はやりの病気

第155回(2016年7月) 黄熱~世界一恐ろしい生物と予期せぬアウトブレイク~

 今年(2016年)最も注目されている感染症のひとつがジカウイルス(ジカ熱)です。2015年後半からブラジルを中心に流行が始まり、妊婦さんが感染すると小頭症の赤ちゃんが生まれてくることや、生涯にわたり神経症状に苦しめられることもあるギランバレー症候群のリスクが知られるようになりました。さらにその後、性感染がけっこうな頻度で生じることがわかり、厚生労働省も、流行地域から帰国後、症状の有無にかかわらず最低8週間は性感染のリスクがあると発表しています。

 オリンピックが間もなく開催されようとしているブラジルでジカウイルスが流行しているのはなんとも皮肉な話です。ジカウイルスは蚊に刺されることによって感染します。以前取り上げたように蚊とは「世界一恐ろしい生物」なのです(注1)。

 世界一恐ろしい生物である蚊は「単独」でヒトを殺せるわけではありません。口から他の病原体をヒトに「注入」し、体内に侵入した別の病原体がヒトを殺すわけです。この病原体で最も多くのヒトを殺しているのがマラリアです。マラリアは世界三大感染症のひとつです。(他のふたつは結核とHIVです)
 
 蚊が媒介するヒトを殺す感染症でマラリアの次に多いのはおそらく黄熱です。マラリアも含めて蚊が媒介する感染症というのは、アジア、アフリカ、南米などに多く、こういった地域の多くは公衆衛生学がそれほど発達しておらず、そのため正確な感染者数や死亡者数を知ることは困難です。それでもいくつかの発表をみてみると、死亡者最多はマラリアの50万人以上でこれはダントツの1位です。次いで多いのが黄熱で、WHOの発表では29,000~60,000人(注2)。日本脳炎(注3)とデング熱(注4)は共に2万数千人程度、チクングニア熱とウエストナイル熱が共に数百人程度、リフトバレー熱はほぼゼロ、小頭症やギランバレー症候群は恐怖ですがジカウイルスも死亡者についてはほぼゼロです。フィラリアという生涯に渡り苦しめられる感染症があり、これは蚊が媒介する感染症ではとてもやっかいなものですがフィラリア自体で死亡することはあまりありません。

 つまり、マラリアを除けば、蚊で死ぬかもしれない感染症では「黄熱」が最も多いということになります。マラリア対策にはWHOを始め多くの団体が支援を打ち出していることが知られていますが、実は黄熱への対策も今世紀に入ってから積極的におこなわれています。

「黄熱イニシアチブ(Yellow Fever Initiative)」と命名されたWHOのプロジェクトが2006年に立ち上がりました。これは、黄熱が最も問題となっている西アフリカのいくつかの国で合計1億人以上にワクチン接種をおこなうという計画です。黄熱には治療薬がありません。また蚊(ネッタイシマカ)を全滅させることは事実上不可能です。であるならば、大きく感染者を減らすにはワクチンが最適ということになります。実際、このプロジェクトが功を奏し、WHOの発表によれば2015年の西アフリカでの黄熱のアウトブレイクは「ゼロ」となったのです。「黄熱イニシアチブ」は成功した。この調子なら黄熱は完全に撲滅することも不可能ではない・・。おそらく多くの人はそう思ったのではないでしょうか。

 ところが、WHOがアウトブレイク「ゼロ」と発表した数か月後、事態は誰もが予期しなかった方向に向かいます。2015年12月頃からアフリカ南西部のアンゴラで黄熱感染者の報告が少しずつ増えだし、2016年3月までに335人が感染、うち159人が死亡したのです。これを受けて、WHOが正式に「アウトブレイク」を表明しました(注5)。アンゴラでの黄熱のアウトブレイクは1988年以来、28年ぶりです(注6)。1988年には感染者が37人、死亡者が14人でしたから、2016年の規模は10倍以上ということになります。

 アンゴラのアウトブレイクはさらに広がることになります。中国人の感染者が相次いで報告されたのです。2016年3月には6人、4月には4人のアンゴラから帰国した中国人が黄熱を発症しました。

 ここで黄熱とはどのような感染症なのかをまとめておきましょう。媒介する蚊はネッタイシマカで、アジア、アフリカ、中南米に多く生息しています。日本にも沖縄にはネッタイシマカがいますが、少なくとも記録が残っている太平洋戦争後では国内での黄熱発症者はいません。感染するのはアフリカと中南米だけで、アジアでは感染しないとされています。

 感染すると3-6日の潜伏期間を経た後、発熱、筋肉痛、頭痛、嘔吐などの症状が出現します。しかし、多くの人はまったく症状がでず感染に気付かずに治癒します。症状は3-4日程度で消失しますが、なかには第二期に入る場合もあります。第二期に入れば再び高熱が生じ、肝臓や腎臓が障害を受けます。肝臓が急激にやられるために黄疸が出現し、このため身体は黄色くなります。これがこの病気の名前「黄熱」の由来です。尿は黒くなり、腹痛・嘔吐に苦しみます。出血が口、鼻、目、胃などから生じ、ここまでくれば半数の人は7-10日後に死に至ります(注7)。

 いったん発症すると黄熱ウイルスに効く薬はありませんから、解熱鎮痛剤程度くらいしか使える薬はありません。しかし、黄熱には優れたワクチンがあり、WHOによればワクチン接種者の99%が30日以内に効果がでます(注8)。しかも比較的安全で安いワクチンですから、世界中でワクチンを一斉にうつことができれば黄熱はほぼ消失する可能性があります。

 ただし、アフリカや中南米に渡航しない人には必要ありませんし、アフリカ・中南米のすべての国と地域が高リスクとはいえないですし、そもそも安価とはいえ、ワクチンには限りがあります。そこでWHOは「黄熱イニシアチブ」でアウトブレイクを繰り返している西アフリカをターゲットにしたのです。しかし、西アフリカでは成功したものの、アンゴラで28年ぶりの予期せぬアウトブレイクが起こってしまったというわけです。

 黄熱ウイルスはヒト→ヒトへの感染はありませんが、ヒト→蚊→ヒトであれば感染します。ですから、黄熱が発生する国としては、黄熱ウイルスを持っているかもしれない外国人の入国を拒否したくなります。それで、いくつかの国では黄熱ワクチンを接種したことを証明するカード(これを「イエローカード」と呼びます)を持参することを義務づけています。

 ここで注意しなければならないのは、出国した国によって求められる場合があるということです。例えば、日本からロンドンやシンガポールを経由して南アフリカ共和国に入国する場合はイエローカードを求められません。しかし、ブラジルに滞在した後で同国に入る場合は求められるのです。そして、このような国はたくさんあります。つまり、無条件でイエローカードを求められる国と、どこの国から入国するかによって求められる国があるということです。しかも、このルールは頻繁に変わるために、アフリカ・中南米に渡航する人は最新の情報に注意しなければなりません(注9)。

 しかし、黄熱ワクチンは一度接種すれば生涯有効で、イエローカードは一度発行されれば生涯使えます。実は、つい最近まで、イエローカードの有効期間は10年間とされていたのですが、2016年7月11日から、これまでに発行されたものも含めて、生涯有効とされました。ですから、今は予定がなくても、将来中南米やアフリカに渡航することを考えている人はワクチン接種を検討するのがいいでしょう。(ただし、黄熱ワクチンを接種できる機関は限られています(注10))

 日本で流行する可能性は極めて低いと思われますが、中国でもそのように言われていたわけですから、やはり流行国を渡航する場合には注意が必要でしょう。

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注1:下記コラムを参照ください。

メディカルエッセイ第149回(2015年6月)「世界で最も恐ろしい生物とは?」

注2:WHOの該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs100/en/

注3:厚生労働省検疫所の該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2014/03181434.html

注4:エーザイの該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://atm.eisai.co.jp/ntd/dengue.html

注5:アンゴラでのアウトブレイクについてはWHOの報道(下記URL)を参照ください。

http://www.who.int/features/2016/yellow-fever-angola/en/

注6:WHOの該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://www.who.int/emergencies/yellow-fever/mediacentre/qa/en/

注7:このあたりの記述はWHOの該当ページに基づいています。

http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs100/en/

厚生労働省の黄熱のパージは下記URLを参照ください。

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000124615.html

注8:黄熱ワクチンを開発したのは、南アフリカ出身で米国の微生物学者マックス・タイラー(Max Theiler)で、1951年のノーベル医学生理学賞を受賞しています。ちなみに、野口英世はいち早く黄熱の対策に取り組んでいて、病原体を発見したと発表しましたが、後に誤りであることが分かりました。野口英世の時代には光学顕微鏡では観察できないウイルスの存在がまだはっきりとわかっていなかったのです。野口英世は黄熱で他界しています。

注9:いろんなサイトで、いろんな情報が公開されていますが、まず間違いなく確実にアップデイトされており最も正確なのはWHOの下記ページだと思われます。ただし、実際に渡航されるときにはその国の領事館に確認するのがいいでしょう。

http://www.who.int/ith/2015-ith-county-list.pdf?ua=1

注10:厚労省検疫所の下記ページを参照ください。

http://www.forth.go.jp/useful/yellowfever.html#list