はやりの病気

第29回 HIV、施設から家庭へ 2006/04/01

私が始めてタイのエイズ関連施設を訪問したのは2002年の秋ですが、そのときにもっとも驚いたことのひとつが、患者さんが地域社会や病院から、さらに家庭からも差別的な扱いを受けているというものでした。

 病院からは診察を拒否され、家庭からも追い出された患者さんが、パバナプ寺をはじめとするエイズ施設への入所を余儀なくされていたのです。さらに、施設の収容人数にも限りがあるため、行くところがないまま彷徨い歩く患者さんが多いという話もよく聞きました。

 その後、私は2004年、2005年、そして今年(2006年)にも様々なタイの施設を訪問していますが、あきらかに変化していることがあります。

 それは、少しずつですが、それでも着実に、HIV/AIDSに対する差別が減少してきている、ということです。たしかに、今でもHIV/AIDSの患者さんの入店を拒否している食堂はあるようですし、就職差別は根強いですし、病院からの差別も完全になくなったわけではありません。

 しかしながら、「家庭での差別」というのは大きく減少してきているように見受けられるのです。

 今から4~5年前までは、家族のなかでHIV陽性が分かると、多くの人が家から追い出され、行き場をなくしていました。当時は、特に北タイなどでは、正しい知識が浸透しておらず、なかにはエイズは容易に空気感染する、などと言われていた地域もあり、そのような地域では患者さんはその土地を離れなければならなかったのです。

 実際、数百人を収容しているパバナプ寺でも、家族は一度も見舞いに来ないばかりか、患者さんが亡くなって遺骨を家族の元に送っても送り返されることが多々ありました。

 それが、現在では施設に入るのではなく、HIV陽性が分かっても、あるいはAIDSを発症していても家族と過ごす人が増えてきているのです。

 差別が少なくなってきた最大の理由は、正しい知識が浸透するようになってきた、というものです。HIVは容易に感染するような感染症ではないということ、感染しても適切なタイミングで適切な薬を内服することによりAIDSの発症を防げるということ、そして、何よりも、もともと差別されるような病気ではないことが、社会に認知されるようになってきているのです。

 これはもちろん歓迎されることであり、正しい知識を普及させたタイの行政、マスコミ、多くのNPO、多くのボランティアなどの貢献の結果であります。私は最近(2006年3月)、タイ北部を中心に多くの患者さんやその家族とお会いしましたが、少なくとも患者さん(正確に言えばHIV陽性であるだけの人を「患者」と呼ぶのはおかしいですが・・・)が家族に暖かく受け入れられていることを実感しました。

 現在、家族とともに生活されているHIV陽性の患者さんの多くは同じことを言います。

 「家族とともに過ごすのが一番です。」

 「家族は私の病気のことをよく理解してくれています。」

 と、言い、そして家族の方も

 「できるだけ(患者さんと)一緒に過ごす時間を増やしたい」

 と言います。

 こういう話を聞くと、感動を覚え家族愛というものが大変素晴らしく感じられます。

 しかし、問題がないわけではありません。

 患者さんの多くは、家族から受け入れられ、適切な薬剤を内服することによりAIDSを発症していないと言っても、疲れやすい、あるいは発熱しやすいという症状を有している人も少なくありません。ですから、通常の社会人と同様に仕事をするわけにはいかないのです。また、普段は健康に過ごしている人でも、重労働をおこなえば、すぐに倦怠感などの症状が出現するという人もいます。

 HIV陽性というだけで、例えば国から手厚い保障があるわけではありませんから(タイは日本に比べると社会保障がほとんど発達していません)、仕事をしなければ生活がままならなくなります。結局、わずかな賃金しかもらえない自宅での軽作業などしかできず、そのため充分な生活ができない状況にあるのです。

 HIV陽性の方も、その家族の方も、

 「お金はなくてもいい。それよりも少しでも家族一緒の時間を増やしたい」

 と言います。

 ただ、現実に目を向けると、いくら貧乏を受け入れるといっても食べるものがなければ問題です。そして、一部の人は外国人の寄付金を頼りにすることになります。

 「何を言っているんだ。HIV陽性と言っても働けるんだから、初めから寄付金をあてにするのはおかしいじゃないか!」

 そのように考える人もおられるでしょう。たしかに、いくつかのNPOではこの点をジレンマに感じているようです。「自分たちが、患者さんが容易に寄付金を当てにする慣習をつくってしまったのではないか・・・」、そのような自責の念にとらわれている人もおられます。
 
 HIVに対する差別が減少し、家族と共に過ごすことができるようになったといっても、この社会から差別が完全になくなったわけではありません。患者さんは自宅や近所の集会所でおこなえるような簡単な軽作業はできても、なかなか正式な社員、もしくは労働者として勤めることはむつかしいのです。

 その理由は先に述べた、体調のこともありますが、それよりも大きな理由は、HIVに対する就職差別です。雇用者の多くは、HIV陽性の志願者を採用しないということが日常茶飯事なのです。

 そういう現状があるので、HIV陽性であることを隠して、就職活動をおこなう感染者の方もおられます。けれども、その地域ではHIV陽性であることを隠すことはできませんし(田舎の村ではすぐに噂が広がります)、都会に出稼ぎに行くようなことをすれば交通費や宿泊費がかかりますし、家族とまったく会えなくなってしまいます。

 そして、もうひとつ忘れてはならないのが、HIV陽性であることに対する精神的な不安定さです。いくらタイ人は笑顔が絶えなくて、自殺もしないし、楽天的だといっても(国民全体でみればそうかもしれませんが)、HIV陽性であることを背負って生きていくということは、私も含めた健常者からは想像もできないような苦痛を抱えていることを意味します。

 日本でも、例えば、薬剤エイズの被害者の36%が「死んでしまいたい」と答えています(日本経済新聞2006年3月26日)。日本の患者さんは、タイと比べると手厚い保障があるのにもかかわらず、です。

 家族の支えによって、この精神的な不安定さがいくぶんか和らいでいるところを、出稼ぎに行くことによって家族から離れなければならなくなるというわけです。

 結局のところ、家族から受け入れられるようになったといっても、実際には生活することは依然としてできずに、家族と過ごすことを断念し体調や精神状態を悪化させるリスクを抱えて出稼ぎにいくか、寄付金を頼りにするかしか選択肢がないという人も大勢いるわけです。

 さらにこの出稼ぎということには別の問題も孕んでいます。もともと田舎出身でHIV陽性の人というのは、学歴のないことが圧倒的に多いのです(タイでは日本では考えられないほど学歴による就職差別があります)。高い賃金が得られる仕事に就けない人は、男性であれば身体に相当の負担のかかる肉体労働に従事することになりますし、女性であれば、売春に流れることもあるわけです。

 HIV陽性の女性が売春をするというのはもちろん問題ですし、その母親の姿をみて、自分が代わりに働かなければと考える10代前半の子供もでてきます(タイでは日本からは考えられないほど子供が親を大切にします)。すると、その子供が女性であれば、やはり売春に流れていくということがあるわけです。

 こういった状況を改善するには、行政からの社会保障を手厚くするか、あるいはNPOやボランティアの力を借りざるをえません。前者はすぐには期待することができませんから、直面している問題を解決するためには、NPOやボランティアの役割が依然大きいというわけです。