はやりの病気

第20回 赤ちゃんが泣き止まない 「疝痛」 2005/11/15

「疝痛」という言葉をご存知でしょうか。

 赤ちゃんは普通、生後3週間から3か月にかけて最も良く泣き、特に午後から夕方にかけて激しく泣きます。それは「疝痛」と呼ばれるものかもしれません。

 一般的には、3時間以上泣く日が週に3日以上あり、それが3週間以上続くとき、それを「疝痛」と呼びます。

 「疝痛」の原因は、実はよく分かっていません。これまで提唱されている最も有力な説は、赤ちゃんのいろいろな体験が未熟な神経系統に負担になり、その結果、胃や腸などの赤ちゃんの身体の器官が過剰に反応する、というものです。胃や腸などの消化管が過剰に反応した結果、落ち着かなくなって泣いてしまう、というわけです。

 ただ、この説にはしっかりとした証拠がなく、そのため「疝痛」に対してどのようにすべきか、という言わば治療法については確立したものはありません。そのため、特に最初の赤ちゃんをもうけたご両親は、どのように対処していいか分からず悩まれることになるでしょう。なかには、育児問題、夫婦のストレス、産後うつ病、不必要な救急室受診、あるいは揺さぶられっ子症候群などに苦しまれる親御さんもおられることでしょう。
 
 「疝痛の原因は何かという3,000年も前からの医学の謎が、これで解明される可能性がある。」

 そのような画期的なコメントを携えながら、最近ある米国の学者が自説を発表し注目を集めています。その学者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部小児科准教授のHarvey Karp博士(以下、Karp博士)です。

 Karp博士によると、「疝痛」は、従来言われてきたような消化管の反応ではなく、「子宮内の一定の音と刺激を恋しがっているから」生じるそうなのです。ほとんどの場合、乳児が泣くのは緊急事態のせいではなく、乳児が世話を必要としているためであると博士は言います。

 Karp博士の理論では、乳児はいわば「第4三半期」の前に、すなわち完全に発育する前に、母胎から出されてしまうのです。

 これには、なるほど、と思われるところがあります。考えてみると、動物のなかで人間だけが未熟なかたちで誕生します。他の動物は、生まれると同時に歩行が可能であり、まだ自分でエサを探しに行くことはできませんが、人間の赤ちゃんほどは手間がかかりません。

 一方、人間の赤ちゃんは、生まれると同時に手厚いケアがなければ、数時間あるいは数日で死んでしまいます。動物に比べて、人間は早く生まれすぎているのではないか、そのように感じずにはいられません。

 では、なぜ人間の赤ちゃんだけがまだ未熟なうちに子宮から追い出されて誕生しなければならないのか・・・。

 人間は他の動物に比べ、脳が発達し大きくなりすぎたために子宮に収まりきらなくなったのではないか・・・、私はそのように考えています。

 もしも脳ではなく、他の臓器が発達して大きくなりすぎ、そのために早く生まれなければならないとしたら、数時間で死んでしまうかもしれません。けれども、人間は脳を発達させたおかげで、高い知能を持つことができるようになり、そのために未熟な赤ちゃんが誕生しても、適切なケアをおこなうことができるのです。

 さて、私の仮説はさておき、Karp博士の理論をもう少しみてみましょう。

 「疝痛」は生後3ヶ月を過ぎると止まるようになります。また、早期産児の場合は、予定日の2週間後になるまで「疝痛」は認められないそうです。「いろいろな意味で、新生児は出生時には誕生の準備ができていないため、やさしく撫で、抱き、しーっと声をかけてもらう第4三半期を必要とする」、と博士は言います。

 要するに、通常分娩であれば2~3週から3ヶ月の間が、本来、子宮内に滞在すべき期間であり、子宮内の環境が突然剥奪されたために、泣き出すというわけです。

 であるならば、治療法は決まってきます。子宮内の環境をできる限り人工的につくりだせばいいのです。Krap博士は、子宮内の経験の模倣をすべき、と述べた上で、具体的に次の5つの方法を提唱しています。すなわち、

 ①布でくるむ(swaddling)

 ②横向き・うつ伏せにして(side/stomach positioning)親が抱く

 ③しーっと言う(shushing)

 ④ゆらす(swinging)

 ⑤おしゃぶりを吸わせる(sucking)

の5つです。

 覚えやすくするために、Krap博士はこれら5つの行動をすべて「s」で始まる単語で説明し、「5つのS」を覚えるように薦めています。

 さらに、これらの行動に補足を加えています。

 「泣いている乳児を両腕を体の横につけ伸ばした状態でぴったりと布でくるむと、最初はよけいひどく泣くかもしれないが、乳児を横向きに抱いて頭と首を支えてやさしくゆらすと、乳児は直ちに泣き止む。必要ならば、さらに、乳児の泣き声と同じくらい大声でしーっと言うべきである。」

 Krap博士は、単に自分の考えを主張しているだけではなく、実証科学的な検証もおこなっています。ひとつは、従来言われてきた「胃腸障害説」の否定です。胃腸障害の最たるものは胃酸逆流ですが、博士の研究によると、救急室に搬送された号泣乳児50例のうち実際に逆流が認められたのは1例のみだったそうです。

 また、胃腸障害以外ではミルクアレルギーの関与が以前から指摘されていましたが、実際にミルクアレルギーで疝痛を起こしている乳児は10-15%程度に過ぎないそうです。

 ここで一点補足しておくと、ミルクアレルギー以外にも赤ちゃんの疝痛の原因になっていると思われるものがあります。

 それはお母さんの食事の内容です。たばこ、アルコールはもちろんですが、強い香辛料、ぶどうなどで母乳の味が変わり、赤ちゃんが嫌がったり母乳を飲まなくなることがあります。また油類のとり過ぎにも注意しなければなりません。

 Krap博士の理論に戻りましょう。

 胎内では、胎児は電気掃除機よりも大きなシューッという音を聞いているそうです。しかし、出生後は静寂であるためにこの点が子宮内の環境との相違になります。そこで博士は、「乳児は、眠りを誘うリズミカルな音と動きを恋しがっている」と述べ、さらに「過剰な刺激を与えることは、刺激が足りないことほど大きな問題では到底ない」と続けます。

 刺激が足りないよりも過剰な刺激を与える方が乳児にとってはいいことであるなら、静かな環境でミルクを飲んでいるときに寝てしまった赤ちゃんに対してはどのようにすべきなのでしょうか。

 博士は、「もう少し乳児を起こしておかなければならない」と言います。またそうすることにより、結果として現在よりも1-2時間長く眠ることができる、と続けます。

 しかし、このKrap博士の理論は完全に信用していいのでしょうか。ミルクを飲んで気持ちよく眠っている赤ちゃんを起こすとなると、お母さんにかなりの心理的抵抗が生じるのではないでしょうか。

 一度提唱された理論が、実は間違っていることが分かった、などということは科学の世界ではよくあります。この博士の理論もいつ撤回されるか分かりません。

 実際に、Krap博士の「5つのS」を堂々と自信を持っておこなえる日はもう少し先になりそうです。