マンスリーレポート

2012年12月号 謎に包まれたままの女性医師の死亡

医師が選ぶ今年(2012年)の最大のニュースは、何と言っても山中先生のノーベル賞受賞だと思います。暗いニュースが多いなか、山中先生のノーベル賞受賞は、医師、研究者のみならず将来を担う多くの若者に夢を与えてくれました。

 私は毎年12月になるとその年を振り返るようにしています。10月に山中先生の受賞を聞いたとき、今年一番の出来事はこの嬉しいニュースに違いない、と感じていました。

 しかし、12月になった今、私が最も驚いているのは、11月半ばに伝わってきた「矢島祥子医師死亡事件の時効成立」という報道です。最初は「時効」という文字を見たときに「何かの間違いではないのか」と感じました。なぜなら、殺人事件の時効は2010年に廃止されたはずですし、矢島医師が死亡したのは2009年ですから、時効が有効だったとしても殺人なら時効成立までに25年間あるはずだと考えていたからです。

 それがなぜ3年で時効成立になるのか・・・。そして、矢島医師とはどのような医師だったのか・・・。まずはこの事件を振り返っておきたいと思います。

 2009年11月16日午前1時20分頃、大阪市西成区の木津川の千本松渡船場で矢島祥子医師(当時34歳)の遺体が釣り人により発見されました。遺書もなく、状況から少なくとも自殺ではないように思われますが、管轄の西成警察署は当初「自殺による溺死」と断定しました。

 西成署がどのような理由で自殺と断定したのか、報道からは伝わってきませんが、遺族は自殺という説明に納得がいかず、警察に捜査の申し入れをされたそうです。私が直接確認したわけではなくあくまでも「一部の報道」ですが、遺体にはアザや頭部のコブが複数みつかっており、これが事実だとすると、生きているときに暴行されたことを示唆しています。また、首に圧迫痕があった(つまり首を絞められた)、とする報道もあります。

 つまり、これは自殺などではなく殺人ではないか、と遺族は(というより多くの関係者は)考えているわけです。それに、死体が発見されるまでの数日間の行動も自殺を示唆するようなものはなく、遺族や知人らが、警察が自殺と断定したことに、しかも比較的短時間で断定したことに不審感をもったのも当然です。

 報道されている情報によれば、事件数日前の矢島医師の行動にも不自然な点はなく、2日前には勤務先の診療所で深夜まで残業し、午前4時15分に診療所を退出しています。2日後に自殺をする人間がそんなに頑張って仕事をするでしょうか。

 この事件を聞いた医師のおそらくほとんど全員が「これは自殺ではない」と感じたと思います。なぜなら、医師であれば自殺をするにしてももう少しスマートな方法を選ぶだろう、と我々は直感するからです。例えば、ラクに死ねる薬と注射器を持ち出す、とか、局所麻酔をして痛みをとってから動脈を切るとか、そういうことを考えるはずです。なかには屋上から飛び降りて自殺した医師もいますが、川に身を投げて溺死という(中途半端な)方法を取るとは考えにくいのです。薬物を摂取して川にとびこんだのかもしれませんが、体内で薬物が検出されたという報道はありません。

 あまり知られていないことかもしれませんが、医師という職業は、自殺者が多い職業のトップに入ります。私と同じ医学部の同級生にも若くして自殺した医師がひとりいますし、どこの大学でもだいたい学年2~3年にひとりは若い命を自らの手で終焉させています。●●大学医学部の○年卒の△△医師が自殺した、という情報がときどき医師仲間から伝わってきます。どこの学部でも学年にひとりくらいは自殺があるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、医学部の定員というのは一学年がせいぜい80人程度であることを考慮すると少なくないことがわかると思います。

 自殺の話があがると、どのようにして死んだのかということも同時に伝わってきます。そういうこともあって、我々医師は、医師が自殺をするならどのような方法をとるか、ということについてだいたい推測できるのです。方法だけではありません。なぜ自殺をしたのか、ということについても同志としての医師だから理解できる、ということもあります。

 しかし矢島医師の事件の場合、動機がまったく理解できませんし、死体の発見のされ方も自殺にしては極めて不自然です。自殺と断定できる確実な証拠がないのであれば、他殺、つまり殺人の可能性を考えて捜査がおこなわれるべきではないでしょうか。あるいは警察はこの死を事故とでも考えているのでしょうか。34歳の女性医師が誤って川に転落し溺死するなんてことがあるでしょうか。

 なぜこの事件が3年で時効を迎えるといったことが報道されたのか。それは、刑法で定められている死体遺棄罪の時効が3年だから、ということでしょう。しかし殺人罪の時効は2010年以降廃止されていますし、矢島医師の死亡した2009年には時効廃止が適応されないとしても、この事件が殺人なら時効成立まであと20年以上あるはずです。ということは、警察が殺人の可能性を否定しない限りは捜査を続けることは可能なはずだと思うのですが、警察は今もこの事件を積極的に捜査してくれているのでしょうか・・・。

 ここで矢島医師とはどのような医師だったかについて紹介しておきます。いくつかの報道によりますと、1975年群馬県高崎市生まれ、群馬大学医学部を卒業し、在学中にキリスト教の洗礼を受けられています。医学部卒業後は沖縄県立中部病院(昔から厳しい研修で有名な研修医に人気のある病院です)で研修を受けた後、大阪の病院で6年間勤務され、その後は西成区のあいりん地区にある診療所で勤務されていました。

 一部では「平成のマザーテレサ」とも呼ばれており、あいりん地区を中心に路上生活者の医療支援などに献身されていたそうです。事件が起こる前から、西成の路上生活者のみならず医療者の間でも有名で、真摯に路上生活者を支援する姿はマスコミに報道されたこともあるそうです。私が矢島医師の名前を初めて聞いたのは、NPO法人GINA(ジーナ)を立ち上げてしばらくした頃で、私などよりも困窮している人々のために遥かに尽力している話を聞いて、敬服する気持ちを持ったことを覚えています。いつかお会いして話を聞いてみたいと思っていました。

 なぜ矢島医師は殺されなければならなかったのでしょうか。お世辞にも治安がいい町とは言えないところですから、例えばひったくりやノックアウト強盗に合ったという可能性もあるでしょう。矢島医師が抵抗したために殴られてアザやコブができて、それでも抵抗をやめなかったために頸部が圧迫され窒息死し川に捨てられた、というストーリーです。しかしこのようないきあたりばったり的な殺人であれば、何らかの証拠が残されていたり、犯人に前科があったりして、比較的簡単に事件が解決するのではないでしょうか。

 気になるのは裏社会との関係です。例えば、矢島医師が診察している患者のなかで覚醒剤の常習者がいたとしましょう。おそらく矢島医師であれば、この患者が覚醒剤をやめる意思があれば警察に通報したりはしないでしょう。しかし、この患者が大量の覚醒剤を保持しておりそれを販売していることを知ってしまったとしたらどうでしょう。正義感の強い矢島医師はおそらく警察に通報することを考えるでしょう。

 あるいは(これはネット上で噂されているようですが)生活保護の不正受給の情報を矢島医師がつかんだ、という可能性はどうでしょう。その不正受給には闇社会の人間が関わっており、さらに(こうなるとフィクションの世界のようですが・・・)警察の上層部も関与しており、矢島医師がつかんでいる情報をにぎりつぶさないことには生活保護受給者だけでなく一部の闇社会の人間や警察にとって非常にマズイことになる、だからプロに殺害された・・・、というものです。

 犯人が逮捕されたところで矢島医師は戻ってきません。しかし、逮捕されないことには遺族の方のみならず、矢島医師にあたたかい言葉をかけられて病気を治してもらっていた多くの路上生活者の方々の無念が晴れることはありません・・・。

 私にできることはありませんが、警察の方々にこれからも捜査を続けていただくよう心よりお願いしたいと思います。