メディカルエッセイ

88 素敵な老後の過ごし方 2010/5/19

社会学者上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』がロングセラーになっているそうです。

 「おひとりさま」という言葉はちょっとした流行語にもなっているようで、老後の独り者に付随する孤独や不安といった従来のネガティブなイメージが、この言葉のおかげで変わりつつあるようにも思われます。『おひとりさま・・・』は女性向けに書かれていますが、昨年(2009年)秋には『男おひとりさま道』という、男性向けの単行本も出版されました。

 私はフェミニストというわけではありませんが、医学の前には社会学を学んでいましたから、上野千鶴子さんの本はこれまでに何冊か読んでいます。社会学者が「老後」の問題を取り上げており、尚且つよく売れている本ですから、当然読むべきだろう、と考えて『おひとりさま・・・』『男おひとり・・』の双方を買って読んでみました。

 上野千鶴子さんは、独り身でも(むしろ独り身の方が)楽しくやっていけると主張します。しかし、誰もがこの本を読めば幸せな老後が待っているかというと、そういうわけではないでしょう。「おひとりさま」を楽しく過ごす前提として、そこそこのお金があることと、そこそこの人脈、そしてある程度の健康が必要になります。健康問題については、かなり多角的に考察されており、医学的な見地からも検討されているため、なるほど・・・、と思いましたが、それでも上野氏の主張が庶民の立場に立ったものかと言われれば、少し疑問に感じます。

 ひねくれた見方をすれば、「そりゃあ、上野先生はお金もあるし、上野先生を崇拝するファンが全国にいくらでもいるから、特定のパートナーとひっそりと暮らすよりも、陽気にいろんなところにでかける老後の生活は楽しいでしょうけど、お金もない、友達も少ない、特に高齢になってからは異性の友達がゼロ、なんていう庶民はどうすればいいの・・・」となります。

 また、上野氏は、男性も高齢になれば、特定のパートナーを持つのではなく大勢の女性の友達をつくって、セックスや結婚(再婚)のことは考えるな、と主張しますが、「ハーイ。上野先生の言うとおり、性欲は封印してセックスのことは考えませんし、恋愛をしたいなどと二度と申し上げません」、などと本気で言える男性がどれだけいるでしょうか。

 前置きが大変長くなってしまいました。今回のコラムでは「老後をどのように過ごすべきか」について最近の医学的見解を紹介するのが目的なのですが、そのイントロダクションとして上野千鶴子さんの書籍を紹介しました。(ここでは否定的な意見を中心に述べましたが一読に値する良書です。念のため・・・)

 さて、老後にパートナーを持つべきか否かについては『おひとりさま・・・』に譲るとして、パートナー以外には誰と過ごすべきかについて考えてみたいと思います。

 一般に、高齢になると子供は巣立ち孫ができていることが多いと言えます。昔も今もほとんどの人は(子供との関係はそれほど上手くいってなくても)孫のことはかわいいと思うでしょう。孫にお小遣いをあげたり、プレゼントを買ってあげたりすることが生きがいになっている高齢者も少なくありません。

 では、高齢者は孫が入れば幸せなのでしょうか。

 最近興味深い学術研究が発表されました。「Healthy Day News」という医療関係の記事を配信しているオンライン上のニュースソースがあるのですが、2010年4月15日の記事によりますと、英国心理学会の年次集会で、「高齢者の生活の楽しさに大きな差をもたらすのは子や孫たちではなく、活動的な社会生活の存在である」という報告があったそうです。

 この研究は、ウェブサイトやオンラインニュースレターで募集した定年退職者279人を対象とし、家族、友人および退職後の生活に関するアンケートをおこない、生活の満足度を測定する検査を実施しています。

 その結果、子や孫たちのいる人といない人との間に生活の満足度の差は認められなかったそうです。一方で、<強い社会的ネットワーク>の存在が生活の楽しさに大きなプラスの影響を及ぼす傾向があり、「一緒に楽しむ活発な社会集団がある」という項目に強く同意した人では生活の満足度が高く、反対に生活を楽しんでいない人は、「仕事をしていたときの人付き合いがなくて寂しい」という項目に強く同意していたそうです。

 研究者はこれらをまとめて、「(仕事ではなく)趣味などを共有できる社会集団の存在は、結束感、目的意識、熟達(技能を必要とするケース)など、数々の基本的な心理的要求を満たすものである」と述べているそうです。

 Healthy Day Newsのこの記事は、米国の学者の意見も紹介しています。その学者もまた、米国の定年退職者について、今回の英国の研究結果と同様の意見を示しているようです。「高齢者は自分の孫に極めて強い関心があり、孫の成功を願っているが、幸せや心理的満足感をもたらしてくれるのは実は友人であると私は考えている。老後に限らず、人生のさまざまな段階で人は同年代の友人が自分の経験を理解し、社会的に支えてくれると感じている」、とその学者は述べているそうです。

 英国の研究では、<強い社会的ネットワーク>だけでなく、パートナーについても調査されています。結果は、「死別、離婚した人や未婚の高齢者(おひとりさま)は、パートナーとの関係を長く続けている人に比べて、生活の満足度が低い」、というものだったようです。

 さらに、パートナーのいる人たちに対する調査では、「パートナーも退職している人に比べ、パートナーがまだ仕事をしている退職者は生活の満足度が低い」、という結果がでています。

 これらをまとめて、研究者は、「パートナーが退職するまでは長期休暇の計画を立てたり、生活を大きく変えたりすることができないが、ともに退職していれば一緒に計画を立て、互いの生活に合わせることができる」、としています。

 ところで、年を取ると頭脳も衰えるのでしょうか。身体が老いるのは仕方がないにしても、老後を楽しく過ごすにはできるだけ頭脳はしっかりと保ちたいものです。物忘れが気になるようになったり、記憶力が低下したりするということは、多くの人が体感することでしょうが、すべての能力が低下してしまうのでしょうか。

 実は最近、そうではなく、むしろ年を取るにつれて能力が向上する分野があるという研究結果が発表されています。医学誌『Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)』オンライン版2010年4月5日号に掲載された論文(下記注1参照)で、「高齢者は若者に比べて社会的対立を解決する能力に優れている」という研究結果が報告されています。

 研究内容の詳細は割愛しますが、この「高齢者がすぐれている」という結果は、脳の画像検査(MRIやPET)とも一致するそうです。高齢者は若年者に比べて記憶課題に前頭葉を多く使っていることが判ってきています。前頭葉は、理論的推理、問題解決、概論形成、複数の事案の同時処理、などをおこなうときに活動する部分です。「高齢者は他の認知能力を補うために前頭葉を多く使うようになり、それによって社会的対立についてよく理解できるようになると考えることができる」、と研究者は述べています。

 高齢になってから新しいことを始めたり、周囲が驚くほどの能力を発揮したりする人がいますが(56歳から測量を開始し日本地図を完成させた伊能忠敬はその代表と言えるでしょう)、では、いわゆる「脳トレ」はどうなのでしょうか。「脳トレ」をおこなうことにより、脳力がアップして、社会的対立を解決する能力だけでなく、他の領域でも頭脳明晰となるのでしょうか。

 残念ながらそうはならないようです。科学誌『Nature』2010年4月20日号(下記注2参照)で発表された英国の研究結果では、11,430人にコンピューターゲームをおこなってもらい「脳トレ(brain training)」の効果を検証した結果、ゲームの成績は向上したものの、論理的思考力や短期記憶を調べた認知テストの成績はほとんど向上しなかったそうです。

 どのような境遇の人も、老後にパートナーと過ごすかどうか(過ごせるかどうか)は分かりませんから、「おひとりさま」になる可能性もあるでしょう。「おひとりさま」になったとしても、ならなかったとしても、<強い社会的ネットワーク>を持ち、「脳トレ」でない方法で脳をできるだけ使うようにして、社会的対立を解決することで社会に貢献する、というのが最も素敵な老後の過ごし方、と言えるかもしれません。

 参考までに、私は医師という職業を引退した後は、語学の勉強に本格的に取り組み(英語、タイ語以外に中国語かスペイン語を学ぼうと考えています)、NPO法人GINA(ジーナ)の活動を広げ、社会貢献に時間を費やしたい、と考えています。


注1 この論文のタイトルは、「Reasoning about social conflicts improves into old age」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://www.pnas.org/content/107/16/7246.abstract?sid

注2 記事のタイトルは「No gain from brain training」で下記のURLで内容を読むことができます。

http://www.nature.com/news/2010/100420/full/4641111a.html

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