はやりの病気

第93回 てんかんを正しく理解するために 2011/5/20

2011年4月18日午前7時45分頃、栃木県鹿沼市内の国道293号線で、てんかんに罹患している26歳男性がクレーン車を運転中にてんかん発作を起こし、集団登校を行っていた小学生の列に突っ込みました。報道によりますと、9歳から11歳の児童6人が全身強打で死亡しました。

 児童6人が死亡、という大きな事故ですからマスコミの取り上げ方もかなり大きかったように思われますが、てんかん患者の自動車事故というのはこれまでもときどき報道されています。

 少し例をあげると、2010年12月、三重県四日市市の踏切で、てんかん患者の男性が乗用車を運転中に意識を失い自転車3台に追突し、踏切内に押し出された男性2人が急行列車にはねられて死亡しています。

 2008年3月には、横浜市の県道で、てんかん患者の男性がトラックを運転中にてんかん発作を起こし対向車線に逸脱し14歳の男子中学生がひかれて死亡しています。この事件では被告は禁固刑の実刑判決がでています。

 つい最近の2011年5月10日にも、広島県福山市の県道で、てんかん患者の男性が軽自動車を運転中に発作を起こし小学生の列に突っ込み児童4人が重軽傷を負っています。

 1~2年に一度くらいの割合で、新聞の片隅にてんかん患者の自動車事故が報道されているような印象が私にはあるのですが、冒頭で述べた事件は被害者が6人もの児童だったこともあり大きく取り上げられたのでしょう。そして、この加害者を糾弾する声が世論から上がっています。

 てんかん患者の運転、と言えば、作家筒井康隆氏の「断筆宣言」を思い出す人が多いのではないでしょうか。これは、筒井氏の小説『無人警察』のなかに、「てんかん患者を差別する内容がある」として、日本てんかん協会が筒井氏と、この小説を国語の教科書に掲載する予定であった角川書店に抗議をおこない、角川書店が筒井氏の同意を得ずに教科書から削除したことに対して、筒井氏が怒りの意思表示として断筆することを宣言した、というものです。

 『無人警察』の舞台は未来社会で、レーダーか何かで人の脳波を遠方から測定することのできる器械が登場します。この器械は、てんかん患者が出す異常脳波を検出することができ、異常波を出している運転者を検知すれば直ちに病院へ収容するきまりになっているとか、そういう内容だったと思います。(私の記憶はうろ覚えです。すみません・・)

 日本てんかん協会が筒井氏に抗議をおこなったのは1993年ですが、当時はてんかんの患者さんやその家族も筒井氏を非難し、筒井氏の自宅には大量の抗議の電話やFAXが寄せられたそうです。たしかに、この小説の解釈の仕方によってはてんかんに対する差別と取れるような箇所があったと思われます。一方、(これもうろ覚えで恐縮ですが)筒井氏は、「自分は差別しているのではなく、てんかん患者は直ちに病院へ収容すべき、といった差別観が世間に存在していることを訴えたかった」というようなコメントをされていたように記憶しています。

 『無人警察』が差別に値するかどうかは各自で考えていただくことにして、話を医学的な観点に戻したいと思います。

 まず押さえておきたいのが、「『無人警察』事件」があった1993年当時、てんかんに罹患している人は車の免許が法的に取得できなかったということです。これは1960年に制定された道路交通法によるもので、第88条に「てんかん患者には第1種および第2種免許を与えない」と規定されています。しかし、実際には、自らがてんかん患者であることを申告せずに、免許を取得している人も少なからずいました。

 こういった事態に対し、「てんかん患者が法を犯して運転免許を取得するなど許せない」という声があったのは事実です。しかし、てんかん発作は幼少時期のみで、すでに発作が起こらなくなってから10年以上経過している人からすれば「なんで運転できないの?」となります。

 てんかんという病は日本だけにあるわけではありませんから、この問題は当然どこの国にも存在していました。参考までに、てんかんの有病率には地域差はなくどこの国でもだいたい人口の1%程度だろうと言われています。日本のてんかん患者は推定100万人とされています。
 
 20世紀の半ば以降、てんかんに有効な治療薬が次々と開発され、うまく薬を使えば発作がかなりの確率で抑えられるようになってきました。そして、発作が2年以上おこらなければ再発は極めて少なく、薬の中止も可能であるということが実証されるようになりました。この流れを受けて、米国では1949年に、イギリスでは1960年に、てんかんを有していても運転免許を取得することが可能となりました。

 しかし日本の対応は遅く、世界各国が道路交通法を改正しているのにもかかわらず、21世紀になっても、日本は、てんかんであるというだけで運転免許を取得できない稀な国のひとつとなってしまったのです。しかし2002年6月、遅ればせながらも日本でも道路交通法が改正され、てんかんがあったとしても一定の条件を満たせば運転免許を取得することができるようになりました。

 「一定の条件」はかなり細かく規定されていますので詳しくは述べませんが、おおまかに言うと、一定期間てんかん発作がなく今後も起こる可能性が極めて少ないようなケースであれば免許取得が可能とされています。しかし、これは「普通免許」であり、「大型免許」や「第二種免許」に対しては現時点では認められていません。冒頭で紹介しました栃木県のケースでは被告はクレーン車を運転していたわけですから弁護の余地がありません。
 
 私は、今回の事件がきっかけとなり、てんかん患者に対する運転免許交付に厳しい条件を付けるよう求める声が上がらないかということを懸念しています。栃木県の事件では、過去にも人身事故を起こして執行猶予中だったことと、クレーン車を運転していたという許しがたい事情があります。一方、良心的な(というかほとんどの)てんかん患者さんは、道路交通法に基づいて免許を取得しているのです。

 今後、てんかんに対する風当たりがきつくなれば、きちんとコントロールできているのに免許が取りにくくなるといったことが起こるかもしれません。あるいは、正式な手続きを経て免許を取得しているのにもかかわらず、てんかんを理由として職場で運転を禁じられるとか、就職そのものが不利になるとか、もっと言えば適当な理由を付けられて解雇に追い込まれる、といったことがおこらないかということを危惧します。

 そのような雰囲気が生じれば、てんかんを持っている人はますます周囲に隠そうと考えるかもしれません。てんかんという病は、現在でも差別がまったくないとは言えないのです。ですから、てんかんであることを職場などで隠している人は依然大勢おられます。しかし、てんかんという病は、周囲にそのことをあらかじめ告げておくよりも隠しておく方が、その人にとってときにデメリットが大きい場合があるのです。
 
 今回の事件を受けて、てんかんの既往を厳格に管理せよ、という意見が出てきています。例えば、診察した医師はそれを保健所に届けて保健所が運転免許の取得状況を確認すれば隠れて免許を取得できなくなるだろう、という考えです。しかし、このようなことが行われればますます偏見が持たれかねませんし、てんかんという診断を付けられるのを避けるために医療機関を受診しなくなる患者さんもでてくるかもしれません。こうなれば患者さんにとっても社会にとっても大きな損失となります。

 てんかんは不治の病ではありませんし他人に感染させるものでもありません。てんかんが理由で差別的な扱いを受けるというようなことは絶対にあってはいけないことです。まずは国民ひとりひとりがてんかんという病気を理解し、自分がてんかんだったら・・、という観点で運転免許について考えるべきだと思います。