はやりの病気

第82回 熱のない長引く咳は百日咳かも・・・ 2010/6/20

百日咳が流行しています。百日咳と言えば子供の病気というイメージがありますが、ここ数年は成人の百日咳が増加しており、国立感染症研究所の報告では、今年(2010年)は、第20週(5月17~23日)の時点で、20歳以上の割合が5割を超えています。

 20歳以上の割合は5割、と聞くと、それでも約半数は子供なんだ、と思ってしまいますが、この数字は実態を反映していないと考えるべきです。

 まず、なぜ百日咳の患者数を国立感染症研究所が把握しているかというと、百日咳を診断した医療機関はそれを当局に届出なければならないからです。一般に、「特定の感染症」を診断したとき、医師には届出義務が生じます。

 この「特定の感染症」というのは、法律で定められており、すべての感染症が該当するわけではありません。例えば、足の水虫を診断したり、腟内のカンジダが確認されたりしてもそれらを届ける必要はありません。「特定の感染症」は、例えば現在流行しているA型肝炎や手足口病、HIV、麻疹などが相当します。そして、百日咳も「特定の感染症」に相当します。

 ここからが少しややこしくなります。実は「特定の感染症」というのは、「全数届出感染症」と「定点届出感染症」に分けられます。前者(全数届出感染症)は、すべての医療機関で届出義務が課せられる感染症です。HIV、エボラ出血熱、A型肝炎、などが相当します。一方、後者(定点届出感染症)は、あらかじめ指定されている医療機関にのみ届出義務が課せられます。

 百日咳は定点届出感染症に指定されており、「定点」は通常は小児科の医療機関が選ばれます。もちろん、「定点」に選ばれない医療機関もあるわけで、「定点」に指定されているAクリニックを受診すれば届出をされて、「定点」でないBクリニックを受診すれば百日咳と診断がつけられ治療をおこなわれても届出はされないことになります。つまり、あなたがAクリニックを受診するかBクリニックを受診するかによって、その週の百日咳の患者数が変わる、ということになります。

 通常、成人が長引く咳で医療機関を受診する場合、「内科」を受診することがほとんどで、あえて「小児科」を受診することはないでしょう。自分の子供を小児科クリニックに連れて行って、子供と同じような症状のある自分を"ついでに"診てもらう、とか、「小児科・内科」で診療をしているクリニックで診察を受けた、という場合であれば届出されることになりますが、一般の内科系クリニックを受診した場合は、届出はされないことになります。

 ですから、数字には上がってこないだけで実際には百日咳に罹患している成人は相当数に上るはずです。

 しかしながら、百日咳が流行したからといって慌てる必要はありません。なぜなら、ほとんどの場合、成人の百日咳は、咳には苦しめられるものの、通常高熱はでませんし、多少時間がかかることはありますが無治療でも自然治癒することが少なくないからです。

 一方、小児では事情が異なります。小児の百日咳は、熱もでますし、激しい咳は周囲が苦しくなる程ですし、嘔吐することもあれば、咳発作が重症化して呼吸困難に陥ることもあります。ワクチン接種をしておらず、無治療であれば、死に至ることも珍しくありません。実際、日本でもワクチンが普及する前は死亡率が10%もあったとする報告もります。

 ワクチンが普及すれば、感染者は劇的に減少するのですが、実は百日咳ワクチンには様々な歴史があって、副作用が問題になりいったん供給が中止となったこともあります。改良が重ねられ、現在ではジフテリア、破傷風との混合ワクチン(DPT三種混合ワクチン)が登場し、1994年からは1回目の接種が生後3ヶ月となりました。それまでは2歳で1回目の接種をすることになっていたのですが、生後3ヶ月に早められたのは、百日咳は生後6ヶ月未満で発症することが少なくないからです。(注1)

 一般に生後だいたい6ヶ月くらいまでは、お母さんからの免疫(これを「経胎盤移行抗体」と呼びます)があって、多くの感染症にはお母さんが培った免疫力で対処できるのですが、百日咳の場合は、この免疫が期待できないのです。そこで、ワクチンをできるだけ早くから接種する必要があるというわけです。

 さて、成人の百日咳ですが、統計に反映されない感染例がかなり多くあり現在も流行していることはほぼ間違いありません。では、医療機関では百日咳を疑った場合はどうしているのでしょうか。

 太融寺町谷口医院にも長引く咳を訴えて受診される方は少なくありません。このような訴えは年中あるのですが、ここ1~2ヶ月は特に増加しているように思われます。ただ、長引く咳→百日咳、と短絡的に決められるわけではなく、アレルギーが関与している咳や、持病の喘息や慢性気管支炎が悪化した場合、ウイルス性の感冒がダラダラ続いている場合、また、マイコプラズマ肺炎であることもありますし、頻度はそれほど多くありませんが結核が見つかることもあります。またタバコを吸う中高年の場合は、COPDと呼ばれる肺の病気であることもありますし、逆流性食道炎の1つの症状といった気道とは関係のないことが原因となっている長引く咳もあります。

 一般的に咳が長引いていれば胸部レントゲンを撮影することになるのですが、百日咳はレントゲンで特徴的な像を呈するわけではありません。ですから、レントゲンは、百日咳を見つけるために撮るというよりも、百日咳以外の重症な疾患(結核や肺ガンなど)を除外するために撮影する、といった意味の方が大きいといえます。

 血液検査はどうかというと、実は成人の百日咳の場合は、決定的な指標というものがありません。子供の場合は、血液検査の値が百日咳に特徴的になるのですが、成人の場合は、凝集価という値や抗体(IgG抗体)を調べることがありますが決定的なものではありません。また、遺伝子診断(PCR)をおこなえば確定できることがありますが、これは保険適用がなく、もしも検査をするとなるとかなりの高額になります。それにいずれの検査をしたとしても、結果がでるまでに数日から1週間以上かかります。

 もしも、百日咳という病気が、何らかの理由で「100%の診断がつかなければ治療を開始してはいけない病気」であれば、なんとしても確定診断をつけなければなりませんが、実際はそうではありません。例えば、クラリスロマイシン(商品名はクラリス、クラリシッドなど)という抗生物質は百日咳によく効いて、同時に同じく長引く頑固な咳の症状がでるマイコプラズマにもよく効きます(注3)。

 ですから、少し荒っぽい言い方をすれば、その咳がウイルス性やアレルギー性のものではなく、細菌性の上気道炎である可能性が強く(注2)、咳が主症状であれば、クラリスロマイシンを投薬してみるというのは臨床の現場ではしばしばおこなわれる方法のひとつです。もちろん、抗生物質というのは安易に処方すべきものではありませんし、百日咳であることを強く疑っても、ピークを過ぎて治癒過程にあるような場合は、あえて何も処方しない(もしくは一般的な咳止めのみの処方とする)こともあります。

 成人の百日咳は、咳が長引くことはあるものの発熱はないことが多く日常生活が妨げられるようになることはそれほど多くありません。また、確定診断がつかなくても治療が開始されることもあり、ほとんどは数日後には治癒しますから、それほどやっかいな病気ではないと言えます。しかしながら、まだワクチン接種をしていない子供にうつしてしまうと大変なことになりかねません。周りに小さなお子さんがいる方は早めに医療機関を受診すべきでしょう。


注1 百日咳のワクチンは終生免疫が得られるわけではなく、成人する頃にはワクチンの効果が消失していると考えられています。また、DPTワクチンは通常下記のようなスケジュールで接種します。
・1期初回接種を、生後3ヶ月から1歳までの間に、3~8週あけて合計3回。
・1期追加接種を、初回接種後1年から1年6ヵ月後に1回接種。
(2期接種を、11歳くらいにおこないますが、通常このときは、DTワクチン(ジフテリアと破傷風)のみで百日咳はおこないません)

注2 「上気道炎(風邪症状)がウイルス性のものなのか細菌性のものなのかをどうやって区別するのですか」という質問をときどき受けます。それらを区別するには、問診、肺野の聴診、咳や痰の性状、発熱の有無(これはあまりあてになりませんが)、その人の基礎疾患(アレルギー疾患の有無、糖尿病や悪性腫瘍、HIV感染などはないか)、などもありますし、肺炎を疑った場合は胸部レントゲンを撮影しますが、当院では咽頭スワブの染色(咽頭を綿棒でぬぐいそれをスライドに引いて特殊な染色をおこない顕微鏡で観察します)を重要視することがしばしばあります。細菌感染の場合、炎症細胞と呼ばれる一部の白血球が集まっている像が観察されることが多いのです。また、最近ではプロカルシトニンという値を血液検査で測定して細菌感染の有無の参考にするという方法もあるのですが、結果がすぐに出ないことと高価なことから当院ではあまりおこなっていません。

注3(2012年10月21日付記):本文にはマイコプラズマにクラリスロマイシンが「よく効く」と記載されていますが、2010年後半頃よりクラリスロマイシン耐性のマイコプラズマ(つまり、クラリスロマイシンが効かないマイコプラズマ)が急増し、2012年後半の現在では、もはや「ほとんど効かない」と考えるべきです。