マンスリーレポート

2006年8月号 医師が家族と過ごす時間 2006/08/10

 「黎明」という表現はおこがましいでしょうが、組織を起こすのはやはり初めが肝心であり、また大変であり、現在のGINAもそういう真っ只中にいます。
 
 で、何が大変かというと、もちろんいろいろとあるのですが、現実的には「時間」と「お金」です。
 
 私が以前から何度も指摘しているように、医師という職業は他に類をみない売り手市場であります。つまり、慢性的な人手不足です。ですから、週末勤務や夜勤の仕事はすぐに見つかり、こういう仕事を増やせばある程度はお金を稼ぐことができます。GINAは非営利組織でありますから、活動を活発にすればするほど出費がかさみます。これを補うために、現在私は週におよそ100時間のペースで医師としての仕事をしています。

 けれども、週末勤務や夜勤を増やすことによって、GINAの活動の時間そのものが制限されてしまいますから、GINAの費用を捻出しなければならないが、そちらに傾きすぎるとGINAの活動が充分にできなくなってしまう、という微妙なバランスに常に注意を払っていなければなりません。

 医師という職業の特徴のひとつは、勤務時間だけが仕事ではない、ということです。診断がつかなかったり、初期治療にそれほど効果が認められなかったりする場合には、それに対する調査(勉強)をおこなわなければなりません。最終的に、他の専門病院に行ってもらうことになることもありますが、その場合でも、その施設での診断や治療を学ばなければなりませんから、これはこれで大変です。

 日頃から最新情報を知っていなければならない、という使命が医師にはあります。私が研修医の頃にはなかった薬剤や検査法、治療法などがたくさん登場してきていますし、以前からある薬剤でも、注意書きの内容が変わったり、新たな効果が報告されたりすることも頻繁にありますから、こういったことにも対応できなければなりません。

 手術件数を増やしたり、あるいはセミナーなどに出席したりして、技術の向上につとめなければなりませんし、新しく出版される教科書も読まなければなりませんし、所属学会からは定期的に学会誌が送られてきますし、世界中で毎日大量に誕生している論文にも目を通さなければなりませんし、文字通り時間はいくらあっても足りません。

 さらに、医師であれば学会や研究会での発表をおこなわなければなりませんし、論文も書かなければなりません。これらに取られる時間も相当なものです。発表や論文は英語でおこなわなければならないことも多く、そのためほとんどの医師は日頃から英語の勉強を欠かしていません。私の場合は、英語に加えタイ語が加わります。GINAの活動はタイ国に関連するものが多いため、タイ語が不可欠になってくるのです。

  以前、ある人が、「医者は高級車を乗り回して、毎日のように高級クラブに通って、週末はゴルフ三昧なんでしょ」、と言っているのを聞いたことがあるのですが、少なくとも現在の日本においてはこんな医師はひとりもおらず、このような医師像は「都市伝説」のようなものです。

 たしかに、高級車に乗っている医師もいますが、残念なことにそれを乗り回す時間はそれほどありません。医師であれば夜間に呼び出されることも頻繁にあり車が必要になるため、自動車所有率は高いと思いますが、必ずしも高級車に乗っているわけではありません。(ちなみに私の車は12年落ちの国産で、購入価格は45万円。「当て逃げ」されてへこんでいるところを修理する金銭的余裕はありません。)

 高級クラブやゴルフに通う、というのも医師である限り事実上不可能です。その医師の立場にもよりますが、夜間や休日に呼び出されることもあるため、お酒を度々飲むわけにはいかないのです。私の場合、医師になってからお酒を飲むのは2~3ヶ月に一度程度になりました。(ちなみに商社勤務時代には週に3~4度程度はお酒を飲む機会がありました。)

 そんな医師にも家族というものがあります。
 
 私は、結婚の経験がなく、ひとりで暮らしていますから、夜勤や週末の勤務を積極的におこなうことができますが、パートナーや子供がいれば、いくら多忙でも家族のための時間をどこからか捻出しなければなりません。

 職業人としての医師の立場からすれば、いくら遅い時間に帰宅しても、先に述べたように「勤務時間以外の仕事」をおこなわなければなりません。語学の勉強も待っています。

 しかし、家族の一員としての立場からすれば、パートナーや子供との語らいの時間が必要です。

 そして、実際かなりの医師が、仕事と家庭の両立の困難さに悩んでいます。

 以前新聞に、ある大学病院の男性産婦人科医の話が載っていました。その産婦人科医は、夫婦や家族関係についての研究や臨床で有名で、夫との人間関係がうまくいかないという女性の患者さんをたくさん診ており、なかには、この医師に相談にのってもらうために遠方から来られる患者さんもおられるそうです。

 ところが、この医師は、自分の奥さんから、「あなたは夫としても父親としても最低」と言われているそうなのです。この原因は、おそらく、この医師の多忙さが家族との語らいの時間をなくしてしまっていることと無関係ではないでしょう。

 先日発表された、国立女性教育会館の実施した「家庭教育に関する国際比較調査」によりますと、父親が子供と平日に一緒に過ごす時間は、日本が3.1時間で韓国の2.8時間についで世界6カ国中下から2番目だったそうです。その一方で、母親が接する時間は7.6時間と6カ国中で最長だったそうです。

 もしもこの調査を日本の男性医師でおこなうと、とても3.1時間などには及ばず、想像するのも恐ろしいような数字になるでしょう。仮に子供が夜10時に寝るとすると、3.1時間を確保しようとすれば夕方の6時50分から接し始めなければならないことになります。毎朝1時間を確保するとしても、夜7時50分には帰宅していなければならないことになります。医師は朝も早いため、毎朝1時間もの子供と接する時間を確保することは不可能です。

 この調査によれば、父親が最も子供と長い時間接しているのはタイ国で5.9時間です。一般的なタイ人はよほどのことがない限り残業をしませんし、子育ては夫婦でおこないますからこのような数字になるのでしょう。実際、タイ人と話していると、彼(女)らの強い家族の絆を感じることが頻繁にあります。「多くの日本人は残業をしている」、という話を以前タイ人にしたことがあるのですが、「日本人はいったい何のために働いているの?」、と不思議そうに質問されてしまいました。

 しかし、そのタイでも医師は例外的な職業であるようです。給与は高いが勤務時間が長すぎるために医師は人気職業ではない、という記事を以前タイの新聞で読んだことがあります。タイ人にとっては、いくら高級でも家族との時間が減るのなら意味がないようです。

 「医者の不養生」という言葉があり、通常は、「患者さんに健康指導をすべき医師自身が不健康な生活をしている」、といった意味で使われますが、家族との絆という意味でこの言葉をあらためて考えてみればどうでしょう。

 「患者さんを診る前に、自分の家族と良好な関係を維持すること」、が大切だと私は考えていますが、現在の日本の医師が担っている役割と責任を考えると、現実的ではないかもしれません。

 医師の数を倍にして、勤務時間を半分にして、できた時間を家族と接する時間と勉強にあてる、というのが私の提案ですが、今の日本では絵に描いた餅なのでしょう。勤務時間が半分になれば、当然収入は半減しますから、この点に同意が得られない、という問題もあります。

 けれども、年収数十万円で家族一同幸せそうにしているタイの家庭をみると、やっぱり羨ましいなぁ・・・と思ってしまいます。

 GINAが始まったこの時期は仕方がないですし、新しいクリニックをオープンさせてからしばらくも、長時間の勤務は避けられないでしょうが、それでもいずれは、家族との時間や勉強時間をゆったりととりたいものです。