メディカルエッセイ

第27回(2005年11月) なぜ日本人の自殺率は高いのか①

 私が初めて学問的に「自殺」というテーマに興味を持ったのは社会学部の学生の頃です。社会学部を学んだ者なら誰でも知っているデュルケームという学者の代表著作が『自殺論』なのです。

 「自殺」までも学問の対象にする社会学とはなんて魅力的なんだろう・・・。当時の私はそのように感じて、必死にデュルケームの『自殺論』を勉強しました。

 デュルケームの理論は、発表してから100年以上たった現在でも尚正しいのではないか、私はそのように考えています。今回取り上げたいテーマは、「日本人の自殺率の高さ」で、このことを考える際にもデュルケームの理論は参考になるのでは、と思うので、少し触れておきたいと思います。

 デュルケームは、冬季よりも夏季、カトリックの国よりもプロテスタントの国、女性よりも男性、既婚者よりも未婚者、農村よりも都市で自殺率は高くなると言います。

 現在の日本の自殺の状況をみてみましょう。季節ごとのデータは私の調べた限りありませんでした。宗教別の考察はキリスト教がそれほど深く浸透していないために日本にあてはめて考えることはできません。

 しかしそれら以外の要素、つまり、女性よりも男性、既婚者よりも未婚者、農村よりも都市に自殺者が多いというのは、現在の日本にも当てはまります。

 デュルケームは「自殺」を4つに分類しています。

 ひとつめは「利他的自殺」と呼ばれるもので、自殺せざるを得なくなるような集団の圧力によって起こる自殺のことです。具体的には、社会の秩序を乱したとか、ルールや掟を破ったときにのしかかる社会的圧力から死を選ぶような場合です。現在でも、例えば暴力団の組員が組織の掟を破って責任をとるために自殺、というようなことはあるかもしれませんが、現代日本においてはそれほど多くはないでしょう。

 ふたつめは、「利己的自殺」と呼ばれるもので、 孤独感や焦燥感などエゴイスティックなものによって起こる自殺のことです。これは現代日本では若い世代を中心にあり得るものと思われます。ただ、最近の統計も含めて日本では、若い世代よりも中年から老年の自殺が多いのが特徴ですから(日本では55歳から64歳で最も自殺率が高い)、このタイプの自殺は日本では多くはありません。

 三つめは、「アノミー的自殺」と呼ばれるもので、社会的規則・規制がない(もしくは少ない)状態において起こる自殺のことです。自由のもと、自分の欲望を抑えきれずに自殺するというイメージです。

 この「アノミー」という言葉は、デュルケーム自らが提唱した概念で、社会秩序が乱れ、混乱した状態にあることを指します。社会の規制や規則が緩んだ状態においては、個人が必ずしも自由になるとは限らず、かえって不安定な状況に陥るとデュルケームは言います。デュルケームによると、規制や規則が緩むことが必ずしも社会にとってよいことではないのです。

 私が社会学を勉強していた80年代後半、日本はバブル経済に突入し、このようなアノミーの状態にあるのではないかと言われていました。デュルケームはなにも不景気のときだけに自殺率が上昇するのではなく、景気の急上昇期、大繁栄の時代にも自殺者が急増するということを示しています。この指摘が当時に私には非常に衝撃的でした。

 しかしながら、結果的にはバブル経済の頃の日本の自殺率はそれほど高いものではありませんでした。

 一方、バブル経済が破綻し、不景気に突入しだした頃から自殺率は上昇しています。そして失業率が極めて上昇した1998年から現在まで毎年3万人前後の人が自ら命を絶っています。日本の自殺率の推移は失業率と明らかな相関関係があるのです。

 失業率が急上昇したのは、不景気そのものもさることながら、以前から崩れつつあった終身雇用がドラスティックに崩壊したり、正社員の雇用が大幅に減少し、代わりに契約社員やフリーターが一般化したりしたこともその一因です。一方では、IT企業に代表されるような若者のミリオネラーが次々と誕生し、一部の者に大金が集中しています。

 このような現在の日本の状態は、まさにデュルケームの言う「アノミー」ではないでしょうか。

 デュルケームが唱えた4つめの自殺は「宿命的自殺」と呼ばれるもので、閉塞感など欲求への過度の抑圧から起こる自殺のことです。これは、アノミー的自殺の亜種と類型でき、社会的混乱から生じた閉塞感などが自殺につながることは容易に想像できます。現代日本の社会混乱(アノミー)に上手く対応できず閉塞感を感じている人は少なくないでしょう。

 さて、デュルケームの考察はこれくらいにしておいて、今度は医学的な観点から日本人の自殺を考えて生きましょう。

 日本で自殺者が多いのは、確かに失業者の増加や不景気と相関がありますが、実は日本の自殺の原因の第1位は「病気による苦悩」です。慢性の病気や不治の病に耐え切れず、さらにおそらく家族に負担のかかることを懸念した人たちが自ら命を絶っているというわけです。

 どのような病気が自殺へとつながるかという点についてはデータがありませんが、最近デンマークの学者が発表した興味深い論文(Archives of Internal Medicine(2004; 164: 2450-2455))をご紹介したいと思います。

 この論文によりますと、シリコン豊胸術後の女性の自殺率が有意に上昇しているそうなのです。豊胸術を受ける女性は以前から精神的な悩みを抱えており、それが自殺と関係があるのではないかと、この論文では述べられています。

 これは日本のデータではありませんが、今後日本における自殺を考える際の参考になるかもしれません。

 次に自殺率の国際比較をみてみましょう。

 日本の自殺率は世界第10位です。しかし、1位から9位は旧ソ連や東欧の国ばかりで、いわゆる先進国のなかでは日本は第1位です。

 世界全体に目を向けてみると、明らかに自殺率の低いのが南米です。以前どこかで「自殺をしたくなったらブラジルに行け!」という言葉を聞いたことがあります。ブラジルに行けば、自殺を考えていた自分があほらしくなるそうなのです。

 また、すべての国でデータが揃っているわけではありませんが、中東諸国も低い国が多いようです。連日のように新聞で報道されているイスラム教徒の「殉死」はどのように解釈すればいいのでしょうか......。

 アジア諸国はどうかというと、これはバラバラです。日本以外ではなぜかスリランカの自殺率が高いようです(11位)。また、韓国(24位)、中国(27位)、香港(31位)もまあまあ高いと言えます。台湾はデータがありません。中国では、農村部の女性の自殺率が高いのが特徴で、旧態依然の、女性を大切にしない風潮が原因なのかもしれません。
 
 一方、タイ(71位)とフィリピン(83位)では、南米と同様に極めて自殺率が低いと言えます。タイは人口10万人あたりの自殺者数が4.0人で日本の6分の1以下です。

 私はフィリピンには行ったことがありませんが、タイには何度も訪問しています。親密な付き合いをしているタイ人も何人かおり、ある程度タイの文化に触れていると言えるかもしれません。

 世界第10位、先進国のなかでは第1位にランキングされ、一応は仏教徒である日本人に対して、同じアジア人であり、仏教徒であるタイ人は世界的にみて自殺率が極めて少ないのはなぜなのでしょうか。

 私は、これに対して一応の仮説を持っています。次回はその仮説について述べてみたいと思います。

つづく