マンスリーレポート

2013年 6月号 やはり医師とは聖職なのか

社会保障制度改革国民会議というものが2012年11月から開催されています。この会議は、社会保障制度改革推進法に基き改革を行うための審議で、詳しくは首相官邸のホームページで知ることができます。

 2013年4月に開催された第9回の会議では、日本医師会会長の横倉義武氏が出席し、現状の医療や制度改革に関する意見を表明しています。報道によりますと、この会議のなかで今後の日本医師会の役割についての質問があり、その質問に対して横倉会長は次のように述べたそうです。

 「医師たるもの、医師になった時から、自分の人生は、国民のために身をささげるという決意」(注1)

 私はこの報道記事を読んだとき、眠たかった頭を何かに殴られたような衝撃を受けました。もちろん医師は、つねに医学の知識と技術の習得に努めなければならず、教養を深めるだけではなく、人格を高める努力を続け、社会に貢献しなければなりません。そして営利目的の医業をおこなってはなりません。

 このあたりは、日本医師会が作成している「医の倫理綱領」(注2)に記載されています。私は、太融寺町谷口医院(開院当時は「すてらめいとクリニック」)を開院してからは、自分のミッション・ステイトメント、クリニックのミッション・ステイトメントの次にこの「医の倫理綱領」をよく読むようにしています。そして、そこに書かれていることを遵守するよう努めているつもりです。

 しかし、改めて医師会の会長から「自分の人生は国民のために身を捧げる決意」と言われると、私には本当にそこまでの「決意」があるのか、と自問しないわけにはいきません。国民のために身を捧げる・・・、とはどういうことなのでしょうか。文字通り棺桶に足を入れるその瞬間まで国民のために身を捧げる努力をしなければならない、ということなのでしょうか。

 医師だけが参加しているメーリングリストや掲示板をみていると、ときどきこのことに思いを巡らせている医師の投稿があります。例えば最近私が興味深く読んだのは、もうすぐ還暦を迎えるというある医師(開業医)の投稿です。

 その医師は最近高校の同窓会にでかけたそうです。同窓生には公務員も民間企業のサラリーマンもいて、同級生ですから全員が定年間近の年齢ですが、すでに早期退職をして悠々自適の生活をしている級友もいたそうです。

 すでに退職している同級生も、もうすぐ退職する同級生も、今のところ仕事を続けたいと言っている人はおらず、早期退職した同級生のひとりは、好きな読書の傍ら天気のいい日は庭の野菜を栽培するという文字通りの晴耕雨読の生活をしているそうです。これから定年退職を迎える同級生たちも、定年後はゴルフ三昧の生活や、日曜大工を「日曜だけでない大工」として趣味に生きたい、と話しているとか。

 その医師によれば、ここ数年は同級生が集まれば今後どのような生き方をしていくべきかといった話ばかりになるそうです。同級生のほとんどが好きなことをする、趣味に生きる、と言っているのに対し、その医師は、医師は聖職であり今後も地域医療のために開業医を続け患者のために一生を捧げるつもり、とその投稿を結んでいました。

 もうひとつ、最近私が驚いた出来事を紹介したいと思います。私が大学病院の皮膚科で研修を受けていた頃、最も感銘を受けたのが石井正光教授でした。石井先生は、私が学生の頃から大変印象深い先生で、講義でも「ステロイド一錠減らすは寿命を十年延ばす」という話をされ、従来の治療と同様に、あるいはそれ以上に、生活習慣の改善が皮膚疾患を改善させるということを強調しておられました。

 研修医の頃は石井先生の外来も見学させてもらったことがありますが、常に患者さんの立場にたった治療を実践されていることがよく分かりました。たしか2年くらい前だったと思いますが、ある皮膚科関連の学会のある会場で石井先生を数年ぶりに見かけました。そのときその会場では「患者の片足を切断せざるを得なかった症例」の報告がなされていたのですが、その発表を聞いた石井先生はさっと挙手され、「本当に切断が必要だったのか。他に治療方法はなかったのか」ということを繰り返し尋ねておられました。患者さんの側からみたときの最善の治療をとことん追求されている姿が大変印象的でした。

 その石井先生が今年3月に大学病院を定年で退官されました。しばらくして石井先生からいただいた葉書を見て私は驚きました。これからの人生はゆっくりと過ごされるのかなと思いきや、なんと早速5月からクリニックを開業なさったというではないですか。これまで多くの患者さんに感謝され、多くの医師に影響を与えてこられた先生ですが、まだやり残していることがあるとお考えなのかもしれません。そして、聖職としての医師の使命をまっとうされたいという気持ちもお持ちなのでしょう。

 現在40~50代の世代では定年後も働きたいと考えている人が少なくないという話をときどき聞きますが、多くは年金の不安などから、食べていくために働かなければならない、という意見だと思います。

 一方、石井先生や、その前に述べた開業医の先生も、さらに冒頭で述べた医師会会長も「お金のためにこれからも働く」と考えているわけではありません。医師の所得や資産は世間の人が考えているほど多くありませんが、それでも定年まで働いたなら贅沢をしなければその後は年金だけでやっていけるでしょう。にもかかわらずこれからも仕事を通して社会貢献されるというのですから、やはり医師は聖職と呼ばれて然るべきなのかもしれません。

 けれどもよく考えてみると、定年後も社会貢献に身を捧げる人は医師だけではありません。2011年12月、享年88歳で他界された谷口巳三郎先生は、定年退職後単身でタイに渡り、一時は破産寸前にまで追い込まれながらもタイ北部のパヤオ県で農業指導を文字通り死ぬまでおこなわれました(注3)。

 JICAにはシニア海外ボランティアという制度があり、69歳までならJICAのスタッフとして海外でボランティア活動をおこなうことができます。定年退職後に参加しアジア・アフリカ諸国に日本の技術を伝えにいく人が少なくないと聞きます。もちろん国内でも退職後にボランティア活動に従事している人は大勢います。

 たしかに、定年退職後も、あるいは生涯にわたり社会貢献に身を捧げるのは医師だけではありません。また医師のなかにも退職後悠々自適の生活をしている人もいるでしょう。私は過去に何度かタイの外国人が集まるカフェやバーで「医師を引退してからタイでのんびりしている」というヨーロッパ人の元医師と話したことがあります。退職後にのんびりと生活している元医師を責めることはできません。

 しかしながら、医師という職業は、社会から強制されることはないにしても、生涯に渡り社会貢献することを期待されている、つまり社会から「聖職」と見なされているのは事実でしょう。

 これから医師を目指す人にはそのあたりのことも考えてもらいたいと思います。そして私自身も今後どのようなかたちで社会貢献すべきなのかについて考えていきたいと思います。


注1:記事の原文では、「国民のために身のためにささげるという決意」とされていますが、これは正しくは「国民のために身をささげるという決意」だと思いますので訂正したものを記載しました。原文は、医療系サイトm3.comの「医療ニュース・医療維新」の2013年4月22日号で、タイトルは「かかりつけ医、定額報酬も可 日医横倉会長、第9回社会保障制度改革国民会議」です。

注2 日本医師会が作成している「医の倫理綱領」は下記のURLで読むことができます。
http://www.med.or.jp/doctor/member/000967.html

注3:谷口巳三郎先生については、NPO法人GINA(ジーナ)のサイトで何度も取り上げています。興味のある方は下記「谷口巳三郎先生が残したもの」を参照ください。

参考:GINAと共に
第67回(2012年1月)「谷口巳三郎先生が残したもの」
第33回(2009年3月)「私に余生はない・・・」
第14回(2007年8月)「リタイア後の楽しみ」