マンスリーレポート

2014年11月号 「総合」なるものの魅力(前編)

  「専門は何ですか」というのはプロフェッショナルの領域ではよくある質問であり、医師の世界でも同様です。医師にこの質問をすると、例えば「脳外科です」とか「循環器内科です」という答えが返ってきます。もう少し踏み込んで聞いた場合は「てんかんの外科を専門としています」「心臓のカテーテルアブレーション専門です」といった回答になります。

 では私の場合はどうかというと、医療者から聞かれたときは「大阪市立大学の総合診療部に所属していて、日本プライマリ・ケア連合学会の認定医と指導医をもっています」となります。もう少し具体的なことを聞かれた場合は、「日頃は大阪の都心部にあるプライマリ・ケアのクリニックで働いており、働く若い世代を中心に診ています」となります。

  一般の人や患者さんから聞かれた場合は、最近は随分「プライマリ・ケア」という言葉が浸透してきましたが、まだまだ周知度は低いために「総合診療をおこなっています」と答えています。「総合診療」という言葉もまだ充分に認知されているとは言えないかもしれませんが「プライマリ・ケア」という言葉に比べると、まだなんとなく理解してもらいやすいかな、という気がします。

 私が「総合診療」を医師としての専門にしたいと本格的に思ったのは、医師になりたての研修医1年目の夏休みでした。大学病院から1週間の夏休みをもらった私は、かねてから訪れたかったタイのロッブリー県にある世界最大のエイズ・ホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)を訪問しました。わずか1週間という短い期間でしたから、ボランティアをするつもりで訪れたものの、患者さんの役に立つことはほとんどできませんでした。

 何もできなくて患者さんや施設のスタッフには迷惑をかけただけでしたが、私にとっては、人生の中でこれほど重要な1週間もなかったといっても過言ではないと思います。まずエイズという病の凄絶さを目の当たりにしました。当時のタイではまだ抗HIV薬がなくその施設では毎日数人が死亡していました。当時のタイではHIV陽性者は生きる場所がなく、職を失い、道を歩けば石を投げられ、バスに乗ろうとすると引きずり下ろされ、病院では診察を拒否され、家を追い出され、行く場がなかったのです。それでも前を向いて生きていこうとしている患者さんがその施設にいて私は胸を打たれました・・・。この話をしだすと止まらなくなりますので話を元に戻します。

 その施設に訪問して私はエイズという病に本格的に取り組みたいと思ったわけですが、もうひとつ、私の人生に大きなインパクトを与えた出来事がありました。それは、当時その施設でボランティアとして活躍していたベルギー人の男性医師です。この医師はエイズ専門医ではありません。いわゆるGPと呼ばれる医師だったのです。

 GPとはgeneral practitionerまたはgeneral physicianの略で、日本語にすると「一般医」または「総合診療医」となります。ベルギーを含むヨーロッパ諸国の多くは、日本のようにどこの医療機関でも受診できるわけではなく、まずGPを受診します。そして必要あればGPの紹介状を持って「脳外科」「循環器内科」などの専門医や大きな病院を受診するシステムになっています。

 GPのそのベルギー人医師はエイズ専門医ではなく抗HIV薬を処方しているわけではありません。GP(総合診療医)として、HIVに伴う諸症状、というよりはHIVが原因かどうかに関係なく、患者さんの悩みをすべて聞いていました。間違っても(日本の医師がよく言う)「それは自分の専門外だから分からない」とは言わないのです。

  もちろんこの医師にできないこともありますが(というより、充分な薬剤や検査装置のないこのホスピスでできることは限られていました)、少なくとも「なぜそのような症状が出現していて、どのような経過をたどることが予想されるか、その症状を取り除くのに今できることにはどのようなものがあるか、そしてどの程度その症状が改善することが見込めるか」といった説明をするのです。「できることは限られているが、それでもあなたにできる最大限の医療をします」というメッセージがそばで診ている私にもビシビシと伝わってくるのです。

 ここで言葉を整理したいと思います。欧米諸国では「GP」という言葉が一般的ですが、医療者でない日本人にGPという言葉はほとんど普及していません。そもそも日本では少し前まで医学部を卒業すれば、整形外科とか産婦人科といった何らかの臓器を専門とする医局に入るのが普通であり、欧米諸国のようにGPという制度が存在しませんでした。

 しかし日本でも、今から10年くらい前から、臓器だけをみるのではなくすべてを診ることのできる医師が必要だという声が大きくなり、「プライマリ・ケア」「総合診療医」「家庭医」などという言葉が注目されるようになりました。学会としては日本プライマリ・ケア学会、日本総合診療医学会、日本家庭医療学会があり、これらは独自で活動していたのですが、目指すところは共通している部分も多く、紆余曲折があったものの、2010年に「日本プライマリ・ケア連合学会」として統一されました。

 したがって、現在の日本では医療者の間では「プライマリ・ケア」という言葉が最も浸透していると思われます。GPという言葉は日本では医療者の間でもあまり使用しません。一般の人たちの間ではプライマリ・ケアという言葉はまだそれほど浸透していないでしょうから、私自身が、専門は?と聞かれれば、プライマリ・ケアというよりも「総合診療」という言葉を用いるようにしているのです。(GP、プライマリ・ケア医、家庭医、総合診療医と多くの言葉を使うとややこしくなりますので、ここからは「総合診療医」で統一します)

 話を戻します。研修医時代に夏休みを利用してタイのエイズ施設を訪問し、そこで私はベルギー人の医師から総合診療の魅力を感じとりました。帰国後、残りの研修医の期間は、将来総合診療が担えるようにできるだけ多くの科でトレーニングを積み、毎日のように救急外来を手伝わせてもらい、可能であれば手術見学もさせてもらっていました。

 研修期間が終了しても私の実力などまだまだです。しかし、2年前に訪れたタイのエイズ・ホスピスにもう一度訪れたいと考えた私は再びタイに渡航しました。元々の予定では最低でも半年はボランティアを行う予定でしたが、諸事情から急きょ帰国しなければならなくなり、いったん1ヶ月ほどでボランティアを打ち切りました。

  しかし、この1ヶ月間で私が学んだことは非常に実りのあるものでした。このときは2年前にいたベルギー人の医師はいませんでしたが、アメリカ人の総合診療医(GP)が長期間のボランティアに来ていたのです。私はこの医師からも日本では学べないような多くのことを学ぶことができ、大変貴重な経験となりました。

 帰国後、いくつかの事情からタイに長期間滞在することができなくなり、日本で総合診療を学びたいと考えた私は、母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩きました。当時は、日本で、しかも大学病院で総合診療を本格的に学ぶのは困難であることは分かっていましたが、それでも大学に所属しておくことで勉強がしやすくなるのではないかと考えたのです。

 大学病院にも総合診療科の外来がありますが、やはり大学病院を受診する患者さんには偏りがあります。そこで私は、大学での自分の外来は水曜日だけにさせてもらい、金曜日には他の先生の診察(主に婦人科)を見学させてもらうことにし、月、火、木は別の医療機関(内科、整形外科、皮膚科、アレルギー科など)に研修に行かせてもらうことにしました。(今考えればよくこんなわがままを聞いてもらえたものだと思います。自分の厚かましさに辟易とします・・・) 

  見学や研修ではお金はもらえませんから、平日の昼間はほとんど無収入でした。そこで土日や平日の夜中にいくつかの救急外来でアルバイトをして生活を凌ぎ、そして次回のタイのエイズ・ホスピス訪問にかかる費用を捻出していました・・・。

 今回のコラムでお伝えしたかったのは「総合診療」がなぜ興味深いのかということであり、さらに「総合」というものの魅力について話したかったのですが、自分の医師としての経歴の振り返りで文字がオーバーしてしまいました。

 実は、私のこれまでの人生で「総合」というものの魅力にとらわれたのは、総合診療というものを知った今回述べたタイでの出来事が初めてではありません。つまり過去にも何度か「総合」というものに魅せられたことがあるのです。次回はそのあたりについても述べていきたいと思います。