありません。
 
 最後に、ある人が述べた私が大好きな言葉をご紹介したいと思います。

 「奉仕とはこの地球に住む特権を得るための家賃である」