メディカルエッセイ

第46回(2006年11月) 臓器売買の医師の責任(後半)

 医師と患者さんとの関係は信頼の上に成り立っているわけで、患者さんとその親族がグルになって医師を欺こうと思えば簡単にできてしまう、という話を前回しました。

 今回の事件は、臓器売買をめぐってこのような問題が生じたわけですが、患者さんと親族がいくら「お願いします」と言っても、倫理上の観点からできない問題もあります。

 例えば「自殺幇助」が該当します。高齢で生きる希望をなくしている患者さんがいたとしましょう。生きる希望をなくしているからといって末期癌など治療法のない病を患っているわけではありません。患者さんは死ぬことを希望しており、仮に家族もその考えを尊重したいと考えているとしましょう。このとき、「分かりました。致死量の劇薬を注射しましょう」などと言う日本の医者は(おそらく)ひとりもいません。「自殺幇助」が罪になるだけでなく倫理上許されないことを医師は分かっているからです。ヨーロッパの一部の国ではこのようなケースでも罪に該当しない法律をつくっていますが、それは例外と考えるべきでしょう。

 「自殺幇助」などに比べると「臓器売買」については、倫理上あるいは歴史上、抵抗はそれほど大きくないと言えます。実際に、海外で臓器を買っている日本人が少なくないのは周知の事実です。日本人が生体腎移植を受けている国で最も多いのがフィリピンと中国だと言われています。少し詳しくみてみましょう。

 2006年10月6日の共同通信がフィリピンの生体腎移植の実情を報道しています。フィリピンでは貧困地域に住む住人に対して、いわゆる臓器ブローカーが腎臓売買の斡旋をもちかけます。対象となるのは18歳から25歳の健康な男性で、腎臓を提供すると13万~16万ペソ(約30~38万円)が支払われます。腎臓を買うのはほとんどが日本人で、支払う金額はこれの10倍程度だそうです。

 実際に腎臓を提供したある男性のコメントがこの記事に載せられています。その男性は、「(腎臓を受け取った日本人は)ありがとうと言ってくれたし、元気になっていたし、良かったと思う」、と述べています。

 また、フィリピンでは死刑囚が臓器を有償で提供しています。つまり腎臓を売っているのです。これは、合法であるばかりか、「臓器を提供することに賛同した受刑者は刑を軽減する」という法案が提出されたこともあります。

 フィリピン大学の哲学科のある教授は、「臓器提供は、受刑者が社会に何かを還元できる機会だ」、とコメントしています。

 詳細は覚えていませんが、数年前に、肝硬変を患った日本の有名プロレスラーが、フィリピンで生体肝移植を受け、肝臓の一部を提供したフィリピンの若い男性が術後に亡くなったという報道もありました。

 共同通信の同記事では、インド、中国、ブラジルの臓器売買の実情も報道されています。

 インドでは、以前は、臓器売買は合法でしたが現在では違法となっています。しかし、現在でも水面下で売買がおこなわれているのが実情です。そして、違法とされているのは移植に伴う臓器売買だけです。研究用の臓器の売買は合法であるばかりか、増加傾向にあるそうです。ちなみに、インドでは移植に伴う臓器売買が違法になる前は、南部のタミルナド州が臓器ビジネスの拠点でしたが、現在では北部ウッタルプラデシュ州やパンジャブ州が中心となっているそうです。

 中国では年間の移植件数が1万2000件を超え、米国に次ぎ世界第二位の「移植大国」となっています。腎移植だけで年間5000件以上が施行されています。中国の場合はドナーの大半が死刑囚であり、これが倫理上の観点から問題視されていますが、中国側にとっては貴重な外貨獲得源になっていることもあり、地方政府は実質臓器売買に荷担していると言えます。

 ブラジルでは臓器売買は違法とされていますが、実際には水面下でおこなわれています。2003年に摘発されたブローカー組織は、およそ1万ドル(約118万円)で腎臓の提供者を募集していました。この組織では少なくとも38人の貧しい人々を南アフリカへ連れて行き、そこで移植手術がおこなわれたようです。

 では、先進国ではどうでしょうか。偶然にも米国エール大学の移植医が「British Medical Journal」という医学誌に移植に関する論文を2006年10月5日に発表し、翌日に共同通信が報道しています。

 この移植医は、「生体移植の腎臓提供者に金銭が支払われるような仕組みを立法化すべきだ」、と述べています。

 同医師によりますと、「米国では2005年に6,500回余りの生体腎移植が行われたが、その10倍の約6万5千人が腎臓移植を待っており、平均待ち時間は2~4年」と、臓器不足が深刻化しています。

 米国では、血液や精子、卵子の売買は合法です。同医師は、「政府の管理下で提供者への報酬も統一して移植を実施すれば違法な売買はなくなり、公平さが増し、安全性も向上する」、とコメントしています。

 このように歴史的、地理的にみても臓器売買は必ずしも絶対的な「悪」とは言えません。考え方によっては、腎臓を受け取る人は健康を取り戻し、病院と医師には報酬が支払われるのに、腎臓の提供者だけが不利益を被るのは不公平であるという見方ができるかもしれません。もちろん、臓器売買は日本の臓器移植法で禁止されている行為ですから、国内でおこなえば罪に問われることになります。

 しかし、内容を吟味せずに、ただ単に「法律に抵触することはすべて絶対に許してはならない」、などと言ってしまえば事の本質を見誤ることになりかねません。以前、このコーナーで述べましたが、「法律による罪の重さと本当の意味での罪の重さは相関しない」と私は考えています。

 今回の愛媛の病院で腎移植を執刀した医師は、臓器売買をおこなった当事者ではなく、当事者たちの嘘の証言により騙されて手術をおこなったのです。その嘘が見破れなかったということが、大手マスコミの主張する「病院と医師の倫理意識の低さは驚くしかない」というコメントに果たして相当するのでしょうか。

 金に羽振りをきかせて、後進国の若者の腎臓を買いまくっている多くの日本人が存在しているということ、世界で最も移植医療の進んでいるアメリカの専門医が臓器売買の合法化を提唱しているということ、アメリカを含め先進国のなかには血液や精子、卵子の売買が許されている国があるということ、今回の売買事件では提供者が「いいことをしたかった」とコメントしていること、そして、執刀医は腎臓提供者と受け取った患者さんの双方から「身内の関係ですのでよろしくお願いします」と頭を下げられていたこと、などを考慮したときに、この執刀医は、驚かれるほどの低い倫理意識しか持っていなかったのでしょうか・・・。

 地域でもっとも腕の立つ移植医と言われていたこの医師が、この事件のせいで今後移植手術がおこなえなくなるとすると、最も不利益を被るのは誰でしょうか・・・。

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