マンスリーレポート

2012年6月号 酒とハーブと覚醒剤

2012年5月21日、福岡市の高島宗一郎市長は、福岡市役所の全職員約9,600人と教員を対象に、外出先での飲酒を1ヶ月間自粛するよう求める通知を出し、これが物議をかもしました。世論調査や評論家のコメントなどをみても、「発想が稚拙だ」「やりすぎだ」「単なるパフォーマンスだ」「周囲の飲食店への影響を考えているのか」など批判的な意見が多いようです。

 もっとも、高島市長がこのような前代未聞の異例の処置をとったのは、福岡市で飲酒にからんだ不祥事が相次いでいたからです。2006年には市職員(当時)の飲酒運転で3人の児童が死亡するといういたましい事故があり大変な問題となったわけですが、その後も福岡市では飲酒に関連した事件が後を絶っていません。今年(2012年)に入ってからも、2月には消防士が飲酒後に盗んだ車を運転して逮捕され、4月には市立小学校教頭が酒気帯び運転で摘発されています。5月18日には酔った市職員2人が暴行と傷害容疑で捕まり、この事件で高島市長は「飲酒自粛宣言」を決意したようです。

 私自身の考えを述べれば、世間の大方の見方とは異なり、高島市長の対策を支持したいと思います。たしかに、強制力をもたない通知ですし、日頃から問題を起こすことなく行儀よくお酒を楽しんでいる人からみればいい迷惑でしょう。

 しかし、飲酒自粛宣言をおこない、世間の飲酒に対する関心が高まったのは事実であり、マスコミが福岡市のこの事態を報道する度に、上に述べた2006年の悲惨な事件が思い起こされることにもなり、改めてアルコールの恐ろしさを社会が認識することができるわけです。

 福岡市で飲酒自粛宣言が通達された直後の2012年5月24日、小樽商科大学のアメフト部が主催する花見で飲酒を強要された19歳の男子学生が死亡したという事件が発表されました。この花見は5月7日におこなわれ、男子学生の異変に気づいた仲間が救急車を要請しましたが、救急隊の到着時にはすでに心肺停止の状態だったそうです。

 この事件が報道されたとき、私は以前知人のタイ人から聞いた言葉を思い出しました。

 タイ人にとって桜というのは一生に一度見ることができるかどうかという幻の花だそうです。タイには桜はありませんし、一般のタイ人からすれば日本に行くなんていうのは夢のまた夢ですから、桜は美しい日本の象徴になっているそうなのです。(桜の他には、雪を生涯一度でいいから見てみたい、というタイ人も多いようです)

 さて、私の知人のそのタイ人は、日本に行く機会に恵まれ、しかも桜のシーズンに行けることになり花見を大変楽しみにしていたそうです。しかし、実際に行ってみると、桜は確かにきれいなのですが、花見にきている日本人のだらしなさに辟易としたそうです。一般のタイ人からみれば、日本人というのはまだまだ勤勉で礼儀正しいというイメージがあるそうなのですが、その光景をみて日本人に対する見方も変わったと彼女は言います。大声をだして喧嘩をしている中年男性、酔っ払って何やらわめいている若い女性、なかには嘔吐している者もいて大変驚いたそうです。

 私自身も特に20代の頃は飲酒で失敗したことが多く、ここには書けないこともあるくらいで、他人に「飲酒は控えましょう」などとは言えた義理ではないことは認めますが、それでも、今の日本人のアルコールに対する甘すぎる考え方は見直さなければならないと日々痛感しています。

 私の知人のタイ人のコメントを思い出しても痛烈にそれを思いますし、以前勤めていた病院の夜間の救急外来には、急性アルコール中毒で搬送されてくる患者さんも多かったのですが、飲酒に伴う醜態をたくさん見ることになりました。実際に飲酒で亡くなる事故(事件)も少なくないわけですから、われわれはアルコールの怖さを改めて考えるべきだと思います。

 アルコールと同様に最近問題視されているのがいわゆる脱法ハーブです。渋谷やアメリカ村といった若者の集まる街には「ハーブあります」などという看板がかかげられていて、そのショップでは簡単に脱法ハーブが買えるそうです。「ハーブ」というと聞こえはいいですが、なかには覚醒剤と同じような成分のものもあり、大変危険です。

 この脱法ハーブに伴う事故(事件)が相次いでいます。例えば今年(2012年)2月には名古屋で24歳の男性がハーブ吸入後に暴れて嘔吐物を喉につまらせて窒息死する、という事件がありました。5月には脱法ハーブを吸入した大阪の26歳の男性が危険運転をおこない二人の女性をはねる、という事件もありました。東京では今年(2012年)1月~5月の脱法ハーブでの救急搬送が2011年の20倍にもなる、という報道もあります。

 脱法ハーブのというのは、違法薬物と化学構造がわずかに異なることで「違法」とされないものであり、大変危険なものもあります。幻覚をみたり、パニックに陥ったり、衝動的に自分や他人を傷つけてしまうこともあります。

 私は、NPO法人GINAの関係で、覚醒剤で人生を台無しにしてしまった人たちをたくさんみてきました。きっかけは針の使いまわしでHIVに感染した人たちに話を聞きだしたことですが、その後HIV感染の有無に関係なく、日本人も含めて覚醒剤に依存している人たちの話を聞くことになりました。そこで分かったことのひとつは「日本ほど覚醒剤に寛容な国はない」ということです。タイで知り合ったある日本人の元ジャンキーは、「日本に帰ると覚醒剤に手を出してしまうから帰れない」と言っていました。日本ほど覚醒剤が簡単に手に入る国はないそうなのです。

 実際、医師をしていると(老若男女問わず)覚醒剤依存症の人たちがいかに多いかを痛感させられます。若い人たちは、覚醒剤とは呼ばず、スピードとかエスとか呼び、まるでサプリメントのような感覚で吸入(もしくは内服あるいは注射)しています。そもそも日本は世界で唯一覚醒剤(ヒロポン)が合法であった国でありますが、いまだにこの悪しき慣習から抜け出せていないのです。ちなみに、サザエさんの初期に、近所の家に預けられたタラちゃんがその家のテーブルに置いてあったヒロポンを飲んでハイテンションになってしまう、という話があります(注1)。

 覚醒剤には(おそらく)世界一甘い日本ですが、大麻に関しては"微妙"です。覚醒剤と同様、大麻も日本で簡単に入手できるそうですが、日本の特徴は覚醒剤と大麻の「垣根」がほとんどないということです。大麻も違法であり容易に手を出すべきではありませんが、欧米やオーストラリア、アジアの若者と話をすると、彼(女)らの多くが大麻をそれほど悪いものと考えていないことが分かります。しかし(良識のある?)彼(女)らは、覚醒剤は絶対にNG、と言います。つまり、大麻の危険性と覚醒剤のそれとがまったく異なることをよく理解しているのです。なかには、「アルコールやタバコは身体に悪いからやらない。健康のことを考えて私は大麻しかやらない」という人までいます。

 一方、日本人にはこの「感覚」がほとんどありません。例えば『週刊文春』は最近女優Sが大麻に依存していたことをスクープして話題を呼んでいますが、記事を読んでみると、覚醒剤使用で2009年に逮捕された女優Sや、同じく2009年にMDMAで逮捕された俳優Oと同じような扱いで文章が書かれています。私は大麻の女優Sを擁護するつもりは一切ありませんが、これを読めば「大麻と覚醒剤は"同じように"危険なもの」という印象を読者に与えかねません。

 周知のように大麻は一部の国では合法ですし、禁止の国であっても、例えばカリフォルニアでは医療機関を受診し希望すれば、実質誰でも大麻を処方してもらうことができます。また、海外では一部の難治性の病気の治療に積極的に大麻を使用することもあります。

 大麻を条件付けで合法にすべき、という意見は昔からあり、これは改めて検討すべきですが、議論には相当な時間がかかるでしょう。我々が直ちにすべきことは、アルコール、脱法ハーブ、そして覚醒剤の危険性を改めて認識することです。そのときに、これらに比べて危険性の低い(注2)大麻を同列に論じると事の本質が見えにくくなる、ということもきちんと理解すべきです。

 もっとはっきり言うと、脱法ハーブや覚醒剤はもちろんですが、アルコールも大麻以上に危険な薬物になり得る、ということを認識すべきなのです。


注1:この話は『サザエさん うちあけ話似たもの一家』(朝日新聞社)に掲載されています。ハイテンションになったタラちゃんをみた周りの大人たちが「そ~ら、ゆううつがふっとんだよ」と言い、タラちゃんを迎えにきたサザエさんは、「はじめてですワ。(タラちゃんが)こんなにはしゃいだこと! ありがとうございました」とお礼を言い、帰り道ではタラちゃんに「ほんとによかったネ」と言っています。

注2:「大麻はアルコールより危険性が低い」と言ってしまうのは乱暴かもしれませんが、身体依存、精神依存ともより依存性が高いのはアルコールとされていますし(異論もありますが)、例えばアメリカでは、アルコールがハードドラッグの入り口になることが多いのは事実です。下記コラムも参照ください。

参考:GINAと共に
第53回(2010年11月) 「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
第34回(2009年4月) 「カリフォルニアは大麻天国?!」        
第29回(2008年11月) 「大麻の危険性とマスコミの責任」      
第13回(2007年7月) 「恐怖のCM」