メディカルエッセイ

45 臓器売買の医師の責任(前半) 2006/10/19

昨年9月に愛媛県のある病院でおこった臓器売買に際してマスコミからいくつかの問題が指摘されています。

 まずは、この事件を簡単に振り返ってみましょう。

 愛媛県の59歳の男性が重症の糖尿病から腎不全をきたし腎移植を希望していました。その男性と内縁の関係にあった59歳の女性(仮にA子さんとしておきます)は、腎臓の提供者を探していました。A子さんには20年来のつきあいになる同じく59歳の女性の友人(B子さんとします)がいました。貸しビル業を営んでいたB子さんは、A子さんに200万円を貸していました。A子さんはB子さんに対して、「借りているお金を上乗せして返すから腎臓を提供してほしい」と言いました。B子さんはこの申し入れを承諾し、生体腎移植術が2005年9月に施行されました。B子さんは腎臓提供後、ふたりから30万円の現金と150万円相当の新車を受け取りましたが、最初の約束だった借金を返済してもらえずに2006年1月に警察に届けたことからこの事件が発覚しました。

 このあたりまでは間違いのない客観的な事実でしょう。マスコミの報道をもう少し詳しくみてみましょう。

 2006年10月4日の毎日新聞によりますと、腎臓を提供したB子さんは、「自分が生きている間にいいことをしたいから提供を引き受けた」、「A子さんとは長いつきあいだし、(腎臓をあげる)男性にもお世話になった」、「私の(腎臓を)ぜひ使ってほしい」、などと話していたそうです。また、B子さんは、手術を受けた時点で、「違法性の認識はまったくなかった」そうです。

 10月5日の共同通信によりますと、A子さんは、「執刀した医師からB子さんの乗用車要求を伝言する電話があった」と話しており、執刀医はこれを否定しています。

 事件の当事者が何を言った、言わなかったというのは実際にはよく分かりませんから、マスコミの報道は必ずしも信憑性に高くないと思われます。

 さて、この事件の問題点を整理してみましょう。

 まず、臓器売買は97年に制定された臓器移植法によって禁止されていますから、今回の事件は法律に抵触していることになります。このケースが臓器売買に該当するということに異論のある人はいないでしょう。ですから、腎臓を受け取った男性、売買を斡旋したA子さん、自分の腎臓を売ったB子さんは同法違反の罪に問われることになります。一部のマスコミが報道しているように、B子さんに違法性の認識がなかったとしても法を犯したことには変わりありません。

 次に病院と医師に対する責任という問題です。この事件でもっとも罪が問われるべきなのは違法と分かっていながらB子さんに腎臓の提供を求めた男性とA子さんであることは自明であるのにもかかわらず、マスコミの報道はむしろ医師と病院に対する非難を大きく取り上げています。

 例えば、日経新聞10月6日の社説には「臓器売買、病院の責任も重い」というタイトルで医療サイドを激しく非難しています。

 「臓器提供者の身元確認も移植に絡む手続きも「ずさん」でそれが事件につながった」
 「(医師が)臓器売買が禁じられていることを伝えたのか疑問だ」
 「(医師に)金品のやりとりの気配を全く感じなかったのか疑問」
 「病院と医師の倫理意識の低さは驚くしかない」

 まるで今回の事件は病院と医師の不手際が原因で起こったというようなコメントです。しかし、可能な限り客観的にみたとして、今回の事件における病院と医師の責任はどの程度のものなのでしょうか。

 たしかに、保険証以外の方法で身元を確認せずに患者さんの話を信用したことにはいくらかの責任はあるでしょう。しかしながら、移植を受けた男性、その内縁の妻、提供者が一丸となって「よろしくお願いします」と言って移植の希望を申し出た場合、「こいつらグルになって騙そうとしているのではないか・・・」などと疑うことができるでしょうか。

 一部のマスコミは、病院によっては保険証の提示だけでなく親族であることを確認する血液検査をやっているのに、この愛媛の病院でしていないのは不適切だ、などという報道をしていますが、これはまったくナンセンスな報道であり、このような報道自体が不適切です。一般の人の多くは、こういう報道を信じて、「臓器移植の際には、血液検査までおこなって身元確認を徹底している病院もあるのに、この愛媛の病院はいい加減だ」、と感じられると思われます。

 しかし、親族であることを確認する血液検査とは、HLAと呼ばれる、簡単に言えば白血球の血液型のようなもので、これは確かに親族であれば似たような形になりますが、移植手術の際にHLAを調べるのは、移植を受ける人がもらう臓器を拒絶しやすいかどうかをみるためのものです。例えば白血病などで骨髄移植を受ける場合には、移植を受ける人と骨髄を提供する人のHLAができるだけ一致している必要があります。(このため骨髄バンクの役割が重要になるのです) 一方、腎臓の場合はHLAが似ていなくても身体が拒絶反応をそれほど示さずに、術後の問題が他の臓器移植に比べると少ないという特徴があります。

 執刀した医師がコメントしているように、医師と患者さんとの関係は信頼の上に成り立っています。そもそも今回の事件に限らずに、医師を欺こうと思えばいくらでも簡単に陥れることができます。

 例えば、ある患者さんが交通事故で重態になったとしましょう。その患者さんが緊急手術の必要な状態となり術後に家族がやって来たとします。当然その家族は患者さんの状態を尋ねます。このとき医師は、「あなたが患者さんの家族であることを証明するために戸籍をとってきてください」などと言えるでしょうか。

 あるいは外来に患者さんが家族とともにやってきたとします。患者さんに痴呆があるような場合、その付き添いの人に話をすることになります。このとき、「私はあなたがこの方の家族であることが信用できませんからお話はできません」などと言えるでしょうか。

 今挙げたふたつの例は極端かもしれませんが、いずれの場合も、後になってから患者さんから、「説明をした人は私の家族でもなんでもない。あんたは私のプライバシーのことを赤の他人に話したんだ。守秘義務違反及び個人情報保護法違反で訴える!」、と言われれば医師にはなす術がありません。

 今回の移植事件は倫理委員会を通すべきだったという意見もあるかと思いますが、委員会を通したとしても、公文書を偽造することだってできるでしょうし、本気で騙そうと思えばそんなにむつかしいことではありません。

 今回の事件を医師と病院の責任にするのは、まるで「いかなる詐欺師にも医師は騙されてはいけない」と言っているようなものです。日常生活では詐欺師に騙されることのない医師であったとしても、医師というのは、日頃から「患者さんのためにできる限りのことをしたい」と考えているわけですから、手の込んだ方法で欺かれれば打つべき手がないのです。

 次回は、臓器売買はどこまで違法かという点についてもう少し詳しくみてみたいと思います。