メディカルエッセイ

第175回(2017年8月) 「少子化」と「保育園不足」の矛盾

「保育園落ちた日本死ね」という言葉を初めて耳にしたとき、私はあまりいい気分がしませんでした。しかし、一度頭に入ると追いやることができず、国会で取り上げられたと聞いたときはさすがに驚きましたが、2016年の流行語に選ばれたという報道を目にしたときは納得がいきました。

 この言葉が多くの日本人の心に(良くも悪くも)響いたのは、自分の子供を保育園に入れたくても入れられない、そしてそのために働くことができない保護者が少なくないということをある程度は感じているからでしょう。なかでも、シングルマザーたちは、子供のために身動きが取れず、支援者がいなければ生活もままならなくなります。(「保育園落ちた...」を投稿した人が男性か女性か、またシングルマザーか否かについて私は知りません。この人がシングルマザーだろうと言っているわけではないことをお断りしておきます)

 一方、「少子高齢化」が叫ばれて長い年月がたちます。私が前の大学(関西学院大学)で社会学を勉強していたとき、これが討論のテーマになったこともありましたから、少なくとも80年代後半には少子高齢化が問題になっていたのは間違いありません。

「少子」つまり子供の数が減っているなら、保育園や幼稚園の数は余るのでは?と常識的には考えられます。ですが、現実はその逆であり、地域によっては最寄りの保育園に入れるのが絶望的だそうです。そして、ついに「日本死ね」という言葉が日本全国を駆け巡り、国会でも取り上げられたというわけです。

 保育園に入れないと困るのは誰か...。「子供」と答える人もいるでしょうが、やはり保護者、特にシングルマザーです。日本では「子育ては神聖なもの」と言わんばかりの価値観があり、子育ての不満や愚痴はなかなか簡単には口にできません。実際、「生まれてきてくれてありがとう」のような文章をSNSで発すると、好意を持たれるという話を聞いたことがあります。ですが、実際には不満どころか子供の「悪口」を言いたくなることがあっても不思議ではありません。いえ、実際に悪口どころか暴言を吐いてしまう、さらに「虐待」と呼べるレベルにまで及んでしまうこともあります。

 私が医学部の学生のとき、ある会合でこの話題が取り上げられたことがあります。その場にいた私以外の医学部生全員は、「そんな母親に子供を育てる資格はない」「ただちに児童相談所が介入すべき」といった意見で一致していました。しかし、私の意見はまったく正反対でした。「むしろ母親の声に耳を傾け、母親を支援することが先決だ」、これが私の考えでした。そのとき私に賛同する声はなく、完全に私は「異端児」となりました。

 ですが、私のこの考えは今も変わっていません。太融寺町谷口医院にもシングルマザーの患者さんは少なくありません。子供にはもちろん愛情はあるけれども(それは言葉だけではなく真実だと思います)、時に暴言を吐いてしまう、あるいは叩いてしまう、と告白する人もいます。私はできるだけ客観的に評価するように心がけ、必要あれば、児童相談所や地域の保健所や役所に相談するよう助言しています。その結果、子供を施設に預けることになった、というケースもあります。

 これは私の個人的な意見ですが、子育てとはそもそも親だけがおこなうものではなく地域社会が担うものではないでしょうか。実際、昭和時代には親がほったらかしにしていても、地域に育てられてまともに成長する子供が当たり前のようにいました。こういう話になると「昭和レトロを懐かしむ」ようになってしまいますが、私は昭和時代を盲目的に絶賛しているわけではありません。私自身がもう一度人生をやり直せるとして、昭和か平成、どちらがいいかと問われれば迷わず「平成」と答えます。平成生まれはうらやましいと思うことが多々あります。

 ですが、子育てということに関して言えば、両親だけでも相当しんどく、シングルマザーがすべてを担うというのはほとんど不可能だと思います。何もかもひとりで背負って一人、ときには二人のお子さんを育てているシングルマザーをみると、もしも時代が昭和だったら...、と考えてしまうことがあります。
 
 保育園落ちた日本死ね、に話を戻します。これが国会でも取り上げられたということは、国会議員のセンセイ方にも、保育園不足の現実および子供を育てる保護者の苦悩を理解いただけたのではないかと私は思いました。いざなぎ景気を抜く好景気などと言っているわけですから、予算を子育て支援に回してもらえるに違いないと...。

 ところが、実際はどうでしょう。2017年の国会で盛り上がり、連日新聞や週刊誌で取り上げられていたのは、ナントカ学園がどうのこうのとか、防衛大臣が不適切な発言をしたとかしないとか...。改めて言うまでもないことですが、国会を開くのに必要な費用は税金から支払われています。国会議員のセンセイ方の給料は決して安くありませんから、1日国会を開けば億を超える税金が消えてしまうはずです。(一説によれば1日あたりの費用は3~4億になるそうです)

 ところで景気がいいと言われていますが、ならば税金が増えて各地域の保育園への費用も増えているのでしょうか。日経新聞2017年7月29日によると、都心部で住民税の減収が目立ち、東京都世田谷区では前年比で89%(11%の減少)、31億円も減ったそうです。これだけ減れば市民サービスの質は当然落ちることになります。実際、同区では、児童養護施設を巣立つ若者の学費支援など8基金への寄付募集を開始したそうです。

 住民税が大幅に減っているその最大の(そしてほとんど唯一の)理由が「ふるさと納税」です。周知のようにふるさと納税は誰でも好きな地域に寄付することができて、その分自身が住んでいる地域の住民税が軽減されます。本当に寄付をするその地域の支援がしたくて寄付をするのであればまだいいのですが、高価な「返礼品」を目的にふるさと納税に励んでいる人が多いと聞きます。

 この良し悪しをここで論じるつもりはありません。私が言いたいのは「政治家のセンセイ方はいったい何をしてるの??」ということです。「保育園落ちた...」が国会で取り上げられたおかげで問題意識は俎上に上がったはずです。では、これまでに具体的にどのような対策が取られ、どのような成果が出ているのでしょうか。

 保育園不足をなんとかしなければならない、ということについては与党も野党もないでしょう。ナントカ学園などの問題は、国会が終わってからどこか別の場所で与野党数人で話し合ってもらえばそれで充分だと思います。

 私個人は政治的にはニュートラルで特定の支持政党を持っておらず、選挙の度に投票する政党が異なるような中途半端な市民ですが、もしも「国会では大切な話をしよう。ナントカ学園の問題などは後でファミレスで」と発言する政治家が入れば票を入れたいと思います。

 新聞の報道によれば、全国の児童相談所が2016年度に対応した児童虐待の件数は前年度比18.7%増の122,578件。1990年度の集計開始以来、26年連続の増加で過去最多を更新したそうです。もう待ってられません...。