マンスリーレポート

2016年3月 外国を嫌いにならない方法~中国人との思い出~

 私が中国人と初めて本格的にコミュニケーションをとったのは1991年、前回紹介した韓国人女性の話と同じで、やはり商社勤務時代の新入社員の頃です。韓国人のときのように若い女性ではなく、今度は50代の男性です。

 事前に上司から聞いていた情報では、「来日するのは経済省の役人。日本語はできないだろうが、国の任務で来日するのだから英語は堪能なはず」、とのことでした。その役人の任務というのは、私が勤務していた商社の取引先である工場の見学です。日本の技術を学ぶために国の任務として来日する、というわけです。当時の私は英語がダメですし、工場の説明など日本語であったとしてもできません。しかし、工場に行けば、英語のできるスタッフがいるので問題ないとのことでした。その工場には外国人がしばしば見学に来るそうです。

 ということは、私の任務としては、朝ホテルにその中国人を迎えに行き、一緒に電車に乗ってその工場を訪れることと、見学が終われば再び電車に乗ってホテルまで送っていくことだけです。昼食時にはいくらかの雑談も必要になるでしょうが、上司によれば、昼食は工場の応接室でいただくことになるので、英語のできるスタッフも一緒だとのこと。「昼食時くらいは下手くそな英語ででもお前がもてなせ」と上司には言われましたが、当時の私に昼食をとりながら気の利いた話を英語ですることなどできるわけがありません。工場に着いてから出るまではすべて工場のスタッフに任せよう、私はそのように考えました。

 その中国人(ここからはTさんとします)が泊まっていたのは大阪の繁華街の小さなホテルでした。国の役人なんだからもう少し高級なところに泊まればいいのに・・、とおせっかいなことを考えましたが、当時の日中の経済格差を考えれば妥当なのかもしれません。しかし、小さなホテルであったおかげで私はTさんをすぐに見つけることができました。ロビーというよりは歯医者の待合室くらいの空間にいたのはTさんだけだったからです。

 Tさんは私を見かけるとにっこりと微笑んでくれました。よく、中国人は無愛想でウェイトレスもにこりともしない、と言われますが、中国人全員がそういうわけでもなさそうです。初対面の挨拶が大切だ、と考えた私は満面の笑顔をつくり、「グッドモーニング」と言いました。

 ところが、です。Tさんは、笑顔はつくりうなずいてはくれるものの何の返答もありません。年下の者が先に自己紹介すべきだと考え、私は自分の会社名と名前を名乗り、今日は一日お供します、ということを下手くそながら暗記してきた通りに英語で話しました。しかし、依然としてTさんは一言も話してくれません・・・。

 ようやく私は気づきました。そうなのです。Tさんは英語がまったくできないのです。私は焦りました。聞いていた話と違う・・・。しかし、そんなこと言っても何も解決しません。おそらく身振り手振りで工場まで連れて行くことは可能でしょう。しかし、工場に着いてからはどうすべきなのでしょう。英語が堪能な工場のスタッフも中国語はできません。これは困ったと思いましたがとりあえず工場に行くしかありません。私はノートを取り出し「熱烈歓迎」と書いてみました。するとTさんはニッコリを微笑んで初めて何かを話してくれました。しかし中国語など私に分かるわけがありません。この先工場ではどうすればいいのでしょう・・・。

 その日の私は幸運でした。工場で担当者に事情を話すと「何とかなるかもしれない」とのこと。しばらくしてその担当者が連れてきたのはなんと中国人の研修生。今でこそ日本で働く中国人は珍しくありませんが1991年当時、このような中国人研修生は非常に珍しく、実際この工場でも受け入れたのはその研修生が初めてであり、しかも翌日には帰国する予定とのことです。これで私の肩の荷は一気におりました。その研修生は「国の偉い人を日本で案内することになるとは思わなかったが重要な任務を任せられて嬉しく思う」と日本語で話してくれました。工場を出るまで私の役割はまったくなく、タダで昼食をいただいたことを申し訳なく思ったことを覚えています。

 Tさんを無事にホテルまで送りとどけ、私が帰ろうとするとTさんは私の腕をとって引き留めます。どうやら「部屋に来い」とのことです。私は商社勤務時代にいろんな国の人をホテルまで迎えにいったり送ったりしていましたが、後にも先にも「部屋に来い」と言われたのはその一度限りです。

 そのまま帰るわけにはいかないような雰囲気になり、私はTさんと一緒にホテルの部屋に入りました。狭い部屋はベッドが占領し、立っているスペースもないほどです。Tさんは私にベッドに座れ、とジェスチャーで指示します。私より身体の大きい若い男性なら恐怖を覚えたかもしれませんが、Tさんは小柄な初老という感じです。

 大きなかばんの中から小さな箱を取り出したTさんはそれを私に手渡します。それがプレゼントだと気づいた私は、シェイシェイと言いながら箱を開けると、そこにはきれいなデザインでいかにも高級そうなネクタイが入っていました。私が嬉しそうな顔をするとTさんは本日一番の笑顔になりました。シェイシェイと何度も言い私はTさんの部屋を去りました。

 後日、私の発音ではシェイシェイが通じないと中国語に詳しい上司に教えてもらいましたが、このときは通じたのではないかと思っています。話す言葉のコミュニケーションがまるでなかったとはいえ、筆談で3割くらいは通じましたし、丸一日一緒に過ごしたおかげでそれなりの意思表示ができるようになっていたからです。ちなみに、それから25年たった今も私はそのネクタイを使っています。

 この出来事があって数ヶ月後、会社に香港人の若い女性が入職してきました。当時香港はイギリス領でしたから香港人と中国人はライフスタイルが大きく異なっていたはずです。実際、この女性(Cさんとします)もオーストラリアの大学を卒業してから来日しています。英語は堪能で発音は恐ろしいほどきれいです。おまけに日本語も上手とは言えないまでも、それなりに会話はできます。しかも日に日に上達していくのが分かります。英語と中国語を話す外国人が、日本語を、間違えながらも一生懸命に話そうとする姿は大変微笑ましいものです。これは日本語を外国人に教えた経験がある人ならよく分かると思います。
 
 英語が堪能なことをひけらかすこともなく、謙虚な態度で日本語を使って仕事を覚えようとするCさんに否定的な気持ちを持つ社員など誰もいません。それどころか社員全員がCさんをフォローしようという気持ちになっていました。結局Cさんはたしか1年ほどで香港に帰っていきましたがその間Cさんの悪口を言う者は皆無でした。

 筆談で会話をした役人のTさんとオーストラリアの大学を卒業している香港人のCさん。私が初めてコミュニケーションをとった中国人がこの二人だったおかげで、私は中国という国に対して好印象をもっています。もちろんすべての中国人と上手くやっていけるとはまったく思っていませんが。

 香港は私が最も好きな国(地域)のひとつですが、初めて訪れたとき、英語があまりにも通じないことに驚きました。Cさんのような海外の大学を出ている人はごくわずかで、大半の人は英語とは縁の無い生活をしています(注1)。タクシードライバーもほとんど英語ができず香港でタクシーに乗るのは一苦労です。

 私は中国本土に行ったことがないのですが、中国が好きで何度も訪れている人に聞いても、最近は少しましになったとはいえ、日本人との違いに辟易とすると言います。店員はどこも無愛想で、ゲストハウスは明らかに空室があるのに「メイヨー」(無い)と言われるし、列をつくらない中国人に紛れて駅で切符を買うのは本当に苦労する、といった話は何度も聞きました。

 太融寺町谷口医院にも中国人の患者さんは少なくありませんが、「値引きしろ」、とか、「保険証がないから知人の保険証で診てくれ」、などと平気で言う人がいます。なかには、「薬は不要です。安心してください」と伝えると「それなら今日は無料だネ」と言って診察代を払わない人や、(客観的には改善しているのに)「治るのに時間がかかりすぎるから今日はお金を払わない」と言ってクリニックを飛び出していくような人もいます。このような人ばかりをみていると、「中国人は~」と言いたくなることもあります・・・。しかし、もちろんこのような人たちばかりではありません。

 次回は、私が海外で被害に遭った「詐欺」について、そして外国人との話の「タブー」について話したいと思います。
 


注1:世界で最も信頼できるといわれている「英語能力指数(EF EPI 2015)」によりますと、英語を母国語としない国のなかで英語能力のランキングは、香港は33位で日本は30位です。やはり私の実感としてだけでなく香港人は英語があまりできないようです。ちなみに他のアジア諸国をみてみると、韓国27位、台湾31位、タイは62位です。