メディカルエッセイ

第19回(2005年7月) 「年齢が理由で医学部不合格」は妥当か

 群馬大学医学部を受験した東京都目黒区の主婦(55歳)が、「合格者平均以上を得点しながら年齢を理由に"門前払い"されたのは不当」と入学許可を求めて前橋地裁に提訴した、という事件が報道されました。

 簡単にこの事件を復習しておきましょう。
 
 2005年の群馬大学医学部を受験したこの主婦(佐藤さん)は、5月下旬に同大学から送られてきた封筒を開けて驚いたそうです。

 合格者の平均点は551.2点。佐藤さんの得点はそれを10.3点上回る561.5点だったそうです。「本当は合格だったのが、間違って不合格にされたのでは」、佐藤さんはそう考えてすかさず大学に電話を入れました。

 応対した担当者は「合格者の平均点を超えているのに、なぜ不合格なのか」という問いに、「センター試験、個別試験、小論文、面接、調査書のいずれかに著しく不良のものがある場合は不合格もありうる」と入試要項の一文をそのまま読み上げたといいます。

 「では私の場合、著しく不良だったのは面接だったのか」と佐藤さんが尋ねると、この担当者は「総合的に判断した」と言葉を濁したそうです。なかなか引き下がらない佐藤さんに、担当者は「個人的見解」と前置きした上でこう言ったそうです。

 「国立大学には長い年月と多額の費用をかけて社会に貢献できる医師を育てる使命がある。しかしあなたの場合、卒業時の年齢を考えたとき社会に貢献できるかという点で問題がある」

 このときに、佐藤さんは自分の年齢が不合格の理由だったことを悟りました。「時間を費やし、入れ込んで勉強しただけに、年齢が理由で不合格にされるのは、やり切れない。「総合的な判断」で年齢が考慮されるなら、最初から入試要項に明記しておいてほしかった。何のために三年も頑張ってきたのか...」

 この思いは当然でしょう。ちなみに、2003年には熊本大学を卒業した六十六歳の男性が医師国家試験に合格しています。

 さて、この事件をめぐって、医師専用の掲示板やメーリングリストでは、多数の意見が飛び交いました。新聞などマスコミの取材に答えた医師もいます。

 例えば、2005年7月5日の東京新聞の記事によりますと、都内の外科医(41歳)は「多額の税金を使う国立大学医学部の場合、育てた医者の将来的な社会的貢献度を尺度にするのは間違っていない。この女性が一人前の医者になるのは60歳代半ばで、体力的に難しい。研究医ならまだしも、女性が希望する臨床医は難しいだろう」との見解を述べています。

 医師が意見を述べている掲示板やメーリングリストでもこのコメントに同調するような意見が多数ありました。

 「高齢者医学部入学反対者」の述べている理由をまとめてみると次にようになります。

①高齢者(何歳から高齢者かは分かりませんが)が医学部合格を果たして卒業したとしても、一人前の医師として働ける期間は長くない。これは税金の無駄遣いである。

②医師は他の職業よりも体力と知力が要求される。体力が衰えて、記憶力の鈍った高齢者に適切な医療はできない。

③高齢の研修医は、年下の指導医や看護師などのパラメディカルが指導をおこないにくく迷惑である。

④高齢者が医学部に入学することによって、若い受験生がひとり不合格になる。この若い受験生が気の毒である。

 ①が最も多い意見ですが、②や③や④の意見を述べる医師も少なくありません。

 では、ひとつひとつを検証していきましょう。

 まず、①ですが、「医師として働く期間が短いのは税金の無駄遣い」というのであれば、医学部合格者は全員が医師となり、長期間働かなくてはならなくなります。けれども、実際は、医学部に合格したものの途中でドロップアウトする者もいますし、医師になったけれども、結婚や出産を機に退職する女性医師は珍しくありません。数は多くありませんが、他の職業に転職する者もいます。

 たしかに、自治医大や防衛医大のように、卒業までの費用全額を行政が負担しているような大学では、卒業してから一定期間は、行政の人事命令どおりに働く必要があるでしょう。

 しかしながら、群馬大学も含めて普通の大学ではそのような規制はないはずです。そもそも憲法では「学問の自由」が保障されています。年齢を理由に、不合格とするのは明らかに憲法違反です。

 私は27歳で医学部に入学しました。27歳であればほとんどどこの大学でも年齢を理由に不合格になることはないでしょうが、私が面接でも答えた医学部の志望動機は、「臨床医になりたい」ではなく、「社会学的な観点から医学を学びたい」というものでした。結局、臨床医になったわけですが、当時の私は、「卒業までに税金が投入されるのは分かっているが、それは他の学部でも同じで(金額は違うでしょうが)、学問を学びたいという理由があり合格点を取れば、入学を拒む理由はどこにもない」という考えをもっており、それは今でも変わっていません。

 佐藤さんの件に話を戻すと、彼女が言うとおり、年齢を理由に不合格にするならば、大学は初めからそれを示すべきで、願書を受けつけるべきではありません。そんなこと、誰が考えても分かることで、わざわざ司法の判断を待つこともないように思えます。おそらく、大学側としては、裁判では、年齢以外の不合格の理由を立証しようとするのでしょう。

 次に②ですが、それを言うなら、障害者の医学部入学も制限すべきという理論にならないでしょうか。現在の医師法では、全盲者であっても全聾者であっても医師国家試験を受験することができます。医学部生の間に、あるいは医師になってから、病気や事故で、体力のいる仕事ができなくなる医師だっているでしょう。②の意見を述べる人は、そういう医師に対してどのように思っているのでしょうか。

 ③はおそらく社会というものが分かっていない人が発言しているに違いありません。どこの職場に行っても、上下関係というのは年齢ではなく、キャリアで決まります。私が企業で働いていたときは、年齢がずっと上の後輩がいました。また、19歳時にウエイターをしていたときは、17歳の先輩がいましたし、30歳の後輩がいました。もちろん17歳の先輩には絶対的な敬語を使いますし、私が仕事でミスをすれば容赦なく手や足が出ました。そして、30歳の後輩には容赦なく厳しい指導をしました。これは社会の常識で当然のことです。

 こんなこと、学生のアルバイトでも分かることですが、③のような発言をする人は社会に出たことがないばかりか、学生のときも家庭教師や塾講師など、他人から「先生、先生」と呼ばれる仕事しかしていないに違いありません。

 ④は、明らかに不当な年齢差別で、「高齢者は長生きしないから選挙権を与えない」と言っているのと同じようなものです。

 私自身の臨床の経験で言えば、社会人を経験していて得したことは山ほどありますが、逆に損をしたことは一度もありません。社会人の経験があると言うだけで、いろんなプライベートな話をしてくれる患者さんは少なくありません。その逆に、「社会人の経験のあるような医師には診られたくない」という患者さんにはお目にかかったことがありません。

 私はまだ30代ですし、(当たり前ですが)主婦の経験もなければ、身内を介護した経験もほとんどありません。そういう意味では、佐藤さんの視点は私とはまったく異なるわけで、佐藤さんだからこそ心を開く患者さんもきっとおられることでしょう。

 誤解を恐れずに言うならば、年齢ではなく、「プライドを満たしたい」とか「裕福な暮らしがしたい」という理由で医学部を受験する輩を不合格にしてもらいたいものです。


参考:メディカルエッセイ第148回(2015年5月)「高齢の研修医はなぜ嫌われるのか」