メディカルエッセイ

第183回(2018年4月) 「誤解」が招いた海外留学時の悲劇

 最近ある学会で繰り返し取り上げられている「悲劇」を紹介したいと思います。

 東日本のある大学に在籍していた当時20歳の女子学生。201X年、留学先の北米のある都市に滞在時、清掃ボランティア活動に参加し煙を吸い込んでしまい、その直後から体調悪化、市販の解熱鎮痛薬を飲んだものの発熱、頭痛、咳などが持続、さらに呼吸困難に。しかし救急車要請をせず、また(大きな)病院も受診せず、小さな診療所を受診。A病院に紹介されたが、すでに重症化しておりその地域で最も大きなB病院に救急搬送。集中治療がおこなわれたものの約1か月後に肺炎で死亡。

 特に持病を持っていたわけではない健康な20歳の女子学生です。どのような煙が吸い込まれたのかは判らなかったようですが、こういったことは時に起こり得ます。しかし、「医療ミス」がなかったかどうかも検討しなければなりません。女子学生の保護者もそのように考え、集中治療がおこなわれたB病院のカルテを入手し日本の医師らに検証を依頼しました。とても分厚い合計4冊のカルテを読み込んだ専門家らの判断は「医療ミスはなかった」という結論でした。

 では、健康な20歳の女子学生はなぜ死ななければならなかったのでしょうか。助かる方法はなかったのでしょうか。100%の確証を持っては言えませんが、このケースは病院の受診が早ければ救命できた可能性があります。なにしろ、煙を吸い込んだ直後から症状が出現し、しかも次第に悪化していたのにもかかわらず大きな病院に搬送されたのは7日もたってからなのです。なぜ、もっと早くに、そして小さな診療所ではなく、眠れないほど辛かったのなら、夜中にでも救急車を呼ばなかったのでしょう。そもそも女子学生は日本にいる両親に相談しなかったのでしょうか。

 実はこの女子学生、小さな診療所を受診する前にスカイプを使って母親に相談していました。当然母親は「そんなにつらいのなら救急車でもタクシーを呼んででも大きな病院へ行きなさい!」と言ったそうです。すると、なんとこの女子学生は「お母さんは知らないの?! こちらでは最初に診察したドクターの紹介が無いと病院にはかかれないのよ!!」と答えたというのです。

 これはとんでもない「誤解」です。どこの国でも救急外来(ER、英国ではA&E)はいつでも誰でも診てくれます。もちろん軽症で受診すれば数時間も待たされ、しかも数分間の診察のみで薬も処方されない、なんてことはざらにあります。しかし、重症の場合はすぐに適切な治療を受けることができます。たしかに、この女子学生が言うように、救急外来以外の専門の科を受診するには診療所からの紹介状が必要ですが、それは緊急性・重症性がないときの話です。これは海外で医療機関をかかるときの「当然の知識」と言っていいと思います。

 では、なぜその「当然の知識」がこの女子学生になかったのか。その「答え」は我々医師にとって大変ショッキングなものであり、これこそがその学会で繰り返し取り上げられている最大の理由です。なんと、その女子学生は日本の大学で実施された留学オリエンテーションで、母親にスカイプで言ったような誤った知識を大学側から"植え付けられていた"ことが後の調査で判明したのです。

 なぜ、このような「誤解」をオリエンテーションで聞かされたのか。まったくわけが分からないと感じる医師も多いのですが、私にはこういったことが起こってもおかしくないと思えます。なぜかというと、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診する留学希望の学生に対し、「何を言ってるの??」と感じることがあるからです。

 例を挙げましょう。留学時に海外の大学に提出する書類には、留学先の大学が求めているルールに従わなければならないのは当然です。しかしながら、私が留学先の大学の指示どおりにしましょうと言うと、「それは不要です。それについては別の検査をしてください、(日本の)大学でそう聞きました」といったことを言う学生がしばしばいるのです。元々谷口医院をかかりつけ医にしている人は私の助言(というより留学先の大学の要求)にしたがって進めることになりますが、谷口医院を初めて受診するという学生のいくらかは、日本の大学の教員の言うことを信用し、私や留学先の要求に従いません。さて、結果はどうなるでしょうか。当然といえば当然ですが海外渡航後に問題が起こります。そして、渡航してから谷口医院に「何とかしてください」と泣きついてくることになります。

 だからあれほど言ったのに!!、と言いたくなる衝動を抑えて、私から留学先の大学にメールで「その学生は日本の大学から誤ったことを言われていたのです。学生が悪いわけではありません。日本で実施しなかった必要な検査などをそちらでお願いできますでしょうか」といった交渉をすることになります。

 実はこういうトラブルの原因は日本の大学の担当者だけではありません。というより、大学はまだましな方で、より問題が多いのは海外留学の斡旋業者です。ですから、斡旋業者に失礼であることは承知していますが、留学希望の患者さん(というか志願者)が受診したときには、谷口医院では、書類をそろえたり何か準備をしたりするときに疑問点が生じれば、斡旋業者でなく直接留学先の大学に質問するよう助言しています。あるいは、志願者に代わって私が現地の大学に質問しています。

 現地に着いてから書類に不備があり、検査などをやり直すということで済めば大きな問題ではないでしょう。ですが、冒頭で紹介した20歳の女子学生のように「誤解」により起こり得る取り返しのつかない事態は絶対に避けねばなりません。

 ではどうすればいいか。やはり、留学前に日本の医師から渡航時の注意点を聞いておき、留学後も何かあればメールなどで相談すればいいのです。もしも北米で他界した女子学生が、煙を吸い込んだその日にでも日本のかかりつけ医にメールで相談していればどうなったでしょうか。医師なら(当たり前ですが)直ちに救急車を呼ぶよう指示していたはずです。母親の言うことは聞かなくても医師の助言には従ったのではないでしょうか。あるいは、「大学でそう習ったから」と言って医師の忠告を無視するでしょうか。

 もうひとつよくある海外渡航時の「誤解」を紹介しておきます。これは学生だけでなくビジネスパーソンや旅行者にも言えることです。それは、海外で身体のトラブルが起こった時にまず保険会社に電話で相談する、という考えです。これは一見保険会社が良心的にみえますし、そうすべきこともあるでしょう。問題は保険会社の「対応」です。私が見聞きした範囲で言うと、電話をとる保険会社の担当者は必ずしも医学に明るくありません。そして、お決まりのように日本人医師または日本語ができる医師がいる「小さな診療所」を受診するよう促します。

 すると、どうなるでしょう。重症であれば20歳の女子学生とまったく同じ「悲劇」が起こりかねません。海外渡航時には(地域、期間、渡航目的などにもよりますが)保険の加入はたいていの場合必要です。詳しく述べることは避けますが、海外渡航時の保険は内容を考えると決して「損」なものではありません。私は民間の医療保険を勧めることはほとんどありませんが、海外渡航時の保険については患者さんから問われればほぼ全例に勧めています。

 ですが、現地で何かあったときの電話サービスは勧めません。大切な患者さんを保険会社のミスリードで苦しめたくないからです。症状が強ければ迷わずER(A&E)に行くべきです。そこまで重症でないときは、日本のかかりつけ医にメールで相談すればいいのです。実際、谷口医院の患者さんは、よく海外の渡航先からメールで相談されています。



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2018/05/16

2018年4月17日より本ページで予告していましたように、2018年5月16日より麻疹風疹混合ワクチンの接種は、当院をかかりつけ医にしている方(及び当院に一度でも受診したことのある方)に限定させていただきます。