マンスリーレポート

2013年12月号 分子生物学の魅力

 前回・前々回のコラムでは、理系に興味がないのであれば理系の大学に進学すべきではない、ということを私の実体験に基づいてお話しました。私の場合、遅ればせながら理系の学問の魅力に気付き、あらためて受験勉強を開始することになったわけですが、この決意はそれほど単純だったわけではありません。

 もともと私は社会学をもっと本格的に学びたいと考え、仕事の合間を見つけて社会学関連の書籍を積極的に読んでいました。ただ、「社会学」というのは、どこからどこまでが社会学、というのが他の社会科学系の学問に比べると非常に曖昧で、そこが社会学の魅力でもあるわけですが、私が興味を持って読んでいた本も他人からみれば何の整合性もなく気の向くままに乱読していたと思われることだと思います。

 例えば、ピーター・ドラッカーのようなマーケティングや経営論、レヴィストロースのような人類学、ドゥルーズ/ガタリやフーコーのような哲学、などは比較的時間をとって読んでいましたし、学問とは呼べないような経済の入門書や文学などの読みやすいものも読んでいました。

 哲学もしくは哲学的な書物を読めば、心理学や精神分析学について知りたくなりますし、文化人類学を学べば遺伝学に自然に興味が出てきます。私の興味の対象が精神医学、脳生理学、遺伝学などに広がったのは、今から考えるとあながち偶然とは言えず必然であったのかもしれません。

 さらに、この頃の私は英語ができなければ仕事がまったく進まないというような部署(海外事業部)に配属されたため、(英語がまるでできなかった私は最初はこの人事を恨みましたが)そのおかげで英語への抵抗が小さくなり、教科書や論文は英語で読むようになっていきました。おそらく私の人生で最も知識が吸収できたのはこの頃、つまり大学を卒業して社会人になったばかりの20代前半の頃です。

 リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は、おそらく今も読まれている歴史的な名著だと思いますが、私がこの本を手にしたのは1993年頃だったと思います。今思えば、この本を読み出したあたりから、私が手にする本は理系のものに大きく傾いていったような気がします。基礎的な生命科学系の書物を次々と読んでいき、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの二重らせん構造の発見というものを知ったときには、生命とはなんて神秘的なものなのだろう・・・、と感じました。

 私が関西学院大学時代に学問に興味をもつきっかけとなった「集団力学」という学問は、人が集団をつくる理由や集団としてとる行動などについて学びます。その後私の興味はリーダーシップにうつり、さらに人間の行動、感情、思考などについて知りたい、という欲求が強くなっていきました。そして、これらの分析には社会学的なアプローチが最適であると当初は考えていました。
 
 しかし、人間の遺伝情報はDNAと呼ばれるたった4つの塩基でできたものであることを知り、しかもそれらは視覚的にも大変魅力的(というより私にとっては"魅惑的")な二重らせん構造をしているというではないですか。

 私は人間の行動、感情、思考といったものが、従来の社会学ではなく、生命科学の領域の学問で解明できるのではないか、とりわけ分子生物学の発展によって一見不可解な人間の行動や感情まで説明できる日が来るのではないか、とまで考えるようになりました。例えば、人はなぜ悲しくなるのか、幸せというものの正体は何なのか、人はなぜ感動するのか、音楽を聴いて気持ちよくなるのはなぜなのか、人にとって恋愛とは何なのか、人はなぜ自殺をするのか、・・・、こういった問題のすべてがいずれ明らかになるのではないか、とまで思えたのです。

 私の理系に対する興味は加速度的に増えていきました。当時発売されていた文化系出身の者でも読めそうな生命科学に関する本は手当たり次第に読んでいきました。講談社のブルーバックスなどは20冊以上読んだような記憶があります。

 そのようななつかしい書籍の中から、最近私は1冊の本を再び手に取りました。ノーベル賞受賞の利根川進氏と立花隆氏の共著『精神と物質』です。私がこの本を初めて読んだのは、ちょうど医学部受験を決意して間もない頃、おそらく1994年だったと思います。この本は、これから医学部を受験しようと考えている者にとっては最適というか、生物学の教科書としても使えるといっても過言ではないような良書で、私のために出版してくれたのではないか、と感じたほどです。

 最近になり、なぜこの本がもう一度読みたくなったかというと、前回・前々回と以前の自分を振り返ったコラムを書いてなつかしくなった、ということもありますが、一番の理由は日経新聞のコラム『私の履歴書』の2013年11月が利根川進氏だったからです(注1)。

 このサイトで過去に述べたことがありますが、私は『私の履歴書』の大ファンで、途中新聞代が捻出できず何度か中断したことはありますが、20年以上ずっと継続して読んでいます。(私はこのサイトで日経新聞の悪口を何度か書いた記憶がありますし、これからも書くことがあると思いますが、日経新聞には『私の履歴書』以外にも私の好きな連載がたくさんあり、特集記事なども楽しみにしています。もしも関係者の方がこのサイトを目にする機会があったとしてもどうか私への配信を止めないでください・・・)

 2013年11月1日から30日までの30日間、毎日利根川進氏の連載を読むのが楽しみでした。利根川氏はもちろん科学者として偉大な方ですが、ひとりの人間として大変魅力的な方です。卒論を書かずに卒業されたエピソードは興味深いですし、自分の決めた研究に一心不乱に取り組まれる様子は感動的ですし、才能豊かなお子さんが夭折されたときの話には胸をうたれます。

 私が利根川進氏の名前を初めて聞いたのは氏がノーベル賞を受賞された1987年です。このとき私は関西学院大学の理学部に在籍していました。受賞が決まって1週間くらいの間は、教壇に立つほとんどすべての先生が利根川氏の話をされていたように記憶しています。

 ところが私の方は、利根川進という日本人の学者がノーベル賞を受賞した、という以上のことがさっぱり分かりませんでした。つまり「抗体の多様性」などと言われても当時の私にはほとんど意味不明で、その前提となる「免疫グロブリン」という言葉も、わかるようなわからないような・・・で、私には利根川進氏の偉大な功績がまったくといっていいほど理解できなかったのです。その後、理学部のテストで、サービス問題として「利根川進氏の功績について述べなさい」という問題が出たのですが、私には1行も書けませんでした。

 その後私が利根川進という名前を見かけたのはおよそ7年後、大型書店の一角でした。それが前述した立花隆氏との共著『精神と物質』だったのです。
 
 このコラムで利根川氏が解明された抗体の多様性について解説するようなことはしませんが、ある程度の生物学の基本的な知識をまず身につけて少しずつ理解するようにつとめれば、おそらくほとんどの人が、いかにこの研究が偉大であるか、そして分子生物学とはこれほどまで魅力的なものなのか、ということに気付かれると思います。

 私が医学部受験を決意するにいたったのは、いくつもの素晴らしい書籍に出会ったからなのですが、この『精神と物質』は間違いなくそのひとつに入ります。医学部受験に関心のある人のみならず、生命科学に興味のあるすべての人に推薦したい良書です。

 前回のコラムで述べたように、結局私は医学部在籍中に研究者への道を断念しますが、分子生物学という学問が私にとって色あせたわけでは決してありません。私自身が新しい発見をすることはあり得ませんが、世界中の偉大な学者たちが発表する新たな知見を読むことは私にとっての喜びです。私が大阪市立大学医学部在籍時代に直接講義をしてもらった山中先生は、iPS細胞の発見により利根川進氏の受賞の25年後にノーベル賞を受賞されました。

 分子生物学、そして生命科学の魅力を改めて考えてみると、これから理系の学問を本格的に学び始める若い人たちがうらやましくなってきます・・・。

注1 『私の履歴書』に利根川進氏が1ヶ月分にわたり書かれたものが日経ストアで購入できます。興味のある方は是非購入して読んでみてください。