マンスリーレポート

2015年11月 熊本の変容と他者への貢献

 私が熊本を初めて訪れたのは社会人をしていた20代前半の頃で、仕事での出張が目的でした。「飲み屋が多い街」というのが私の第一印象で、同じ九州でも博多とは異なり、小さな飲み屋がたくさん密集していることや、大都市とは違う独特の情緒ある雰囲気がなぜかとても魅力的に感じられました。その飲み屋街は白川という大きな川の西に位置しています。この川を東から西に渡ると、空気が一変し別世界に来たような感じがして、なんだかとても不思議な気持ちになったことを覚えています。

 その後私は会社を辞め、仕事で熊本に行くことはなくなりましたが、機会があれば訪れるようにしていました。私が最も好きな地方都市のひとつです。熊本訪問時にはいつも白川より西のエリアに宿を取るようにしています。東側の整然とした「官」の雰囲気のあるエリアよりも、少し猥雑とした24時間眠らない非日常的な西側の時空間が私はたまらなく好きなのです。

 2015年10月上旬のある日、9年ぶりに熊本の地を踏みました。ある学会に参加するのが目的です。空港からバスに乗り換え白川を西に渡るとき、街の雰囲気がこれまで私が知っていた熊本と少し異なることに気づきました。なぜか街がとても明るく感じられます。ライトの数を増やしたのだろうか、もしかするとLEDをたくさん使っているのだろうか・・・、それにしてもこの人の多さは何なんだ、それに外国人もこんなに多いとは・・・。

 投宿し、そのあたりを散策しに出かけた私は、私が知っている過去の熊本と違っていることをさらに強く感じました。過去の雰囲気も魅力的でしたが、現在の熊本はかつてなかったようなエキサイティングでわくわくするような活気があります。この原因はいったい何なのでしょうか・・・。

 その理由が分かったのは、意外にも翌日に参加した医学会でした。

 受付会場で最も目立ったのは、「くまもんが来ます」というポスターでした。これを見た段階ではまだピンと来なかったのですが、受付で手続きを済ませると「くまもんバッジ」を渡され、ここで私は気づきました。そして前日に見た数々の光景がよみがえってきました。商店街に掲げてあるくまもんの巨大なポスター、いたるところに置かれた大小のぬいぐるみ、くまもんのシールが貼ってある食料品やペットボトル、くまもんの絵が大きく描かれたタクシーまで・・・。

 そうなのです。この街はくまもんのおかげで明るく元気になっているのです。それにしても医学会でもくまもんバッジが配られて、本物のくまもんがやって来るとは驚きです。

 医学会というのはその学会にもよりますが、医師でないゲストの特別講演が企画されていることがあります。私はこういった講演を聴くのが学会参加の楽しみのひとつであり、参加する前には誰がそのような講演をおこなうかを確認しています。これまでに私が聴いた講演で印象に残っているのは、故・渡辺淳一氏、スキージャンプの葛西紀明氏、車いすランナーでパラリンピックメダリストの伊藤智也氏などです。

 今回熊本で開催された学会の特別講演は熊本県知事の蒲島郁夫氏。しかし、私は(失礼ながら)蒲島氏のことをほとんど知りませんでした。ですから(これまた失礼ですが)講演にはそれほど期待していなかったのです。

 ところがところが、蒲島知事の話は最初から最後まで刺激的で、息つく暇もないほど夢中にさせられました。幼少時に苦労をして成功した人の話はたくさんあり、どれも興味深いもので、偉人の伝記や自叙伝などを読むのは私の趣味のひとつです。しかし蒲島知事ほどインプレッシブな人生を歩んでいる人はそういないのではないでしょうか。

 1947年熊本で9人兄弟の7番目に生まれた蒲島知事。幼少時は貧困に喘ぎ、白い米を食べられるのは正月のみ。小学2年生から高校3年生までの11年間、1日も休まずに新聞配達をして家計を助ける。当然勉強はできず高校時代には220人中200番台の成績。そのうち高校に行かなくなり丘の上の一本松の下で景色を眺め本を読む生活。出席日数ギリギリで卒業させてもらい就職もできたがわずか1週間で退職。その後農協に勤めるが2年で退職し、農業研修生とし渡米。ここで人生が開けるかと思いきや「研修生」とは名ばかりで実際は過酷な条件でのいわば強制労働。しかしプログラムにネブラスカ大学での3ヶ月の研修があり知事はここで勉学に目覚めます。いったん帰国した後、ネブラスカ大学に入学するために猛勉強。そして再び渡米し試験を受けるも結果は不合格・・・。しかし大学の講師の計らいで「仮入学」という形で大学で学べることに。高い成績を取らなければ半年で退学という条件のなか、日々猛勉強に明け暮れ一学期の成績はなんとオールA。その後4年でネブラスカ大学農学部を卒業。

 これだけでも充分なサクセスストーリーですが、ここからが蒲島知事のおもしろいところです。大学院は農学部ではなく、なんとハーバード大学の政治学部。ここでも猛勉強を継続し、通常は卒業までに5年はかかる大学院を3年9ヶ月でクリア。その後帰国し筑波大学の教授。その後東大教授に。高卒で東大教授という経歴は蒲島知事の他にはいないそうです。しかし熊本知事に立候補するため東大教授を退職。そして当選。2012年にも再選を果たし現在2期目です。

 私は新聞には毎日目を通しているつもりですが「くまもん」についてはその名前くらいしか知りませんでした。多くの実績のある蒲島知事の活躍のなかでも「営業部長にくまもんを抜擢」はその最たるものです。それにしても知事の(知事だけでなく熊本県の職員もですが)くまもんの戦略には驚かされます。知事はくまもんの知名度を上げるためにまず大阪をターゲットにしたそうです。しかも、大阪のテレビで取り上げてもらう、といった単純なことではなく言わば"ゲリラ的"な戦略を展開されました。

「くまもんを探しています。目撃された方は情報をお寄せください」といった内容の記者会見をネット上でおこない、大阪の各地に瞬間的に神出鬼没するくまもんの目撃情報を募集したそうです。またあるときには営業部長の任務としてくまもんに1万枚の名刺を道行く人に配らせていたそうです。これ、むちゃくちゃ面白い企画ではないですか。私はくまもんと熊本県がこのような斬新的なパフォーマンスをしていたことを後から知って少し後悔しました。太融寺町谷口医院は大阪市北区の繁華街の近くにありますから、きっとこの近くにもくまもんが来ていたはずです。そう思うと残念でなりません。

 学会での蒲島知事の講演では後半にくまもんが壇上に登場しました。われんばかりの拍手と止むことのないフラッシュのなか、くまもんは特に緊張した様子もなく知事をフォローしていました。講演終了後は、くまもんがロビーにやってきて撮影会が始まりました。驚いたことに、多くの医師たちが、日頃は笑顔を見せないようなタイプの医師たちも含めて(失礼!)、くまもんとのツーショット写真は相当嬉しいようで、順番の奪い合いをし、ようやく写真撮影となると満面の笑みを浮かべているのです。(ちなみに、私はそういった医師たちに圧倒され、ツーショット写真に並ぶ気力が起こりませんでした・・・・)

 さて、今回のコラムで私が最も言いたかったのは蒲島知事の努力のストーリーでもなく、くまもんの大阪でのエピソードでもありません。それは、現在の蒲島知事の「公僕としての精神」です。講演のなかで、知事が直接このような言葉を使われたわけではありません。しかし、就任1年間月給を百万円カットしたといったエピソードなどを持ち出すまでもなく、言葉の節々や話し方、表情などから、知事がいかに熊本に貢献したいかという思いがビシビシと伝わってきました。そして、このことが私がもっと蒲島知事のことを知りたい、これから応援していきたいと感じた理由です。

 私は人間の欲求のなかで「他人や社会に貢献する」ということが最も安定した欲求になるのではないかと考えています。機会があれば詳しく述べたいと思いますが、他者(他人や社会)への貢献の欲求は、一時的なものではなく永続し、飽きることがなく、迷うこともなく、また他人から共感を得られるものです。

 蒲島知事の講演を聴いた私は、自分は医師として他者(患者さんや社会)に貢献し続けたい・・・、そのような思いが次第に強くなっていきました。そして受付でもらったくまもんバッジを手に取り、カバンに取り付けました・・・。

参考:
『私がくまモンの上司です――ゆるキャラを営業部長に抜擢した「皿を割れ」精神』
蒲島 郁夫 祥伝社
『逆境の中にこそ夢がある』蒲島 郁夫 講談社