メディカルエッセイ

137 24時間働けますか 2014/6/20

  私は臨床医以外に、産業医や労働衛生コンサルタントとしての顔もあるために、労働者と面談をしたり、その逆に事業主から意見を求められたりすることもしばしばあります。ここ1年くらいで最も多い相談が「過重労働」に関するものです。少し前までは、いわゆる「新型うつ病」が多かったのですが、最近はなぜか新型うつ病と思われる相談はすっかりと鳴りを潜め、もっぱら過重労働がメインになってきています。

 現行の労働安全衛生法の規定では、労働者が、月100時間を超える過重労働が(ひと月でも)あるか、あるいは2~6ヶ月の平均で月80時間を超える過重労働があるかすれば、産業医の面談を受けなければならないことになっています。ここで言葉の定義を確認しておくと、「過重労働」というのは平日の残業時間と休日出勤を足した時間のことです。例えば、平日は毎日3時間残業して毎週土曜日に出勤して5時間ずつ働いたとすれば、3時間x5日x4週間+5時間x4日=80時間/月、となり、これが2ヶ月続けば産業医の面談を受けなければならないのです。

 さて、実際に面談をしてみると興味深い事象がみえてきます。例えば、月に120時間を毎月超えているような若い労働者が「まだまだがんばれますよ。今度また大きなプロジェクトがあってしばらく会社に泊まり込みになりそうです。先輩たちは厳しいですけど楽しいことも多いんですよ」というようなことを言う場合があります。このような人は産業医(私)との面談も会社に言われたから"仕方なく"受けているのであって、できることなら早く仕事に戻りたい、このような面談も時間の無駄、と考えていることもあります。

 一方で、その逆に、過重労働は60時間程度だけど(先に述べた法律の基準に達していなくても産業医との面談をおこなうことは可能です)、「会社に酷使されている。うちの会社はブラック企業だ・・・」という人もいます。

 これら両極端な例をみればわかるように、労働者にとって仕事がどれだけ負担になっているかというのは単純に労働時間だけでは分からないものです。しかし、現在の日本では過重労働からくると思われる心身の疾病がたくさん発症しているのは事実です。厚労省や行政、あるいは会社としては何らかの基準をつくって、心身不調者を早期発見する義務があるわけで、そのスクリーニングとして簡単に数値化できる過重労働の時間を指標にすることは間違っていません。

 では、長時間働いてもそれを苦痛と感じない人と、それほど長時間でなくても苦痛を感じさらに心身の不調を訴える人がいるのはなぜなのでしょう。労働時間以外に何がこれらを決める要因になるのでしょうか。

 ワタミと言えば今やブラック企業の代名詞のような扱いを受けている企業ですが、なぜここまで注目されるようになったのかというと、従業員が過重労働から自殺をした、という事件があり、さらにマスコミの取材でワタミの社内冊子が白日の下にさらされることになったからです。『理念集』と名付けられたその冊子には、「365日24時間死ぬまで働け」、「出来ないと言わない」などと大変厳しい教訓が書かれているそうです。(『週間文春web』2013年6月5日)

 365年24時間死ぬまで働け・・・、はいくら何でもまずいのでは?と、おそらくほとんどの人が感じるでしょう。若いときはがむしゃらに働け!と実際には思っている厳しい中高年の人たちも、このご時世にこの意見に同調するのは気が引けるでしょう。

 しかし、です。日本マイクロソフトの元社長(現在HONZ代表)の成毛眞氏は、最近『週刊新潮』(2014年5月29日号)の連載コラムのなかで、とてもおもしろいことを述べられていました。氏は、マイクロソフト社の新入社員が入社前に出席する内定式の挨拶で次のようなことを話されていたそうです。

 前略)最初の3年間は24時間365日仕事だけをしろ、と。仕事以外で許されるのは、週に一度の入浴くらい。恋人がいる人は入社までに別れを告げ、いない人は、すぐにパートナーを作り、やはり入社前にふっておくべきだとけしかけた。

 成毛眞氏という人について、私は『週刊新潮』のこの連載が始まるまでほとんど何も知らなかったのですが、この人の文章は内容も表現も大変魅力的で、よくこれだけ興味深い文章が毎週書けるものだと、私は発売日を楽しみにしています。

 それにしても、24時間365日働け!、風呂は週に一度!、恋人とは入社までに別れておけ!、とは恐れ入ります。私はこの文章を読んだとき、おかしすぎて声が出てしまったほどです。(入社前にふられたパートナーの人には失礼ですが・・・)

 さて、成毛眞氏はこのご時世になぜこのような発言をするのか、そしてこれを読んだ私(を含むほとんどの読者)は氏になぜ否定的な感情を抱かないのでしょうか。それは真意が別にあることが分かっているからです。

 成毛眞氏はこのコラムの後半で次のように述べています。

 1日8時間働くのと、1日24時間働くのとでは、経験値が3倍異なる。社会人になりたての時期の3倍の差は、どの会社でどんな業務をしているかの違いよりも、遙かに重要である。この頃に離された距離は、その後、どれだけ頑張っても埋められるものではない。だから死にものぐるいで頑張らなくてはならない・・・

 もちろんマイクロソフトの若い社員たちは、実際には週に一度どころか毎日シャワーをあびていたでしょうし、恋愛もちゃっかりと楽しんでいたに違いありません(見たわけではありませんが・・)。しかし仕事は猛烈におこない何日も会社に泊まり込んだという人は少なくないでしょうし、帰宅してからも(仕事を持って帰っていなかったとしても)頭の中で四六時中仕事のことを考えていた時期があったはずです。

 私は個人としては成毛眞氏の考え方に共鳴します。ただし、医師として、とりわけ産業医としては、全面的に同意します、とは言えません。やはり、ものには限度がありますし、こういった極端なコメントには、それを抑制する方向の意見も必要だからです。

 私は、産業医としてはもちろんですが、個人としても、風呂は週に一度、とまでは言ったことがありません。しかし、会社員時代も医師になってからも後輩たちには次のように言っています。

 今の仕事が勉強になるかどうか、将来の糧になるかどうかをよく考えるべきだ。今やっていることが少しでも自分のためになる可能性があるならやめるべきではない。君はずっとこの組織(会社・病院)にいるわけではない。どこへ行っても通用する知識と技術を今やっていることを通して学ぶんだ・・・・。

 私はこれまでに会社員、十種以上のアルバイト、複数の病院での勤務医、太融寺町谷口医院(医師は私ひとりですが研修医が勉強に来ます)と、様々な勤務地で大勢の後輩をみてきましたが、相談をもちかけられるとこのように答えてきました。そして、これが通じやすいのは一般の会社員よりも医師に対してです。これは医師の方がいったん知識と技術を身につければ他人に貢献できる、つまり身につけた知識と技術が求められる場面が多いからでしょう。

 しかし、医師以外の仕事であっても、その会社でしか通用しないことを延々とやらされる仕事と、少々困難ではあるけれど成し遂げれば自分の糧になり将来役立つ可能性のある仕事ではまったく異なってきます。

 最近私は産業医として労働者と話すとき、このような点に気をつけています。すると労働時間だけでは決してわからないその人の考えや将来の展望、会社への帰属意識、事実上の疲労度などが見えてくるのです。

 ただし私は、まだまだがんばれます!という労働者に対し、ではまだまだがんばってください!と言っているわけではありません。先ほど、医師は知識と技術を身につけるために少々辛いことでもがんばれる、と言いましたが、過労から心筋梗塞を発症した研修医や自殺においこまれた研修医がいるのもまた事実です。

 過重労働を強いられている、あるいはブラック企業で働かされている、と感じている人は労働時間に関わりなく上司あるいは産業医に相談することを検討すべきでしょう(注1)。一方、労働時間が多いけれど全然苦痛じゃない、と考えている人も、ときには息抜きに産業医との面談を受けてみてはどうでしょうか。過重労働を苦痛と感じないような仕事のできる人なら、ときには日頃の仕事とまったく異なる分野の人間と話をすることで思わぬ発想がでてきて仕事にいかせることもある、ということを知っているでしょうから。


注1:大企業なら会社に常勤の産業医がいるでしょうし、中小企業でも50人以上の社員がいるところであれば嘱託産業医が月に一度会社に来るはずです。しかし50人未満の企業の大半は産業医と契約を結んでいません。ではどうすればいいかというと、各地域の産業保健総合支援センターや地域産業保健センターに問い合わせればいいのです。無料で産業医の面談が受けられるサービスもあります。