マンスリーレポート

2016年4月 インド人の詐欺と外国人との話のタブー

 私はこれまでの人生で「詐欺」の被害に遭ったことが3回あります。そのうち2回は日本人から、もう1回は外国人からです。このコラムで前々回から外国人とのつきあい方を紹介し、過去2回は私の「良き思い出」を語りました。今回は否定的な思い出、外国人の詐欺についての話です。

 あれはたしか2005年だったと記憶しています。タイのエイズ患者・孤児を支援するためのNPO法人GINA設立に向けて準備をしており、その頃の私は定期的にタイを訪問していました。ある日バンコクで知人に会う約束をしていた私は、1時間ほど時間が空いたために、大通りに面したオープンカフェに入りました。

 テーブルにノートパソコンを広げた私は、午前中に面会した人と話したことをまとめていました。すると頭にターバンを巻いた大柄な、いかにもインド人というような中年男性がやってきて、相席してもいいか、と尋ねてきました。満席に近い状態だったので、私は彼に同席を勧め、軽く挨拶をしました。やはりインド出身で現在タイに出張に来ているとのことでした。

 私の経験上、インド人というのは話好きで、プライバシーという言葉を知らないのかと思うくらいどんどん踏み込んだ質問をしてきます。親は元気かとか兄弟は何をしているのかとか、これくらいならいいかもしれませんが、いとこはもう結婚しているのか、とかそんなこと聞いてどうするの、と言いたくなるようなことまで聞いてきます。以前タイで知り合った別のインド人からも質問攻めにあって辟易とした経験を思い出した私は、相席したそのインド人からの質問を手短に終わらせてノートパソコンに専念しようとしていました。

 しかし、インド人は会話を続けようとします。そして「お前の一番好きな花を私は知っている。それを当ててみせよう」という怪しげなことを言ってきました。この後どのような会話があったか、そのインド人が何をしたかをはっきり覚えていないのですが、たしか自分が今握った紙にその花の名前が書いてある、という話だったように記憶しています。それまでの会話で私が花が好きだなどとは言っていませんでしたから、私はその挑戦を受けて立つことにしました。それから、数分間会話をした後、インド人は「お前が好きな花がこの紙に書いてあるから開けてみろ」と言います。

 それを開けたとき、私の息は止まりました。なんと、私が考えていた花の名前が本当に書かれていたのです! 驚いてインド人の顔を見上げたとき私の心臓は凍り付きました。さっきまでそこにいたインド人とは同じ人間と思えないほど表情が変わり、冷酷な視線が私の顔面に突き刺さります。あれから10年以上たちますが、私はあの目が今も忘れられません。そして、「約束通り100ドル払え」と小さいながらも低く太い声で脅してきます。「100ドルなんてそんな話、聞いていないぞ」などと言っても通用しないでしょう。

 これは危ない、と感じた私は、冷静さを装うようにし、目をそらさないようにしながら、手探りでパソコンをたたみかばんに入れ、財布を取り出しました。一瞬心臓が凍り付きそうになりましたが、まだ日は暮れておらず周囲には大勢の人がいます。私は財布から20バーツ紙幣(約60円)を取り出して机に置いて立ち上がったと同時に、「おっちゃん、悪いけどおっちゃんの英語、よう聞きとらんわ~。悪いなあ~。少ないけどこれもらっといてや~」と、半径5メートル以内にいる人たち全員が振り向くくらいの大声で大阪弁を叫び、ゆっくりと後ずさりし、その後ダッシュで大通りを駆け抜けました。

 今となっては、20バーツでおもしろい体験ができた、といいように解釈していますが、あの視線は今思い出しても恐怖が蘇ります。しかし、それにしてもなぜ私の好きな花が当てられたのか、これは今でも解決していません。その後、海外詐欺事情に詳しそうなバックパッカー歴が長い日本人数人に聞いてみたところ、その詐欺はよくあるものでトリックは簡単だと言います。「たいていの日本人は好きな花としてバラかサクラを挙げるからそのどちらかを用意しておけば50%の確率であたる。お前もどちらかを思い浮かべたんだろう」と言われたのですが、私が思い浮かべた花はバラでもサクラでもなく少しマイナーなものです。今思えば、そのときインド人に「驚いた。100ドルあげるからトリックを教えて」と言えばよかったと少し後悔しています。いや、やっぱり100ドルは高すぎるか・・・。

 この体験をしてから、この手の話には乗らないよう自制しています。先にも述べたように、私の経験からいえば、インド人というのはよく言えば話し好きでフレンドリー、悪く言えば空気が読めずずうずうしい人が多いのですが、もちろんそんな人ばかりではありません。

 バンコクでは日本では考えられないくらいの低価格でオーダーメイドのスーツが買えます。そしてそういう仕立屋はたいていインド人が経営しています。一度ふらっと入った仕立屋でインド人のオーナーにとても誠実に対応してもらった私はその後も何度かその店に足を運びました。勤勉で誠実な彼は古き良き時代の日本人のようです。

 私は外国人の友人や知人が特別多いというわけではありませんし、外国人と恋人の関係など特別な仲になったことはありません。しかし、これまでの経験から、外国人との会話にはいくつかのタブーがあることが分かるようになってきました。誰でも思いつくのが相手の宗教や支持政党に触れることですが、これは日本人相手でも同じでしょう。私が外国人との会話で最も注意すべきタブーと考えているのは「領土」です。例をあげましょう。

 タイ人の私の友人(女性)の話です。彼女(Wさんとします)の出身はシーサケート県というカンボジアに接する県です。シーサケート県は特に産業もなく貧しい県ですが、彼女は努力を重ねタイのなかでも有名な大学に合格、さらに大学院に進学しました。国際学会に参加するために来日したこともあります。今でこそインバウンド誘致政策に力を入れている日本も、彼女が来日した2008年はタイ人が日本に入国するのは容易ではなく、ビザを申請するために私が保証人になりました。きれいな英語を話すその彼女は話題が豊富です。

 あれはたしか2005年頃、私がタイに滞在中にWさんと話す機会があり、話題がプレアヴィヒア寺院になりました。この寺院は、Wさんの出身県であるシーサケート県とカンボジアとの国境に位置しており、後に(2008年7月)、世界文化遺産に登録されることになる歴史的価値の高い寺院です。

 プレアヴィヒア寺院がタイ、カンボジアのどちらに帰属するかという問題は、太平洋戦争にも関連しフランスや日本も絡んでいて非常に複雑なのですが、ごく簡単にまとめておくと、太平洋戦争終結後しばらくタイが実効支配していたものの、カンボジアが国際司法裁判所に提訴し、同裁判所はカンボジアに領有権があることを認めました。しかしその後も対立が続き現在も解決しているとは言いがたい状況です。

 私はあるとき、何気なく、話題を広げるだけの目的でWさんにプレアヴィヒア寺院について触れてみました。すると、それまで穏やかだったWさんが豹変したのです!「あの寺院はタイのものです!あなたがカンボジアのものというならあなたとは絶好です!!」という勢いでまくしたてるのです。これには驚きました。その直前まで、この地方のタイ人とカンボジア人は顔も似ていて区別がつきにくい、といったカンボジアに好意的な発言をしていただけに私は何と答えていいのか分かりませんでした。なにしろ私は「プレアヴィヒア寺院」という単語を出しただけで、帰属権の話を持ち出したわけではなかったのです。

 もうひとつ例を挙げましょう。こちらは私のこの体験よりも深刻なもので2003年頃の知人の話です。私の知人の日本人男性(Y氏)には、交際に発展しそうな韓国人女性がいました。その女性は留学生として来日し、卒業後も帰国せずアルバイトながら日本の出版社で働いていました。狭いワンルームマンションの壁はジャニーズのポスターだらけ。日本文化が大好きで、もちろん日本語もかなり上手です。ある日のこと、Y氏とこの女性の間で竹島の話題が浮上しました。すると、竹島という呼び方自体が気に入らなかったのか、ふだんは冷静沈着なこの女性が激情しだしたそうです。この事件以来、Y氏は領土問題を「地雷」と命名し二度と触れなかったそうです。この事件が原因かどうかは分かりませんが、結局二人の関係はその後しばらくして終焉したようです。

 おそらく世界にはこのようなエピソードが無数にあると思います。私はアルゼンチン人の友人はいませんが、もしも、たとえばどこかのバーでアルゼンチン人に知り合ったとして、話題につまったとしても、フォークランド諸島の話には触れないのが無難です。まず間違いなくフォークランド諸島を英国のものと思っているアルゼンチン人は皆無です。そして韓国では竹島が「独島」と呼ばれるように、アルゼンチンではフォークランド諸島でなく別の呼び方がきっとあるはずです。

 さて、結論として、外国人と上手くつきあうための2つのコツを述べたいと思います。外国人と話をするとき、「〇〇人は~」という話題はとても楽しめます。これは日本人のことでも、その外国人の国民のことでも、別の国のことでもです。ちょうど日本人どうしの会話で「〇〇県民は~」という話題になるのと同じです。私自身も外国人との会話で話題を探すときに「△△国は行ったことがあるか。□□人に友達がいるか」といったことを質問し、「〇〇人の特徴は~」という話をすることはよくあり、これはとても盛り上がります。

 しかし、それはステレオタイプの特徴を話のネタとして披露しているだけであり、どこの国にも善人もいれば悪人もいます。私はこの手の話が過熱しすぎたときは、この言葉で閉めるようにしています。外国人と上手くつきあうための1つめのコツがこの「どこの国にも良い人もいれば悪い人もいる」という事実を認識するということです。そして、もうひとつが「領土問題には触れない」ということです。

 よく「価値観が違うからあの人とはつきあえない」と言って、自ら交友関係を狭める人がいますが、私に言わせればもったいない話です。「価値観が違うからこそ」話していて楽しいのです。そして、日本人どうしの「価値観の違い」などたかがしれています。外国人と話してみると、思いもしなかった驚きと興奮が次々に訪れるのです。