はやりの病気

第92回 エコノミークラス症候群を防ぐには 2011/4/20

 東日本大震災発生後に度々耳にする病気のひとつに「エコノミークラス症候群」があります。今回は、この病気のメカニズム、治療法、予防法などについて述べていきたいのですが、その前に、一見覚えやすいけれども誤解も招きやすいこの病名についてみていきたいと思います。

 まず、なぜ「エコノミークラス症候群」などという奇をてらったような病名がついたかと言えば、元々は飛行機のエコノミークラスに長時間座ることにより起こりうることから名づけられたからです。しかし、この病名は、「では、ビジネスクラスに座れば起こらないのですね」、というイメージを与えることになりかねません。

 ところが実際は、ビジネスクラスに座ろうがファーストクラスに座ろうが、起こるときは起こります。エコノミークラスに座席を取ることが問題なのではなく、長時間同じ姿勢で座りっぱなしであることに原因があるのです。長時間同じ姿勢で座ることにより、下肢の静脈内に血の塊(かたまり)ができやすくなるのです。この血の塊のことを「血栓(けっせん)」と呼びます。そして、血栓が何らかのきっかけで静脈内を移動し、それが肺の血管につまると、突然呼吸困難に陥り、重症例では死に至ることもあります。これがこの病気のメカニズムです。

 エコノミークラスが必ずしも原因ではありませんから、この病気の名前を「ロングフライト血栓症」、あるいは「旅行者血栓症」という名前に変えようと言われたこともありましたが、どうもそれほど社会に浸透していないようです。依然として「エコノミークラス症候群」という名前の方が知られているのではないでしょうか。

 ではもう少し学術的な呼び方はないのか、と気になるところですが、我々医療者は、下肢の静脈に血栓ができた状態を「深部静脈血栓症」、そして肺の血管に血栓が詰まった状態を「肺血栓塞栓症」と呼んでいます。

 私個人としては「エコノミークラス症候群」といった誤解を与えかねない病名には少し抵抗があるのですが、他の言い方と比べても依然世間に浸透してしまっている命名ですから、こうなればエコノミークラス症候群の病態を、名前だけでなく、その内容を詳しく知ってもらうのが現実的な医療者の使命ではないかと今は考えています。

 東日本大震災の被害者に多発したのは、もちろんエコノミークラスの席に座っていたからではありません。寒さに震え同じ姿勢を維持したことが原因です。現地で調査した医師の報告によりますと、検診に参加した被災者の約3割に深部静脈血栓症が認められた、とするものもありますし、車の中で寝泊りしている被災者だけを対象とした調査では約50%に認められた、とするものもあります。

 被災者が車の中や体育館などで、少ない毛布で寒さに耐えて縮こまって安静にしている姿が想像されますが、体を伸ばしていれば防げるというものでもありません。大きなベッドで上を向いて寝ていたとしても起こるときは起こります。後にも述べますが、手術の後にも深部静脈血栓症は起こりやすいのです。

 では、どのような人に起こりやすいのか、つまりどのようなことがリスクになるのか、をみていきたいと思います。

 エコノミークラス症候群のリスクを挙げていくと、先に述べた術後の他、外傷も要注意です。ケガをして出血すると、止血が必要になりますから体は分子レベルで血を固まらせようとします。傷を負った部位の出血が止まるのはもちろん望ましいことですが、その一方で血が固まりやすくなるためにエコノミークラス症候群のリスクが上昇してしまうというわけです。

 その他のリスクとして、高齢、女性、肥満、高血圧や糖尿病、喫煙、薬などがあげられます。薬については、特に注意しなければならないのは、低用量ピルや更年期障害の治療で用いるエストロゲン製剤です。

 よく低用量ピルを飲んでいる患者さんから、「どうしてタバコがいけないのですか」と聞かれますが、その理由の1つはエコノミークラス症候群のリスクを上昇させるからです。参考までに、「WHOの低用量ピルの使用に関する基準」というものがあり、この分類で「分類4」になると原則として低用量ピルは使えないのですが、その分類4の1つに「35歳以上で1日15本を越える喫煙者」とあります。
 
 こういったリスクはひとつひとつはさほどでなかったとしても、積み重なるとかなりのハイリスクになると考えるべきです。例えば、軽度の肥満があり、薬を飲むほどではないけれども血圧が高く、喫煙している40代の女性は、できる限りピルは避けるべきです。

 さて、女性であること、高齢であること、震災でケガをしてしまったこと、などは自分の力ではどうしようもできないことですし、血圧が高いことも必ずしも本人の責任ではありません。では、リスクのある人がエコノミークラス症候群を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。

 どうしても知っておきたいのは「運動」と「水分摂取」です。

 運動という言葉に抵抗がある人もいるかもしれませんが、心配しなくてもここでいう「運動」とは、ちょっとした歩行やストレッチのことです。例えば、ずっと座りっぱなしという人は、ときどき立ち上がって歩けばいいのです。また、足首を回したり、ふくらはぎを伸ばしたりして下半身の軽いストレッチをおこなうのも効果的です。

 「水分摂取」は文字通りなのですが、女性の場合、これができておらず自覚のない人が意外に多いということを知っておくべきでしょう。一般の尿検査で、「比重」といってどれくらい尿が濃いかを調べる指標があるのですが、この比重の高い女性が男性に比べると非常に多いように私は感じています。患者さんに質問してみると、「水分を摂るのが苦手・・・」「仕事でトイレに行けないので・・・」「足がむくむのがイヤなので・・・」といった答えが返ってくることが多いと言えます。

 被災地なら、清潔なトイレの確保に苦労することもあるでしょうし、夜間に共同トイレに女性ひとりが行くことに危険が伴うこともあるでしょう。しかし、トイレの回数を減らすために水分摂取を控えてしまうと、それだけエコノミークラス症候群のリスクが上がることは知っておかなければなりません。

 運動と水分摂取を心がけることの他に知っておくべきことは、「下肢が腫れてくれば直ちに受診を」ということです。血栓が肺の血管まで飛んでいけばエコノミークラス症候群になるわけですが、下肢の血管内に血栓ができて、血のめぐり(循環)が悪くなると下肢が腫れてくることがあります。(しかし下肢が腫れることなくいきなり肺の血管が詰まることもあります) 太融寺町谷口医院の患者さんのなかにも「足が腫れた」と言って受診する患者さんのなかにこの状態(深部静脈血栓症)の人がいます。確定診断をつけるにはエコーで血栓の存在を確認するか、血液検査で血が固まりやすくなっていないかを知る指標(D-ダイマー、TATなど)を調べます。

 治療については、軽症では外来で診ることもありますが、下肢の腫れが強いときや、胸痛や呼吸困難があれば入院してもらうことになります。(呼吸困難があれば、エコノミークラス症候群以外の理由でも入院ですが) また下肢の腫れを繰り返すような人には「弾性ストッキング」という深部静脈血栓症を予防することのできる特殊なストッキングを履いてもらうこともあります。

 最後にエコノミークラス症候群をまとめておきましょう。

  1、エコノミークラス症候群は、下肢の静脈内でできた血栓が肺の血管に詰まることで発生し、呼吸困難が起こり死に至ることもある。
 2、飛行機のエコノミークラスに座るからでなく、同じ姿勢をとることがリスクになる。
 3、正式な病名は「肺血栓塞栓症」で、「ロングフライト血栓症」、「旅行者血栓症」といった呼び方もある。
 4、「同じ姿勢」以外のリスクとして、手術後、外傷、高齢、女性、高血圧や糖尿病、薬(特にピル)、脱水、などがある。
 5、予防は、適度な運動と水分摂取。また、ハイリスク者にはあらかじめ「弾性ストッキング」を使用してもらうこともある。
 6、重症例や突然の発症の場合は入院治療が必要になることも多い。