マンスリーレポート

2010年5月号 ドラッカーはどこまで社会に浸透するか

ピーター・ドラッカーが大変なブームになっています。

 ドラッカーが書いた古い書物が売れており、ドラッカーの解説本も次々と出版されているようです。『週間ダイヤモンド』は4月17日号で、丸々1冊をドラッカーの特集としました。

 このように"バブル"とも言えるドラッカーのムーブメントが巻き起こったのは、おそらく昨年(2009年)末に発刊となった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』がきっかけだと思われます。

 この本は、発売から半年足らずですでに51万部を突破しており、驚異的なベストセラーとなっています。しかし、私はこの本のことを初めて知ったとき、「こんな本、きっと売れないだろう・・・」と感じていました。

 そもそも、高校の野球部のマネージャーがドラッカーの書物を手にすることが不自然ですし、たとえ手に取ったとしても、難解なドラッカーを読みこなすことなど考えられません。しかも、ストーリーは、ドラッカーを読んだマネージャーが野球部を甲子園に連れて行く、というではないですか・・・。こんな現実離れした物語にいったい誰が興味を示すのだろう、私はそのように感じました。さらに、表紙の絵が子供向きというか、最近はこういうのが流行りなのかもしれませんが、あまり手に取る気のしないものだったので(もっともこれは好みの問題ですが・・・)、まあ、ともかくこの本はミーハーな人たちが読むようなもので、私には縁がないだろうと思っていました。

 ところがところが、私の予想に反して、『もし高校野球の・・・』(以下『もしドラ』)は驚異的なスピードで売上を伸ばしています。多くの週刊誌やビジネス雑誌が『もしドラ』を取り上げるようになり、インターネットでも話題となり、ついにドラッカーの難解な本までもが書店に平積みされるようになりました。

 しかし、決して易しくはないピーター・ドラッカーはどこまで社会に受け入れられているのでしょうか。

 私が初めてピーター・ドラッカーの著作を読んだのは、まだ社会学部の学生だった頃、1980年代でした。ドラッカーは今では「経営学者」という肩書きがつくことが多いですが、当時は「社会学者」、あるいは「未来学者」と言われることの方が多かったように記憶しています。

 私にとって最もインパクトがあったのは、(どの本に書かれていたかは覚えていませんが)、「知識労働」という言葉で、従来の大量生産の時代は終わり、知識集約型の産業が中心となる、という説明がなされていました。実際その後の約20年間でドラッカーの予言(?)どおりの社会になっていると言えるかもしれません。

 このようなことを書くと、私自身がさんざんドラッカーを読みこなしているように聞こえてしまいますが、私個人の経験を言えば、ドラッカーは大変読みにくく難解で、著書のタイトルには興味をひかれるのですが、内容は理解できるところがあまり多くないものでした。「ドラッカーの本はきっと何度も読み返して初めて有用なんだ」と考えて、いずれ繰り返し読むことを誓うのですが、結局どの本も1~2度読んだだけ、ひどいときは3分の1くらい読んでそのままほったらかしにしているものもあります。

 ですから、『もしドラ』のように、高校生がドラッカーを読みこなし、それを応用し弱小野球部を甲子園に連れて行くなどと言われても、「そんなことあり得ない!」と考えてしまうのです。

 しかしながら、ドラッカーの書物は難解なことには変わりないのですが、気合いを入れて1行1行読んでいけば、まったく読めないこともないと言えます。例えば、ヘーゲルやマルクス、あるいはマックス・ウエーバーやミシェル・フーコーといった古典的な哲学者・社会学者の書物は、1ページを読むのに1時間かかり、3ページ目で挫折・・・、ということが多いのですが(この手の書物の読解ができないことで私は「能力の限界」を感じています)、ドラッカーの場合は、1行1行は集中して読めば理解できなくもないのです。また、抽象的な言葉の後には例となるエピソードが紹介されていることも多く、このあたりは読者に親切なように感じます。さらに、日本語訳が大変丁寧で工夫されているのもドラッカーの日本語版の特徴といえるでしょう。

 さてさて、『もしドラ』なんて売れるはずがないし自分は興味が持てない、と私は考えていたわけですが、インターネットや各雑誌での書評を読むと、軒並み評判がいいことが気になりだしました。驚異的な売上を記録し、各界の評論家がそろって高得点をつけているのです。先月末、東京で開催されるある研究会に参加することになっていた私は、ついに『もしドラ』を購入し、新幹線のなかで読み始めました。

 感想は・・・、正直言って驚きました。物語の出だしの部分は、「描写の表現が少し物足りないなぁ」とか「高校生が本屋でドラッカーを勧められることなんてないだろう」とか感じながら読んでいたのですが、途中から物語に引き込まれ一気に最後まで読んでしまいました。

 読み始める前は「あり得ない」と感じていたストーリーも面白く読めましたし、随所でドラッカーの名言が引き合いに出されているところが大変興味深いと感じました。難解なドラッカーの理論が、上手く引き出され分かりやすく紹介されているのです。

 私が最も印象に残ったのは、野球部にとって「顧客」とは誰か、というテーマに主人公の女子高生が思いを巡らせるところです。「顧客」は、最終的には野球部以外の生徒や地域社会にも及び、さらに野球部のメンバー自身も含まれる、という結論に到達します。

 野球部の各部員だけでなく、複数のマネージャー、監督、他のクラブ活動の部員、地域社会などが見事に協力し合い、最後は見事に目標を達成し、全員が(そして読者も!)感動します。個人そして組織のそれぞれが長所を上手くいかし、他の個人や組織と協調し新たなものを生み出していきます。いくつかのシーンは身体がゾクゾクする程の読み応えがあります。

 もし高校野球の女子マネージャーだけでなく、世界の人々全員がドラッカーの「マネジメント」を読んだら・・・。きっと誰もが幸せな世界が待っていることでしょう。当初の思惑とは異なり、すっかり『もしドラ』に夢中になってしまった私は、改めてドラッカーの書物を手にとってみました。ほこりがかぶったドラッカーの作品を何冊かとりだし、以前中途半端なところで読むのを止めていた『非営利組織の経営』をまずは再読することにしました。

 どうやらミーハーなのは私だったようです・・・。