メディカルエッセイ

76 大学病院の総合診療科の危機 その1 2009/5/20

このウェブサイトでは何度も紹介していますが、「総合診療科」というのは、患者さんの臓器のみをみるのではなく、患者さんを総合的にみることを重要視しています。従来、医療機関というのは臓器別に細かく専門化されすぎていましたから、それを反省する意味もあり日本でも今から10年ほど前に注目を集めだしました。

 実際、2000年前後までに、総合診療科(「総合診療部」または「総合診療センター」と呼ばれることもありますがここでは「総合診療科」で統一します)は、およそ50の大学病院に設置されました。

 ところが、ここに来て大学の総合診療科が次々と廃止に追い込まれています。

 2005年9月に北海道大学が総合診療科を廃止し、2007年4月には杏林大学が廃止を決めました。2009年度からは京都大学が廃止、群馬大学は救急部と統合することになりました。また、2002年には島根大学が総合診療科設立の翌年に廃止を決めています。(報道は2009年4月20日の読売新聞)

 大学での総合診療科が次々と廃止されている理由を考える前に、まずはなぜ総合診療科が必要と考えられるようになったかについてまとめておきましょう。

 臓器別に診療をおこなうのが従来の日本の医療です。例えば、肝臓と心臓と皮膚に疾患のある人に対しては、肝臓、心臓、皮膚の診察を得意とする3人の医師がそれぞれ診察にあたるというわけです。

 このような診察方法のメリットとしては、それぞれの臓器のスペシャリストが担当するわけですから、例えば、その患者さんが非常に稀な病気にかかっていたとしてもその疾患を見逃される可能性は少なく、初めから最新で最適の治療が受けられることが期待できます。これは、患者さんからみてもありがたいことです。町の開業医のみを受診しているだけでは発見できなかった病気が見つかるかもしれないのですから。

 ではデメリットにはどのようなものがあるでしょうか。医師側からみたときには、いつも他の医師がどのような検査をおこないどのような薬を処方したかに注意を払わなければなりません。検査内容が重なってしまえば医療費の無駄遣いになりますし、患者さんにとっても二度手間になります。薬についても同じ系統の薬を処方することにならないか、また薬の相互作用についてもいつも考えていなければなりません。したがって、複数の医師を受診している患者さんに対しては、毎回「他の医師の受診で薬の変更や追加はないですか」と聞かなければなりません。

 患者さんからみたときのデメリットとしては、まずは3人の医師を受診しなければなりませんからお金と時間がかかります。お金の問題はさておき、時間は大変なものです。これだけ医師不足が深刻化している日本では、ひとりの医師に診察してもらうまでの待ち時間はかなりのものになります。3人の医師を受診するのに1日では不可能な場合もあるでしょう。また、同じ話を何度もしなければならないでしょうし、場合によっては採血を何度もしなければなりません。患者さんの気持ちとしては、「3人の医者が話し合って必要な項目を決めてくれれば1回の採血で済んだんじゃないの」、となるかもしれません。

 問題はまだあります。この例で言えば、肝臓、心臓、皮膚のそれぞれの疾患が独立したものであればいいかもしれませんが、例えば、肝臓と皮膚の疾患は同じことが原因で発症していた、というようなことがあった場合、それぞれのスペシャリストを受診していたときには発見が遅くなるかもしれません。なぜなら、患者さんとしては肝臓の医師には肝臓に関することだけを話し、皮膚の医師に対しては皮膚のみについての症状を話すことになり、その関連性が問診から読み取れなくなることがあるからです。

 仮に人間の身体はA,B,Cの3つの臓器から成り立つとしましょう。この場合、「A+B+C=人間」となるわけではありません。必ず「A+B+C<人間」となります。少し形而上学的に言えば、「部分の総和と全体は同じでない」ということです。なぜなら、AとB、BとC、CとAの相互性・連関性にも意味があり、さらにA,B,Cの3つがそろったときに初めて現れる事象や意味が存在するからです。

 抽象的なうんちくはこれくらいにして話を元に戻しましょう。

 例えば、次のような患者さんがいたとします。

 32歳女性。営業職。2~3ヶ月前から食欲がなくなり、ときどき吐き気がする。1ヶ月くらい前からめまいも自覚するようになり、先週は2回ほど動悸があった。最近、肌のつやがなくなってきたような気がするし、先月には円形脱毛もできた。夜に眠れないことがあるし、最近イライラすることが増えた。これまでなかった生理不順が目立つようになってきた。花粉症が今年から始まったのか目のかゆみと鼻づまりが気になる。

 さて、もしもすべての医療機関が臓器別にしか診察しないとすると、この患者さんはいったいいくつの科を受診しなければならないでしょうか。食欲不振+吐き気→消化器内科、めまい→脳内科もしくは脳外科、動悸→循環器内科、肌+脱毛→皮膚科、不眠+イライラ→精神科、生理不順→婦人科、目のかゆみ→眼科、鼻づまり→耳鼻科、といったところでしょうか。

 営業職で忙しいこの女性がこれだけたくさんの科を受診することは現実的でしょうか。この女性のように複数の悩みがある人は実際にはいくらでもいます。では、このような人たちはどこの医療機関に行けばいいのでしょうか。

 こういった悩みをもつ人に対して最初に対応すべきなのが総合診療科なのです。(総合診療と同じように使われる言葉に「家庭医療」「プライマリケア」というものがあり、定義の仕方によっては意味がそれぞれ少しずつ異なる場合もあるのですが、ここでは同じ意味とします。以下も「総合診療」で統一します)

 大学病院や大病院の診療科が臓器別になっていることからも分かるように、医学教育も臓器別におこなわれています。ただし、臓器別の教育には有効な面も非常に多く、学生や研修医の立場からしても医学を理解する上で臓器ごとに学ぶことは絶対に必要です。

 しかし、それだけでは実際の患者さんには対応できないのです。そのことに気づいていた私は、2年間の基礎研修を終えた後に大学の総合診療科の門を叩くことになりました。(実は、私が総合診療科の医局に入ろうと考えたのは、タイのエイズ施設でボランティアをしていたときに欧米の総合診療科医たちが臓器にとらわれずにどのような症状にも対応していたのを見て感銘を受けた、というのもひとつの理由なのですが、ここでは詳しくは述べないでおきます)

 大学の総合診療科に入った私は、早速大学病院を受診される患者さんの診察(上級医の診察の見学や補助)をおこなうようになりましたが、自分が思うような成果が得られないことに気づきました。大学病院を受診される患者さんには一定の特徴があり、大学病院の患者さんを診るだけでは本当の意味での総合診療ができないと感じたのです。

 私が感じたこのようなことと、今回のテーマである「大学病院で総合診療科が廃止」には関係があるように思えます。次回はそのあたりについてお話したいと思います。

つづく