メディカルエッセイ

50 「医療クライシス」を打開する方法 2007/3/20

2月24日の毎日新聞に、「医療クライシス」というタイトルで、医療関係者の声が特集されています。少し紹介しますと、

 「(医師の仕事は)どれだけ過酷な勤務か知っていますか。(中略)医者を選んだのは人生の失敗でした」(40代開業医)

 「結果責任を問われ、心身をすり減らして治療しても、感謝されるどころか疑いの眼を向けられることも多くなっている」(30代勤務医)

 「医療に携わるなら、ある程度はボランティアのような覚悟で望まなければならないのは分かっていたが、過労死認定基準を大幅に超えていることには驚いた」(医学部を目指す女子高生)

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 このような意見が多数集められているのですが、これらをまとめると、「医師の勤務時間は極めて長い割には報酬もそれほど多くなく、責任が非常に重く、一生懸命やってもそれほど感謝をされない」、ということになります。

 もちろん、すべての医師がそのように感じているわけではありませんが、最近はこのように否定的な思いを持つ医療従事者が増えてきているのは事実です。

 しかし、これらは突然そうなったわけではなく、以前から事情はそれほど大きく変わるわけではありません。細かいことを言えば、新研修医制度の導入で大学に残る若い医師が減少し、そのため大学傘下の病院から医師を引き上げざるを得ず医師の数が減る病院がある、とか、最近の医療訴訟の増加で医師をやめていく者が増えてきている、とかいったことはありますが、勤務時間が長い、報酬は多いわけではない(ただし少なくはありません)、責任が重い、感謝されないことも多い、などというのは今に始まったわけではありません。

 「今に始まったわけではない」と言っても、私自身も医師として、こういった現状に満足しているわけではありません。満足しているわけではありませんから、自分の意見を本にも書いたわけです。

 その意見をここで改めてご紹介すると、

 医師の数を倍にせよ!

 というものです。医師の数を倍にすれば、単純計算すればひとりあたりの患者さんの数が半減しますから、勤務時間が長い、という問題は解消されるでしょう。

 しかし、医師の数が倍になれば、医療費が増額されない限りは、報酬は半減します。医療費を増額せよ、という意見もあります。OECD(経済協力開発機構)の2003年のデータによりますと、GDPに対する医療費の占める割合は、OECD平均が8.6%なのに対し、日本は7.9%です。G7だけでみると10%を超えていますから「先進国」のなかでみれば日本は医療にお金をかけていない国ということになります。(ちなみに、30ヶ国中1位は米国の15.0%、最下位は韓国の5.6%です)

 したがって、この各国のGDPに占める医療費の割合の国際比較を持ち出して、医療費を上げるべきだ、という主張をときどき聞くことがあります。これはまったく正しい主張だと私は思いますが、残念ながら、日本政府は「はいそうですね。じゃあ来年から予算を上げますね」とは言ってくれません。

 ということは、言い続けることは重要だとしても、当面の間は医療費の増額というのは期待できないわけです。もしも、医師の数が倍になり医療費が増額されないとすると報酬は半分になります。報酬が半減と聞くと、たしかにぞっとしますが、勤務時間も大幅に減少しての報酬半減です。

 医師の仕事を一生懸命すればするほどプライベートな時間は犠牲となります。家族と過ごす時間が充分であると考えている医師などまず皆無ですし、時間がとれないことが時に家族関係を悪化させることもあります。

 例えば、私の知り合いのある男性医師は、夜中に頻繁に病院から呼び出されるのですが、急変した患者さんがいれば駆けつけるのが当然という考えを持っています。しかし、この男性医師の奥さんはこの行動が理解できません。奥さんの言い分はこうです。

 「本来の勤務時間以外の時間に出勤するなら時間外手当をもらうべき。そもそも医師という仕事は残業代がないのもおかしい。休みは月に一度あればいい方だし、これはあきらかな労働基準法違反だ」

 この奥さんの言っていることも理解できます。「残業代」とか「休日出勤手当て」などというのは医師の世界ではほぼ皆無ですし、土日には学会・研究会などで出張費や宿泊費も自己負担で全国にでかけますから、医師の世界を特殊な世界と感じるのも無理はないでしょう。

 もしも、医師の数が倍増して、夜間にも複数の医師が待機できるような状況を整えればこの奥さんの悩みは解決するかもしれません。たとえ収入が半減したとしても家族の時間は確保できるというわけです。

 医師数が足らないのは勤務医だけではありません。開業医だって同じです。例えば、私は1月から一応開業医ということになりましたが、これまで勤務していた複数の病院では引き継いでくれる医師がいないため今も勤務を続けています。夜間の当直勤務も月に3~4回はおこなっています。夜間は勉強や学会発表のための準備などに時間をとられ睡眠時間を削らざるをえませんから、プライベートな時間などほぼ皆無です。

 もうひとつ例をあげましょう。開業医には70歳を超えても仕事を続けている人が少なくありません。なかには80歳を超えても現役でがんばっている医師もいます。こういう医師たちはお金のために働いているのではもちろんありません。むしろ、これまでに蓄えたお金と年金で老後をのんびりと過ごしたいと考えている人たちも少なくないと思います。にもかかわらず、仕事を続けなければならないのは、仕事をやめると患者さんの行き場がなくなるからです。「私は今月かぎりで医師をやめますから、次からは別の病院に行ってください」とはなかなか言えるものではないのです。診療所を引き継いでくれる医師を探しているが見つからなくて困っている、と言っている年輩の開業医も少なくありません。

 「医療費を増額せよ」に比べると、「医師の数を増やせ」という議論はそれほど活発にはおこなわれていないように感じますが、現場で働く多くの医師は、「収入が減っても勤務時間を減らしたい」と考えているのです。(少なくとも私はそう感じています)