メディカルエッセイ

64 職業人としての"掟" 2008/5/22

2006年6月20日に奈良で起こった、有名進学高校の1年生が自宅に火をつけ母子3人が死亡した事件を取材し『僕はパパを殺すことに決めた』を出版した草薙厚子氏に対し、供述調書を頼まれて見せたことで、鑑定医の精神科医が秘密漏示罪で逮捕されました。

 まずは、マスコミの報道からこの事件を簡単に振り返っておきます。

 鑑定医は、奈良地裁から2006年8月4日にこの事件の鑑定人に任命されています。著者の草薙氏は、この鑑定医に会えるよう知人の大学教授に依頼し、9月8日、京都市内の料理店で会っています。そしてその後も何度か会い、「情報源は分からないようにする、コピーは取らない、原稿も最終チェックさせる」などと執拗に頼んで、鑑定医が奈良地裁から預かっている供述調書をコピーやカメラ撮影などで入手した、とされています。(2008年5月2日の読売新聞)

 今回、鑑定医が逮捕されたのは、少年と少年の父親が鑑定医を秘密漏示罪で訴えたことから始まっています。そして奈良地検と(なぜか)大阪地検が捜査を開始し、鑑定医と草薙氏、さらに鑑定医を草薙氏に紹介した大学教授までが自宅を強制捜査され、鑑定医が逮捕されるに至りました。(著者の草薙氏と大学教授は不起訴)

 ところが、一連の捜査には不可解な点が多く、草薙氏は"不当な"検察の捜査を告発すべく、最近『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。』という本を出版しています。

 草薙氏によると、今回の事件に対するマスコミの報道は、検察が虚偽の情報をリークしたことによるものが多く、真実が語られていないとし、「草薙氏と(鑑定医を紹介した)大学教授が不倫関係にある」とのブラックメールが捜査の発端になっている可能性があると指摘しています。

 また、草薙氏は、供述調書を入手するに際し、「私は神に誓って宣言する。私と取材相手との間には金銭の授受は無く、情で繋がっている関係も断じてない」と述べています。一方、読売新聞の報道では、「(鑑定医が)謝礼として(草薙氏から)10万円余りを受け取った」となっています。

 マスコミの報道と草薙氏の主張のどちらが正しいのかは分かりませんが、客観的にみて捜査に幾分かの"不透明さ"があるのは間違いないと思われます。

 そもそも少年と少年の父親が共同で、鑑定医を(名誉毀損などではなく)「秘密漏示罪」で訴えるということに不自然さがあります。少年が少年院内で『僕はパパを殺すことに決めた』を読んだとは到底思えませんし、たとえ読んでいたとしても、供述調書が著者の草薙氏に渡ったのは鑑定医が草薙氏に渡したからと断定することはどう考えても不可能です。なぜなら、草薙氏が『いったい誰を・・・』で述べているように、供述調書は、鑑定医以外にも、捜査機関(検察や警察)、家庭裁判所、弁護士なども入手しているからです。(このあたりについては、『いったい誰を・・・』の最後に弁護士の清水勉氏が詳しく述べています)

 草薙氏は、『いったい誰を・・・』のなかで、自分自身が記者会見で発表したコメントとして次のように述べています。

 「取材源の秘匿は私が取り調べを受ける中で、ずっと守ってきたことです。(中略)私は(取材源を)『命を差し出しても言えません』と捜査当局にも言っております」

 しかし、結果的には、供述調書を草薙氏に漏示したのは鑑定医であることが捜査で明らかとなりました。たしかに草薙氏は、検察官に対しては「取材源の秘匿」を守っていたかもしれませんが、鑑定医の方が、「調書を見せたのは間違いない」と事実を認めています。

 今回この鑑定医が逮捕されたのは、「秘密漏示罪」ですが、これは刑法134条に定められている、いわゆる「医師の守秘義務」のことです。

 鑑定医は今回の件で、ある医学雑誌にコメントを寄せています。そのコメントは、タイトルを「供述調書を見せたことは後悔していない」としており、自分は少年と医師と患者の関係ではないのだから、供述調書を他人に見せることは守秘義務違反には相当しない、というような内容を述べています。

 鑑定医が裁判所から入手した供述調書を第三者に見せるのが守秘義務違反に当たるかどうかというのはむつかしい問題で、これから審議がおこなわれることになりますが、この鑑定医は実際に10万円以上の謝礼を受け取ったことを認めている以上、守秘義務違反に当たらないという主張には説得力が欠けるように思えます。

 さて、私が今回の事件で最も問題だと思うのは、草薙氏が書いた『僕はパパを殺すことに決めた』がきっかけで、結果としてひとりの鑑定医が逮捕されたということです。

 草薙氏は、記者会見で「命を差し出しても(取材源を)言えません」と述べましたが、鑑定医が逮捕されたのは事実であり、これは草薙氏に責任があります。

 ジャーナリストであれば、「通常の」取材で得ることのできる情報以上のものを追求したくなるでしょうし、場合によってはその追求が社会的責務という言い方ができるかもしれません。そのため、例えば、危険な場所や人物に近づいたり、知ってはいけないような情報を入手してしまったり、といったことも場合によってはあるでしょう。取材でお金を渡すのは、倫理上よくないことなのかもしれませんが、私自身は個人的にはそれほど悪いこととは思えません。端的に言ってしまえば、誰にも迷惑がかからなければ、どのような方法で取材をしてもかまわないというのが私の考えです。

 しかしながら、取材源が露呈されるというのは、ジャーナリストとして「失格」であり、許されることではないと思うのです。私はジャーナリストではありませんし、ひとつの事件を念入りに調べた経験もありませんが、NPO法人GINA(ジーナ)の関連では、違法薬物や売春に深く関わっている人の取材をすることがあります。そのなかには現在も違法行為をやめていない人もいます。私は彼(女)らから話を聞いて文章を書くときには、情報源が漏れないことを約束します。また、医学の学会や研究会で症例について発表をおこなうときには、その症例が誰であるかについてわからないようにします。医師どうしの間でさえ、守秘義務は存在するのです。

 今回、鑑定医が逮捕され、草薙氏が不起訴となったのは、ジャーナリストという草薙氏の職業が「秘密漏示罪」に適用されないからではないかと思われます。要するに現行の日本の法律では、医師に対しては秘密漏示罪が適用されるけれども、ジャーナリストに対しては適用する法律がないということです。

 私が最も言いたいことは、(以前にもこのコーナーで何度か言っていますが)、「法律よりも大切なことがある!」ということです。そもそも法律が必要なのは、それがなければ社会が不安定になるからです。安定している社会であれば法律は不要なのです。もっと言えば文字さえ不要です。実際に無文字社会が大変安定した社会であることは文化人類学的には常識です。なぜ法律や文字が不要かというと、それは、そんなものがなくても社会の成員が一定のルール(掟)に基づいて人間としての道を踏み外さないからです。

 人間が職業人として仕事をするときには、たとえその職業が何であれ、職業人としての"掟"を守らなくてはなりません。"掟"は法律とは別のところにあり、私は"掟"は法律よりも重みのあるものだと思っています。なぜなら、法律は国会の審議で変更されることがありますが、"掟"は不変だからです。不変だからこそ、わざわざ法律のように文章にする必要もないのです。"掟"という表現が厳かであれば単純に"ルール"と言ってもいいかもしれませんし、ある意味では職業人の"矜持"とも言えるでしょう。

 結果として取材源が露呈されてしまったのは、草薙氏がどのような言い訳をしたとしても、それは"掟"に背いたことになると私は考えています。つまり、「何があっても取材源を露呈させない」というのがジャーナリストの"掟"だと思うのです。

 最後に述べて起きますが、『僕はパパを殺すことに決めた』はたいへん興味深い本です。鑑定医はこの本に対して、少年が罹患していた「広汎性発達障害」についての記述が不充分であると述べていますが、私はそれを差し引いても、真実の解明と社会への問題提起という意味ですぐれた本だと思っています。

 私はこの本が絶版になってしまったことを残念に思います。もう遅いかもしれませんが、別のかたちになったとしてもこの事件を草薙氏に伝えてもらいたいという気持ちがあります。(私が言うのはおこがましいですが)それが、結果として職業人としての"掟"に背いたことに対する贖罪になると思うのです。