メディカルエッセイ

85 製薬会社の使命と医師の使命 2010/2/20

2010年1月初旬、欧州議会議員会議(PACE, Parliamentary Assembly of the Council of Europe)が、WHO(世界保健機関)が2009年に宣言したインフルエンザのパンデミック(世界流行)宣言は、「偽りのパンデミック(fake pandemics)」の可能性が強い、と主張し調査をおこないました。

 私は、このニュースを読んで大変驚きました。新型インフルエンザは、昨年4月頃からメキシコをかわきりに、米国、カナダ、日本、英国、オーストラリアなどで流行し、当初からメキシコでは高い死亡率が報告され、各国で従来の季節型インフルエンザよりも重症化することが多く死亡率も高いという調査が相次いでいるのです。

 最近になって罹患者は減少しつつありますが、それでも終息したわけではなく、依然猛威をふるっています。WHOが迅速に「パンデミック宣言」をおこない、予防の重要性を訴え、ワクチン接種の勧奨をおこなったことは評価に値するのではないでしょうか。

 なぜ、欧州議会議員会議(以下PACE)がWHOのパンデミック宣言を"偽り"としているかというと、PACEはワクチン製造企業とWHOの間に癒着のような関係があると考えているようです。

 PACEは1月25~29日に開催された冬季会議のメインテーマを「Faked pandemics, a threat to health(偽りのパンデミック、健康への脅威)」と決定し,本部(仏ストラスブール)で緊急討議を行い、さらにWHOとワクチン製造企業の関係者に対する公聴会も実施しています。

 WHO、ワクチン製造企業の関係者を招集して公聴会を開くというのですから、PACEはWHOのパンデミック宣言に対して相当嫌悪感を抱いているような印象を受けます。

 これはなぜなのでしょうか。考えられる理由のひとつに、議員も世論も日頃から製薬会社に対してネガティブなイメージを抱いている、というものがあるのかもしれません。要するに、製薬会社は儲けすぎている、もっと言えば、「病気にかかるかもしれないという人の弱みにつけこんで利益を得ようとしている」といったイメージがあるのかもしれません。

 映画『ミッション・インポシブル2(M:I-2)』では、殺人ウイルス「キメラ」と解毒剤「ベレロフォン」を奪還するのが、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントの"ミッション"になっていましたが、この殺人ウイルスを開発したのは巨大製薬会社「バイサイト」という設定になっています。

 また、新型インフルエンザが登場したとき、誰かが人為的にウイルスを製造したのではないか、という噂、(例えば、製薬会社がウイルスを作成し、ワクチンと特効薬を同時に売り出そうとしたのではないか、という噂)が一部でありました。

 実際には自らの金儲けのために人為的にウイルスを製造するといったことはないでしょうが、病気の不安を煽って儲けようとする製薬会社があるのではないかと考える人はいるようです。

 例えば、高血圧の診断基準は、以前は収縮期血圧(上の血圧)が160mmHg以上とされていました。これは1978年のWHO(世界保健機関)が定めた基準です。それが、1999年の新しい基準では、140mmHg以上と診断基準が厳しくなっています。さらに、2009年のJSH(日本高血圧学会)では、140mmHg以下であっても肥満やメタボリックシンドロームなどがあれば治療を検討すべき、ということになっています。

 つまり、次第に高血圧という診断がつきやすくなり薬開始へのハードルが下がっているわけで、ここから、製薬会社が病気の人を増やして薬を売りたいからではないか、という噂がでてくるのです。(もちろん、高血圧の診断基準は公正な大規模調査により裏付けられていますから、製薬会社の思惑で基準が変更になったわけではありません)

 さて、では製薬会社は儲けようとしていないかと言われれば、「不当に儲けようとはしていない」とは思いますが、製薬会社自体はほとんどが株式会社の形態をとっていますから利益を出さないと存続できないのは事実ですし、利益を出さなければ株主から厳しい追求をされることになります。それに、ある程度の利益を捻出し、それを新薬の開発費に投資しなければ、薬学の進歩は望めないことになります。製薬会社に勤める人も、ある程度の収入がなければ困るでしょう。

 つまり、利益を出さなければ組織が存続できず、薬学の発展も望めないという側面があるものの、利益至上主義になってしまうことが許されないのが製薬会社の立場というわけです。

 これは一般の製造業者とは似ているようで似ていません。例えば、自動車でも家電製品でもコンピュータでもいいのですが、一般の製造業者は、今の生活よりも便利になるものを開発することが使命です。つまり需要を掘り起こすことで企業の存続意義がでてきます。一方、製薬会社の場合は、今ある病気に対する薬を製造することがミッションなわけで、新たに病気を生み出したり病気に対する不安を煽ったりしてはならないのです。これを別の言葉で言えば、一般の製造会社はゼロからプラスを創造することが、製薬会社はマイナスをゼロに近づけるのがミッションであるということになります。

 マイナスをゼロに近づける、という言い方をすると我々医師も同じなのですが、製薬会社のミッションと医師のミッションは、少し異なります。

 私は、以前、ある後発品中心の製薬会社に「支援をするから開業しないか」という話を持ちかけられたことがあります。物件はすでに確保してあり家賃や内装費まですべて会社が負担するからクリニックの院長として診療をしてもらえないか、という提案です。

 これは、普通の(医療以外の)会社や店舗ならありがたい話だと思います。何しろ開業資金がゼロとなり、その後もコンビニなどのフランチャイズとは異なり、毎月の売上から何パーセントを払わなければならないという制約もないのです。上手くいかなかったときのリスクがほぼゼロで、かつ利益をそのまま受け取ることができるのです。

 しかし、私はこの申し入れを断りました。その理由は、以下のようなものです。

 製薬会社のミッションは、薬を販売し利益を上げることである。一方、医師のミッションは、いかに薬を処方しないか、である。薬をできるだけ使わずに、また使ったとしても最小限に努めるのが医師の使命なのである。このようにミッションの方向が異なっているのだから、製薬会社と医師のタイアップは上手くいくはずがない。

 製薬会社にはライバル会社が多く、利益追求をしなければ会社が存続できません。しかし、医療機関は利益追求を考えてはならず薬の処方は最小限にしなければなりません。このあたりの微妙な違いを日々感じながら、我々医師は薬の処方をおこなっているのです。